カテゴリー「昭和の家庭史」の132件の記事

小学校に回される管理職 ふり返り366日【08/7/31-2】/第105問

 公立学校の管理職のなり手が足りない・・・・。特に小学校です。

 中学校籍の管理職はまだ余っているので、どんどん小学校に回されてしまっているようです。

 教員や施設の管理のノウハウは全く同じなので、経営を苦もなくできるのは当たり前なのでしょうが、小学校で楽をするとなかなか中学校に戻る気力がなくなってしまうという問題も浮上してきそうです。

 小学校籍の教師というのは、「子どもとわいわい楽しくやっていたいから、たいしてうまみがなく、苦労ばかり増える管理職になる人がいないだろう」という言い方をよくするのですが、この発想自体がおそらく中学校籍の教師とのギャップを端的に物語っているものでしょう。

 中学校籍の教師で、「子どもとわいわい楽しく」やっているような人には、間違いなく管理職になる資質はありません。別の言い方をすると、管理職にでもなってもらわないと現場が迷惑している・・・そういうタイプの教師です。

 小学校籍でも、学級崩壊や保護者対応で本当に苦労している人もいるでしょうが、逃げ道が管理職になることであるはずもありません。

 小学校が崩れるのは、組織の問題というより、個々の教師の資質・能力の問題が原因です。ですから組織のリーダーになっても、根本的な問題は解決できません。優秀な教師を獲得できるかどうかが勝負です。副校長・教頭が「代理」で授業をするケースは全国でどのくらいあるのでしょう。

 中学校が崩れるのは、個々の教師の資質・能力の問題ももちろんありますが、組織力でカバーできるのが小学校との違いです。だから組織をコントロールするというやりがいがあるのです。

 小学校全科という仕組みを変えることが、教育の質的向上の第一歩になるかもしれません。
 ある教科の研究に熱心になって、他がおろそかになるという話は有名校でも聞かれる話です。

08/7/31 学校経営者としての5つの悩み  雑誌プレジデントの記事から、経営者が抱いている5つの悩みを学校の教育管理職にあてはめてみると、どういうことが言えるか、考えてみました。 悩み1:管理職としての能力に対する不安  「学校経営についての自分の判断は正しいのだろうか」  「学校経営について自信を失い、校内でも孤独感を募らせているが、その悩みを相談できる人がいない」 悩み2:組織運営に対する不安  「自分の(教育長の)経営理念が校内の教師たちに伝わらない」  「教師たちが主体的に動かない」 悩み3:教育の成果に関する不安  「指導に工夫を加えていっても、なかなか成果があがらない」 悩み4:人材育成に関する悩み  「主任級の人材がいない、育たない」  「異動では優秀な人材が流出し、課題がある教師が入ってくるおそれがある」 悩み5:自分自身の存在意義に対する不安  「この学校の教師たちにとって自分とは何か」  「自分はこの学校のために何ができているのか」

 問題解決は、「問い」からスタートするので、何の不安も抱いていない管理職というのは怪しいわけですが(しかし、特に校長がまとう鎧はかなり強固なものでしょう)、これらの解決のために、その当事者(管理職)以外の人たちにできることとは何でしょうか。
 雑誌記事では、「心の軍師」と呼ぶべき存在、エグゼクティブ・コーチが必要だと説いています。
 校長にとっての「心の軍師」たり得るのは、教育界ではだれでしょうか。
 行政には「指導室長」「教育課長」という教員系の中間管理職がおり、教育長をトップとする教育委員会と現場の校長のパイプ役となっていますが、この人たちは「心の軍師」にふさわしいエグゼクティブ・コーチングのノウハウをもっているでしょうか。
 これは現場の校長に聞くしかありませんが、次のようなことを校長にできる課長は、よほど胆力と実力のある人でないと難しいかもしれません。
 コーチングのポイントは、まずは校長に「自分のなりたい姿」を明確にイメージさせる。
 次に、自分の現状はどうであるかを徹底的に認知させる。
 そして、どのようにしたらギャップを埋められるのか、対話を通してしつこく追求する。
 校長自身の長所はよく分かっているはずなので、それを最大限に引き出せるように、本人に気付かせ、やる気にさせる
 操作主義の心根は捨てて、校長の成功と成長を心から願い、自分がもっている経験や技量を惜しみなく与える(が、おしつけない)。
 校長の人材育成能力、リーダーシップ、コーチング力も、これと同じことです。

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昭和の家庭史トリビア?【第105問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 12月31日、紅白歌合戦の前身となる番組が放送されます。この番組名とは?
 ① 紅白音楽試合
 ② 紅白音楽対戦
 ③ 紅白音楽の戦い

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 【第104問の解答
 ②の16人に1人でした。

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活気のあふれる学校 ふり返り366日【08/7/31】/第104問

 自治体が「活気のあふれる学校づくり」というのを大きなスローガンに掲げたとき、学校はどのような取り組みを優先的に行っていくことになるのでしょうか。

 小学校はそもそも活気があふれていて当たり前なのかもしれませんが・・・・。

 子どもに活気がない・・・子どもらしくない・・・。そういう小学生も最近は少なくないのでは?

 子どもの「元気」「活気」の源はどこにあるのだろう・・・と思われるほど圧倒されている毎日を送る小学校教師には縁のない心配事かもしれません。

 一方、中学校ではそういう元気な姿が逆に家庭の問題を映す鏡になっている場合も多く、油断ができない姿です。

 では、小中学校に共通の問題はどこにあるかと言えば、別に高齢化が主原因だと言いたいわけではありませんが、教師の「活気」です。

 私の母が中学校を選ぼうとするとき、自分の主張の決め手にしたのは、「教師たちに活気がある学校へ通わせたい」というものでした(父の決め手は進学実績です。私の決め手は、授業料でした)。

 2対1で私と母が勝利して進路が開けたわけですが、単なる「活気」ではなく、学問に対する「気迫」に圧倒されることになりました。

 生活指導の気迫なら、普通の中学校でも決して負けていなかったことでしょう。

 ついでに言えば、「遊ぶ」のも真剣という中学校に入ったことも大きな衝撃でした。

 「学び合い」という言葉をキーワードに教育を考えている方の活動を見てみると、「話し合い」等、直接的な関わりを授業等の活動に求める傾向が強いようですが、言葉をかわし合うことのない「学び」があることを体験できたことは幸せでした。

 「学びの活気」が表面的なものに過ぎない学校から脱皮するには、まず教師の目を肥やすことが必要でしょう。

08/7/31 学校の活気はどこから感じられるか?  「学校の活気」はどのようなところから感じられるか。  廊下での挨拶、休み時間の生徒の行動、放課後の部活動・・・さまざまありますが、職員室における教師たちの姿についてはいかがでしょう。  研修会の講師やPTAの役員さんなど、外部の方が職員室に入ってきたとき、すぐ近くにいるのに(挨拶や要件を聞くために)席を立たない教師がいることに心当たりはないでしょうか。  「挨拶のときは、(相手が立っていたらこちらも)席を立つ」という常識が、学校ではあまり定着していないのではないか。そんな問題提起をしている教育ブログを見かけました。   腰を浮かす動作が全くないために、「あっ、そのままでけっこうです。お仕事中に、失礼いたしました」というコメントを言うきっかけ自体がない。実は私もそういう経験をして、いつも違和感を感じていました。  「いやいや、そんな常識は学校には必要ない。学校は私企業、サービス産業ではないのだから」という意見もあるのでしょうが、来校目的を知っているはずの教師たちが、座ったままでしかも無視?しているのは寂しい気持ちがあります。  「教室ではいつも立っているから、職員室というのは座って休むところ」という考え方の教師もいるかもしれません。  「教師はフットワークのよさが勝負」などという言われ方が認知されているとしたら、まず職員室に外部の人が入ってきたら、近くの教師は立って挨拶をする(知り合いだったら遠くても立つ)、という習慣がほしいものですが、いかがでしょうか。

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昭和の家庭史トリビア?【第104問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 『日米会話手帖』という本が大ベストセラーになりました。日本人の何人に1人が買った計算になる?
 ① 8人に1人 
 ② 16人に1人
 ③ 32人に1人

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 【第103問の解答
 ①の350万人でした。

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公立学校の「排他的教育水域」による不利益 ふり返り366日【08/7/30】/第103問

 狭い道を2~3人が広がって歩き、向かいから人が来ても脇に寄ろうとしない。

 閉まったドアを開けて出て行くグループが、ドアを開けっ放しで去っていく。

 集団で行動するだけで「思いやりを育てることができる」と思っている人はいないでしょうが、集団やグループでの行動がより「他人や他の集団、グループのことを考えない」人間を作りやすくなっていることに気付かない人がいます。

 学校の教師集団も、ほとんどこの仕組みと同じで「排他的教育水域」を保持しています。

 利益を得るのは、教師だけです。

 11月2日号のAERAに、中高一貫校の生活指導の問題点が指摘されていました。

 以前ここでは述べたことですが、中高一貫校の生活指導のベースは高校教育にあります。基本的に「やっとけ」で教師による具体的な指導はあまり想定にありません(特に上位校は)。

