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カテゴリー「T大学附属「育鳳学園」」の14件の記事

教師として一人前になるのに,12年はかかる

 最澄の「十二年籠山行」ではありませんが,何かをつかんでそれなりの仕事ができ,それなりの人間に成長するためには,12年かかる・・・・

 小学生までの子どもを指すこともできそうですし,

 6・3・3の小中高を卒業した人間を指すこともできそうですが,

 教員の私が一番しっくりくるのが,「教員として一人前になるのに12年かかる」ということです。

 学校はちょうど2校を経験して,中学校教師なら卒業生を3~4回送り出すイメージでしょうか。

 12年間で,どれくらいの管理職,同僚,研究者,子どもたち,保護者,地域の人々,行政の人たちと知り合いになれるでしょうか。

 私が「12年」という期間でそれなりに成長できたのは,この間に市町村,都道府県,文科省の3つの仕事ができたことが背景にあったかもしれませんが,子どもたちのやりとりの中で学んできたことが,それらの仕事をしていく上でのベースになったことが確かです。

 私は教員12年目に指導主事に任用されてしまいましたが,仕事と場所は変わっても,この年に「だいたいのことがわかった」感じになりました。小学校にも入るチャンスができた意義も大きかったかもしれませんが,最も重要だったのは,「わかったつもりになっている人たち」と自分との違いが明確になったことでしょうか。

 「だいたいのことがわかった」後の時間は,残念ながら「どうしてこんなこともわからないの?」と感じる場面のオンパレードで,それらがこのブログでの4500近い記事につながっていきました。

 「だいたいのことがわかった」という言葉の中には,「希望」と「諦め」が混在しています。

 12年より長く,同じ組織にいて,似たような仕事しかしていない人は,「希望」よりも「諦め」や「妥協」によって脳が占拠され,ろくなことをしでかさない,ということもよくわかりました。

 この国の教育をどうにかするために最も大事なのは,現場の教育管理職が「諦め」や「妥協」ではなく,「希望」を基本的なエネルギー源として仕事をすることができる環境づくりです。

 「諦め」と「妥協」を通り越して,後は「流す」ことで余生を送る人たちではなく,「希望」を追い求めるような人たちの声を集めてほしいと思います。

 この国の中ではだれも聞き入れてはくれない言葉でしょうから,どこかの国の指導者にでも救いの手を差し伸べてほしいものです。

 天下りや現役出向で甘い汁を吸っている連中ではない,本当に国の将来を考えることができる人はいないでしょうか。

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国立大学が附属学校を潰せるチャンス

 運営交付金をどんどん削られている国立大学が熱心になっているのは,「金儲け」である。

 ただ,私立大学化が進んでしまうと,人気の下落が心配になる。

 大学での人員削減が限界までいけば,あとは「附属学校」を捨てるという選択肢もある。

 東京学芸大は教員養成系大学だから,附属高校を切るのは難しいだろうが,

 「予算を削られたのはお前のせいだからな」といじめることは可能だし,「その下」をねらうこともできるだろう。

 筑駒のように,筑波大学などには目もくれず,東京大学をねらう子どもが多い学校の未来はどうなるのか。

 筑駒は国会でも「標的」に上がるくらいだから,いつ「餌食」になってもおかしくはない。

 とうとう,この国から本当に消えて無くなるものが出てきそうである。


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国立大学がとうとう附属学校の管理に乗り出すか

 国立大学の附属学校というと,いかにもエリートの養成というイメージがつきまとうかもしれないが,

 それができていた最大の理由は,「自由な教育」が確保されていたからである。

 偏差値が高い附属学校ほど,「自由度が高い」ことは世間の常識だろう。

 読売新聞のニュースによれば,文部科学省の国立大学法人評価委員会が公表した評価結果で,群馬大と東京学芸大が「業務運営の改善と効率化」という項目で最低評価を受け,これが来年度以降に配分される運営交付金にも反映される見通しだという。東京学芸大の場合は,いじめで重傷を負った附属高校の生徒の訴えに対し,事実確認が不十分で重大事態として認識するのが遅れたことが問題視されたようである。

 東京学芸大にとってみれば,「とんだ迷惑」といったところだろう。

 これをきっかけに,いよいよ河野太郎議員が指摘した「文部科学省による国立大学の植民地化」が,附属学校にまで及んでくる可能性が考えられる。

 なぜなら,都道府県や市区町村の「教育委員会」のような組織も人材もいない国立大学に,附属学校の管理を行う能力などないからである。

 ザ・リバティWebというサイトで,小林真由美さんという方が,次のような「図式」を書かれている。

*********************

 そもそも国立大学が法人化されたのは,自立した環境の下,個性豊かで特色ある研究,教育に取り組むことが目的。各大学が国の統制下から外れて,独自性を強めて特色のある研究を促すことを目指していた。

