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カテゴリー「グローバル人材」の412件の記事

政治の世界で目立つ「ダメリーダー」の教育効果

 朝のニュース番組から,世界の政治の動きに関する報道が途切れることがないのは,

 主にTさんとKさんとAさんのおかげである。

 発言が二転三転し,「ああ,これがホンネなんだな」とだれでにもわかってしまう指導者もいれば,

 一貫して「自分のせいではない」と言い張る指導者もいれば,

 「弱い犬ほどよく・・・」という諺がピッタリの指導者もいる。

 3人の指導者には,他のだれかが代わりにやっていけるわけではない,という無類の強さを持っているのが共通点である。
 
 その強さの源泉は,失敗したことにあるのではなく,実績そのものにある,というリーダーもいる。

 報道では耳にできないが,Aさんがどんな仕事をしているかは,HPでしっかり報告されているから,どこかのニュース番組ではぜひ取り上げてほしい。何も,これを取り上げたから,「体制べったり」というわけではない。報道は,やはり偏りが大きすぎて,「何かもっと大事なニュースが報じられていないのでは」という危惧を国民は抱いていると思われる。

 さて,3人のうちの2人は,「支持率」と「不支持率」が示されながら批判されているので,

 ほとんど「メッタ撃ち」の状態にある。

 「支持率100%」の指導者の行き先は,歴史を学んでいるほとんどの人が知っているのだが,

 多くの人は「とばっちりが来ないか」という心配をしているわけである。

 テレビのニュース報道の特色は,「情報を送り出す側と,情報を受け取る側の双方が正義の側」という「印象操作」をしっかりと行っていることにある。

 「悪」の部分をクローズアップすることで,「そういう人たちが身近にいないでほしい」という欲求を高めてくれる。

 超優秀な反面教師をつとめているのは,もちろんリーダーだけではないが。

 だれかのおかげで,部下を恫喝したり,生徒を怒鳴ったりできる上司や教師は激減するだろう。

 その場面を録音されていて,ネットに流されでもしたら・・・。

 これはダメなことですよね,という確認があっという間に何千,何万という人たちを対象にしてできてしまう時代である。テレビではさらにケタが違う(だからいまだに日本ではテレビ広告が消えない)。

 では,「どうすればよいのか」という答えは,どこかに示されているのだろうか。

 リーダーのその言葉ではダメなら,他の言葉があるのか。

 Tさんの場合は,どうやらその「他の言葉」を言わされた後に,ホンネが出てしまったようなのだが・・・。

 Aさんの場合は,「自分が指示したことはない」というのは正しい言葉かもしれないのだが,「指示した」「指示しない」という事実が大事な国ではないことは,自分自身が一番よくわかっているはずである。

 「自分が考えていることがすべて正しいと認識する」反知性主義の動きを止める力はどこにあるのだろう。

 このまま「正義の味方」のつもりでいると,「正義の見方」がわからなくなってしまうのではないか。

 ある政党からは,どんどん人が抜けていっている。

 こういう政党ほど,「再起不能」という言葉がぴったりくる党はないように思われる。

 大小,様々な組織の「危機」を気楽に眺めているうちに,自分の首を自分でしめていた,なんてことにならないよう,足もとの危機に注意を払うべきことを胸に刻んでおきたい。

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成功したことにしなければならない仕事に求められる「自分に嘘をつかない」力