 「自主・自立」をスローガンに掲げていること、教師の手がかからないことを学校説明会での売りにしている高校というのは、逆に言えば、「生徒でもっている」ことを露呈しているわけです。

 上位校・中堅校の高校教師のブログを読むと、学力・生活指導の愚痴が両方登場しますが、そこにはほとんど「これこれこういう指導をしているのに効果が上がらない」という話はありません。

 「何でできないのか分からない」ということは、そもそも「どうやって分からせることができるのかを知らない」ということと、「分からない人に分からせようとしても仕方がない、ただ志望の大学に行けないだけだ」という本音がありありと現れています。それがそういう高校教師の「常識」だから仕方がありません。「勉強は各自の能力で各自が取り組むもので(ここまでは常識)、教師はいてもいなくても大差がない」というのが世間の「非常識」であるという自覚はないのです。

 そのことに気付いて私立学校に進学させる道を選びたくなっても、経済的にゆとりがなければ希望は実現できない。

 教師が自分自身の「個人の尊厳」を未来への子どもの「尊厳」に優先させ、世間に背を向けられるシステムは、多額の企業年金にすがりつこうとする企業人と似たところがあります。
 

08/7/30
教育の大前提は覆るか?
 毛利衛が2007年9月4日の日本経済新聞「経済教室」で、科学者の目から経済学を批判する内容の記事(普遍性追求 新たな発想で~「合理的個人」脱却を 地動説的な視点、経済学も~)を書いています。
 
自然科学は、価値観のコペルニクス的な刷新を何度も経験している。経済学の進化が乏しいのは、個人の行動がきまぐれなのに、合理的個人の大前提を墨守しているからのように見える。人類が地球上で相対的な存在であることをかみしめ、経済学も「地動説」的な発想が必要だ。

 以上のような趣旨のことを、教育の世界にあてはまめてみるとどうなるか。
 
 教育の世界の大前提とは何か。
 その中の一つに、広い意味の学力を身に付けることがあることは言うまでもありません。
 そして、その学力の中には、テストで測定することができない「知的好奇心」のようなものが含まれていることも、異論のないことだと思います。
 さらに、子どもたちは、狭い意味でも広い意味でも、その時点での能力の格差はあるにしろ、「勉強はできないよりできる方がよい」という欲求を誰もが持っているもの、という前提がありました。
 これらの大前提が、揺らいだとき、教育はどのような進化をとげる可能性があるのでしょうか。
 これらの大前提が、「天動説」である、という考え方はできないでしょうか。

 そのヒントの一つを、毛利衛が経済学への批判として提供してくれています。

 人類が大きなエネルギーを扱うようになり、空気、水を含む地球資源の限界と人口爆発の下での経済活動に伴う地球環境の破局的な変化を具体的に予測できるほど科学が進んだ現在、従来の経済学を推し進めていく限り、我々の絶滅は早まっていくのみであろう。

 「個人の尊厳」より優先度を高く、重視すべきものはあるのか。あるとしたら何か。
 「持続可能な開発のための教育」実践などから学べることを、考えていきたいと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第103問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 11月1日時点での東京都の人口は?
 ① 350万人
 ② 500万人
 ③ 750万人

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 【第102問の解答
 ②のイギリス。バーチェットさんでした。

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何でもありの学校と何にもなしの地方教育行政 ふり返り366日【08/7/29-2】/第102問

 厳しい学校では、「教育的に」という言葉で「何でもあり」の状況が生まれ、一方の人材のいない自治体では、「教育的」と呼ぶにはほど遠い「何にもなし」の状況が生まれています。

 「何でもあり」も「何にもなし」も、子どもの教育の未来を照らす光のない、暗くつらく苦しいだけの現場を生んでしまいます。

 どこかに「うまくいっている」ことを自慢したがるブログがありますが、教育行政の実態をよく調べてみて下さい。何もわかっていないことは、管理職の職務に関する記述(の内容やそれ自体が皆無であること)でみんなばれてしまいます。

 文科省は昔と比べると随分風通しがよくなったように思えますが、やがて自分から風を起こそうとする勢力が周囲から担ぎ出されることになるでしょう。

 しかし、それを許してしまうのは、今の学校現場と地方教育行政の質に他なりません。

08/7/29 「ピークアウト」しない教師であるために  成果主義への反発は、「評価者への不信」と「守りの気持ち」から生まれると言います。  「評価者への不信」は、よほど管理職が人間として尊敬に値するか、人から好かれるタイプでないと、なかなか払拭するのは難しい。評価プロセスをオープンなものにすることで、信頼性を高める工夫ができますが、「嫌いな人」からの評価にはどうしても拒否反応が出てしまいます。  一方、「守りの気持ち」は、「自らがピークアウトしたと、うすうす感じている場合」に現れるものです(柴田励司著『「仕事力」のある人、ない人』PHP研究所)。  自分の実力に課題があること、その力がピークアウトしていることを、人はなかなか認めにくい。  スポーツ選手の場合には、数字がすべてを物語るわけで、「引退」のタイミングだけの問題ですが、教師の場合は、基本的に毎年給料が上がっていってしまうのに、いつか「もう自分もこの程度どまりだな」と思っていまう時期が来る人がいる。  学習すること、成長することへの意欲を失う人間になりがちなのは、教育現場の特殊な事情も背景にあります。  前掲書には、次のような話が紹介されています。  
ピークアウトは年齢的なものよりも「同じ仕事を同じ環境下で長く続けてしまう」ことで起きます。だから、「学習しなくてもなんとかなってしまう」ところに、長くいてはいけないのです。  ・・・多くの人は慣れてくると、その「楽な環境」をエンジョイしてしまい、気がつかないうちにピークアウト状態になってしまうものです。そこに、新たなリーダーによる新しい方針が出てくると、たちまち「守り」モードに入ってしまいます。悪意なく、組織の進化の足かせになります。
   今は教務主任や生活指導主任などは主幹職がつくようになっているのでだれでもはできませんが、たとえば「学年主任」になったことがないベテラン教師。  行事主任を一度もつとめたことがない教師。  研究大会等で発表をしたことが一度もない教師。  担任をもたない教師。  これらの教師の中にも、リーダーのフォローを中心に重要な役割を果たしている人がいるかもしれませんが、「いつもと違う環境」で仕事をしないと、人は「守り」モードに入りやすい。  そういう意味では「異動」は大切ですが、「異動先」でも同じようなサイクルで生活していては意味がありません。  能力開発型の人事考課は、教師を「ピークアウト状態(学習し成長する意欲を喪失した状態)」におかないためにも大きな意義を果たすことができそうです。  人事考課では評価も意識するのは仕方がないとしても、主眼はあくまでも自分の新たな目標設定であり、その目標の実現に向けての実践であり、成果と課題を見極めてさらに課題を修正したり新たな課題を発見するそのプロセスです。  このプロセスを失わない限り、教師(だけとは限りませんが)に「ピークアウト」は訪れません。    学校現場では、管理職のピークアウトは許されるのでしょうか。  それが許される現場では、学校経営や人事考課がうまくいかないのは目に見えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第102問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 9月3日に広島の惨状を取材し、「ノー・モア・ヒロシマ」と打電した記者はどの国の人?
 ① アメリカ
 ② イギリス
 ③ ソ連

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 【第101問の解答
 ①の75人でした。大阪では8月60人、9月67人、10月69人でした。

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教育の地方分権のとっかかり ふり返り366日【08/7/29】/第101問

 教師の発問を「えさ」と表現するのはえげつないですが、まるでまいた「えさ」に群がる「さかな」のように「ハイ!ハイ!」と手を挙げて指名を待つような教室の風景は、中学校ではさすがに見られないものでしょう。

 小学校では、このような「態度」を「学習意欲」とか「興味・関心」の枠で捉えて、評価の対象にしているところがあるようです。

 観点別評価が、いかに理解されていないかを知るのにかっこうの題材です。

 中学校での「関心・意欲・態度」の評価はよく、「がんばっているけどテストで点が取れない生徒」を救済するための観点だと捉えられることもあります。

 目標準拠評価ではないことを暴露しているわけでもありますが、高校の指導困難校などでは、生徒は「まじめに授業を受けてくれればそれでいい」という事情もあり、わざとこの観点の比重を重くした入学選抜を実施したりするなど、ニーズに合っているという面もあります。

 評価の扱いについては、もう地方分権の流れに乗せていくのが自然だという感覚をもっています。

 評価の規準・基準、評価方法に関する資料は、都道府県別に作成します。
 指導要録も、基本的に都道府県がその書式等を作成することにします。
 理由は、たとえば公立学校の入学選抜を実施している主体がそこにあるからです。
 中・高の進学の連絡をしっかり果たす義務は、都道府県にあります。
 
 評価方法の具体的な事例にしろ、入学選抜問題の事例にしろ、どんどん都道府県が発信して、お互いに競い合うことが日本全体の学力底上げにも結びつくでしょう。

08/7/29 「おバカタレント」の活躍と教育の問題  学力低下報道キャンペーンが一巡して、その問題への対応として授業時数の増加などを盛り込んだ新しい学習指導要領が告示されたタイミングと、「おバカタレント」ブームの盛り上がりが同一であることに、教育関係者である自分としてはどうしても注目せざるを得ません。

