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カテゴリー「アクティブ・ラーニング」の319件の記事

人よりも言葉を愛する人にしないために

 心を育てる教育というのは,重要なのだが,「教える」のは難しい。
 
 うまい具合に「育ってくる」ことを望みたいところである。

 「私は,忘れられた人たちのことを忘れない」

 とてもいい言葉である。今,放映中の池上彰さんの番組で紹介されている。

 だれが語った言葉だろう。

 「忘れられた人々」とは,

 鉄鋼業や自動車産業の不振で工業が「錆びついた地域」=ラストベルトの労働者のことである。

 この言葉によって,「忘れられた」と表現した人々から指示を集めることができたのが新大統領である。

 人は,当然のことだが,人から大切に扱われることを望んでいる。

 たった一つの言葉でも,感動したり満足したりできるのが人間だから,

 人を大切にしていることを示したければ,そういう「言葉」を使うようにする,というのが一つの方法である。

 グローバル化が進む社会では,やはりこういう「言葉」が使えるようになることは大切である。

 ただ・・・。

 日本には,「軽々しい言葉」を「軽率」に語ることを慎む文化がある。

 目の前にいない人への優しい言葉を語ることより,

 目の前にいる人に対する優しい行動をとれることを重視したい。

 教員になろうとする人が,教員に向いているかどうかを判断できるのはだれだろう。

 目の前にいない子どものことをどんな言葉で語ろうとも,

 目の前に子どもがいる場で何もできない人を現場においていても意味はない。

 「人よりも言葉を大事にしようとしている」教育をめざしている人はいないだろうか。


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新学習指導要領でいわゆる「学力」の格差はさらに拡大する

 すでにこんなことはわかりきったことかもしれませんが,新学習指導要領が実施されてしばらくたつと,学力の格差はどんどん広がっていきます。

 好き勝手に席を移動して穴埋めプリントを完成するというレベルの「知識」や「理解」すら生まれる見込みのない授業が増える危惧も一方ではありながら,できる子どもはよりできるようになり,できない子どもはなぜできないのかを自分なりに納得させられるようになるのが,新しい学習指導要領の趣旨です。

 キーワードは「自己責任」。

 学力が低いのは,センセイのせいではありません。

 あなたのせいです。

 なぜなら,あなたには,主体的に学ぼうとする意欲がない。

 対話を重視しながら,問題を解決する努力をしていない。

 活用できる知識をもっていない。

 ・・・センセイ,どうしたらいいの?

 主体的に学びなさい。

 対話を重視して,何人かの友達と一緒に問題の解決をはかりなさい。

 活用できる知識を身につけなさい。

 ・・・どうやって?

 本当に主体性のない子どもだな・・・。

 センセイって,何のためにいるの?

 小学校のセンセイって,英語を教えるようになるんだよね。

 センセイの発音を真似していいんだよね。

 帰国子女だった隣のクラスの担任の先生の授業とかなり違うんだけど・・・。

 「学力」の格差が広がる理由は,子どものせいだけとは限らない。


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中学校社会科の新学習指導要領案を考える―その1 地理的分野の目標(2)

 では,2月14日に公開された甘くない贈り物の分析を真面目にしていきたい。

 まずは社会の地理的分野の目標(2)の内容から。

 ポイントは太字の部分。

>地理に関わる事象の意味や意義,特色や相互の関連を,位置や分布場所人間と自然環境との相互依存関係空間的相互依存作用地域などに着目して,多面的・多角的に考察したり,地理的な課題の解決に向けて公正に選択・判断したりする力,思考・判断したことを説明したり,それらを基に議論したりする力を養う。

 地理の専門家でなければ,「空間」と「場所」と「地域」の違いを説明できない。

 文部科学省は,13歳と14歳の子どもたちに,地理学の中心的概念を習得させる教育をさせたいようだ。

 1 位置や分布(「位置と分布」にしなかったのは,何か意味があるのだろうか)

 2 場所

 3 人間と自然環境との相互依存関係

 4 空間的相互依存作用

 5 地域

 この5つは,国際地理学連合の地理教育委員会が1992年に出した「地理教育国際憲章」から引用されたものである。

 英文の「地理教育国際憲章」をIGUのホームページからダウンロードして読んだところ,いくつか気になった点があった。

 Some of the central concepts of geographical studies として挙げられているのが上の5つだが,英語では,次のように表現される。