 教育にも政治にも,「目に見える成果」が求められる時代になった。

 「すぐに成果が出ない政策」に価値がおかれないようになると,

 「すぐに成果が出たことにできる政策」ばかりを宣伝することになる。

 また,「成果が出たことにする」という習慣がついていく。

 「成果が出ていないもの」「成果が疑わしいもの」「成果が不十分なもの」への真摯な態度が失われていく。

 「改善」「改善」「改善」・・・しかないのだが,

 「計画のずさんさ」を指摘されたくない人たちは,問題に目を向けず,とにかく「成功している」と強弁するための材料を探してしまう。

 広範囲で大規模な「地盤沈下」が起こったときには遅い。

 本当のチェック機能を果たせる人が,組織から閉め出されることは,組織にとって損失だったということに気づいたときには遅い。

 いずれ,前を向いても後ろを向いても,右や左を見ても嘘つきだらけ,というある時代の日本に後戻りしていたことに気づいたときには遅い。

 失敗に気づけることに価値をおく教育を捨てないことで,同じような価値を大事にする政治を守っていける国になることにつながってほしい。

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夢をもてる人間をなくすための教育法

 夢を叶えることは,難しいものである。

 簡単に叶えられてしまうようなことは,「夢」ではなかった,ということになる。

 大学教授になる,という「夢」を持つ子どもはいなくてもよいのだろうか。

 「高い地位はなれる人が限られており,競争に勝たないといけないから,そんな夢は持ってはいけません」と説得する教育者がいたら,どう思うだろう。

 「気がついたら大学教授になっていた」という人はいない。

 「気がついたら富士山の山頂に立っていた」という人がいないように。

 ほとんど身内しか読まない論文を大量生産して,やっと頂上まで上がれる人間はごく一部である。

 ポストがあくまで,低所得で我慢し続けなければならない立場の人が大学にはたくさんいる。

 ポストがあいても,自分が必ずそこに立てるとは限らない。

 「全員の夢を叶える」という発想自体がおろかな例は他にいくらでもあるだろう。

 「全員に夢を持たせる」ことはできる。

 しかし,そういう発想自体を持っていない人がいる。

 「全員を見捨てない」(実際には「オレの主張に賛同する人の子どもだけ」いう意味なのだが)という発想は,実際には「全員に夢を持たせないようにする」という意味となる。

 「1番になる」という夢は持たせない。

 「Aくんに勝つ」という夢も持たせない。

 「ここで優勝する」という夢も持たせない。

 競争=悪という思想を植え付ける。

 いまでもイデオロギーの亡霊が大学にさまよっているのは,

 ごく少数の「勝者」の側に立てた人間が,

 最後に残された承認欲求を満たそうと躍起になっているからである。

 共産主義の本場に行って,自分の教育法が通用するか,試してみてほしい。

 「自分のクラスの生徒だけを見捨てない」という発想の人間には,考えつきもしないことだろう。

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やるべきことをやりきることの難しさ

 学校の道徳がなぜ嫌いになるのか,普通の大人ならわかることでしょうが,コミュニケーション能力とか他人の感情がよく理解できない子どもが,道徳の学習に「はまって」くれるケースがあります。

 「教科書にこう書いてあるから大事だ」

 「先生が言ったことだから守らなければならない」

 こういう子どもばかりだった時代に,日本は戦争で多くの若者を失いました。

 やるべきこと,守るべきことは,生活の中から発見していく,

 そういう社会科の授業を真面目に考えている人たちに限って,

 なぜか道徳の授業がそうはならない。

 不思議なものですが,「教科書に書いてあることを教える」というのは,

 それがすべてではないとわかっている勉強家でも陥りがちな姿なのです。

 学校運営でも,おもしろい現象が起こります。

 それはやらなくてもいいこと,どうでもいいこと,というのはみんながやろうとして,

 これをやらずしてどうするという大切なことはスルーしてしまう。

 その対照がものの見事にセットになっているとき,

 教育は死んでいくのです。


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小学校に通わないのが当たり前の時代が来る?~英語で一流を育てる

>長い人生で,その単語をいま読み間違えたことは大きな問題ではありません。笑い飛ばせる余裕を持ちます。

 これは,読書編でご紹介した『英語で一流を育てる』(ダイヤモンド社)に掲載されている,「子育て完全保存版マニュアル! これだけ11のルール」のうちの一つです。  

 義務教育での本当の意味での学力向上が十分に果たせないでいる大きな原因の一つが,「知識の正確性重視」の教育です。

 「知識偏重」という表現は正しくありません。なぜなら,小学校や中学校で教える「知識」の量など,たいしたものではないからです。

 ただでさえ少ない「知識」のわずかな部分の「正解」を,大人数で確認し合うなど,愚の骨頂です。

 日本の学校教育が陥っているのは,少ない知識の「正確性」ばかりを重視する姿勢です。 

 たとえば,小学校では,送り仮名を間違えたり,漢字を書き間違えたりすると,「笑いもの」になります。

 正確な知識でないと,得点がとれず,評価されないのが日本の教育の特徴の一つです。

 表現されている内容の質よりも,表現された記述の正確性を重視するので,質が低くても,間違いがないだけで得点できてしまったりする。

 これを覆そうとすれば,「正しい教育改革」になり得ます。

 もし,改革が起こらず,「正確さ」だけを今まで通り追い求めて,漢字練習や英語のつづりの練習ばかり繰り返していることで,「頭が悪くなってしまう」ことに気づいた鋭い子どもや保護者が増えてくれば,小学校の教科の教育を受ける必要性を感じなくなっていくでしょう。