 「おバカタレント」たちは、クイズの解答者という立場から、さらに多方面へ活動範囲を広げています。

 Geogle検索で「おバカタレント」上位のページを調べてみると、

 ウィキペディアではその「元祖」から現在のタレントの特徴までよく分析された結果が示されています(「中立性を担保されていない、出典不明で正確性を欠く独自研究的な記述となっているため、修正・推敲」が求めているようですが・・・)。

 livedoor リサーチでは、このようなタレントをどう思うか?というアンケートに対しては、
興味がない」(23%)を除いた答えとして、
本当はおバカではなく、そういったキャラクターを装っているだけだと思う」(15%)、
好感は持てるが、おバカキャラなタレントがもてやはされている現状については疑問に思う」(14%)
というやや否定的な回答が上位になっているようです。

 Yahoo知恵袋では、具体的な意見や憶測が書き込みされています。
 他にも、実際に「おバカタレント」に会って話をした方が、
 「本当に会話が成り立たなくて驚いた
 「しかしこの人が意外なほど高額な報酬をもらっていることを子どもたちが知ったら、まじめに勉強する気が失せるのではないか」などとも書かれています。

 「視聴者が珍解答に優越感を感じられること」が「好感度」の最大の原因だという意見もあれば、
 「うさんくさい
 「難しい問題を答えてもすごいね、で終わるより、こいつバカだなで笑いを取るほうが受けるということでしょうかね。でもいずれは必ずマンネリ化してくる(はず)」という見解もありました。

 いずれにせよ、20%もの高視聴率を稼ぐ番組の中心的存在(司会者の力も当然必要ではありますが)である「おバカタレント」の命は、予測がつかない「珍解答」を反射的に堂々と答え、かつ、それをいじられることへの不快感を感じさせない爽快さ?「天然色」です。
 「成績優秀者」をたたえるようなクイズ番組が飽きられて、「珍解答・間違った解答」に大きな価値が与えられることへ転換したことを、教育現場ではどのように捉えればよいのか。
 
 計算してもってきたような自分の話で申し訳ありませんが、以前、「勉強に興味を持てない子を授業で生かすにはどうしたらいいか」という質問に、「どういう形でもとにかく生かすことが必要」という話から、過去の経験として、「珍解答」を最初に披露させ、いわゆるムードメーカーにしていくことが手っ取り早い、しかし、後で「いじり」「いじめ」の対象になりやすいので注意が必要、などというアドバイスをしたことがありました。
 そんな「天然色」を持ち、堂々と発言できる子どもたちばかりではないでしょう、というのも確かですが、「間違った答えでも発言する権利はあるし、他の人が考えるヒントを導く間違いというのもあるから、どんどん発言しよう」というムードをつくることは大事です。

 このようにプラスの面で捉えることもできるのですが、懸念がないわけではありません。
 それが、「学力(測定可能な学力という意味です)下層グループの釘付け効果」という問題です。

 これまでは、「学力が低い」というのは自己評価を下げる要因になっていたのが、今ではそれがプラス評価に結びつこうとしています
 「人間の価値はテストの点数で決まるものではないのだから、テストで高い点数をとれるように努力する必要はない」という発想が見られるようになってきました。

 さすがに心の中では「でも点数は高い方がいい」と感じていると思いきや、心底から「そんな必要はない」「ゲームをして楽しんでいる自分が本当の自分で、机に向かって勉強するなどという偽りの自分を演じない本当に合理的な存在だ」という自己肯定感をもっている子どもが表れている。そういう気がしてなりません。
 「人に迷惑をかけなれければ自分はどうあってもかまわない」という新自由主義の影響かもしれません。

 大人としても、「そういう生き方はいいなあ」というのは感じないでもないですが、だからといって「学習も仕事もしなくていいよね」というわけにはいきません。
 「社会的責任」の自覚がしにくくなっている子どもの存在が、今後、大きな課題として問われてくるのではないか。
 そんな危惧を抱いています。
 「おバカタレント」は、場を盛り上げるムードメーカーとしては素晴らしい資質をもっていると考えられますが、その役割だけに特化した生き方は難しい・・・・それが、タレントの活動範囲の拡大(視聴率稼ぎに利用されているという見方もできるのでしょうが)からもわかる・・・という気がします。
 
 「笑える非常識」が「笑えない非常識」に転換するときが、いつか。
 「笑える非常識」の世界から抜け出す必要を感じるタイミング、実際に抜け出すタイミングは、いつか。
 ・・・もちろん「常識を疑う」姿勢も大事です。しかし、当然ながら、「非常識」を疑う姿勢も同時に必要でしょう。
 メディアの世界との駆け引きが、教育の世界には強く求められていると考えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第101問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 10月の上野駅の餓死者は何人いたでしょうか。
 ① 75人 
 ② 750人
 ③ 7500人

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 【第100問の解答
 ②の10万円でした。空くじ4枚でタバコ10本と交換もできました。

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日本軍と教師の共通点 ふり返り366日【08/7/27-2】/第100問

 学力不足を「興味がない」ことを根拠に、「興味がわけば学力は上がる」と信じ込んでいる保護者がいる一方、子どもが「興味がないことはやらない」という合理的な行動をとっていることを褒め称え、学力は低くても、そういう合理的な行動をとっていることへの優越性を「柱」にしている保護者もいます。

 教師としては、その「」だけで何とかもっている子どもからはしごを外すのをはばかって、自滅を待つだけ、という指導姿勢を容認できるかどうか・・・。

 「興味」というのは、教育者にとっては非常にやっかいなものの一つです。

 そもそも、学習に「興味」を持たせること自体に絶望している教師も多いわけで・・・。

 石原都知事などはかなり割り切った発言をしてきていますが、国がそれにならうことは不可能です。

 あくまでも「関心・意欲・態度」など、4観点による評価にこだわる状況は・・・・「アメリカには勝てない」と言い切れなかった海軍、「絶対に勝つ」という気合いしかなかった陸軍の末期と同じような印象をもってしまいますが・・・・。

08/7/27 学習意欲低下に拍車をかけている?言葉  「人間の価値は学校のテストなんかの点数ではかることはできない」  という言葉に対して、否定的な印象を受ける人は少数派でしょう。  しかし、もしこのような言葉が、学力の低下に拍車をかけているとしたら、どう思われるでしょうか。  教育社会学者は、「自らの学力の不足に対して、無意味な努力をしないという合理的な判断をしている自分への満足感の根拠としている子どもたち」の増加を統計データで示しています。  人間の価値は学校のテストなんかの点数ではかることはできない・・・だから、テストの点数を上げる必要はない・・・このような思考回路が、おそらくは「努力してもできるようにならない」「努力したくない」と思っている子どもたちの心を安定化させる装置になっており、それはいずれ「うまく働くことができない若者たち」へと「成長」していく背景にもなっているのではないでしょうか。

 昔から、「先生は、勉強ができない子どもの気持ちがわかるんですか?」という言葉がよく使われています。
 この発想は、現代的に言えば、「格差社会の本質と構造についての洞察は、格差社会の最底辺にいる人間がもっとも深い」というロジックと同じ(内田樹著『こんな日本でよかったね~構造主義的日本論~』バジリコ株式会社)です。

 「お前は格差社会の実情を知らないが、私は知っている」という「知的優越」のポジションを検証抜きで前提にしている。

 学力の課題や格差社会への批判的な態度は、下位にとどまっていることで担保されるため、学力向上、階層の上昇のチャンスを自ら手放してしまっていることになります。
 もし教師が、「勉強ができない子どもの気持ち(私には、「勉強ができるようになりたい!」という強い叫びに聞こえてしまいますが)」を読み誤り、できる方へと勇気づける指導ができずに、「他のことでがんばればよい」というだけの態度をとれば、学習意欲の低下に拍車がかかってしまう、こんな仮説を立ててみましたが、いかがでしょうか。

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昭和の家庭史トリビア?【第100問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 10月29日に第1回宝くじが発売されました。1等(当選は100本)の賞金はいくらだったでしょうか。
 ① 1万円
 ② 10万円
 ③ 100万円

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 【第99問の解答
 ②の5キログラムでした。

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アスペルガー差別とその救済 ふり返り366日【08/7/27】/第99問

 今から10年とか20年前に、「空気が読めない人」というのはどういう扱いを受けていたのでしょうか?

 大人社会の中では、「この人、マイペースだな」「常識ないな」程度で、大きく問題化することは少なかったのかもしれませんが・・・。

 「空気を読め!」という圧力をかけることは、人間社会にとってプラスなのでしょうか、マイナスなのでしょうか・・・。

 規則違反をしている小中学生にその理由を聞くとよく返ってくる答えが、「みんなやってるから」というもの。

 問題行動にも同調性圧力が加わるのはどの国にも共通してみられる現象なのでしょうか?

 「空気が読めない人」が映画やドラマに登場するのは、どの国にも見られる現象でしょうか?

