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カテゴリー「レジリエンス」の135件の記事

政治の世界で目立つ「ダメリーダー」の教育効果

 朝のニュース番組から,世界の政治の動きに関する報道が途切れることがないのは,

 主にTさんとKさんとAさんのおかげである。

 発言が二転三転し,「ああ,これがホンネなんだな」とだれでにもわかってしまう指導者もいれば,

 一貫して「自分のせいではない」と言い張る指導者もいれば,

 「弱い犬ほどよく・・・」という諺がピッタリの指導者もいる。

 3人の指導者には,他のだれかが代わりにやっていけるわけではない,という無類の強さを持っているのが共通点である。
 
 その強さの源泉は,失敗したことにあるのではなく,実績そのものにある,というリーダーもいる。

 報道では耳にできないが,Aさんがどんな仕事をしているかは,HPでしっかり報告されているから,どこかのニュース番組ではぜひ取り上げてほしい。何も,これを取り上げたから,「体制べったり」というわけではない。報道は,やはり偏りが大きすぎて,「何かもっと大事なニュースが報じられていないのでは」という危惧を国民は抱いていると思われる。

 さて,3人のうちの2人は,「支持率」と「不支持率」が示されながら批判されているので,

 ほとんど「メッタ撃ち」の状態にある。

 「支持率100%」の指導者の行き先は,歴史を学んでいるほとんどの人が知っているのだが,

 多くの人は「とばっちりが来ないか」という心配をしているわけである。

 テレビのニュース報道の特色は,「情報を送り出す側と,情報を受け取る側の双方が正義の側」という「印象操作」をしっかりと行っていることにある。

 「悪」の部分をクローズアップすることで,「そういう人たちが身近にいないでほしい」という欲求を高めてくれる。

 超優秀な反面教師をつとめているのは,もちろんリーダーだけではないが。

 だれかのおかげで,部下を恫喝したり,生徒を怒鳴ったりできる上司や教師は激減するだろう。

 その場面を録音されていて,ネットに流されでもしたら・・・。

 これはダメなことですよね,という確認があっという間に何千,何万という人たちを対象にしてできてしまう時代である。テレビではさらにケタが違う(だからいまだに日本ではテレビ広告が消えない)。

 では,「どうすればよいのか」という答えは,どこかに示されているのだろうか。

 リーダーのその言葉ではダメなら,他の言葉があるのか。

 Tさんの場合は,どうやらその「他の言葉」を言わされた後に,ホンネが出てしまったようなのだが・・・。

 Aさんの場合は,「自分が指示したことはない」というのは正しい言葉かもしれないのだが,「指示した」「指示しない」という事実が大事な国ではないことは,自分自身が一番よくわかっているはずである。

 「自分が考えていることがすべて正しいと認識する」反知性主義の動きを止める力はどこにあるのだろう。

 このまま「正義の味方」のつもりでいると,「正義の見方」がわからなくなってしまうのではないか。

 ある政党からは,どんどん人が抜けていっている。

 こういう政党ほど,「再起不能」という言葉がぴったりくる党はないように思われる。

 大小,様々な組織の「危機」を気楽に眺めているうちに,自分の首を自分でしめていた,なんてことにならないよう,足もとの危機に注意を払うべきことを胸に刻んでおきたい。

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女性社会が男性社会に変わることが中1ギャップの最大の原因か?

 中1ギャップを解消するために,さまざまな取組が行われている。

 小中一貫校の設置も,その一つだろうが,中学校1年生をナントカ学園7年生と呼んだところで,中学校の教育課程の学習についていけない生徒がいなくなるわけでもない。

 ギャップを感じにくくなる一方で,「中学生になった」という実感をもちにくいことは,子どもの成長にとってマイナスになってしまう側面が大きすぎる気もする。

 英語教育を小学校から始めるというのも,中1ギャップ解消への改革として期待される面もあるが,

 「英語教育の研修」を終えた小学校教師たちの多くが,「撃沈」して帰ってくるという話を耳にした。

 「私たちが英語を教えていいのだろうか?」という疑問というか「適性の乏しさ」を痛感してしまうというのだ。

 多くの教師に「道徳も同じでしょ」と言いたくもなるところだが,「英語があるから小学校教師にはなれない」という理由で,教師志願者が減っていくことも危惧しなければならない事態が目前に迫っている。

 制度をいじると,必ずと言っていいほど「悪い方向へ」の効果が高まっていく日本の教育界である。

 私は,中1ギャップの原因は,小学校と中学校・高等学校の教育課程,学習指導要領に示された内容にあると考えているが,もう一つ,「文化の違い」が無視できない要素であると確信している。