 1 Location and distribution

 2 Place

 3 People-Environment Relationships

 4 Spatial Interaction

 5 Region

 お気づきになると思うが,日本語訳が気になるのは,

 「Relationship」が「相互依存関係」,「Spatial Interaction」が「空間的相互依存作用」になっていることである。

 中山修一さんという地理教育委員会委員の翻訳が,公式文書として扱われているので仕方がないかもしれないが,「相互依存関係」は「相互の関係のうちの主なもの」とは言えるだろうが,依存関係以外の関係もある。「影響を及ぼし合う」ことを「依存」と呼ぶのが地理の世界なのだろうか。

 「インタラクティブ」という言葉が「双方向の」とか「対話的な」いう意味で少しずつ日本語化していることもあって,「インタラクション」を相互依存作用と訳するのは適切ではないと思われる。

 学習指導要領で示す用語にするためには,地理学者に今一度,再考をしてもらった方がよいのではないか。

 公式文書では,たとえば「地域」の部分で,

>Regions are dynamic in both space and time.

 の1文が「地域は,空間的にも時間的にも躍動的なものである」と訳されているが,

 dynamicという単語は,日本語の「ダイナミック」ほど大げさなものではなく,

 日本語で「動態的」という表現が用いられていることを念頭に置いた方がよい。

 現行の学習指導要領の解説では,日本の諸地域学習について,

>それぞれの地域の特色ある事象を中核として,それを他の事象と有機的に関連付けて,地域的特色を動態的にとらえさせることとした

 と示している。

  単なる地誌的知識の習得に陥らないように,たとえば産業を中核とした考察では,

>地域に果たす産業の役割やその動向は他の事象との関連で変化するものであることなどについて考える

 学習ですでに行われている(はずである)。

 「相互依存関係」とか「相互依存作用」という言い方を使うと,誤解を招くというよりは,多面的・多角的な考察ができないおそれがあると考えられる・・・というのが,第1点目の指摘である。
 
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中学校社会科の新学習指導要領案を考える―その0 教科目標と「天下り」先の確保

 冒頭から蛇足になってしまうが,以下に示した社会科の新しい教科目標で,「グローバル化する」という言葉が「国際社会」を修飾していることと,そこで「主体的に生きる」人間を育成する,という文脈になっていることが気になる。

>社会的な見方・考え方を働かせ,課題を追究したり解決したりする活動を通して,広い視野に立ち,グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力の基礎を次のとおり育成することを目指す。

 グローバル化する国際社会を「アメリカ帝国主義におおわれた世界」と解釈すると,そこで「主体的に生きる日本人」というのは,ジョーク以外の何物でもない。

 グローバル化に抵抗する勢力が増えつつある国際社会で,「グローバル化する国際社会」という言い回しは,いかにも時代遅れというか,「まだそこなの?」という印象が強い。

 グローバル化という言葉がないことによって,「国際社会に主体的に生きる」ことの意義の重要性が認識できる目標であったのに・・・・。

 補助金というエサをちらつかせながらグローバル化対応を大学に迫り,天下り先を巧妙に確保するどこかの省庁の「主体性」のことが,嫌に頭にちらつく。 


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教育や研修の費用対効果

 企業で役に立たなかった人が,学校現場に入ってやたらに気にかけるようになるのが,教育の「費用対効果」の問題である。

 今後,段階の世代がいなくなって,学校現場が若い人たちであふれるようになると,費用対効果が一気に上昇する見込みがある。

 それは,学校ではベテランの方が若手よりもより多くの成果や教育効果が出せるとは限らないからである。

 逆に,部活動などでは若い教師が増えた方が,子どもたちに高いモチベーションを与え,成果が出しやすくなるかもしれない。
 
 人件費が大幅に減るだけで,費用対効果は向上するのである。

 若い人を短いサイクルで辞めさせてコストを削れるだけ削るレベルまで厳しい企業から,学校現場に入った人には,「コスト感覚のなさ」に唖然としてしまうだろう。

 税金は,決められた額の範囲内なら,いくらでも使えるのである。

 予算をとったら,無駄とわかっていても使うのが,この無駄な世界の常識である。

 企業で本当の意味で存在意義を発揮して人間なら,たとえ損を出していても,効果だけを追求していただろう。

 

 教師個人個人の能力について言えば,研修にかける時間と能力の向上は,個人によって大きく異なる。

 たとえば,小中連携がなぜ必要なのか,その意味や意義がわかっていない人が研修の場にいても,それはただの時間の無駄になりかねない。

 普段接することのない人が近くにいるだけで,さまざまな刺激が得られる人にとっては,機会を与えられただけで効果がある。

 行政の側からすると,その場で何が話されようが,みんな寝ていようが,「小中連携の会を何回開いたこと」という事実に意味がある。

 なぜなら,「小中連携の会を開いても意味がない」という声がもし聞こえてきたら,責任を小中の管理職により重くのしかけることができるからで,失敗しても成功しても,監督者の立場からは成功になるというからくりがあるからである。

