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カテゴリー「T大学附属「育鳳学園」」の11件の記事

7つの感謝

 昨日は,道徳やアクティブラーニングに関する発表を行い,700名を超える方々にご参加いただきました。

 手元にあるだけでも数十通のアンケートを当日提出していただき,教育活動に対する共感を賜り,感謝に堪えません。感謝の気持ちを伝えたい方々を列挙いたします。

****************

1 発表した生徒たち

   直に生徒の「豊かな言語活動」にふれていただくことによって,研究成果を実証できました。

2 参加された方々,会場で質問をあげてくださった方々
 
   現場の先生,学生,大学の先生など。生徒の発表に対してとても熱心に耳を傾けていただきました。

   「寝ている人もいたよ」と生徒が言っていましたが,私の角度からは見えませんでした。

   遠方から身銭をきって来校していただいた方々に,目には見えない貴重なお土産をお渡しすることができたかどうか・・。

3 発表に参加した卒業生

   研究成果への信頼性をさらに高めてくれました。

   この卒業生と私がどのような「縁」で結ばれているのか・・・意外な「真実」に驚かれた方も多かったようです。

4 発表を見守ってくださった先生方

   現職の先生方はもちろん,ご退職された先生方,他校に異動された先生方です。

   特に進行役をつとめた私の目線の正面にいらっしゃった先生方の表情を拝見することで,安心しながら会を進めることができました。

   この先生だったら,ここでこんな突っ込みを入れるだろうな・・・と想像しながら,一人何役かで進行ができました。

5 発表に参加できなかった先生方,役員の保護者の方々

   生徒の発表を見ることができなかった方々です。発表会全体の運営を支えるスタッフが滞りなく仕事をしていただいたおかげで,全体会もスムーズに進行できました。

   当日の様子を,ぜひビデオで見てみたい,とおっしゃっていただいた先生方にも感謝です。

6 アイデアをいただいた先生

   ある大学で行われたフォーラムで紹介されたネタを活用しました。ネタの捉え方が恣意的で,「これじゃダメだな・・」という気づきから,批判的・創造的に活用させていただきました。

7 お天道様

   金曜日の天候はよくなかったのですが,昨日は晴れて気温も高かったので,快適な環境で会が運営できました。


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子どもが主役,先生も主役,訪問する人も主役になれる学校

 観光立国をめざす日本では,観光地に訪れる人だけでなく,観光地で暮らす人も主役になれるような取り組みが必要だと言われます。

 観光客たちが,モノや景色だけでなく,訪問先で出会う人とその生活が魅力的に見えることが,リピーターを増やし,安定した観光収入の確保につながることになると考えることもできます。

 このように「観光」というと,「訪れる人」と「迎える人」という二分法で捉えることになりがちですが,

 「人が主役になれる場所」という観点を使って観光の振興を考えると,よそから来たかどうかにこだわらず,

 「そこで自分が主役になれる条件」をもっと前向きに追究することができそうです。

 「どうせよそものだから」「通りすがりのようなものだから」ではなく,

 自由に出たり入ったりできる場であれば,そこは「だれもが主役になれる場所」なのです。

 「楽しませることで楽しむ」という方法も,ただ「客を受け入れる側」の視点ではなく,「訪問する側」の楽しみ方として,ありなのではないでしょうか。

 たとえば,ホテルが宿泊客に対して,お土産を持参した人は,レシートを渡せばホテルが買い取ってくれる。

 そのお土産を使って,ホテルで試食会をしたり,販売を行ったりする。

 ホテルの地元の特産品が売れなくなると思われるかもしれませんが,本当によいものなら販売促進効果も期待できるのではないでしょうか。

 北海道のホテルでカナダのお土産が買える。オーストラリア人とアジアのお菓子を食べながら談笑できる。

 家族だけで楽しむタイプのホテルもあって当然ですが,人と人との交流の場になるホテルもありでしょう。

 地元の人たちも集まってこれるような「開かれたホテル」の創造は難しいでしょうか。

 
 「主役」がたくさんいる観光地の姿を想像していると,

 学校のあるべき姿も浮かんできます。

 「学校」というハコモノには,教師たちが通勤し,子どもたちが通学してくる。

 授業を見学に各所から人が訪問してくる。

 教育の場では,もちろん一人一人の子どもが主役になるべきでしょうが,

 教師が主役になるべき場面もたくさんあるはずです。

 「人に尽くす」ことに喜びを感じることも大事ですが,

 自分の「主体性」を実感できる場面が人を成長させていく原動力になります。

 授業見学に訪れる方々は,教師との交流はあっても,子どもとのインタラクティブなかかわりはほとんどありません。

 それでよいのでしょうか。

 主役との直接的なかかわりなくして,教育を学ぶ機会とすることは可能なのでしょうか。

 教師向けの教育図書を見ると,わざとらしい構図の写真が表紙に使われている本に出会います。

 自己完結型の教育や学習にならないようにするためのキーワードとして,

 「参加」と「参画」を忘れてはならないように思いました。 

 
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学校と図書館の一体化を!