 しかし,実態はまるで逆。

 大学は,文科省のOBの天下りを受け入れることで,補助金を得たり,新学部設置の際などに文科省の嫌がらせを受けずに交渉を進められたりするというメリットにあずかる。

 文科省の官僚としては,天下り先の大学に補助金をバラまき,天下り後は自らの給料や退職金として懐に回収できる。

 これが文科省の一部の官僚と大学との間の「持ちつ持たれつ」の癒着関係。

 文科省の現役の官僚が国立大学法人に出向するのは「現役出向」と呼ばれる。

 政府はこれを大学などに再就職する「天下り」とは区別している。

 しかし,現役出向も天下りと同様に,癒着の温床になる懸念がある。

 受け入れ側の大学の運営に省庁の意向が過剰に反映されたりするという懸念もある。

 そうであれば,憲法で定められている「学問の自由」を文科省自らが破るということになりかねない。

********************

 ある教科書を採択した国立大学の附属学校に,文科省から「採択理由の聞き取り」に来たことは,もちろん違法ではないが,自分のところで検定を通しておきながら,その教科書が気に入らなかったことは明々白々である。

 河野太郎議員は,与党議員である。議員の頑張りに期待したい。


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7つの感謝

 昨日は,道徳やアクティブラーニングに関する発表を行い,700名を超える方々にご参加いただきました。

 手元にあるだけでも数十通のアンケートを当日提出していただき,教育活動に対する共感を賜り,感謝に堪えません。感謝の気持ちを伝えたい方々を列挙いたします。

****************

1 発表した生徒たち

   直に生徒の「豊かな言語活動」にふれていただくことによって,研究成果を実証できました。

2 参加された方々,会場で質問をあげてくださった方々
 
   現場の先生,学生,大学の先生など。生徒の発表に対してとても熱心に耳を傾けていただきました。

   「寝ている人もいたよ」と生徒が言っていましたが,私の角度からは見えませんでした。

   遠方から身銭をきって来校していただいた方々に,目には見えない貴重なお土産をお渡しすることができたかどうか・・。

3 発表に参加した卒業生

   研究成果への信頼性をさらに高めてくれました。

   この卒業生と私がどのような「縁」で結ばれているのか・・・意外な「真実」に驚かれた方も多かったようです。

4 発表を見守ってくださった先生方

   現職の先生方はもちろん,ご退職された先生方,他校に異動された先生方です。

   特に進行役をつとめた私の目線の正面にいらっしゃった先生方の表情を拝見することで,安心しながら会を進めることができました。

   この先生だったら,ここでこんな突っ込みを入れるだろうな・・・と想像しながら,一人何役かで進行ができました。

5 発表に参加できなかった先生方,役員の保護者の方々

   生徒の発表を見ることができなかった方々です。発表会全体の運営を支えるスタッフが滞りなく仕事をしていただいたおかげで,全体会もスムーズに進行できました。

   当日の様子を,ぜひビデオで見てみたい,とおっしゃっていただいた先生方にも感謝です。

6 アイデアをいただいた先生

   ある大学で行われたフォーラムで紹介されたネタを活用しました。ネタの捉え方が恣意的で,「これじゃダメだな・・」という気づきから,批判的・創造的に活用させていただきました。

7 お天道様

   金曜日の天候はよくなかったのですが,昨日は晴れて気温も高かったので,快適な環境で会が運営できました。


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子どもが主役,先生も主役,訪問する人も主役になれる学校

 観光立国をめざす日本では,観光地に訪れる人だけでなく,観光地で暮らす人も主役になれるような取り組みが必要だと言われます。

 観光客たちが,モノや景色だけでなく,訪問先で出会う人とその生活が魅力的に見えることが,リピーターを増やし,安定した観光収入の確保につながることになると考えることもできます。

