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カテゴリー「教育」の4225件の記事

12月14日 武士の本懐と「働き方改革」

 「改革」と名前のつくものは,たいてい失敗するのが,日本という国の面白いところである。

 「働き方改革」という言葉が邪魔になって,業務に支障が出ている人などはいないだろうか。

 最近も,「働き方改革」のためのアンケート調査に協力した。

 私は「イライラする原因」として,「こんなアンケートがいっぱいやってくること」というコメントを書いておいた。

 アンケートに協力したところで,何かが変わる見込みが全くないか,むしろ状況が悪化することが予想できる人はたくさんいるだろう。

 「働き方改悪」にならないように,注意してほしい。


 四十七士たちは,本当に「本懐」を果たしたと言えるのだろうか,というのが私の直観的な疑問である。

 江戸時代の人たちは,武士に限らず,本当に不便な世の中に生きていたのだと同情してしまう。

 ただ,その不便さの中には,いくつもの「終わらないための仕組み」があったことにも気づく。

 今は,便利な世の中になったが,それは「終わるための仕組み」に組み込まれただけ,と考えることもできる。 

 命は終わった(失われた)が魂は受け継がれた,という言い方で賞賛するのも怖いものだが,

 今,至る場所で「魂の伝達が途絶えた」ことで苦悶している職場が増えているのではないだろうか。

 「不便さ」が多すぎる教育現場は,逆に,「魂の伝達」がしやすいと思いきや・・・。


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12月13日 双子の気持ち

 双子の漫才師やお笑い芸人をときどきテレビで見たことがあったが,

 「苦労も多いだろうな」という印象ばかり抱いてきた。

 そういう双子の兄弟・姉妹をたくさん見てきたからである。

 「比べる」という思考は,非常に小さい頃から可能になる能力であり,

 「比べられることの苦痛」を味わった期間がとても長いという人もいるだろう。

 冒頭で述べた漫才師やお笑い芸人の双子は,そういう苦痛を逆に

 笑いに変えてしまう特別な能力があったのかもしれない。

 ウケないときの痛さも尋常ではないものの,「家族」だから痛みも分かち合えるのだろうか。

 そういう子どもたちの面倒を長く見てこられた親御さんの苦労は想像しにくいが,

 教師をしていると,

 同時に複数の子どもに同じような愛情を注げる能力も大切だと感じた。

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12月12日 いい字一字は「北」?

 「漢字の日」に選ばれる「今年の漢字」は,「北」であった。

 北半球の人にとっては「高緯度で寒い方」のイメージ,

 南半球の人たちにとっては「低緯度で暑い方」のイメージなのだろうか。

 「北(  )」の(  )にあてはまる漢字1字は何だろう?

 と子どもに聞いたら,「風」とか「極」などと答えるかもしれない。

 清水寺の「北」が少し汚い字だという印象をもつのは素人だからだろうか。

 背中合わせで対話を拒むのはよくないと言いながら,

 自分たちもその片割れに過ぎないことに気づけない人がいる。

 子どもの方を向いていない教師にはほとほと困り果てる。


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12月11日 UNICEFがUNCFではない理由

 国連児童基金= United Nations Children's Fund だから,ユニセフにはならないはずである。

 ユニセフは,国連児童基金の前身の国連国際児童緊急基金=United Nations International Children's Emergency Fund のときの略称をそのまま使っている。

 UNCFだとどのように発音するのだろう。

 今,略称で困っているのはSDG'sである。言いにくい。ESDくらいなら,まだましだったのだが。

 さて,日本はかつて脱脂粉乳などの援助を受けている。

 今,日本はどのような恩返しができているのだろう。

 「憎む対象の国」を報道するとき,困っているその国の子どもたちを映し出すことはしない。

 指導者を困らせるための制裁措置だが,最も弱い人間から順番に犠牲になっていくことを想像できるようにしておきたい。

 「他国の子どもたちを殺す国」という悪評を広められることによるダメージも大きい。

 報道されないものに目を向けることの意味を考えられるようにしておきたい。


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忖度損のくたびれもうけ

 忖度することで地位が向上したり利益を得たり安定を維持することができる人たちが生まれるシステムは,大学の世界でも同じであることがよくわかった。

 ただ,大学では研究室を持つ教授レベルの人間が資金獲得のために不正を働き,それがバレて数々の実験の積み重ねがすべて水の泡になってしまう人たちが増えているようだ。

 忖度損のくたびれもうけをしたポスト待ちの研究者はどのくらいいるのだろうか。

 これも,「21世紀の日本」の典型的な姿だと未来の歴史書には記されるのだろう。

 アメリカの場合,競争原理が不正を招くことを防止するシステムに相当の資金を使うようになっているそうだ。

 その資金が本来の研究に使われることを,ほとんどの研究者は期待しているだろうに。


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12月10日 国連による国連のための人権

 学校現場を「大学教員による大学教員のための教育」から救うために,教師や子どもができることを考えなければならない。

 その教科は,その科目は,なぜ子どもにとって必要なのか。

 新しい学習指導要領では,教科独自の「見方・考え方」を働かせて学習できることに教科の意義を持たせる方針としたのだが,それらを総合させて働かせることが重要だと言っているのだから,そもそも教科別に一面的な「見方・考え方」を育てただけなら意味がないことを自分で言っていることにもなる。