 問題は、「空気が読めないこと」ではなく、「空気を読もうとしない」ことなのかもしれません。

 アスペルガー症候群の子どもたち・大人たちへの支援・対処法は確立されていないようですが、それで苦しんでいる人、苦しまされている人の問題が、大きく取り扱われる日が来るのはそう遠くないでしょう。負担が取り除かれることは可能なのでしょうか?

08/7/27 非常識な人が生まれる原因  さまざまな職場で「常識が通用しなくなった」「非常識な人が増えた」という声がよく聞かれます。  教育の現場では、もともと常識がない(机上整理をしないなど)部分もありますが、子どもや保護者の非常識さの陰に隠れて、教師の非常識さが目立たないという問題も大きい。  子どもや保護者には遅れがちな提出物の催促をする一方で、自分の事務処理は遅い・・・(いつまでたっても指導要録に手をつけないなど)。  ジャージにリュックサックという出で立ちで通勤するくらいなら問題はない?のかもしれませんが、学校に入って一番感じるのが、「挨拶ができない」「挨拶をしない」ことでしょうか。  民間企業より、新人教育などで弱い面が、そのあたりに顕著に表れてくるのでしょう。

 ・・・さて、ここでは教育の世界を少し離れて、ノンフィクション作家の野村進が著書「調べる技術・書く技術」(講談社現代新書)で紹介している「若い世代に受け継がれていないのではないか」と危惧を覚える取材と執筆のルールとその常識をとりあげてみたいと思います。

 ~取材編~
○インタビューを申し込んでおきながら遅刻する。
○取材前の資料読みをきちんとこなしてきた形跡がない。
○無断でいきなり録音機器のスイッチを入れる。
○貸した資料をなかなか返却しない(ひどいのになると紛失する)。
○こちらが発言していない事柄を会話体で記す。
○すでに公表されている事実を、そも自分が発見したかのように書く。
○掲載紙誌を送ってこない。

 ~編集者編~
○原稿を送付したのに何の連絡もしてこない。

 子どもたちのネット上でのコミュニティーでは同じようなマナー・ルール違反がおこり、トラブルの原因になっているな・・・と思い当たるものもいくつかありました。
 相手を尊重する念というか、時間をさいてもらって申し訳ない、という気持ちが、「その分の報酬を払ってるんだからいいだろう」という考え方によって、相手に伝わらない、そういうことでしょうか。
 それとも、自分の思い通りに相手が反応するのが当たり前、という思考回路をもっているのは、ゲーム世代の影響でしょうか。
 幸い私は、仕事をしやすい編集者の方々ばかりとしかおつきあいしていませんが、中には依頼状だけ送ってきて、「何卒」などとある紙だけで書かせようとする殿様商売の出版社もあります。
 他にいくらでも書ける人がいるので当然全部断ってしまいます。

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昭和の家庭史トリビア?【第99問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 人間の小便から塩をとる方法で、1人年間何キログラムの塩がとれると想定されたのでしょうか。
 ① 1キログラム
 ② 5キログラム
 ③ 50キログラム

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 【第98問の解答
 ②の「人間の小便」でした。

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エキをヤクとしてこなす子どもの自壊 ふり返り366日【08/7/26】/第98問

 ものの見事に「」と「」の関係での「役割意識」をもって「役づくり」に励んでいる子どもがいます。

 こういう子どもには「三者面談」などでよく騙されます。

 「エキ」(役)を「ヤク」(役)としてこなすパワーとストレスは、相当なものであり、「伸びきったゴム」と言われるように、上級学校(高校や大学)では「堂々と勉強嫌い」を名乗れる強者に育てる可能性も考えられます。

 今の親子関係で子どもにとって不幸なのは、「」不在・「イエ」重視の役割意識をもった「」の過剰な「役割意識」がひたすら「」を責め続けるという図式です。

 「合格したら、何でも買ってあげる」

 「合格したら、もう勉強で苦しむ必要はない」

 「合格したら、どこどこへ連れて行ってあげる」

 ・・・そういうことを子どもに言っている親は、客観的にご自分を見つめていただければ・・・。

08/7/26 子ども・教師の役割意識について  「いずれ記事にしたい」と申し上げていたことが、最近参加した授業研究のテーマに関連していたので、ここにまとめようと思います。  授業では、徳川家康の命令によって、外様大名が江戸城の増築に必要な巨石を運ぶのですが、競い合うように船で運び込もうとしている、これはなぜか、ということがテーマになっていました。  同時に、「社会科好きの子どもをどう育てるか」ということも主題になっていました。  授業中に、熱心に発表する子どももいれば、それを聞いているだけの子どももいます。  私の見方では、熱心に石を運ぶ大名も、発表しようとする子どもも、似たようなねらい、理由があるわけです。  それは、家康や先生に気に入られる、ということもあるでしょうが、大事なのは「能力に応じた仕事をする」という意思がある、ということです。

 「仕事の報酬」とは何か、と聞いたら、子どもなら何と答えるでしょう。
 大人になってからのことではなく、今の自分の場合です。
 当然、「お金」ではありません。
 では、「先生からの評価」か。「ほめられること」か。
 私は、子どもたちに対して、「仕事(=授業なら、学習活動)の報酬は、能力の向上、作品、自分の成長の3つだ」と教えたい(実感してもらいたい)と常々考えています(田坂広志の本の受け売りですが)。
 大人になると、仕事をすればお金がもらえるので、お金を報酬と考えるのが普通になってしまいます(人事考課もそこがネックです)が、その問題点についてはここではふれません。
 その邪魔が、子ども時代にはない(お小遣いを増やしたり、ご褒美を買ってあげたりしてしまう邪魔は入りますが)。そこを生かして、ぜひ自分の成長自体を「ご褒美」と感じられる経験を持たせてあげたいのです。
 
 話を戻すと、外様大名たちは、石高に応じた加役を果たすために石を運ぶのですが、その石が、それぞれの藩の「作品」=仕事として残るわけです。メンツの問題もあります。
 ここが、我先に、と発言したがる子どもによく似ています。
 輸送・運搬能力や築城技術の向上というねらい、大坂城より大きな城をつくるという幕府の「権威」を示すねらい、軍令違反に改易などで対処し、法令遵守を徹底したいというねらい、外様大名の経済力をそぐことなど、幕府側の目的も果たされる一方で、大名は大名なりに一生懸命はたらく。
 このことを、「役(やく)」という観念に注目して近世社会の特色として示したのが尾藤正英でした(「江戸時代とはなにか」(岩波現代文庫)参照)。
 「」は、「労役」「苦役」のように、「エキ」として読む用法がありますが、「ヤク」と読む場合は、社会の中で個人が担当する役割と、その役割にともなう責任とを合わせた意味として用います。
 「石高に応じた加役」の「加役」は、「カエキ」ではなく「カヤク」と読みます。 

 ・・・石高は、武士にとっては軍事上・行政上の「役」を負担するために必要な経済的基礎の量を、また農民にとっては貢租と夫役という「役」の負担の量を、それぞれ算出するための数量的な基準であり、しかもそれは全国に統一的に設定されたという意味で、国家的な基準であっといえる。(前述の書より)

 尾藤正英は、「役」の体系としての社会の組織を作り上げることによって、270年近くの平和の持続を可能にしたという説を述べています。
 
 子どもたちが、「ここからここまで次の時間までに読んでおきなさい」と教師から指示を受けたとします。
 これを、「役(ヤク)」と捉えるか、「役(エキ)」と捉えるかが、学習が好きになっているかどうかの違いになります。
 ヤクと捉えている子どもは、しっかり予習し、授業では、学んだことを生かして発言するという役割が果たせます。
 エキと捉えている子どもも、読んでくれば質問には対応できるでしょうが、やはり苦痛な課題になってしまっているのでしょう。
 子どもだけでなく、このようなことは教師や保護者にもあてはまります。
 ヤクなのか、エキなのか。
 教師の役割とは何か? 保護者では?
 私の危惧は、それぞれの「役割意識」がおろそかになってはいないか、ということです。
 「社会科好きの子どもを育てる」には、授業中、発言する機会のない、本当に興味もわかない子どもを放っておくのではなく、何らかの「役割」を与えていくべきだと私は考えています。
 「とぼけたことを言ってみんなを笑わせること」が役割だと割り切っている子どももいます。それはそれでいいのでしょう。
 「だまっておとなしくして(耐えて?)いれば無事に(?)授業が終わる」ような環境はつくるべきではありません。
 子どもにとっては、学習をして能力を高めることが社会の中で果たすべき役割である。
 その報酬は、自らの成長である。
 そういうことを堂々と言える環境を広げていきたいと考えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第98問】 
 昭和20年(1945年)の話です。
 砂糖の欠乏とともに、塩もなくなってしまい、政府はこの窮乏を乗り切るため、「自給製塩運動」を開始しました。塩をつくる方法のうち、敗戦間際の7月7日付「京都新聞」で紹介された塩の原料は?
 ① 動物の死体
 ② 人間の小便
 ③ 雑草

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 【第97問の解答
 ②の血液でした。全国の屠場で血液を集めて乾燥血液を作り、これをカゼインの代用として利用することが決定しましたが、実際には中止されました。

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こだわりの質が成否を分ける ふり返り366日【08/7/22】/第97問