 日経の有料会員限定の記事が配信されてきました(朝刊の記事になっていました)。

 タイトルは『学校と公共施設を一体化 人口減見据え、教育効果も』というもの。

 このブログで架空の学校として紹介している「育鳳学園」の特色が,この記事で紹介されているようなものでした。

 日経の記事には見えませんでしたが,ぜひとも

 小中学校と図書館を一つにしていただきたい。

 図書館には,パソコンも40台くらい設置してもらって,図書利用と同様に,授業で使うときは小学生,使用しないときは市民が利用できる仕組みを。

 市民が本を借りにきたついでに,授業も参観していけるような小中学校を。

 放課後は,そのまま図書館で自習ができる・・・・先生は教材研究ができる・・・・ような小中学校を。

 本と教育の距離を縮めるのは,これが最善の策です。

 もちろん,高齢者福祉施設も一緒にしましょう。給食の調理室が一つで,図書館のレストランにもなります。

 全国の市長さん,ぜひ,実現を!

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【発表(フィクションです)】 SNS中毒の監視・パトロール会社を設立

 以下の話は,T大学附属育鳳学園に関するフィクションであり,実在の話ではありませんので,ご注意ください。

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 当学園の生徒会では,生徒たちの「SNS中毒」の問題が深刻化していることを憂慮し,問題解決のための提案を行いました。

 その結果,卒業生のグループを中心として「SNS中毒の監視・パトロール会社」が設立される運びとなりました。

 この会社が行うサービスの詳細は後日発表されますが,本来は保護者が監督すべき子どもたちのケータイ依存を,保護者の代理としてチェックし,子どもたちに警告を発するというサービスが基本です。

 使用時間だけでなく,会話の内容もチェックするサービスもオプションで用意されています。

 どうしても行事や生徒会企画のための「在宅会議」を行いたい場合は,会社に届け出てくれれば,警告の対象からはずしますが,保護者の同意が必要です。

 通信の契約者が保護者であるにもかかわらず,責任をとれない状態にあることを改善するために考え出された仕組みで,生徒自身が発案し,そのアイデアを卒業生がひきとって起業にまでこぎつけられたことは,学園としても誇れることです。

 「子どもの人権」を主張する団体との詳しいやり取りの詳細は,HPに掲載してあります。

 ぜひともこの機会に,「SNS中毒」の治療を真剣に検討されてみてはいかがでしょう。

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 おもちゃをとりあげられたら子どもは怒ります。

 福岡の中3が傷害容疑で逮捕されたそうですが,中毒の治療には,時間と根気,そして「専門家」が必要です。

 保護者と教員との間の,責任のなすりつけ合いもやめましょう。

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中学受験前に学校に通わなくなる小学生の皆さんへ

 *この話はフィクションです。

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 本校では,入試の当日に,前日までの「出欠席数」を記入した書類を提出してもらいます。

 欠席が7日以上ある場合には,詳しい欠席理由書をつけていただきます。

 すべて,前日に小学校の公印をもらっておいてください。

 私たちの学校で重視している内申書のデータは,欠席数,遅刻数,学校で果たしていた役割とその成果です。

 教科の学習成績は,そのまま入試得点に反映されますが,長年の経験から,この評価は信頼性に乏しいことが分かっていますので,合否判定にはそれほど影響がでない割合になっています。