 組織は良きリーダーが不在だと,組織の存続のために動いているとしか思えない状況が多く生まれてしまう。

 「大学教員による子どもたちの未来のための教育」がなされずに,「教員本人のための教育」が登場してしまうのは,自分自身や自分のポストの存在証明をする必要があるからである。

 さて,国連に対して,世界人権宣言がいかに「絵に描いた餅」に過ぎないか文句を言いたいわけではないのだが,理想と現実のギャップがあまりに大きくなり,「機能しない国連」という評価が定着してしまわないようにするため,また,「国連という組織を存在させるためだけの活動ばかりしている」という反発を生まないようにするために,もっと「国連らしさ」をPRするソフトパワーを伸ばしてほしいという願いがある。

 10個のスコップがあるときに,100人にこれを使って穴を掘れ,と言われたときは,10人1組で交代で使う,という方法がある。

 しかし,水をくみ出す手段としてそのままスコップを使わせたり,網をもってきたりするのは愚かなことである。

 水たまりの水を,道路の真ん中にうつすだけ,ということを平気で行っているのが教育現場である。

 効率を重視する世の中だから,ポンプと発電機を持ってくればすむのかもしれないが,そういうことをしているから,いろんな可能性をつぶされる人たちが出てきているのである。

 「人海戦術」という言葉を調べてみると,いろいろと恐ろしい歴史や背景が見えてくる(日本では,山の中で行方不明になった人を探すときなどに使っているが,背景を知っている人なら使うのを躊躇するような言葉である)。

 背景を無視して,「平和な社会を築くためにできる人海戦術とは何だろう」という問いを立てたらどんな答えが出てくるだろうか。

 「大勢でできること」「みんなでできること」・・・日本の地域社会の中では,かつてはいくらでもあったもの。

 人口は減少しても,それさえあれば何とかなったはず,という何かが,今は失われている。

 問題は人口減少ではなく,「みんなでできること」なのにそれをしなくなっている,という現状である,ということに気づけるかもしれない。

 政権は,「選挙に人海戦術で投票しに来られる」と,本当に困ることになるかもしれないが,民主主義国家を守るのは国民であって,政府ではないことに気づいてほしい。

 
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【世界人権宣言 第1条】 
 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

【世界人権宣言 第19条】

 すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

【世界人権宣言 第26条2】 

 教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的若しくは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。

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12月9日 弱い立場の人を利用する卑怯を許さない

 弱い立場の人たちが,強い立場の人に利用されることがある。

 強い立場の人たちが,弱い立場の人たちを助けたり救ったりするという名目で。

 表面上は,弱い立場の人たちのための行動に見えても,

 実際には自分の利益のための行動でしかないものもある。

 教育の世界では,弱い立場にいる子どもだけでなく,弱い立場にいる教師も全部ひっくるめて利用しようとしている人間がいる。困っている状況につけ込んで,「実証的なデータがある」ことを根拠に,罠にはめていく。どうしたら教師が騙されずにすむのか,弱い立場の教師たちは真剣に考えていかないといけない。

 これからの社会は,技術の進歩によって,障害をもっている人たちの不自由が少しずつ減っていくことになるだろうが,それが本当に必要な技術なのかどうか,障害をもっている人の側も考えていくべきだろう。

 「弱さ」はだれもが持っている。障害はないと自覚している子どもや高齢者,健康を維持している妊婦さん,非正規雇用の人たちに限らず,だれもがみんな「弱さ」を持っている。

 「弱さ」を無理矢理「強み」に変える解釈をする必要はない。

 種類は異なるが程度が同じ「弱さ」を持っている人間同士で助け合うことができているから,だれもが困らずにすむ社会が成立してきたはずである。

 社会の常識の中には,あまりに「当たり前」すぎて,いかに価値の高いものかを気づけずにいるものが多いかもしれない。

 「障害者の日」には,何が社会の常識なのかをふり返ってみるのもよいだろう。


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12月8日 リメンバー・パールハーバー

 国が戦争に向かうことを国民が賛成するか反対するかは,民主主義国家に限らず,国にとって重要な関心事だろう。戦争で死ぬのは国民なのだから。

 では,反対する国民が多い場合に,世論を賛成に向かわせるためには,どうしたらよいか。

 自分が死ぬことに賛成する人は少ないから,勝つためにできることを考えさせれば,相手の国の指導者を倒すことが一番よいということになる。しかし,指導者を守る国民がいるから,結局,相手の国の国民をたくさん殺すことになる。

