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カテゴリー「教育」の3961件の記事

悪いのは「失言」ではなく,「認識」

 問題なのは,「失言」ではなく,大臣としてあるまじき「認識」や「思想」である。

 これは,「政権の緩み」などではない。

 「大臣の認識は,政権の認識である」と明言するわけにいかない政権の問題である。

 もちろん,「認識」を「表明」したことも問題である。

 この国には「言霊」が生きているという「認識」があり,

 古代から続くものを大切にしている「文化」がある。

 大地震はいつどこで起きるかわからない。

 責任追及も大事だが,震災対応,防災のレベルを引き上げることを優先すべきである。
 

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ニューヨークの公立中学校事情

 産経新聞のニューヨーク駐在編集委員の方が週刊ダイヤモンドに寄せている

 「小学生はつらいよ」の記事を読んだ。

 日本でも全国学力調査がいまだに行われているが,

 ニューヨークの場合は,小学生の「統一テスト」の結果が進路を大きく左右するらしい。

 日本もいずれ,同じようなことになるのだろうか。

 評判の良い学校に入るのに,学校選択自由制の地域では定員を超えると抽選が行われるが,やがて「能力次第」という仕組みに変わる可能性もある。

 私の娘は,今年も,何の「コピー」か知らないが,全国学力調査の「練習問題」を解かされた上で,本番を迎えていた。

 日本では,小学生の学力調査の結果は,進路には直接影響せず,教員の方の評価に影響を及ぼしている。

 子どもが餌食になる日も遠くないような気がする。

 モノ真似が大好きな日本人が多いおかげで,就職先のない高学歴アルバイターの出番が増えてくるのだろう。

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理想に走り,現実を軽視するか,現実を最優先し,理想を忘れるか

 労働の見直しにしろ,教育の改革にしろ,理想を求めていって,必ずぶつかるのが「現実の壁」である。

 教育の理想は,結局似たり寄ったりである。 

 現実を軽視したり,無視したりして,無理矢理に理想を通そうとすると,恐ろしい結果を招くことになる。

 1,2年間くらい,子どもを犠牲にして,やってまともな教育ができるようになったら,異動になる。

 これを繰り返していても,学校現場には犠牲者しか残らない。

 逆に,現実問題を優先しすぎると,いつの間にか理想などは忘れ去られる。

 教科書にある程度の内容を,全員でおおむね理解した,と言えるレベルに定着させたいなどという「理想」を掲げる人間に,「教育の理想」があるとは到底思えない。

 「働き方改革」についても,日本は生産性を向上させることがまだ理想のイメージになっていないようである。

 「事故を防ぐこと」「苦情を言われないこと」「失敗の責任をとらされないこと」が理想像になっている人間たちから,仕事を奪い返すことが最も重要なことだと思われる。


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アメリカ・中国・韓国と日本

 現大統領を支持しているアメリカの人々の子どもたちは,大統領の発言をどのように受け止めているのだろうか。

 Aさんは,BさんがCさんたちのことをこう言っていた,と語った。

 こういう話法が原因で,学校現場でも多くのトラブルが発生している。

 Cさんたちは,Bさんに確かめることをせず,あるいは確かめることができず,

 Bさんへの嫌悪を強めていく。

 Bさんは,Aさんへの嫌悪を高める。

 Aさんは,もともとCさんのことを何とも思っていない。

 振り回される周囲の人たち。

 人間は,人を振り回したり,人に振り回されたりするのが好きな生き物かとも思ってしまう。

 さて,舞台は学校ではなく,国際社会である。

 発言の影響は,すぐに出るものと,少しだけ後に出るものと,しばらくたってから出るものがある。

 私が心配しているのは,発言を耳にした子どもが大人になる時期の話である。

 日清・日露戦争に勝ったとき,まだ幼かった子どもたちが起こしたのは何だったか。

 日本も決して「部外者」ではあり得ない。


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走っていると見えないものが,歩いてみると見えてくる

 「走る教育」,「歩く教育」という2つの言葉を並べてみると,どのような対比が見えてくるだろうか。

 一人の教師に目を向けてみると,私の場合は,40歳代までは「走る教師」だった。

 今は,「歩く教師」になっている。

 大きな怪我をして,あるいは,体重が重くなりすぎて,物理的に走れなくなったという意味も含んでいるが,「走れなくなった」というより「走らなくなった」と表現する方がよいかもしれない。