 最近,保護者の判断で,

 「風邪をひかせないように」

 「インフルエンザにかからないように」

 「受験勉強の時間を確保するように」

 という目的で,受験前に小学校を欠席させられる人が多いと耳にします。

 小学校に通っていなくても,

 学力が高ければそれでよい,という中学校もあると思いますが,本校は異なります。

 受験の前日も小学校に通っていることを前提とした提出書類があることや,

 面接試験で,試験の前日から一週間前までのどこかの1日を指定されて,

 その日に学習した内容などを質問することになっているのは,

 「小学校生活がどれだけ充実したものであるか」

 「学校生活をどのような態度で過ごしている人であるか」を

 確かめたいからです。

 受験生のなかには,本校が第一希望ではない人もいます。

 だから受験前に欠席数が多くなっている人も見受けられますが,

 こういう小学生は,これまでだいたい不合格になっていることからも,

 「出欠席数」が合否判定に大きな比重を占めていることがわかるでしょう。

 ご存じのように,本校では他校では実施していない教科の受験もあります。

 小学校で培った力のすべてを受験で発揮できるよう,最後の最後まで,

 小学校でがんばってきてください。

 みなさんの健闘をお祈りしています。

 
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【フィクション】 教員免許のない人が教えられる仕組みづくり

 世界には,さまざまなエリート養成学校ができていますが,わが校でも,エリート育成のための教育プログラムがいよいよ実現することになりました。

 特に活躍していただけるのは,企業を定年退職された卒業生や,キャリアを積んで家庭に入り,時間に余裕のある保護者たちで,みなさん,指導者として授業に参加していただける仕組みが整いました。

 文部科学省からの応援は何もなかったのですが,他のいくつかの省庁からの援助を受け,予算面にめどがたち,GOサインが出ました。

 日本の未来が教育にかかっていることは,だれもが認めるところですが,

 教育を文部科学省にまかせておくことができないことも,もはや常識となってきました。

 人づくり,リーダーづくりが得意なのは,

 文部科学省のように「ほとんどがヒラ」の人間たちと,企業の中間管理職程度の仕事しかできない学校の管理職ばかりを相手にしているような役所ではなく,

 世界で縦横無尽に活躍する人たちとのつながりが密接なほかの省庁の方です。

 そして,いよいよ,それらの省庁による教育=人材育成のリーダーシップが発揮されるようになりました。

 今後の教育の方向性は,従来と大きく異なってきます。

 何しろ,予算をがっぽりもっている省庁がバックにつきましたから,

 学校ごと1か月間,海外を舞台に学ぶチャンスも生まれました。

 子どもたちが教えを受ける「先生」は,少しずつ,昔ながらの「免許」をもった人ではなくなっていきます。

 海外からも,優秀な子どもたちが日本で学ぶ機会を求めて集まってくるようになります。

 本校は,その中核として,いくつかのモデル事業を起こし,提案させていただきます。

******************

 この内容はすべてフィクションです。

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【フィクション】 ネット補習を開始します!~オンライン教育の普及推進校~

 はい,私は,T大学附属「育鳳学園」で,「学習委員会」を立ち上げた中学校2年生です。

 この委員会では,毎日の授業の復習がスムーズにできるように,

 授業で重要だったポイントをわかりやすくまとめて説明するのが上手なクラスメイトに,

 約10分間,語ってもらう動画を,学校のHPでUPする企画を開始いたします。

 説明するのは上手だといっても,まとめた内容の一部が誤っているかもしれません。

 そういう問題をチェックするために,チェック係も設けたいと思います。

 毎日,修正点や補足する点をまとめた動画もUPします。

 配信は,希望制です。

 家庭のパソコン,スマホなど,受講する端末のメールアドレスから,申し込んで下さい。

 なお,この動画は,配信を希望する小学生にも開放します。

 中学校でどのような学習をするのか,いつでも知ることができるようになります。

 今日は,講師役をつとめてくれる人,動画を撮影したり,簡単な編集をする人を募集します。


 講師の人気投票,分かりやすさ等の評価なども,ネット上で行います。

 月間MVPなどの表彰も行います。


 どうぞ,ご協力をお願いいたします。

 私たちの学校は,自治活動をしっかり行うことが基本です。

 学習面でも自治の力を発揮しましょう。

*********************

 以上の内容は,あくまでもフィクションです。


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大学で「よい先生」をどう養成するか?