 どうしたら相手の国の人たちを殺せるようになるか。

 殺したいほど憎ませればよい。

 どうしたら憎ませることができるか。

 憎むきっかけになりそうなことを,片っ端から宣伝するに限る。

 あまり知恵のまわりのよくない指導者は,そういう宣伝が結局相手の国から憎まれることになれば,自国だけではなく敵国の国民も「やる気」にさせることにつながる。

 ベスト?なのは,こちら側に何の落ち度もないのに,相手が一方的に悪いことをしている,という認識を国民に持たせることである。

 リメンバー・パールハーバーは,アメリカが日本への憎悪を向きだしにするための合い言葉となったが,今では,日本とアメリカの外交交渉や,日本がとった決断についての「記憶」も含めて人類が遺産とすべきである。

 「失敗から学ぶ」ことをスローガンにした教育をしてくれれば,過ちを繰り返さずにすむ国が増えるかもしれない。

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底辺での思い出が頂点になる

 私がかつて勤務していた中学校が,「底辺」に位置しているという理解は,正しくて誤っている。

 常識では起こりえない問題行動が頻発する。

 親も自分の子どもをどうしていいかわからないのだが,教師たちは文字通り路頭に迷っていた。

 校長や教頭はひたすら教員の悪口ばかりを言う。

 教員は校長や教頭の悪口ばかりを言う。

 親は教員の悪口ばかりを言う。

 教員は親の悪口ばかりを言う。

 子どもたちは・・・。

 こういう人間たちのせいで,すべてを台無しにされ続けてきたのである。

 学力は低い,問題行動(犯罪行為)は起こす,秩序は乱す,部活動はさかんでない・・・。

 「こういう中学校に自ら進んで異動しろ」「荒れた学校で働くことの意義は大きい」などと堂々と語れる指導主事は今,どのくらいいるだろうか。

 かつてそのような指導主事が多かったのは,自分たちがそこで多くを学んで指導的な立場になれたからである。今では・・・・消耗戦が続く現場からはため息しか漏れてこないのだろうか。

 荒れた学校でよくある光景を最初に紹介したが,これをなくすだけで学校はすぐによくなってしまう。

 他人の悪口を言う暇があったら,子どもが必死にもがいている姿を自分はしっかり「見ていた」という痕跡を残せばよい。いちいち褒める必要はない。「見ていてくれている」ということが,どれだけの安心感や満足感をもたらしてくれることか。
 
 私の勤務校では,たまたま,高度なネガティブ・ケイパビリティを持った教員が多かったせいか,荒れは次第に姿を消していった。

 教育の専門家を名乗る者の中には,「底辺」の思い出が「底辺」のままで終わっている人間がいる。

 そんな人間から学べることなど一欠片もないだろう。

 さっさと「底辺校」から逃げ出した人間の言うことに耳を貸す必要はない。

 その場に「居続ける」ことでしか得られないものが山ほどある。

 論文をいくら積み上げたところで,何の意味もないことは現場の教師なら痛いほどわかるだろう。

 地面をほじくって地中深くに沈んでいくような研究は意味がない。

 荒れた学校での1日1日は,山頂が視界に入らないタイプの登山に似ている。

 同僚や生徒たちと一緒に頂上で見た景色は生涯忘れることのできないものになる。

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12月7日 131年前のクリスマスツリー

 日本で初めて登場したツリーには,どんな飾り物がついていたのだろう。

 木を信仰の対象にしていたのは,もちろんキリスト教徒だけではない。

 なぜ飾りを必要とする文化になったのだろう。

 学校の文化祭となると,ハロウィンの時期と近いので,やたらと飾りをしたくなる生徒が多い。

 それは,たいてい内容の乏しい団体である。

 飾りなどは必要ない,という堂々とした自信に満ちた生徒がいるのは嬉しい。

 平家物語に登場する武士は,これでもか,というほどの装飾品を身にまとっている。

 源氏物語に登場する人物も,持ち物でレベルがわかる仕組みになっている。

 飾りものを否定する文化と,それを大事にする文化のせめぎ合いが,教育の場ではよく起こる。

 制服を一新する,というのは「飾りを変える」という発想だろう。

 制服を変えようとすると怒り出す人がいる,という伝統校と,

 何でもコロコロ変えたがる風見鶏校と,どちらを選ぶかはもちろん人の自由である。

 横浜の明治屋の磯野計(はかる)さんは,外国人を喜ばせるというサービス精神でクリスマスツリーを飾ったのだろう。

 学校がサービス業に変質してから,どのくらいの年月が経ったのだろう。

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