 このように「観光」というと,「訪れる人」と「迎える人」という二分法で捉えることになりがちですが,

 「人が主役になれる場所」という観点を使って観光の振興を考えると,よそから来たかどうかにこだわらず,

 「そこで自分が主役になれる条件」をもっと前向きに追究することができそうです。

 「どうせよそものだから」「通りすがりのようなものだから」ではなく,

 自由に出たり入ったりできる場であれば,そこは「だれもが主役になれる場所」なのです。

 「楽しませることで楽しむ」という方法も,ただ「客を受け入れる側」の視点ではなく,「訪問する側」の楽しみ方として,ありなのではないでしょうか。

 たとえば,ホテルが宿泊客に対して,お土産を持参した人は,レシートを渡せばホテルが買い取ってくれる。

 そのお土産を使って,ホテルで試食会をしたり,販売を行ったりする。

 ホテルの地元の特産品が売れなくなると思われるかもしれませんが,本当によいものなら販売促進効果も期待できるのではないでしょうか。

 北海道のホテルでカナダのお土産が買える。オーストラリア人とアジアのお菓子を食べながら談笑できる。

 家族だけで楽しむタイプのホテルもあって当然ですが,人と人との交流の場になるホテルもありでしょう。

 地元の人たちも集まってこれるような「開かれたホテル」の創造は難しいでしょうか。

 
 「主役」がたくさんいる観光地の姿を想像していると,

 学校のあるべき姿も浮かんできます。

 「学校」というハコモノには,教師たちが通勤し,子どもたちが通学してくる。

 授業を見学に各所から人が訪問してくる。

 教育の場では,もちろん一人一人の子どもが主役になるべきでしょうが,

 教師が主役になるべき場面もたくさんあるはずです。

 「人に尽くす」ことに喜びを感じることも大事ですが,

 自分の「主体性」を実感できる場面が人を成長させていく原動力になります。

 授業見学に訪れる方々は,教師との交流はあっても,子どもとのインタラクティブなかかわりはほとんどありません。

 それでよいのでしょうか。

 主役との直接的なかかわりなくして,教育を学ぶ機会とすることは可能なのでしょうか。

 教師向けの教育図書を見ると,わざとらしい構図の写真が表紙に使われている本に出会います。

 自己完結型の教育や学習にならないようにするためのキーワードとして,

 「参加」と「参画」を忘れてはならないように思いました。 

 
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学校と図書館の一体化を!

 日経の有料会員限定の記事が配信されてきました(朝刊の記事になっていました)。

 タイトルは『学校と公共施設を一体化 人口減見据え、教育効果も』というもの。

 このブログで架空の学校として紹介している「育鳳学園」の特色が,この記事で紹介されているようなものでした。

 日経の記事には見えませんでしたが,ぜひとも

 小中学校と図書館を一つにしていただきたい。

 図書館には,パソコンも40台くらい設置してもらって,図書利用と同様に,授業で使うときは小学生,使用しないときは市民が利用できる仕組みを。

 市民が本を借りにきたついでに,授業も参観していけるような小中学校を。

 放課後は,そのまま図書館で自習ができる・・・・先生は教材研究ができる・・・・ような小中学校を。

 本と教育の距離を縮めるのは,これが最善の策です。

 もちろん,高齢者福祉施設も一緒にしましょう。給食の調理室が一つで,図書館のレストランにもなります。

 全国の市長さん,ぜひ,実現を!

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【発表(フィクションです)】 SNS中毒の監視・パトロール会社を設立

 以下の話は,T大学附属育鳳学園に関するフィクションであり,実在の話ではありませんので,ご注意ください。

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 当学園の生徒会では,生徒たちの「SNS中毒」の問題が深刻化していることを憂慮し,問題解決のための提案を行いました。

 その結果,卒業生のグループを中心として「SNS中毒の監視・パトロール会社」が設立される運びとなりました。

 この会社が行うサービスの詳細は後日発表されますが,本来は保護者が監督すべき子どもたちのケータイ依存を,保護者の代理としてチェックし,子どもたちに警告を発するというサービスが基本です。

 使用時間だけでなく,会話の内容もチェックするサービスもオプションで用意されています。

 どうしても行事や生徒会企画のための「在宅会議」を行いたい場合は,会社に届け出てくれれば,警告の対象からはずしますが,保護者の同意が必要です。

 通信の契約者が保護者であるにもかかわらず,責任をとれない状態にあることを改善するために考え出された仕組みで,生徒自身が発案し,そのアイデアを卒業生がひきとって起業にまでこぎつけられたことは,学園としても誇れることです。

 「子どもの人権」を主張する団体との詳しいやり取りの詳細は,HPに掲載してあります。

 ぜひともこの機会に,「SNS中毒」の治療を真剣に検討されてみてはいかがでしょう。

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 おもちゃをとりあげられたら子どもは怒ります。

 福岡の中3が傷害容疑で逮捕されたそうですが,中毒の治療には,時間と根気,そして「専門家」が必要です。

 保護者と教員との間の,責任のなすりつけ合いもやめましょう。

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中学受験前に学校に通わなくなる小学生の皆さんへ

 *この話はフィクションです。

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 本校では,入試の当日に,前日までの「出欠席数」を記入した書類を提出してもらいます。