 教員養成系大学にとって,堂々と「こうやってよい先生を次々に現場に送り出しています」と胸をはれるカリキュラムがあるのは当たり前だと思われるだろうが,実態は個々の教師の指導力に左右されているようだ。

 多くの学生は,大学の教員がどういう経歴をもっているかということについては,興味をもたない。

 大学の教員がどれだけ本気か(言い方を変えれば,「どれだけこわいか」)ということには,ある程度の興味をもっている。

 そして中には,「単位が容易にとれるか」「評価がどのくらい甘いか」こそが大事な情報だというのもいる。

 「私はよい先生を育てている」という自負をもっている大学教師は,どのくらいいるのだろう。

 謙虚な大学教師は,

 「教師は現場で育つ」ことを知っているから,たとえば教育実習先の教師と密の連絡をとり,学校現場にもたびたび足を運んでいるだろう。

 ただ,そこで関係ができるのは,せいぜい「教科指導」の面だけである。

 正直な大学教師は,

 「そもそも学生の質が低い」

 と嘆き始めるかもしれない。

 「私のせいではない」

 というのが,教育の世界ではよく見られる「態度」である。


 「よい先生」の条件として,優れた教科指導ができることは必須と考える人が多いだろうし,それが教師としての第一条件だと考えているかもしれないが,長らく教育現場を見てきて,

 「教科指導が優れている」と評価される人はごくわずかである。

 「教科指導に課題がある」人と比べても,かなり少ない方だと思われる。

 多くの教師は「教科指導に大きな課題はない」教師である。

 このブログでは,「観点別学習状況の評価を適正に実施しているか」「その評価を適正に実施するための教科指導を行っているか」という厳しい目を向けているから,

 ここに重点をおいてみれば,ほとんどの教師が「課題あり」になってしまうという面もある。

 ただ,授業が成立して,理解の面では一定以上の生徒がその目標をおおむね達成し,進路に支障をきたさない,という力は多くの教師がもっている(成果面では,数学に関しては疑問符がつく)。

 丁寧に解説してくれるだけで,そういう目標が達成されるように,文科省がチェックしている教材としての教科書をもっているからである。

 自分が児童生徒の時代にそういう「普通」の授業を受けた経験があれば,同じような授業はできるだろう。

 「優れた教師だった人」に大学で教わっても,現場に入って自分が行う授業は,自分が受けてきた授業になる。

 「優れた教師」ではなく「よい先生」程度のことを目指すのであれば,教員養成課程で力を入れるべきは,組織を動かす知恵を学ぶことである。

 だから,大学の授業で学んだことよりも,サークルや体育会で学んだことの方が,現場で役に立つことが多かったりする。 


 一般に,教師が「指導力不足」というレッテルをはられるのは,

 児童生徒とのコミュニケーション不全を起こすときである。

 「子どもが言うことをきかない」

 と指導力不足教師は嘆く。

 勘違い教師は,

 「子どもはこわい先生の言うことはきく」

 などと誤解している。

 「私はこわい先生ではない」

 から,子どもが言うことをきいてくれない,というのだ。

 もしそうだとしたら,大学ではなく,

 別の世界に入って修行をした方がいいだろう。

 指導力不足教師は,

 自分の指導力不足に気づけないのが最大の欠点である。


 教育実習生の中には,まともな会話すら成立しない学生が混じっており,大学の教師に問い合わせたこともある。

 答えは,「人数が多いので個々の学生の特性はよく分からない」とのこと。

 大学は,こういう教師でも仕事がつとまるところのだということがよく分かった。

 「よい先生」を養成しようと考えている場所には,「よい先生」でない人が混じっている。

 実はそこを研究対象にしている学会(分科会)もあるが,

 私がかつて発表したとき,あまりにも厳しい指摘をしたため,思い切りひかれてしまった。

 甘すぎる発表内容をたれながされるつらさもあって,

 「教育をなめているのか」という怒りが発表のときにこもってしまったのかもしれない。

 しかし,学会での発表内容そのものが,

 教師の質が低いことを露呈しており,

 そういう人たちに教育の質の向上をなんて話されても,何の説得力というか希望も見えてこないのである。

 話を戻すと,

 大学で「よい先生」を養成するには,どうしたらよいか?