 一年前の記事にあった「よきリーダーの卵たち」は、本物の「よきリーダーたち」に育ってくれました。

 民主主義の世界では、リーダーはメンバーの中から選出される仕組みをとります。

 強い牽引力がある人が、必ずリーダーに選ばれるとは限りません。

 大人の目から見て、この生徒はリーダーにふさわしい・・・と考えていた子どもが選ばれないこともしばしばです。

 子どもたちの中には、まだ本当の「リーダー」の意味が分かっておらず、大人が使う「リーダー」という言葉のイメージと乖離があるのかもしれませんが、「リーダー像」をつくっていく過程というのも大切なものです。

 多くの「他者」への「共感」がスムーズにできる人が、中学校レベルのリーダーとしてはふさわしいのかもしれません・・・・政治の世界でも「共感」は前提かもしれませんが、それが全面になると身動きが全く取れなくなります。

 操作主義は、人を動かそうとする側のこだわりが他者に気付かれてしまうと失敗します。
  
 「他者」のためである「こだわり」もあるものだということを感じ取れるまでの成長を期待したいという面もありますが。

08/7/22 操作主義からの脱却策としての「共感」  子どものリーダーや若い教師が陥りやすい失敗に、「操作主義」の「におい」をかぎつけられ、うまくいっている人と同じようにやっているのに、うまくいかないということがあります。  それは「同じよう」なはたらきかけはできても、決して「同じ」はたらきかけではない。  成功と失敗を分けるものは何なのでしょう。  相手を動かしたい、というより、「操りたい」という願望をもってしまうと、その「におい」が相手をかたくなにさせる原因になります。  どのようにしたら相手が自分の思うように動いてもらえるようになるのか、というのが、操作主義の発想です。  相手に自分の気持ちを理解してもらえれば、相手が自分に共感してくれれば、・・・と必死に願うのですが、どうしてもうまくいかない。  うまくいかないと、「どうして理解してくれないのだろう」となってしまいます(親が勉強しない子どもに「どうしていくら言っても聞いてくれないのだろう」と嘆くのも同じこと)。  こういうとき、教育の大原則、「子ども(相手)の立場になって常に考えること」を適用すると、先が見えてきます。  相手を自分に共感させようとしている人は、なかなか相手の共感が得られない。  ではどうするかというと、自分が相手に共感すればよいのです。  大事なのは、「共感を得よう」ではなく、「深く共感していこう」とする姿勢です。  そうすれば、「共感し合える場」が生まれ、うまくいくときが多くなります。  私は最近、よきリーダーの卵たちの成長の場面に立ち会うことができました。  まだ道のりは半ばですが、「共感してくれる人」との出会いが、「共感を得よう」から「相手に深く共感していこう」という姿勢への転換を促してくれたように思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第97問】 
 昭和19年(1944年)の話です。
 接着剤や塗料用の原料不足のため、その代用として木製飛行機に利用することが決まったものとは?
 ① 米
 ② 血液
 ③ 魚

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 【第96問の解答
 ③の「おしゃべり防止のため」でした。

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親による子どもの評価 ふり返り366日【08/7/21-3】/昭和19年に開かれたもの

 成績だけが気がかりの親にとって、以下のような質問は何の意味も感じられないものでしょう。

 「なぜあなたの子どもはこのような役割を任せられていると思いますか?
 「あなたの子どもはみんなからどういうことを期待されていると思いますか?
 「あなたの子どもがみんなの期待に応えるためには、子どもがどうしたらよいと思いますか?
 「あなたの子どもが学校でやりがいをたくさん感じられるようにするには、どうしたらいいと思いますか?

 こういう質問によどみなく回答できる親はどのくらいいるでしょうか?

08/7/21 人を動かすために使う「質問」  子どもに限らず人はだれでも、他人の考えに従って動くことには抵抗感を持つことがありますが、自分の考えに従って動くことはできます。  そこで「人を動かすために使う質問」の出番がやってきます。  自立心の強い人ほど、「命令された」と感じられてしまうような指示には従いません。  たとえば、「~しなさい」は命令ですから、自分がそれを行う気になるかならないかは何とも言えません。  しかし、「どうすればいいか?」と質問され、自分が「~したほうがいいと思う」と答えた場合は、「では、~してください」という指示には比較的素直に従っていくでしょう。  「~の仕事をあなたに任せます」という宣言では、自信のない人は動かないので、  「なぜ私があなたにこの仕事を任せたと思いますか?」  「みんなはあなたに何を期待していると思いますか?」  「あなたがみんなの期待に応えるためには、どうしたらよいと思いますか?」  「任された仕事をして、どんなことにやりがいを感じましたか?」  「やりがいをたくさん感じられるようにするには、どうしたらいいですか?」  このような「質問」には、子どもにプラス思考をさせて能力を引き出す効果があると考えられます。

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昭和19年(1944年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○政府、女学生の戦時基準服を制定。
○文部省、徴兵による教員不足に対処するため、軍人・官吏など無試験で国民学校・青年学校・中等学校の教員に採用。
○東京・有楽町に電気科学館が開館。
○タバコの包装紙が不足し、用紙節約のため、一部でバラ売り実施。
○文部省、学校における日曜日の授業を認める。
○東京・青山の都立千歳高女内に、わが国初の公立女子工業学校が開校。
○東京・本郷に日本女子鉄道学校が開校。
○東京都立九段中学校に、肢体不自由児を対象とした養護学級が開設。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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ふり返り366日【08/7/21-2】/昭和19年に禁止されたもの

 授業が何のためにあり、何を我慢しなければいけないのか、子どもはよくわかっています。
 
 しかし、「テストのため」「進学のため」「受験のため」と割り切っているのは子どもよりむしろ親なのかもしれません。点数や成績だけを評価材料としがちです(というか手元にはそれしか来ないので、無理もありません。ただ、そういう親が学校を責める口実をなくすために、教科所見のある通知表を導入したことがあるのは以前も述べました)。

 自腹を切って相談している教育産業の人の言うことを軽く扱えるわけもなく、ただただ振り回されるばかりの親を何人も見てきました。

 子どものことがよくわかっているようで、実は全くわかっていない。

 どこか遠くを見続けている人が重しになっている子どもがどれだけ多いことか。

 あるプロジェクトで、教育産業の方々に振り回されないですむ情報提供の在り方を検討材料にすることを提案します。こういうタイプの情報提供は、教育産業の内部でも繰り広げられているようで、その泥沼から引き上げられるような方法を検討したいところです。

 しかし、頼る相手を誤ることがどれだけの悲劇を生むとは・・・、教育現場にいないと実感できないことでしょうね。

08/7/21 教師をためして遊ぶ質問への反撃  子どもの遊び?の中に、教師にちょっと変わった質問をして、まじめに考えてくれるかどうかをためすというものがあります。  そこでふと、教師という職業の人間は、授業などでよく子どもに「発問」「質問」をしますが、本当に質問をするのが得意であると言えるのか?という問題が頭をよぎりました。  教師がしている「発問」「質問」の効果とは何か?  また、質問を受けたとき、それに答えることが得意であるのかどうか?  私は試験問題でときどき、まとまった文章を読ませて、「この文章はどのような問いに対して答えられたものと考えられるか。その問いを書け。」と聞く問題を出します。  論述問題はどうしても難易度が上がりがちですが、この問題もけっこうハードルが高く、ツボをしっかりおさえた「明確な問い」はすべての生徒が書けるわけではありません。  しかし、問うことから学びは始まる、という原則を重視するためには、欠かせない出題となります。  最初の話に戻りますが、「茶」という漢字以外で、「チャ」という読みの漢字はあるか?というのが生徒の質問でした。  ちょっとひねって「キカイ」の「キ」の字と答えましたが、これは生徒の頭を悩ませる反撃材料になったようです。

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昭和19年に廃止・中止・禁止・制限されたもの。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 ○軍需省、東北地方北部を除く本州全域に5段階、最高40%の電力制限を実施。
 ○スイカ、メロンなどの作付けが禁止。
 ○鉄道省・東京都庁・金融機関などが日曜休日を廃止。各官庁は第1・第3日曜日勤務に。
 ○3月4日で宝塚歌劇団が休演に。最終公演にファンが殺到。警官隊が抜刀して整理に当たる。
 ○警視庁、東京都内の高級料理店などを閉鎖。その結果、転廃職した芸妓・女給らは18000人。
 ○東京都内の食肉店の44%が整理のため廃業に。
 ○スパイ防止のため、東京湾での釣りが全面禁止に。
 ○アメリカ型楽器編成の楽団禁止。
 ○2000社近くあった大小出版社が180社に統廃合される。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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教師は自分の「苦手分野」をどう説明するか ふり返り366日【08/7/21】/昭和19年の流行

 質問に対して、正しい答えが返ってくるかどうかは、相手の能力だけでなく意図もかかわってくるので、予測も判断も難しい場合があります。

 大学で野球をしていたときに、親しくなった相手校のピッチャーから「苦手なコースはどこですか?」と聞かれて、迷わず「インコースの低め」と答えたら、それ以降、ほとんどインコースに投げてこなくなったのは、相手が答えの意図をしっかり把握した証拠でしょう。

 よく、「行政に質問をしてはいけない」と言われます。

 それは、質問をしてしまったら行政は答えなければならないのと、答えてしまった以上はみんなそれに従うのが原則になってしまうという問題が起こるからです。

 さて、子どもがもし、歴史を教えている教師に、「先生が最も苦手としている時代は何時代ですか?」と聞いてきたら、教師はどのように対応すべきなのでしょうか?

