日本では,「質問をする」のはたいてい教師の仕事で,「質問に答える」のは子どもの役割である。
そうでないと,教師は子どもが理解しているかどうかがわからない。
問題と答えを与えて,子どもたちが好き勝手にまとめあげ,はい,理解できましたね,などという授業をしてしまう無責任な教師は日本では少数派だろう。
ただ,最近は,「質問をする」能力がない教師が増えていて,手元の指導書に頼りきる,というケースが多いかもしれない。
質問もしないで説明だけで終わる,という大学のような講義スタイルは,小中高の学習指導要領という法的なしばりをもつ「ルールブック」では認められない方法である。
教師の「質問をする」力はどこで養われるのか?
私が担当している教育実習生は,毎年同じような壁に突き当たる。
それは,生徒への「質問」(教育現場の業界用語では,「発問」という)の内容を考えることである。
「源頼朝は,どうして京都ではなく,鎌倉に拠点を置いたのだろう」
こういう「質問」を考える教育実習生は,あまりいない。
「考えたこともない」という学生もいるし,
「三方を山で囲まれているから」と答える学生もいる。
日本には,攻めにくい地形の場所はいくらでもあるから,それは答えにはなっていない。
この問いの答えは,簡単なようで,実は奥が深いものである。
実習生には,自分が答えるためというより,本当に「疑問」に感じられる「質問」はどのようなものかを感じ取ってもらうために,次々に問いを投げかける。
「鎌倉幕府が成立した」と考えられた時期に,どのようなことが起こったか?
幕府ができたから奥州藤原氏を滅ぼすことができたのか,
奥州藤原氏を滅ぼすことができたから幕府が成立できたのか?
そのどちらでもないのか?
年表をたどりながら,では,明治時代になって「鎌倉幕府」と呼ばれるようになったものは,
いつの時点で成立したのだろう?と考えることに意味はあるのか?
・・・・・・
「考える」とは,どういうことなのか?
それが教育実習期間に最も「考える」課題である。
自分が答えを知らない質問を生徒にするのが怖い,という気持ちもわかる。
正解を導くことよりも,生徒が疑問に感じ,その真相を知りたいと思うような課題がなければ,
学習が面白いとは思えないことは,学生もよくわかっている。
学生たちは,自分が実は何もわかっていないことにまずは戸惑い,
結局は,自分がわかったことだけを授業を扱おうとする。
実習生自身が,こういう授業を大学まで受けてきた「成果」が,指導しなければそのまま実習の授業に反映される。
外山滋比古先生は,著書『考えるとはどういうことか』(集英社インターナショナル)で,次のようなことを述べている。
頭では地動説を受け入れていても,いまでも「日が昇る」「日が沈む」という言い方をやめようとしない・・・日常生活では天動説的な感覚を持って暮らしている・・・と。
学校の授業でも,地球ではなくて太陽がまわり続けている。
答えが決まっているものをせっせと「理解する」ことを主眼とし,子ども「全員」が無事に答えにたどり着かせることで多少の満足感を覚えている教育理念が,「天動説」の典型的な例である。




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