 「観点別評価」という,学力向上の妨げになる評価が,日本の教育のガンであり続けるかどうかも重要です。

 『英語で一流を育てる』で紹介されている「英語4技能」が身につく教材のように,

 4観点の学力が同時に身に付くような学習を進めていかない限り,真の学力向上はあり得ません。

 言葉は通じても,何かを間違えると笑いものにされるような環境より,

 言葉が通じなくても,何かをお互いに理解し合おうとする環境で学ぶ方が,学力が伸びる気がするのは当然のことでしょう。

 英語教育が,日本の小学校教育全体にどのような刺激を与えることができるか,今から注目です。

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「自分を変える」ことは容易なことではない

 私が学校現場から行政にうつり,そして行政の世界から「抜け出した」一つの理由は,

 「自分が正しいとは思っていないことを,学校現場にお願いすること」が精神的に苦痛だったからです。

 そこには,「変えられない自分」がいた,ということでしょう。

 学校現場に戻って,改めて感じたことは,「ここでも嘘つきがたくさんいる」ということでした。

 著書や論文で堂々と嘘を書くのは当たり前。

 「人を変える」ために,必死に極端で大げさな話を振りまき,危機感を煽る。

 「一部を切り取っての説明なのに,それが全部に当てはまるような錯覚を与える」ようなインチキ商売の手法が,教育の世界でもまかり通っていることは驚きです。

 「人を変えるのは難しいが,自分を変えることは簡単」という言葉を,

 「人を変えようとしている人」が使う理由はわかりますよね。

 「自分を変えること」だって,ものすごく難しいものです。

 ただ,詐欺師という「商売」が成り立つのは,「自分を変えられてしまう人」が一定以上いることを示しています。

 魂胆見え見えの嘘つきに騙される人は,別の意味で「自分を変えること」が必要です。

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「おもてなし」精神をなくすと失業率が上がる?

 日本人は,余計な仕事を自分で増やしているから,労働時間が長くなるんだ,という指摘があります。

 相手を思いやる気持ちが,一手間,二手間増やす結果になり,仕事が増えるのだと。

 慢性的に仕事が多いという状況は,逆に言うと,人手が不足する,という環境をつくり,

 失業率を押し下げる効果があると・・・・。

 公務員ですら,一手間,二手間をかけていく人が多いのは,教師の仕事ぶりを見ていればわかるでしょう。

 学級便りや学年便りなどを,毎日出している人は,それだけ家庭とのつながりを強く維持しようとしている。

 子どものとの面談の数を増やして,教材の準備を後回しにしたり。

 ただ検印を押して返してあげればいい子どものノートに,コメントをたくさん書き込んだり。

 「余計な仕事をしたくない」という教師は,教師としての使命感に欠ける,教育への情熱が足りない,

 などと見られる傾向があるので,「やらざるを得ないからやる」という気の毒な人も多いかもしれません。

 初任給が高い外資系企業を選ぶ優秀な人達が増えているようですが,

 こうした日本的な伝統がない世界は,もしかしたらとても過ごしやすい環境なのかもしれません。

 ネット注文の買い物に,わざわざ手書きの礼状を入れる必要なんてないのに・・・と思う購入者が増えていくかもしれません。

 災害で苦しんでいる人のために,何ができるかを考えられる人が多い国と,そうでない国の文化の違いを子どもに考えさせてみたいと思っています。

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働きアリの法則を教育にあてはめると何が起きるか?