 研修というのは,やはり主体的な態度で参加することで初めて意義があると言えるものである。

 本来の研修の趣旨とは別の目的をそこで探してもよいということ。

 時間を無駄にしない態度というのは,その本人自身にかかわっているのである。

 「今回の研修は,本当に意味がなかった」と感じている教師は,

 きっと,「今日の授業は,本当に意味がなかった」と子どもに実感させる教師であるに違いない。

 「自ら意味や意義を見いだす」ことを教育の指針に掲げていない教師は,自らもそういう態度を持ち合わせていないのだろう。

 教員採用試験の演習問題。

 ある教員が,「今日行われた小中連携の研修は,本当に意味がなかった」と愚痴を言っているのを耳にしたあなたは,どのような言葉をその教員にかけたいですか?


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議員の資質能力が試される東京都

 小池都知事が,都庁の役人と都議のなれ合いにメスを入れたらしい。

 役人が自分への質問を自作し,都議に渡す。

 都議と役人との間で,さも「政治らしい仕事」が行われているように見せかけるわけだが,

 「権力分立」の原則を放棄し,「民主主義国家」であることをやめるような行為を,子どもたちに見せてほしくはない。

 質問ができる力とは,かなり高度な能力だということを,読書編でも紹介した。

 自分で考えた質問ができない議員はそもそも議員になる資格がないのだが,今まで,それを見極めることが都民にはできなかった。

 都民の方を見ずに,お互いの既得権益を守り合う関係が白日の下にさらされることが重要である。

 都議会議員が話すための原稿を,都庁の役人が書くことを禁止する。

 これで都議会が機能しなくなることで,「試験を通過し能力がある人」のお墨付きを得た「小池新党」の議員が増えることは,容易に想像がつく。


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「棚上げ人間」の増加問題と対策

 自分のことを棚上げして,平気で他人を批判したり,自分の考えを他人に押しつけようとしたりする人間が増えている。

 ニュースによく登場する指導者もそうだし,今一番気になっているのは,道徳の内容をすべて扱えとしている指導要領案を出してパブリック・コメントを募集している文部科学省である。

 研修を命じている文部科学省が,不正を誤魔化す原稿まで相手に渡して口裏合わせをするような状態なのだから,イヤイヤやらされている側の意欲など,なくなって当然だろう。

 道徳の授業があるから,いじめが起き,自殺者も出てしまうという,とてもわかりやすい問題が中学校で起こっていることを信じようとしない人ばかりなのだろう。

 何でも教師の言いなりになりやすい小学生に対する道徳の授業がかろうじて成立したとしても,中学生になった子どもがどういう感想を述べているか,知らない教師が多いのではないか。

 「やらないといけないからやる」という道徳が,いかに時間の無駄になっているかという「見方・考え方」を持ち合わせていないのが問題なのである。

 ルールを守らない大人,人権を侵害する大人,組織に貢献できない大人を目の当たりにさせられた子どもたちは,本当に気の毒である。

 さて,教育ブログには,昔から,同じようなことばかり繰り返し書き,「頭がおかしい」とか「狂っている」とかいう品のない言葉で,他人を罵倒することに生きがいを感じている御仁がおられる。

 自分に対する批判への耐性が低く,論理で勝てないとなると必ず登場するのが「頭」の話である。

 明らかにぶろぐ村の利用規約には反しているのだが,こういう記事を喜んで見る方が多いのも,ネットならではの特殊な世界である。

 ブログのタイトルを変更し,せっかくお行儀のよい人間を装っていたのに,本性丸出しで例の調子が復活し,本人が何も変わっていないことを証明する様子を,喜々として傍観している人たちがいることが気の毒でならない。
 
 「教育論・教育問題」のカテゴリーは,何のために存在するのか。

 個人攻撃をすることではなく,勘違いしている個人の発言の悪影響を最小限に食い止めたり,より適切な方向性を探求できるヒントを提示したりすることで,注目を集めるべきカテゴリーなのではないか。

