「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い
子どもに自己責任の感覚を身に付けさせることは大切である。
「任されることが嬉しい」子どもがいることで,「さあ,取り組みなさい」という指示が成立する。
しかし,「一人も見捨てたくない」からこうする,という理屈は,常に「すべてを見限る」ことと表裏一体であることを忘れてはならない。
子どもが大人になったときに,「教師のような存在はいなくなる」,というのは,ポストがただあくのを待って延々と自分の存在証明だけをしてきた人間には当てはまるが,「過去の人から何かを学び取ろう」という姿勢を忘れない人間にとっては,何歳になっても,「教師」からは切り離されずにすむ。
「教師」を捨てた人間はもちろん頼もしい存在かもしれないが,
結局その人間が子どもたちも捨てていたことに気づいてからでは遅い。
自分も含めて,今までだれもしてこなかった教育に意味づけをしたい人間にとっては,つけ込みやすい対象はいくらでもある。
「今までいくら努力してもダメだったのだから,こっちの方がましですよ」
というセールスに騙されてしまった人たちが,騙されていたことに気づいたときには,もうその会社は潰れているかもしれない。
「今までの努力を諦める」ことを薦める人間たちに警戒感を抱かないのは,どういうタイプの教師たちなのだろう。
「教師が教えてしまうからダメ」という主張を容易に受け入れられる土壌があるのはどこだろう。
私は一時期,協同で実践事例を開発した経験があるからよくわかる。
そもそも知識が乏しい人たちが共通してはまりやすい落とし穴がある。
安易に「方法を変える」こと自体が,すべての誤りの始まりであることに気づいてからでは遅いのである。
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