 もちろん超短期で考えると,「走る」こともある。

 ただ,かつてはいつも「走り続け」ていて,時々「猛ダッシュする」という感じだった。

 今では,基本的に「歩き続けて」いる。

 もしかしたら,生徒が「見える」ようになったことで「歩いている」ように感じているのかもしれないが・・・。

 「一緒に走らない仲間」や「ついてこれない子ども」が増えていることが,「歩く」姿勢を重視させているという気もする。

 とても単純に考えると,「歩く」ときは視野が広くなり,よそ見もしやすくなるが,「走る」ときは,視野が狭くなり,よそ見もしにくい状況で,急には止まれない,などいった欠点が多かった。

 「歩く」と,「走る教師」もよく見えてくる。

 それが危なっかしく見えるようになると,教師としては「晩年」を迎えるということだろうか。

 行政にいたころは,基本的に「立ち止まっている」状態だった。

 「立ち止まっている人」や「後ろ向きに走っている人」を見る機会も行政では多かった。

 「見える」ということが,いかにつらいものであるかということもよくわかった。

 もしかしたら,嫌なものを見ないですむために「走り続けた」のかもしれない。

 それでも,行政に比べれば,学校現場は,いたって健全なところである。


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自分への執着<他者への関心

 「自意識過剰」というときの「自意識」の中には,自己愛に基づく「自己満足」が占めているものをすぐに思い浮かべてしまいますが,「自己嫌悪」がほとんどを占めている人もいます。

 自分に自信がある人は行動を示すことで,自己の欲求を満たすことができますが,

 自分に自信がない人は,行動に移せないという悩みをもっているものです。

 アドラー心理学では,後者のタイプの人に,次のようなアドバイスが用意されているそうです。

 無理に自己肯定する必要はない。

 人は,与えられているものを活用していくしかない。

 人にとって大切なのは,何が与えられているかではなく,

 与えられたものをどう活用するかである。

 活用しなければ何にもならないわけだし,

 いきなり「完全」を求めても無理な相談である。

 だから,「肯定的なあきらめ」が必要だ。

 今はできないことがある。それを受け入れろ。

 「自己受容」が第一段階である。

 今与えられているもので,できることをしろ。

 自分に足りないのは能力ではなく,

 今できることをしようとする勇気である。

 ・・・・という話を聞いても,「私にはその勇気がない」という人は多いはず。

 自分のことだけに目を向けていては,進まないのが人間関係です。

 「勇気がわかない」最大の原因は何でしょうか?

