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カテゴリー「写真」の2件の記事

子どもは教師や親の特性をよく理解して行動する

 子ども集団には,「賢さ」がある。

 教師や親の「怒り」のツボを心得ている子ども集団は,「余計な時間」を省くことがある。

 子ども集団が「余計な時間」と考えている典型的なものが,

 「お説教の時間」である。

 ある生徒の親は,2時間でも3時間でも子どもにお説教を続けられるという。

 きっと,親が子どもだったとき・・・つまり,おばあちゃんも同じようなことをお母さんにしていたんだね・・・と慰めてあげることにしている。

 あなたの子どもには,そんな苦労をさせないようにしてあげてね・・・。

 賢い子は,「無駄な時間」を削減するための知恵を身につける。

 こういう「知恵」を,教室で使っている子ども集団がいることに気づけない教員がいる。

 「うちのクラスにいじめはありません」

 その根拠は,「子どもたちが,いじめはないと言っているから」だと。

 いじめられている子どもが,「いじめはない」と言わされていること,

 アンケートで「いじめられていない」と答えさせられていることに気づけない教員がいる。

 見抜けない教員を見越した作戦を子ども集団は立てて実行してくる。

 小学校とは異なり,中学校では,「見抜けない教員」が放置されることはない。

 なぜなら,教科担任なり,部活動の顧問なりが,簡単に見破ってしまうからである。

 学年主任という立場になったら,「見抜けない教員」のフォローをすることが重要な責務となる。

 教師は,その「人間像」を丸裸にされる存在であることを自覚しておかなければならない。


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彩雲

Saiun01

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より