 かつて、「先生が一番好きなのは何時代ですか?」と聞かれたときは、聞いてきた子どもの答えを先に聞かせてもらって、「ああ、同じだ」と言ってコミュニケーションがとれるようにしましたが、おそらく「一番苦手なのは?」といきなり面と向かって言われてしまうと、ドキリとしてしまう教師が多いことでしょう。

 子どもは、教師の「教育力」よりも「学習力」を問題にしているわけです。

 教育のプロである前に、学習のプロであろうとしたら、「苦手」がどういうメカニズムで生じてくるのかを分からせてあげるチャンスになるかもしれません。

08/7/21 「するどい質問」ができる子どもの育成  教育の世界では、子どもたちが教師に対し、その教育のあり方の本質を問うような(ある人から見れば非常に「攻撃」的な)投げかけを行うことができます。  教え方に課題があり、「授業がわかりにくい」「つまらない」という共通認識をもたれ、教育相談的なはたらきもできず、部活動を行っている生徒より早く帰宅してしまう教師が、子どもから  「なぜ教師になったのですか」 と問われることは相当きついものです。  異動が頻繁で、1校に2~3年しかいない教師が多い学校で、赴任したての教師が子どもから  「先生は何年この学校にいてくれるのですか」 と問われたら、どう答えたらいいのか。  その問いへの答えとして必要な教師にとっての問いは、  「この学校の子どもたちに必要な教育とは何か」  「この学校の子どもたちにとって必要なのはどのような教師か」 というもので、これらの問いへの用意がなければ、「言葉につまる」というよく授業中に生徒が陥る状態に教師もなってしまうおそれがあります。  今までの教育界では、そのような質問はタブーであったところがありました。  もちろん本質とは異なる、まじめに答える必要のない質問もたくさんあるでしょう。  「先生はどこの大学を卒業したのですか」  「中学校のときの成績はどのくらいだったのですか」  このような場合は、逆に教師が質問することで、質問の意図を確かめさせ、新しいコミュニケーションを探るきっかけにするべきです。  「するどい質問」ができる子どもの育成、それに答えられる教師としての修養に励んでいきたいと思います。

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昭和19年(1944年)のブーム・流行・流行語
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○ラバウルの兵隊の間にコックリさんが大流行。
○建物の強制疎開が始まり、取り壊された浴場などからきれいなタイルを拾ってきてオハジキや石けりに使う、タイル遊びが流行。
○大日本理容協会、1億総丸刈りを推進。
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子どもが接する質問の数 ふり返り366日【08/7/20】/第96問

 子どもたちは、一日にどのくらいの数の質問をされ、そのうち何%の質問に答えているのでしょうか。

 そのうち実態調査をしてみたい内容です。

 以前にも書いたことですが、私はかつて授業でいくつの質問が出されたか、各自に記録を取らせる取り組みをしたことがありました。きちんと答えられそうな質問、ややあいまいになりそうな質問、答えられない質問など、記号もつけさせました。

 この結果を見ておもしろかったのは、子どもによって、「質問の数」がかなり異なっていたことです。

 子どもにとって、質問されていたはずの内容が、質問として処理されなかった理由にも興味がありますが、「質問を質問として捉える能力」自体に大きな差があることが分かりました。

 それはそれとして、質問(問題)に対する回答(解答)を、ある特定の子どもにさせるだけだと、他の子どもは分かっていたのかどうかを判断できなくなります。ですから、ノートに書かせたり、先ほどの記録では、自分も答えられた質問にはそれが分かる記号をつけてもらったりしました。

 学校生活の中でのこういう「質問」は、教師だけからされるとは限りません。

 「昨日は何を食べた?」から、「昨日のドラマに出演していた俳優が好みかどうか?」などまで、ありとあらゆる質問が想定できますが、家庭などではどうでしょう。

 「勉強した?」という質問もカウントすることにすると・・・。

 子どもの教育には、「質の高い質問」というのが貴重なものであるということが、分かるといいのですが・・・。

08/7/20 「質問」は学校教育を変えられるか?  「わからないことがあったら質問しなさい」と教師は子どもに指示することがあります。  子どもの中には、「質問」とは、「わからないことを聞く」ために行うものだという固定観念にとらわれてしまう人がいるかもしれません。  しかし、「質問」 によって達成がのぞめることは、他にもたくさんあることを子どもたちにはわかってほしいと思います。  谷原誠(弁護士)著『するどい「質問力』(三笠書房)では、「質問」がねらうことのできる効果として、  「問題を発見、解決する」  「説得する」  「相手の考えを誘発する」  「決断を迫る」  「コミュニケーションを円滑にする」  「議論に強くなる」  「自分の主張を明解にアピールする」ことを挙げています。  授業の「発問」も含め、「質問」のはたらきをしっかり見極め、相手やタイミング、そのときの状況をふまえて実践していける教師、子どもの「質問力」を養成できる教師になりたいと思っています。

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昭和の家庭史トリビア?【第96問】 
 昭和19年(1944年)の話です。
 東京・蒲田の工場では、女子勤労動員工の全員にマスクの着用を義務づけました。その目的は?
 ① 感染症の予防のため。
 ② できるだけ顔を隠すため。
 ③ おしゃべり防止のため。

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 【第95問の解答
 ①の4ページでした。週2回は2ページだけとなったそうです。

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「べき」論VS「べからず」論 ふり返り366日【08/7/18】/第95問

 なぜ「べき」論がダメで、「べからず」論が大切なのか、岡潔の言葉を読むと理解することができるかもしれません。

 もちろん、「べき」論がよくないというわけではなく、「べからず」が分かっていないのに「べき」ばかり考えようとしてもダメということと、「べき」論を考えるためには、土台となる資質や能力と広い視野が必要だということです。

 「べき」論から脱却する教育というのは・・・それも、学習指導要領の枠組みからはずれないで脱却することは可能でしょうか。

 「実態・発達段階・特性を考慮して~適切な教育課程を編成」という究極の文言を読み落とさずにいれば、かつ、だれに対しても納得させられる説明が可能なら・・・・。

08/7/18 「よいこと」を具体的に示す問題点  「よいこと」「長所」とは何か。  これを分析的に考えるようになったのはいつ頃からでしょうか。  観点別学習状況の評価は今でも混乱が続いていますが、この問題については「終わり」の「始まり」の時期なので、しばらく様子を見ようと思います。  岡潔の言葉に、以下のようなものがあります。
 いいことをしましょうといったってできはしません。悪いことするなです。悪いことするのと、よいことするのとでは、ずいぶん開きがあります。悪いことの反対が、よいことだと観念的に考える。たとえば親孝行ですが、ひどい親不孝というのがすぐわかる。そしてそれは見分けがつきますし、それをしないということはできる。が、本当に親孝行しようと思ったら、親の心も知っていなければならないし、行為した結果が畢竟どうなるか、横に全体を見、縦に長い時間を見てでなければ本当に親孝行できないでしょう。そんなこと子供にできるものですか。
 「よいこと」を具体的に示せば、示してもらったことに従属してしまうこと、示されたとおりに動いたことによる評価を求める心理、そのような余計な付属物が生まれてしまって、本質的に「よいこと」ができにくくなる、そういう発想の方は、特に教育界には多いようです。  道徳の授業に力が入らなかったり、「子どものために」という掛け声だけになってしまったりという教師が多いのもそのためでしょうか。  道徳が教科化されようとしたとき、評価の問題、たとえば具体的な評価基準というのができるのか、という問題が真剣に論議されたようです。  コンピテンシー理論はそこに真っ正面から取り組んでいるものですが、価値観の違いというものにどのような折り合いをつけていくのか。そこが実践上の課題であるわけです。  (人事考課制度では、その「折り合いをつける過程」が面接等で用意されています。)  「具体的な指示をしてくれる先生と、しれくれない先生、どちらがいい先生でしょうか」  道徳もそうですが、このような一つの問いがあったとき、その問いへの答えは決して一つとは限りません。  これこれこういうケースでは、具体的な指示が必要。でも、たとえば行動のきまりが配られていて、それを見れば何時に何をするかがわかるのに、いちいち先生に聞いてくる生徒に対して、「すぐに教えてしまう先生の姿勢はどうかな?」という問いも考えられます。  世の中で起こりうる様々な環境、状況を想定し、それぞれのケースに応じた「正しい判断」ができるようにすること、これもいわゆる「生きる力」の一つなのでしょうが、学校ではそういう資質を育てることが可能です。  実際に教育されているかどうか。  子どもが判断して行動すればよいところに、教師が首をつっこんでいないか。  いちろうさんが指摘されたような、教師の「過保護」「過干渉」的な指導は行われていないか。  これを問うてみる価値は高いと思われます。