 小学校と中学校・高等学校の「文化の違い」は,たとえば「学習指導」や「生活指導」に顕著になって表れてくる。

 その点は何度もこのブログで取り上げているが,その他に,小学校=女性社会から,中学校・高等学校=男性社会に変わることが,非常に大きな不適用要素として直撃してしまう子どもがいると感じている。

 下の図は,東京都の中学校の男女別教員数の推移を示している。

 27

 小学校と比べると,男性教員の割合が高い。

 管理職になると,男女比はさらに男性に偏ることになる。

 少し前の記事でも書いたように,「男性」「女性」と区別する時代ではないかもしれないし,経験が10年未満の人が半数以上を占めるような小学校になってくると,今までとはまた異なった文化ができているかもしれない。

 しかし,「戦闘向き」の集団である「男性の群れ」がもつ独特な中学校の生活様式は,小学校には見られにくいのではないか。

 この文化の違いに,敏感に反応する子どもが少なからずいるはずなのである。

 別に,「女性社会」が「戦闘向き」ではない,とは言えないだろうが,子どもにとってどっちが「アットホームな感じがするか」と問われれば,もちろん例外はいくらでもあるだろうが,「男性社会」よりは「女性社会」だろう。女性の育児や家事労働がまだ多い国ならではの感じ方である。

 「中学校に行くと,先生たちはみんな怖いよ」と小学生を脅す教員がいるらしい(私の教え子たちの多くが,みんなこういう脅しを受けていたことを知っている)が,どういう人だろう?

 そもそも,なぜ小学校に女性の教員が多く,中学校では逆になっているのか。

 そこに中1ギャップの原因が潜んでいるかもしれない,という予想から,少し想像してみた。

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若い先生が増えると,子どもや管理職の悩みも増える

 次の図は,東京都の小学校教員数の推移を示している。

27

 男女比はおおよそ1:2であるのが小学校の特徴である。

 学校によっては,男女比が半々くらいのところがあったり,男性教員がごくわずかしかいないところもある。

 小学校の管理職の悩みの一つに,女性教員がご懐妊され,産休に入ることにある。

 日本全体から見れば,とても歓迎すべきことだが,こと人事管理という点や指導の一貫性という観点から言うと,とにかく人を探してこなければならない,しかし,適材がなかなか見つからない,という点で,管理職にとっては非常に頭の痛いところである。学級担任がほとんどすべてを仕切る小学校教育のシステムを変えない限り,この難問の解決は難しい。

 ある地域では,住民(保護者)と学校(行政)との対立の図式を生んだりもする。

 何と,教員がほぼ男性だけで,若い女性がいない,という異常な小学校が存在するのは,教育委員会事務局が住民の要望を受け入れているからである。

 希望しないへき地の学校に赴任すると,異動前は予定はしていなかった妊活に取り組む人がいるというのだ。

 少子化が止まらない日本で,もっと寛容にできないのか,と疑問に思われる方も多いかもしれないが,こと自分の子どもの担任がコロコロ変わり(小学校の6年間で,ほとんど毎年,担任が産休に入っていくという学級もあったらしい),学級が落ち着かなかったり荒れてしまったりいじめが蔓延するようになると,黙っていられなくなり,果ては「産休に入りそうな女性教員を担任にすえた管理職の責任」がクローズアップされてしまう。

 私が知っている管理職にも,この理不尽な責任追及に辟易してしまっている人が少なくない(中学校ですら,そういう責任が問われてくる)。

 いっそのこと,子どもが減って空き教室が増えている小学校内に託児所を設置してしまうという政策もありかと思われるが,「家でゆっくり育児したい」という教員の希望ももちろん重視すべきであろう。

 行政として最も力を入れるべきなのは「自宅研修システム」で,できれば一定の業務も在宅でできるような仕組みをつくるべきではないだろうか。

 育児をしたことがある人はわかるだろうが,自分の子どもの育児は基本的に24時間「営業」である。

 そんなゆとりはない,そもそも育児「休暇」をとっているんだ,という当たり前の声に対して,

 「学校の危機」「子どもの危機」「保護者の危機」を背景に何かしらの手を打たないと,それこそ小学校の学校経営が「成立しない」ほど,苦境に立たされるところが続出するおそれがある。

 同僚間の人間関係がよくない小学校では,さらに関係が悪化し,産休→異動→産休→異動というパターンになりかねない。

  「自分の子どもと,担任をしていた子どもたちと,どっちが大事なの?」なんて質問はもちろん論外だが,教員でなくても,「育児から解放されたい」という欲求がわき起こるときがかならずあることも念頭においておきたい。