 有名な「働きアリの法則」と,経済学者の「パレートの法則」は,

 2割と8割(2割と6割と2割)に分類して,それぞれの特徴を説明するものです。

 経験上,多くのことに当てはまるので,「法則」として人間を理解するときにも使われることがあります。

 ただし,「学級は2割の子どもが動かす」などという話が出てきたとたん,

 まともな教師なら憤慨することになるでしょう。

 私もこれを批判する記事を何度か書いたことがあります。

 これほど子どもたちの理解に対して,悪しき先入観を与える話はありません。

 自分自身の気を紛らわせるために20:80という「分類」をすることは勝手です。

 自由に「分類」,「レッテル貼り」して遊んでいればよい。

 でも,子どもたちは「アリ」ではありません。

 理科の教師に限った話ではありませんが,
 
 ときどき昆虫と人間を「同一」に扱う人がいます。

 気をつけた方がいいですね。

 でも,「同志」のうちの2割が,8割の成果を上げている,という捉え方は正しいのかもしれません。

 経験則と法則の区別はしっかりとしておくべきでしょうし,

 「法則に合わせるように教育していく」ことの問題は,だれの目から見ても

 ・・・・少なくとも8割の側からすると,迷惑どころの話ではないでしょう。


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「働き方改革」の前に必要な「学び方改革」

 新聞には中立・公正原則はない。

 表現の自由に基づき,独自の主張を展開できる。

 だから,政権に近かろうが,政権批判を重視しようが,新聞社の自由である。

 私たちは,歴史教育を受けることで,戦時中の政府と新聞社の関係,新聞が嘘の報道を続けていたことを知ることができる。

 政権に近い新聞を読むメリットは何だろうか。

 総理大臣の考えがわかりやすく説明されていることか。

 政権しか知らない特ダネを早く,たくさん知ることができることか。

 どのような「学び方」をすることが,私たちの人生を豊かにしてくれるのだろう。

 
 学校現場で進めなければならないのは,「学び方改革」である。

 今までに,成功したことがある「教育改革」はあるのだろうか。

 東京都の場合は,受験倍率が少しだけ上がったり,東大合格者が増えたりすることを

 「改革の成果」としてカウントしようとしているが,

 「頭の良い子」をたくさん確保して,その子たちの成果がどう出ようが,「私には関係ない」という教師や子ども,学校が多ければ,やはり「教育改革」とは呼べないだろう。

 「大コケ」の「教育改革」と言えば,「生きる力」(今日,たまたま発見したのだが,日中戦争が起こった1937年2月の東京朝日新聞の一面に,「生きる力」というキャッチフレーズが使われた雑誌の宣伝が載っていた)を育もうとした約20年前の改革である。

 次なる「大コケ」の最有力候補は,「主体的・対話的で深い学び」をキャッチコピーとした次の学習指導要領だろうか。

 「自分一人ではなく,何人かで力を合わせて何かをつくりあげる」という「学び方」がいつの間にか紛れ込んできて,「カンニングのすすめ」が教育現場に広がる恐れがある。

 自分の頭ではなく,人が考えたことを写すだけで,わかったりふり,できたふりにする子どもが大量に発生する危険性がある。

 「学び方改革」でこういう子どもが増えると,やがて,どのような「働き方」が目立つようになるか,想像するだけでも寒気がする。

 「働き方改革」とは,だれの何のための改革なのか。

 ある人が嘆いていた。

 「働き方改革」についてのわけのわからない議論の時間がなければ,

 もっといい仕事がたくさんできるのに・・・。

 「話し合い」だけで何も得られない「学び方」を変えなければ,まともな「働き方」などできるわけがない。

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教員でも「稼ぐ」人間が大事にされる時代が来るのか?

 私が指導主事だったころ,文科省にいた知り合いの先生が,出版やら講演やら何やらで儲けまくって,問題視されたことがあった。内部から刺されたのだろう。

 週刊誌に「副業」のあがりの金額をすっぱ抜かれて,その先生は結局大学に行ってしまうことになったが,そっちの方が堂々と仕事ができて,幸せだったに違いない。

 あるラジオ番組で,これからのサラリーマンは年収が上がらないから,自ら主体的に「稼ぐ」意思をもって,起業したり,副業で収入を増やそうとしたりする「マインド」を子どものころから培っていかなければならない・・・とだれかが主張していた。

 最大のネックは,12年間くらい教育を受ける場では,「稼ぐ」マインドをもった人と接することができないことだ,とも。先生は「稼ぐ」人ではなく,ただ給料を「もらう」人だと。

 とすると,自分のクラスの児童には自習をさせて,どこか他の学校に講師としてせっせと出かけてしまうような先生が大勢いた方がよい,という話になっていくのだろうか。

 「今日もうちの担任は出張だ。お土産のお菓子が待ち遠しいなあ」

 これはこれで,世も末,という感じである。

 子どもを見る時間が減ることによる「ツケ」は,決して小さくはない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より