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昭和の家庭史トリビア?【第95問】 
 昭和19年(1944年)の話です。
 新聞の夕刊は休止され、朝刊のページ数も減りました。何ページになったでしょうか。
 ① 4ページ
 ② 8ページ
 ③ 12ページ

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 【第94問の解答
 ③の中国でした。ソ連に戦争講話を斡旋してもらうために、ソ連高官夫人に送るのではないかという憶測が流れたようですが、実際には中国向けでした。タングステンや銅などの戦略物資を買い付けるのに、すでに日本の貨幣の信用が失われていたため、見返り品として売られたようです。香水には、金額が張り、サイズが小さく、輸送が簡単、という長所がありました。

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特別な「特別活動」 ふり返り366日【08/7/17】/第93問

 ほとんどの中学校3年生にとって、今の時期は「受験生」としての「大事な時期」だと思われていることと思います(実際には、受験生として大事な時期は、1・2年生だった・・・などといういじわるなことを言う教師は少数派でしょうね)。

 中学校3年生にとっての10・11・12月は、模擬試験のシーズン・・・ではなくて、中学校生活を総括する時期です。その「総括」の質が、その後の人生の質を左右する・・・なんて大げさなことが真実なら、すべての学校を「中高一貫校」にするくらいの勢いがほしいところですが・・・。

 入試の面接でも、ちょっとレベルは高い質問ですが、「中学校生活の一番印象に残っていることは何ですか」「何を中学校生活の中から学びましたか」「今後の人生を左右するような経験をしましたか」・・・という形で、「総括」の質を問われることが考えられます。

 そういう質問の答えは、学習や生活の質によるわけです。

 多くの中学生にとって、最も印象に残っているものとは、部活動の大会とか、大きな行事でしょう。

 「特別活動」(部活動はこのカテゴリーに入れられませんが、実質的な「特別活動」です)というネーミングを、一日も早くなくすことが、「生活の質」の改善に役立つかもしれません。

 これを思い切って「自治活動」にしてしまえば、生徒会活動、文化的行事・・・あらゆるものの活動の「質」が変わっていくでしょう。

 今まで「特別」でない「特別活動」を経験してきた生徒にとっての、「特別な特別活動」というのを体験させてみたいものです。

08/7/17 「行事」から考える学校教育  記事が500を超えたころから、これらをきちんと整理する必要があると感じながらも、そこまでする時間が確保できないので、私がこだわっていることに関連する記事をブログ内検索で一覧にするといった単純な形でまとめをしてみたいと思います。  教師の組織的な動き、子どもの成長が手に取るようにわかる活動として、「学校行事」の運営があります。  「行事」という語句が含まれる記事を下に列挙いたしました。

 「行事」と私の経歴を教員採用時からふり返ると、
1 最初の赴任校
 とにかく行事に力が入る学校としてはトップレベルの環境でした。生徒の動きもそうですが、教師の組織的な動きに多くのことを学ばせられました。
 「教師が動くから生徒が動く」典型的な教育がそこにはありました。
 ストレートな「指導」で、厳しい面を指摘される方もいらっしゃいましたが、子どもたちの成長が教師のやりがいの糧になっていました。
2 二校目
 「教師が動かないから子どもも動かない」典型的な学校でした。
 1校目のノウハウを1年目から次々に導入しましたが、中でも学習活動をからめた「行事」(学習コンテストなど)によって学校が立て直せることがわかりました。
3 教育委員会
 多くの学校の行事を見学することができました。と同時に、そのときの教師の動きにも関心が及ぶようになりました。
4 現任校
 行事のほとんどは生徒の手によって運営されます。
 「生徒が教師を動かす」ことは、外部から見学される先生方から見るとカルチャーショックを受けるかもしれません。
 教師の手の入れ具合が難しく、「教師を頼る」意識を低く保つことが成功の秘訣なのですが、実際には、どのようなタイプの生徒が運営に加わったかに左右されます。
 教師の目から見た完成度は最初に赴任した学校を下回りますが、生徒の達成感、充実感ははるかに上です。
 失敗してもそこから多くを学び、また、実は失敗したかに見えたある時期の行事が、大きな成功の種をまいていたことに後の行事運営の中で気付かされることがあります
 行事が終わると直後にその反省を行いますが、3ヶ月前、1年前の行事で学んでいたことがあったことに後で気付けるように、ここは教師からの指導言、評価言が必要になります。
 短期的には「失敗」でも、長い目で見ればすべて「成功」の源になっているかもしれません。
 これを教師の無為無策の言い訳に使われないよう注意しながら、やはり短期・中期・長期のふり返りをきちんとしておくことは大事だと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第93問】 
 昭和19年(1944年)の話です。
 政府や都による疎開の呼びかけによって、東京旧市内の土地・建物の価格が下落。逆に、船橋・大宮・浦和など近郊では値上がりしました。10年前に建てられた1000円程度の家は、どのくらいになったでしょうか。
 ① 2000~3000円(2~3倍)
 ② 5000~6000円(5~6倍)
 ③ 1万~2万円(10~20倍)

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 【第92問の解答
 ②の10000戸でした。

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信頼されない公教育が問題化しない原因 ふり返り366日【08/7/15】/第92問

 教師ものドラマの害悪はあちこちで書かれていますが、「語るのは教師」という図式が「教育」らしくて「教育」らしくない、その典型であると思われます。

 「使命感にあふれる教師」「情熱でいっぱいの教師」など、「描きたい教師」がそういうタイプなのだから仕方がないと言えばそれまでですが、問題は「育った子ども像」がきちんと描かれないこと、「まじめな子ども」が主役になれないということです。

 芸能界ではどのような人が大事にされるのか、犯罪にかかわる報道をよく眺めてみれば、素人でもよく分かります。「そういう人たち」によって支えられる世界が現実としてあり、そこに新しい「人材」がどんどん供給されるシステムができあがっているあたりは、ある意味では「教育しない」ことの大きな成果になっています。

 教育とは別の「大人になる」システム・・・それは学校教育と塾産業とを別々に考えてみてもよく分かることですが・・・があまりにしっかりしていることが、公教育が「信頼されなくても問題にならない」ことの一番大きな原因なのかもしれません。

 現場では、「人は学校だけで学ぶのではない」という当たり前のことを言いながら、堂々と手を抜く姿も見受けられます。こういう教師からも、子どもは多くのことを「学んで」社会に出ていくのです。

08/7/15 ものの良さがわかるようにする指導  数学者の岡潔の言葉のエッセンスが「情緒と日本人」(PHP研究所)にまとめられています。  次の言葉の意味を、教師としてはどのようにとらえるべきでしょうか。
 ものの良さがわかるということは明治以来だんだんむずかしくなってきている。現代は他人の短所はわかっても長所はなかなかわからない、そんな風潮が支配している時代なのだから、学問の良さ、芸術の良さもなかなかわからない。しかし、そこを骨を折ってやってもらわねば、心の芽のいきいきとした子は決して育たない。教育というのは、ものの良さが本当にわかるようにするのが第一義ではなかろうか。
 教職課程の実践演習で、「この指導案の問題点を挙げよ」という課題を出すと、多くの大学生がかなりの問題点に気付く、ということは以前にふれました。  では、どのようにしたら、よい指導案となるか。  題材の指導案の延長線上では、問題点が隠れるような修正の仕方は可能なのですが、それだけでは「悪くない指導案」にはなっても、「よい指導案」とはならない。  問題点がない指導案を次の題材とすると、「よい指導案」の条件には気付けるのですが、では自分で素材を選んでつくってみなさいというと、ほとんどできない。  どうしても問題の解決には「問題の除去」が前提で、その次に「正しい指導」「望ましい指導」を想定してしまいます。  それを飛び越えた「よい指導」というのはあるのでしょうか。できるのでしょうか。  もし教師を指導する立場になったら、一貫して持っているべき姿勢は、常に授業を公開して参観してもらえるような条件を整えておくということだと考えています。  「よい授業」でなくても「よい指導」になると言ってしまったら責任回避のように聞こえてしまいますが、「よい授業はどのようにしたらできるようになるか」の答えは、実際の授業の中にたくさんあり、その「よさ」に自ら気付いていく力をつけていってもらうことが結果として「よい指導」になるのではないでしょうか。  引用した岡潔の「ものの良さがわかる」とは脱線してしまっていますが、教師は常に「よい授業」を心がけていくべきだというメッセージを、私はこの言葉から最初に受け取った気がします。

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昭和の家庭史トリビア?【第92問】 
 昭和19年(1944年)の話です。
 東京と名古屋に、新防空法による初の疎開命令が出されました。これは、空襲に備えて建物を強制的に取り壊し、空き地を広げようとするものでした。東京の取り壊し戸数は不明ですが、名古屋の記録は残っています。強制撤去させられたのは何戸あったでしょうか。
 ① 1000戸
 ② 10000戸
 ③ 100000戸

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 【第91問の解答
 ①の「時局捨身動物」でした。位牌には,「殉難猛獣霊位」と記されました。

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悪平等VS個人の尊厳 ふり返り366日【08/7/14】/第91問