 欠席が7日以上ある場合には,詳しい欠席理由書をつけていただきます。

 すべて,前日に小学校の公印をもらっておいてください。

 私たちの学校で重視している内申書のデータは,欠席数,遅刻数,学校で果たしていた役割とその成果です。

 教科の学習成績は,そのまま入試得点に反映されますが,長年の経験から,この評価は信頼性に乏しいことが分かっていますので,合否判定にはそれほど影響がでない割合になっています。

 最近,保護者の判断で,

 「風邪をひかせないように」

 「インフルエンザにかからないように」

 「受験勉強の時間を確保するように」

 という目的で,受験前に小学校を欠席させられる人が多いと耳にします。

 小学校に通っていなくても,

 学力が高ければそれでよい,という中学校もあると思いますが,本校は異なります。

 受験の前日も小学校に通っていることを前提とした提出書類があることや,

 面接試験で,試験の前日から一週間前までのどこかの1日を指定されて,

 その日に学習した内容などを質問することになっているのは,

 「小学校生活がどれだけ充実したものであるか」

 「学校生活をどのような態度で過ごしている人であるか」を

 確かめたいからです。

 受験生のなかには,本校が第一希望ではない人もいます。

 だから受験前に欠席数が多くなっている人も見受けられますが,

 こういう小学生は,これまでだいたい不合格になっていることからも,

 「出欠席数」が合否判定に大きな比重を占めていることがわかるでしょう。

 ご存じのように,本校では他校では実施していない教科の受験もあります。

 小学校で培った力のすべてを受験で発揮できるよう,最後の最後まで,

 小学校でがんばってきてください。

 みなさんの健闘をお祈りしています。

 
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【フィクション】 教員免許のない人が教えられる仕組みづくり

 世界には,さまざまなエリート養成学校ができていますが,わが校でも,エリート育成のための教育プログラムがいよいよ実現することになりました。

 特に活躍していただけるのは,企業を定年退職された卒業生や,キャリアを積んで家庭に入り,時間に余裕のある保護者たちで,みなさん,指導者として授業に参加していただける仕組みが整いました。

 文部科学省からの応援は何もなかったのですが,他のいくつかの省庁からの援助を受け,予算面にめどがたち,GOサインが出ました。

 日本の未来が教育にかかっていることは,だれもが認めるところですが,

 教育を文部科学省にまかせておくことができないことも,もはや常識となってきました。

 人づくり,リーダーづくりが得意なのは,

 文部科学省のように「ほとんどがヒラ」の人間たちと,企業の中間管理職程度の仕事しかできない学校の管理職ばかりを相手にしているような役所ではなく,

 世界で縦横無尽に活躍する人たちとのつながりが密接なほかの省庁の方です。

 そして,いよいよ,それらの省庁による教育=人材育成のリーダーシップが発揮されるようになりました。

 今後の教育の方向性は,従来と大きく異なってきます。

 何しろ,予算をがっぽりもっている省庁がバックにつきましたから,

 学校ごと1か月間,海外を舞台に学ぶチャンスも生まれました。

 子どもたちが教えを受ける「先生」は,少しずつ,昔ながらの「免許」をもった人ではなくなっていきます。

 海外からも,優秀な子どもたちが日本で学ぶ機会を求めて集まってくるようになります。

 本校は,その中核として,いくつかのモデル事業を起こし,提案させていただきます。

******************

 この内容はすべてフィクションです。

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【フィクション】 ネット補習を開始します!~オンライン教育の普及推進校~

 はい,私は,T大学附属「育鳳学園」で,「学習委員会」を立ち上げた中学校2年生です。

 この委員会では,毎日の授業の復習がスムーズにできるように,

 授業で重要だったポイントをわかりやすくまとめて説明するのが上手なクラスメイトに,

 約10分間,語ってもらう動画を,学校のHPでUPする企画を開始いたします。

 説明するのは上手だといっても,まとめた内容の一部が誤っているかもしれません。

 そういう問題をチェックするために,チェック係も設けたいと思います。

 毎日,修正点や補足する点をまとめた動画もUPします。

 配信は,希望制です。

 家庭のパソコン,スマホなど,受講する端末のメールアドレスから,申し込んで下さい。

 なお,この動画は,配信を希望する小学生にも開放します。

 中学校でどのような学習をするのか,いつでも知ることができるようになります。

 今日は,講師役をつとめてくれる人,動画を撮影したり,簡単な編集をする人を募集します。


 講師の人気投票,分かりやすさ等の評価なども,ネット上で行います。

 月間MVPなどの表彰も行います。


 どうぞ,ご協力をお願いいたします。

 私たちの学校は,自治活動をしっかり行うことが基本です。

 学習面でも自治の力を発揮しましょう。

*********************

 以上の内容は,あくまでもフィクションです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より