 生物多様性はとても大切にしなければならないものである。

 多様性の価値をお互いに認め合えるような発言こそが重要であり,

 「同志」だのなんだといって「敵」を意識させ,一元化を目指すような発言は批判されるべき場である。

 「一人も見捨てない」という極端な要求を子どもに強いることが,どれだけの負担になるか。

 その最も重要な理由には,飛び込み授業などを何千回やっても気づけない。

 こういう私のコメントに対して,

 「おいおい,お前の教育はどうなっているんだ」というのが,正しいツッコミ方だろう。

 ずるい答え方をすると,過去の4261件の記事を読んでいただければ,少しはわかっていただけるのではないでしょうか?となる。


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小中学校・新学習指導要領に示された,吐き気を催す教科目標の冒頭部分・・・「~な見方・考え方を働かせ」

 新学習指導要領の改正案が公開され,3月15日まで,パブリック・コメントが募集されている。

 ほとんどの人が首をかしげるであろう問題は,すべての教科の目標の冒頭部分に登場する,

 「~な(~の)見方・考え方を働かせ」という文言である。

 私の場合は,これを読んで,吐き気を覚えた。

 「バカの一つ覚え」という言葉がぴったりである。

 言語にしろ,数学にしろ,音楽にしろ,まず,何をしないと始まらないかを考えてみてほしい。

 本当に「見方・考え方」を働かせることができるようになるためには,

 何が必要とされるのかを,言葉が通じない外国人に説明するところから始めて見てほしい。

 ずーっと「見方・考え方」の整理をしながら検討を続けていた人たちには,よく理解できないことかもしれない。

 「~な(~の)」の部分にあてはまるものには,実は無限に近いものがあり,適切な見方・考え方を適切な場面で働かせることができるようになるには,ある見方・考え方しか働かせられないような場面を繰り返していても絶対に無理なのである。

 新しい学習指導要領が想定している「はっきりと身につけさせたい能力」があって,「それを身につけさせた気になる」ような指導をしてみたところで,「その場限りの意味」しかないことに気づけなかったのだろうか。

 マニュアルでアルバイトの従業員を縛る場合,従業員に課せたれた任務というのは極めて単純なものであり,「想定外」の問題はきっと正社員が対応することになる。

 ちょっと複雑な問題に直面して,その正社員ですら,「こんなことを解決する能力は身につけさせられていない」といって職場放棄するような事態を招かないようにするための教育だとは思えない。

 単純化が好きな人たちが寄せ集められたことで,「教科」が持っていた意義が解体されてしまった印象が強い。

 目標がおかしなものになって,教科指導が機能するわけがない。

 学習指導要領よりも先に,その解説を公開すべきである。

 解説を読むことで,もともとの学習指導要領の問題が明確になるはずである。

 こんな話をしても,通じそうにないのが歯がゆくて仕方がない。

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ポジティヴシンキングもほどほどに

 明るい未来像だけを描くようにコントロールされた人々が,いよいよ地獄を見る日が近づいているように思える。

 地獄が目の前に迫っているのに,絶対に自分は地獄に堕ちないですむと信じ切っている人に,危険を察知する能力を与えるのは不可能である。

 遠いところにある危険ばかりを煽り立てて,目の前の危機はなかったことにする神経でも,生きていける国の最後の望みとは何だろう。

 地獄への階段を用意したのは,自分の国以外の人間や異教徒たちだと開き直る姿が目に浮かぶようである。

 歴史の浅い国だからといって軽蔑するわけではないが,楽観的すぎる単純な生き方は,本当に心配になる。

 敵対勢力の攻勢が甘いとき,それは自滅を待てばすむという分析に基づく判断かもしれないと想像してみてもらいたい。

 
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日本人は多文化共生に耐えられない?

 日本人は多文化共生に耐えられない・・・

 ある東大名誉教授の社会学者が新聞で展開していた主張である。

 ツイッターなどで,「信じられない」という反応が多く寄せられているらしい。

 「仲間を後ろから槍で突きさすような発言」という趣旨の言葉もあった。

 人口減少社会に「移民」という切り札を使うことは,不可能だ,という理解があるようだ。

 反論の理由として挙げられている,多文化共生で生きている人々が実際にいる,そういう地域がある,ということをご存じないはずはない。

 努力している人々の足を引っ張るタイプのガクシャは少なくはないだろう。

 教育の世界では,優秀な教師たちを「見下す」ための「理念」を吹聴し,「等しく貧しい学力をつける」ことに専念させようとしているセンセイとその「同志」もいる。

 「平等に貧しくなろう」

 こういう考え方にすがらないと生きていけないほど日本が落ちぶれる前に,何とかしたいと思っているのは,私だけではないと信じたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より