 それは,相手が自分を受け入れてくれるかどうか,懐疑的であることです。

 言い換えると,相手を信頼していないのです。

 行動に移せない最大の原因は,「自己嫌悪」ではなく,「他者嫌悪」である可能性もかなりあります。

 悩みは尽きない。

 でも,こういう悩みを抱いているということは,

 他人との「深い」関係を築こうとしている証拠なのかもしれません。

 他人との「深い」関係を築くには,相手を信頼すること,

 相手のために自分の力を尽くすこと,この2つが大きな武器になることは理解できるでしょう。

 自分への執着がなくなったときには,悩んでいたことも忘れてしまっているかもしれません。


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生徒指導部と教務部の違い

 学校の先生は,「分掌」と呼ばれる組織にも所属する。

 生徒指導部,生活指導部とよばれるところには,

 生徒が快適な学校生活を送るために力を尽くす仕事をする人がつく。

 教務部とよばれるところは,

 生徒だけではなく,先生方にとっても快適な学校にするための仕事をするところである。

 責任の軽重を論じても意味はないと思うが,

 より「経験」と「大人とのコミュニケーション能力」が求められるのは,教務部の方である。

 指導主事のころ,それぞれの主任を集めての研修会を実施していたが,

 教務主任は,やがて管理職になるといった先生方ばかりだった。

 もちろん,自ら管理職にはならない道を選んで教師としての研鑽を積んでいる教務主任もいる。

 教務主任がどんな人かがわかると,だいたい,管理職の人柄も想像がつくようになった。

 「事務的」な仕事をただ「事務的」に進めさせる管理職だと,教務主任にも「事務職臭」が漂ってくる。

 教育現場では,「事務的」なことがらに,いかに「意味」や「価値」を持たせるかが大事になる。

 最悪なのが,「法律で決まっているから」とか,「教育委員会に出せと言われているから」という「事務的」な説明の仕方で,これではまるで

 「なぜ人を殺してはいけないのですか?」という質問に「法律で罰せられるから」などと答える子どものようである。

 生活指導畑や教務畑といった,警察でいう「現場の刑事」と「デスクワークの署員」に分けてしまうような学校であってはならない。

 生活指導はときに教務の仕事のように,教務の仕事はときに生活指導のように,

 子どものためを思って進めていきたいものである。


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家庭訪問が楽しみ

 小学生の娘の家庭訪問の日程が知らされたのだが,妻の方は仕事があり,今年は私が家にいなければならないことになった。時間割を変更して,休暇をとる必要がある。

 中学校教師の私にとって,家庭訪問する側だったのは,20年前にいた学校でのことである。

 その頃,「教師が家に上がり込む必要があるのか」「教師が家に上がる権利はあるのか」などといった議論があり,「窓口訪問」に変わった記憶がある。

 娘の小学校では,まだ「上がり込み訪問」を続けているようだ。

 さて,家庭訪問を「される側」は初めてであるので,少し楽しみなところがある。
 
 新しい担任は若い男性の先生だそうで,ちょっといじわるな質問をこちらからしてみようかとも考えている。

 「うちの娘は,道徳の授業が本当に苦痛のようですが,先生は道徳の授業が好きですか?」

 正直に答えてくれるかどうかで,その先生を信用するか,しないかが決まる気がする。

 そのときの気分にもよるだろうが・・・。

 ぜひ,巨人の連敗中の訪問にはならないでほしい。

 私が行った家庭訪問の思い出を,過去に記事にした記憶がおぼろげに残っている。

 一番感激したのは,女子の生徒がお茶を入れてくれたことだろうか。

 一番長かったのは,野球が好きなお父さんと,生徒や学校のこととは全く関係のない話をしたときだろうか。

 昔は,教師と保護者が信頼関係を築くことが容易だった気がする。

 家庭訪問は本当は嫌だった親も少なくなかったと思うが,保護者の趣味の話が最も指導の参考になっただろうか。

 綺麗な部屋の装飾を手作りで行っていたお母さんの子どもは,歴史博物館に勤めている。

 「つながり」が,とてもよくわかるので,記憶にも残る。

 嫌な印象を残されないようにしなくてはと,今から緊張もし出してきた。


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学校現場という「甘えん坊」たちの巣窟

 こんなタイトル,管理職ではない学校の一教員だから書けるものかもしれない。

 学校の教員が,「締め切りに追われる」というのは,どういう場合か想像つくだろうか。

 私は6つくらいの出版社の原稿を抱えて,死にそうになっていたころがあったが,そんな話ではない。

 締め切りを過ぎるのが複数出てくると,本当に寝る時間がなくなる。

 部活の指導をして,授業の準備をした後に原稿を書くと,もう次の日の授業が始まる,なんていう生活になる。

 今でも夢に「締め切りに追われる自分」が出てくるのは困ったものである。

 学校には,準備しなければならない様々な「計画」がある。

 「道徳の年間計画・全体計画」「総合的な学習の・・・」「安全指導の・・・」などなど。

 「各教科の評価規準と評価基準」なども。「計画」の一種である。