 男性教員で産休をとっている人がどれいくらいいるかは,よくわからない。

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つぶし役の必要性

 行き過ぎた生活指導が引き起こす問題が多く指摘されるようになっているが,

 生活指導が成立していない学校から上がってくる小学校7年生を何とかまっとうな中学生に育てるためには,たとえば,うそを平気でつき通すような習慣だけは消してあげるような「つぶす」指導が必要になってくる。

 行き過ぎた生活指導とは,子どもそのものをつぶしてしまうものを言う。

 「今の子どもたちはみんな弱い」という先入観があるために,

 多くの学校では,「及び腰の生活指導」やそもそも指導をする意欲も能力もない教師の存在が問題になっていることだろう。

 だから成長するきっかけ,自分を見つめるきっかけを得られないまま上級校に進学していく子どもが多くなっている。

 学校,学年には,「つぶし役」の教師が必要である。

 人間にではなく,行為に対して怒っていると子どもに理解させるのが「つぶし役」の役割である。

 悲しいことは,人間ごと否定してかかるセンセイがどこにも一定数存在してしまうことで,

 生活指導を傍観して,後で評論家のように偉そうなことを言ったり,

 指導の尻馬に乗ったようなかたちで余計な言葉を子どもに投げつけたりすると,

 せっかくの指導も台無しになってしまう。

 生活指導を行うときには,自分はもちろん,教師たちの特性の把握が不可欠である。

 フォロー役がいない場合は,「つぶす指導」をあきらめざるを得なくなるときもある。

 「つぶす指導」で傷つけられた自尊心を修復し,むしろ自尊心を回復させたり,生成させたりすることができる教師は欠かせない。

 学級担任とのかかわりが中心である小学校では,こういうチームプレーがやりにくいから,どうしても「個人」で完結するような指導のマニュアルばかりがはやっている。

 もちろん,一人で「つぶす指導」から「自尊心を生成させる指導」までを完結させられる教師が大勢いればよいのだが,それが難しいことは,かつて日本で当たり前のようにあった「家族」のドラマを見ればわかりやすいだろう。

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評定で「1」がつく中学生はどのくらいいるのか?

 日本の義務教育のシステムは,学校に通わなくても,あるいは,学業成績が不振でも,時間がたてば自動的に「卒業」できる仕組みになっている。

 不登校生徒の場合,担任教師が献身的に授業の記録を自宅に送ったり,教科担任の何人かがノートのやりとりをしたりする場合もあろうが,学校の教師との接触を完全に断ち切ったまま卒業を迎える子どもも少なくはない。

 非常に微妙な空気が流れる,校長室での卒業式の光景は想像できるだろうか。

 1日も登校できなかった子どもが,卒業式の日だけ,他の生徒たちが下校した後に学校にやって来て,少人数での「卒業式」を実施し,校長先生から「卒業証書」を手渡される。

 通知表など,何も書くことがないものも,形式的に渡される。

 日本の教育の課題の一端を一般の方も考えさせられる一場面ではないだろうか。

 東京都が公表している12月までの5段階評定の分布を見ると,

 評定で「1」がついている生徒の割合は,おおむね3~4%程度である。
 
 墨田区のある学校は突出して「1」がついている生徒の割合が高く,多くの教科が14%前後である。

 江東区や足立区のある学校では,数学で「1」がついた生徒の割合が17%~18%台であった。

 足立区では英語で2割の生徒が「1」である学校もある。

 おそらくは,すべてが不登校の生徒ではないだろう。

 そもそも,都立高校入試に際して,不登校の生徒のうち,評価資料がない場合は,「評定不能」として提出することが可能である。

 目標に準拠した評価になってから,5段階の評定のインフレが続き,「5」はそれほど多くなくても,「4」(十分満足)の生徒の割合が高くなっている。

 だから「1」がほとんどいない学校もあるが,何がどこまで「できない」と「1」になるかの共通した明確な指標はないため,不登校でなければ「2」がつくところも少なくないだろう。

 それでも「1」がつく中学生は相当数存在している。

 学力面の裏付けがなく,高校に進学する生徒も多いため,当然,中退率も高くなっている。

 登校しているにもかかわらず,評定が「1」になっている生徒の学力を「2」や「3」に引き上げるためには,どうしたらよいのか。

 私は社会科の教師だが,ある学校で,数学と英語を夏休み中に教えてあげたことがある。

 「2」の子どもは「3」になるが,「1」の子どもはなかなか「2」のレベルに達しない。

 当日できていたことも,次の日にはできなくなっている。

 素人の良さが生かされることもあるが,子どもも含めてやはり素人にはできない仕事がある。

 成績が良い子が教えればよいのではないか,と主張する人もいる。しかし,この方が「わかったふり」を子どもがしやすくなる傾向が強くだけでなく,教える側にかかる負担が大きい。