 私の一番のおすすめは,

 自分の教科に関係が深い「遠足」と「宿泊行事」を企画立案し,それを模擬的に実行することである。

 ここで一番大切なことは,

 「遠足」と「宿泊行事」の運営は,生徒に行わせることを大原則とすることである。

 教師ははじめの言葉と終わりの言葉を言えばいいだけで,

 あとは全部,生徒がしきれるような行事にするのである。

 もちろん,「事前学習」のカリキュラムも決定する。

行事を運営する生徒の指導に時間をかけるのも当然のことである。

 下見も,運営する生徒と一緒に行く。

 これは大学では,学生集団で行うのだ。


 これを実践してくれている大学の先生を知っている。

 この先生は,「大学生の質が低い」とは,口が裂けても言わないだろう。

  
 教師は「子どもの質が低い」といって,教育の手が抜ける職業ではない。

 だからこそ,やりがいのある仕事である。


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スマホで変わる学習の管理・変わらない学習モデル

 この記事はフィクションです。その点をご留意の上,お読みください。

 当学園のPTAより提案があった件について,理事会で承認されましたので,ただちに実施にうつりたいと思います。

 全校生徒に,専用のスマホを持たせます。

 本校が独自につくったアプリによって,全生徒の健康管理,学習状況の管理を行います。

 本校では,英語によるコミュニケーション能力を高めることをねらいとしておりますので,毎日,家庭で学習するためのアプリを開発いたしました。

 これは,音声認識によって本人が学習していることを確認した上で,会話の練習,音読の練習,単語や作文の練習をすべて記録し,学校でその学習状況を把握するものです。

 本人確認ができるようになったことで,自宅でのテストも実施可能になりました。

 長期休業中の学習の方法も変わります。

 夏休み中の課題は,休みに入る前にまとめて出すのではなく,毎週の学習のメニューが日曜日に配信されます。

 進行状況は,音声によって伝えることが可能です。

 メニューに従って音声入力することで,学校で自動的にさまざまな診断を行い,アドバイスが必要な生徒には,メールで指定した時間に教師が連絡を行います。

 本校では,夏季休業中でも4時間の家庭学習を義務付けておりますが,これまではご家庭にお任せしていた管理を,学校で通常に勤務している教師が業務として行うことになりました。

 専用のアプリの詳細につきましては,おってご連絡申し上げます。 

 今,無料でダウンロードできる様々なアプリの中から教育用に使えるソフトを厳選し,作成者とともに改善を進め,より学力向上に役立つものにしております。

 開発が終わったものから,順次お知らせいたします。

 以上。

 補足。

 パソコンを持たせるより,はるかに機能的に学習が進められ,その管理も自動で行えます。

 なお,蛇足ながら,本校では,基本的に教師と生徒,生徒と生徒の対話を重視した授業を行っていくことに変わりはありません。

 授業では教師が必要と認めた時点で,教室全員の生徒のスマホを同時に起動し,所定の画像を配信したり,テストを配布したりします。

 授業中に勝手にスマホを操作することは認められておりません。


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T大学附属「育鳳学園」の教師1

 この話はフィクションです。 

 「育鳳学園」に入学した生徒には,一人一台の携帯端末(リース)が貸与され,登校時間,下校時間,出席した授業等は,すべてこの端末に内蔵されている機器で記録され,希望する家庭には,メール等で学校到着や下校等が知らされることを以前にご紹介しました。

 今日は,教師がもっている携帯端末とその利用法をご紹介します。

 「育鳳学園」には,職員の朝会はありません。

 毎朝8時までに(前日の夜から),必要な連絡事項はメールで届きます。

 開封された時間などは管理職の端末に送られますから,読んでいない人はすぐに分かり,連絡できる仕組みになっています。

 基本的に,大勢が集まって開かれる会議はありません。

 最も重視されるのは「教科会」で,専門性を高めるための情報交換をさかんに行っています。

 さて,携帯端末の話ですが,内容によって,管理職の決裁もこの端末を通してとることが可能です。

 端末には,文科省関係の文書も含め,ありとあらゆる情報がメールで入ってきますから,けっこう読むのが大変ですが,たいていの教師は通勤時間でそれをこなしています。

 この端末を使うことで,学園では年間数万枚の用紙の節約を実現しています。

 もちろん,全く紙に印刷しないわけではありません。

 教師の中には,この端末を使ってブログを発行している人もいます。

 子どもに向けて配信することも可能です。

 一つの学級だけに向けて発行するのは遠慮するよう伝えられており,学年単位で作成されます。

 希望する親の携帯にも配信されます。

 なりすましやデータ書き換えなど,当初危惧されていた問題はほとんど解消されています。

 携帯端末は特別生体認証でファイルを開くことが可能になりますので,もし他人の手に渡っても心配ありません。

 新型インフルエンザで学年閉鎖になったとき,この端末を通しての授業が実施されました。

 集まってきた情報の処理について,若干の課題もありますが,成績をつける参考材料にはなります。

 教師がもっている携帯端末は,画面が生徒のものよりかなり大きいので,生徒は物珍しそうによく眺めています。中には,その端末を使いたいという一心で,自分も教師を志す・・・という生徒も現れだしました。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より