 こういう「計画」は,年度当初か,教育課程届けを受理してもらうために,必要なものである。

 これ以外にも,指導主事に任用されて,私は初めて「学校はこんなにたくさん調査書類を提出しているんだ」ということがわかった。

 依頼文書の写しをつくり,教育長名で各学校長に依頼する。

 中には,自分のところに届いた時点で,すでに締め切りがかなり迫ってしまっている調査もあった。

 困るのは現場の教頭である。

 郵送では間に合わないから,FAXで先に送っておき,準備しておいてもらう。

 国→都道府県→区市町村→学校→区市町村→都道府県→国

 というルートで依頼される調査の結果が上がっていく。

 一カ所でも締め切りを守らないと,後に迷惑をかける。

 こういうプレッシャーのかかる経験をすると,

 締め切りを守らない人間は「悪魔」に見えてくる。

 もちろん,すべての教員がこういう「調査もの」にかかわるとは限らない。

 ただ,いつも「締め切り」など守ろうとしない人のところに,
 
 よくその人を知らなかった管理職が書類をまわしてしまうと,大変なことになる。

 「締め切りを守る」とかいうレベルではなく,

 「書類を紛失する」というレベルも存在する。

 「多分この辺に埋もれていると思うんですが・・・」

 真っ青になっている管理職の顔が目に浮かぶ。

 人によっては,書類をなくしておいて,

 「忙しいのに,こんな仕事をふりやがって!」と逆ギレする。

 そんな学校現場を見てきたが,子どもレベルの「甘えん坊」でも生きていける世界だったことを思うと,今では逆に微笑ましくもなる。

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英語達者な先生に習っても英語の成績が向上しない理由

 「平成28年度 英語教育実施状況調査の結果」が公開されている。

 報道で注目されているのは,「英語達者な先生に習っても,英語の成績が高くなるとは限らない」というごくごく当たり前の結果だが,公開されているデータから読み取れるのは,それだけではない。

 調査では,以下のような数値の推移が公表されているが,これらは「英語力向上」の原動力となりうると考えられているはずの内容である。

>「CAN-DOリスト」形式よる学習到達目標を設定している学校の割合

>授業における生徒の英語による言語活動時間の割合が高い学校の割合

>「話すこと」や「書くこと」における「外国語表現の能力」を評価するためのスピーキングやライティング等のパフォーマンステストを実施している学校の割合

>英語担当教員のうち、英検、TOEFL、TOEICなどの英語能力に関する資格・検定試験により、CEFR B2レベル相当以上のスコア等を取得している者の割合

>海外にある学校や研修施設等へ通った留学経験がある英語担当教員の割合

>授業において、教員が発話の半分以上を英語で行っている」学校の割合

 これらのデータと,生徒の英語能力向上との間に相関関係が見られない,というのが分析結果なのである。

 ▼平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果より

Eigo01

Eigo02

Eigo03

 3つのグラフのうち,視覚でだまそうとしているのが3番目であることはわかるだろうか。

 3番目のデータを,1番目か2番目のグラフ上で表現すれば,ほとんど変化していないことがわかる。

 「もっとALTの時間を増やさなければ」と思わせたいのである。

 様々なデータの中で「痛い」のは,2番目の「CAN-DOリスト」形式による学習到達目標の設定等の状況だろう。

 これだけ大幅な改善・・・というより,「行政指導の結果」だろうが・・・が見えているのに,「英語力の向上」にはほとんど結びついていない。


 まさか,日本の英語教育の質が,英語教師の「英語力の低さ」や「英語の教え方のまずさ」が原因だと本気で信じている人はいないだろう。

 日本人は英語を「話す」「聞く」能力で,国際標準とは言えないから,特に「話す」「聞く」能力の高い英語教師を増やそうとしたい気持ちはわからないでもない。

 しかし,ALTを活用した授業を中心にしてしまえば,「話す」「聞く」能力が本当に高まるのかと言えば,限界があることくらい,教員でなくてもわかることだろう。

 ICT機器の活用状況もおまけのように調査に付け加えられているが,たとえばiPadの無料アプリを使って発音のチェックを行っていくなどの個別学習による効果は出てくると考えられるが,テストという場でしか評価されない,あるいはテストの場でしか使わない,そういう能力を本気で高めようとする生徒がどれくらい確保できるかが疑問であることに気づかなければならない。

 小学校の英語教科化によって,「英語が嫌いな子ども」が増えるとも予想される中,今後も日本の「英語教育」は迷走するばかりだろう。行政が手を打っても,効果がついてこないのが露骨に示されてしまっているから。

 かなりの数の子どもたちにとって,「テスト以外に英語能力を活用できる場がない」ことが能力を高めにくい原因であり,現在のように教員の能力や教え方ではなく,子どもがもともともっている能力・・・こつこつ学習に取り組む真面目さなど・・・との相関が高い教科の切なさが垣間見えるニュースであった。

 「英語は筋トレだ!」と説く人もいる。

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