 「1」の生徒がいる学校で,「5」がもらえる2割の生徒が大活躍し,成績を向上させることができると豪語している人もいるが,残念ながら,教育現場はそれほど甘いところではない。

 「家庭に問題がある子どもはダメだ」なんて「例外規定」を定めている人もいる。こういう人は死ぬまで閉じた空間で議論し,役に立たない本を出版していれば,それでよい。いずれだれの記憶からも消えてなくなる。

 学校現場では,改めて,学習指導要領ではどのような内容とどのような能力を身につけさせることが示されているか,しっかりと確認する作業が必須になってくる。

 今から15年ほど前,総合的な学習の時間の実施にあたり,子どもにつけさせるべき学力をしっかりと考え,子ども自身がじっくりと学べるカリキュラムを実践することができた人には,改めて説明するまでもないだろう。

 教員になったとき,すでに総合的な学習の時間の指導が始まっていた人にとっては,教育課程づくりの根本を学ぶ機会を用意してあげるべきである。

 自分自身が総合的な学習の時間の学習をしてきて,そのねらいとする力を身につけてから教師になった人には,改めてどういう学力が大切なのかを考え直してほしい。

 評定の「1」の「重み」は,信じられないくらい「重たい」ものになってくるはずである。

 小中連携が機能するかどうか,その意味があるかどうかも問われるべき重大な課題である。

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「自分を変える」ことは容易なことではない

 私が学校現場から行政にうつり,そして行政の世界から「抜け出した」一つの理由は,

 「自分が正しいとは思っていないことを,学校現場にお願いすること」が精神的に苦痛だったからです。

 そこには,「変えられない自分」がいた,ということでしょう。

 学校現場に戻って,改めて感じたことは,「ここでも嘘つきがたくさんいる」ということでした。

 著書や論文で堂々と嘘を書くのは当たり前。

 「人を変える」ために,必死に極端で大げさな話を振りまき,危機感を煽る。

 「一部を切り取っての説明なのに,それが全部に当てはまるような錯覚を与える」ようなインチキ商売の手法が,教育の世界でもまかり通っていることは驚きです。

 「人を変えるのは難しいが,自分を変えることは簡単」という言葉を,

 「人を変えようとしている人」が使う理由はわかりますよね。

 「自分を変えること」だって,ものすごく難しいものです。

 ただ,詐欺師という「商売」が成り立つのは,「自分を変えられてしまう人」が一定以上いることを示しています。

 魂胆見え見えの嘘つきに騙される人は,別の意味で「自分を変えること」が必要です。

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線状降水帯出現予測は可能か~地上500mまでの空気中の水蒸気量が鍵か

 命を守るために必要な最低限の知識を伝えるのは,教育の大きな役割である。

 地理院地図などを活用して,自分が住んでいる地域,自分が学んでいる学校周辺の地域の特色を理解させる教育は,現在の小学校や中学校でもできることである。

 命を守るための教育に,教科の違いも何もない。

 地理や保健,理科の専門家しかわからない話では困るし,すべての子どもに理解させることができない指導でも困る。

 知識とは,「だれに聞けば正しい情報がわかるか」ということも含まれる。

 豪雨をもたらす線状降水帯ができるメカニズムが,少しずつわかってきているようだ。

 雨は上空から降ってくるものだが,それほど高くない,低層の大気の状態が豪雨の原因である可能性が指摘されている。

 避難行動に時間がかかる人が多い地域ほど,危険が迫っている情報が早く伝わる仕組みができるとよい。

 高い山地でなくても,冷たい空気の上に,湿った暖かい空気が乗っかっていくことで,積乱雲が続けて発生した地域もあるという。

 複雑な地形で海に囲まれている国に暮らす人間に欠かせない知識を深め,思考力を高めることができる教育を充実させる意思を,国はさらに強く示してほしい。

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学生に向かって「可愛い」と表現する気色悪い教員の始末

 地方によって,標準語でもそのニュアンスが異なるのは,仕方がないことだと思われるが,

 たとえば東京では,学生に向かって「可愛い」と表現すれば,当然セクハラになる。

 こういう気色悪い言葉を使う教員のいる教員養成系の大学では,どういう教員が養成できているのだろうか。ぜひ,セクハラで処分された教員たちの出身大学別累計を公表してもらって,誤解を払拭してほしい。

 一昔前に,ある女性教員から,「私の田舎では,セクハラなんて日常茶飯事」と耳にしたことがあるが,今でも同じなのだろうか。

 丙午の私にとって,両親や祖母からの刷り込みで,「女性(同級生)とは恐ろしいもの」という先入観があり,差別するどころの話ではなく,怒らせるとどうなるかわからない,という恐怖心の方が強い。

 敬っているように誤解してくれればその方がよい。実際にはいかに怒らせないですむかを必死に考えているのである。

 生理的に拒絶したい人間が,教員だった場合,学生や子どもはどうしたらいいのだろうか。

 どうして大風呂敷を広げさせようとしているのか。

 私は,生理的に拒絶したい人間を,拒絶しないですむために,必死に自分で暗示をかけている人間たちのように思えて仕方がない。いずれにしても教師失格なのだが。

 
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女性の機嫌の直し方

 女性の「ヒステリー」(これはもう死語?)にはどう対処したらいいのか,穏やかな女性とばかり接してきた人にはわからない話かもしれません。

 そういう意味では,脳科学に頼るのもいいですが,経験が物を言う場合もあります。

 ラジオで『女の機嫌の直し方』という本が話題になっていて,その要旨が一部紹介されているのを読みました。

 女性が読むと,少しムッとするような内容かもしれません。

 この著者の方は,ご自分の近くに「機嫌が悪い女性」がいつもいることにストレスを感じているタイプなのではないかと思ってしまいます。

 「機嫌が悪い女性」を思い浮かべることが難しい方は,まずは,

 母親が子どもを前にして機嫌を悪くする理由を想像してみてもらえばよいかもしれません。

 言うことを聞かない子どもに対して機嫌が悪くなっていることもあるのですが,

 それを増幅させて,「機嫌が悪い」と見た目でわかる,あるいは暴言を吐くレベルまでいってしまうのは,

 「共感してくれる人がその場にいない」ことが大きな原因です。

 その場に人が(父親が)いるのに,自分の機嫌の悪さを感じ取って共感してくれないと判断される場合は,さらに気分を悪化させる原因になります。

 小中学生の女子の会話を聞いていると・・・・話の中身を聞かなくても,様子を見ていると・・・・お互いに共感し合える関係にあることが,友達の条件のような雰囲気が漂っています。

 「でも,あんたにもこれこれこういう理由で問題があるよ」などと論理的に迫ってくる人は,仲間の輪に入れてもらえません。

 だから,言葉で納得させようとする下手くそな道徳の授業を繰り返すと,子どもにますますストレスがたまり,いじめや問題行動を起こしやすくする原因になるのです。

 すぐに機嫌を損ねる女性教師の扱いをとてもよく心得ている子どもたちがいることを何年か前に知りました。

 先輩からきちんと「技」を伝授されて,「無駄な時間を省く」工夫をしている子どもたちがいるのです。

 その技とは・・・。子どもを守るために秘密にしておきます。

 「女性脳」とか「男性脳」という命名は,本当に正しいのでしょうか。

 著者は女性のようなので,「女性は自分の理解したいように理解する」というご自分の理論をご自分で証明されているとすると・・・。


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「おもてなし」精神をなくすと失業率が上がる?

 日本人は,余計な仕事を自分で増やしているから,労働時間が長くなるんだ,という指摘があります。

 相手を思いやる気持ちが,一手間,二手間増やす結果になり,仕事が増えるのだと。

 慢性的に仕事が多いという状況は,逆に言うと,人手が不足する,という環境をつくり,

 失業率を押し下げる効果があると・・・・。

 公務員ですら,一手間,二手間をかけていく人が多いのは,教師の仕事ぶりを見ていればわかるでしょう。

 学級便りや学年便りなどを,毎日出している人は,それだけ家庭とのつながりを強く維持しようとしている。

 子どものとの面談の数を増やして,教材の準備を後回しにしたり。

 ただ検印を押して返してあげればいい子どものノートに,コメントをたくさん書き込んだり。

 「余計な仕事をしたくない」という教師は,教師としての使命感に欠ける,教育への情熱が足りない,

 などと見られる傾向があるので,「やらざるを得ないからやる」という気の毒な人も多いかもしれません。

 初任給が高い外資系企業を選ぶ優秀な人達が増えているようですが,

 こうした日本的な伝統がない世界は,もしかしたらとても過ごしやすい環境なのかもしれません。

 ネット注文の買い物に,わざわざ手書きの礼状を入れる必要なんてないのに・・・と思う購入者が増えていくかもしれません。

 災害で苦しんでいる人のために,何ができるかを考えられる人が多い国と,そうでない国の文化の違いを子どもに考えさせてみたいと思っています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より