 「問題はないことにする」のがベスト、というのは、役所に限らず、民間でも見られる体質だと思われます。

 ただ、「知られたら致命的」なのがこの種の「問題」の怖い面であって、「絶対にばれない」という自信をもった上司がいると、たちが悪いのです。

 ある人に認められたことが、別の人には認められない・・・・。

 「法の下の平等」を示すまでもなく、許されないことです。

 ただ、中央集権の困るところは、こういう不平等の問題があると、中央の責任を追及させようとするムードが高まることで、そうすれば余計に望まない中央集権が強化されてしまうわけです。

 「上司としての監督責任」ももちろん大事ですが、「現場の判断」で「これはあり」とせざるを得ない状況があったときに、中央に内緒で特別な処置をしてしまう・・・なんてことはあり得るでしょう。

 それをいちいち「中央に問い合わせてみませんと」と言っていたら、待っている方はしびれがきれてしまいます。

 たいてい、中央の判断はワンパターンです。

 「聞いてしまえばアウト」です。

 みんなが得する方法より、みんなが損する方法を選びます。

 「こうしか言えないでしょう」と言い訳するということは、「本当はこれは正しくない」と思っている証拠です。

 平等を原則に悪い判断を全体に押しつけようとする流れほど、みんなば損するシステムはありません。

 敗戦間近のころの日本が見えてきてしまいます。

 行政には、「平等」にとらわれすぎて、「個人の尊厳」がないがしろにされている部分がないか、よくチェックしてほしいと思います。
 

08/7/14
ありがた迷惑な問題解決
 「ありがた迷惑」なことをやってしまった経験が何回かあります。
 それは、いろいろな問題を指摘する(愚痴る、糾弾する、などさまざまな表現が可能なケースがあります)方がいるのでそれを聞かせてもらった後、本人はそれを解決、改善してほしいのだなと勝手に思ってしまい、こちらが行動に出て、問題を解決してしまった後、あまりその方がうれしそうな顔をしてくれないケース。
 本人に断らないでやってしまうのがよくなかったのかもしれませんが、他にも、改善策を提示してしまって、じゃあ、これで行きましょう、と話が進んだ直後、「待って下さい」と止められてしまうケース。
 どちらも決して少なくないケースでした。
 経験を重ねた後でわかったことは、本人は、不平・不満を述べていることに満足を感じている(?)だけであって、問題がなくなってしまうとその方法によって満足できるきっかけがなくなるために不機嫌になるパターン。
 人の悪口を言うのが好きな生徒や教師というのはけっこう多いのですが、「あなたの方が間違っている」と言えるケースは少なく、悪口というか非難に筋が通っていて、すぐに改善へ動き出した方がよい、と判断できるのに、悪口を言っている本人にはあまり悪口の対象を改善させようとする意欲がない
 こういうのは、保護者や管理職、政の仕事への批判、非難をよくするタイプの教師に多いのです。
 「なぜ直接言わないのか?なぜ他の教師に他人の批判や非難を聞かせるのか?」と思ってしまうのですが、本人は言っても無駄だとわかっているのか、あえてそのように批判や非難を続けられるような環境を維持したいのか、・・・後者の人が多いことは、教育の世界に入ってから気付かされたことです。
 さすがに教師対教師では、同じ職場内での和を重視すれば言いにくいのでしょうが、生徒などはどの先生がどの先生の悪口を言っているという情報とか雰囲気を敏感にキャッチして、いろいろなウワサとして流しているものです。
 身近な問題からどんどん解決していく姿勢。これを一般の方が聞くと「角が立つことばかり・・・」と思われるかもしれませんが、いじめ発生の背景になり得る生徒間のいざこざも、教師と管理職の対立も、みんな同じに見えてしまう私には簡単には止められません。

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昭和の家庭史トリビア?【第91問】 
 昭和18年(1943年)の話です。
 空襲に備え,猛獣を処分せよとの指令が東京都から上野動物園に下され,ゾウやクマ,ライオン,ヒョウ,トラなどが殺されていきました。これらの動物の墓標には,何と刻まれたのでしょうか。
 ① 時局捨身動物 
 ② 時局挺身動物
 ③ 時局天昇動物

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 【第90問の解答
 ③の立川駅でした。武蔵野を散策し,府立農業試験場を見学しながら,未来の夫・妻を選択する会だったようです。

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缶詰VS生もの ふり返り366日【08/7/13】/昭和18年のスタート

 教師には、その専門性に起因する「持ち味」というものがあるはずです。

 しかし、それでも「専門家なの・・・?」とがっかりせざるを得ない場面にも出会ってしまいます。

 今、よく問われているのは、「教師は学ぶ専門家ではないのではないか?」という疑問です。

 ある有名人が母校の授業をふり返って、その良さについて、以下のような趣旨のことを語っています。
 
 教師たちは、今、研究していることをストレートに私たち教師にぶつけていた。その反応を楽しんでいるように見えた。私たちにあったのは、教師を喜ばせようとする感覚よりも、自分たちにはこれだけの発想がある、こういうことを考えつく力があるという、プライドを見せつけようとする欲求であった。

 教師たちは、「生もの」=鮮度の高い知的な材料を授業ではふんだんに用意していたわけです。

 そういう観点で、自分の仕事を見返してみると・・・・?

08/7/13 教師の「持ち味」とは何か?  教師には、一人一人違った「持ち味」があります。  そして、教育の現場は、それが必要とされている場所です。  この「持ち味」という言葉を他の業界ではどのように使っているか調べてみたところ、Google検察のトップにあったのは、日本銀行の「新規採用情報」の「先輩行員に聞きました」というアンケート結果を公開したものでした。  「持ち味」に括弧づきで「ウリ」という言葉が並んでいましたから、これが「自己認識としての長所」という性格のものではありますがコンピテンシーの一種であることがわかります。  キーワードを拾ってみると、  ・困難な問題に直面しても、あきらめずに解決するために継続的に努力することができる  ・失敗から学び、次に活かすことができる  ・几帳面  ・飛躍のない議論をすることができる  ・“明るさ”と“責任感の強さ”  ・とにかくポジティブであまり落ち込まない  ・リーダー的な役割を任せられる  ・どこでも自分の空気は持っている  ・誰とでもすぐに親しくなることができる  ・色々なことに好奇心を持ち、チャレンジできる  ・未知の分野があると、飛び込んでいくバイタリティーがある  ・温厚な性格であり、協調性がある  ・全てに対して“はっきり”とした性格である  ・柔軟な思考力  ・笑顔    一人が全部をもっている必要はありませんが、職場がこのような持ち味をもっている人であふれていれば、とても活気に満ちた仕事ができるのではないかと思います。  持ち味は人に教えられるか。  自分になく、人がもっている持ち味を、自分が学びとることができるか。   そのような疑問がわいてきますが、少なくとも、そういう持ち味には価値があるということ、そういう持ち味を生かした仕事に価値があるということは、子どもたちにも気付かせたいと思います。もし気付いていない教師がいたとしたら、気付いてもらいたいと思います。  また、そのような持ち味をもった大人になってほしいという願いを子どもに抱ける教師、できたらそんな持ち味を習得させられるような教育ができる教師が増えていってほしいと思います。  日本銀行の新規採用情報のページには、続けて「これだけは譲れないもの(ポリシー)」が紹介されています。  ・自分で納得できるまではあきらめないという頑固さ  ・多様な意見を尊重し、自分の中に取り入れる姿勢をもつ  ・自分の成長を頭のどこかで常に意識する  ・Pressureをpleasureに!  ・納得いくまでやり続ける「しぶとさ」  ・柔軟かつ新鮮でありたい  ・日本だけの狭い価値観に縛られない  ・自分にしかできない事(役割)を必ず見つける  ・「オンリーワン」になる  ・自分に恥ずかしいことは絶対にしない  ・小さな事で、くよくよしない  ・オンとオフの明確な切り替え。やる時はやる! 遊ぶ時は遊ぶ!  日本銀行はその業務の特性上、特殊な能力が必要かなと思ったりもしますが、それほど特別ではないですね。  ただ、「つねに利用者の立場で考える」とかいう視点はこだわりの中にはないのでしょうか。  教師にとって絶対に譲れないポリシーとは?  私が示したのは、「子どもの立場で常に考える」で、もしこれに補足するとすれば、「~という価値に気付き、その価値観のもとでより価値のある行動ができる人間になってほしいという強い願いをもって」というのを前につけたいと思います。

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昭和18年(1943年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○女子のバス運転手,東京に登場。
○西日本鉄道が大洋球団を買収し,西鉄が誕生。
○東京・洗足高女,全国に先駆け学校内に工場を設置。
○日本初の集団見合いが6月に行われる。
○初の国定中等教科書が誕生。
○東京都から上野動物園へ,空襲に備えて猛獣を処分せよとの指令が下る。インドゾウの「ジョン」が絶食処分で餓死殺に。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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居心地の良い学校 ふり返り366日【08/7/12】/昭和18年の改称

 学校における教育関係の雑誌購入を「税金の無駄遣い」と見るか、「出版社の延命措置」と見るか、「学校の信頼回復のために欠かせない資源」と見るか、・・・それは人によって違いがあるでしょう。

 少なくとも、「1回も読んだことがない」教員が多ければ多いほど、最初の二つに当てはまる所業ということになります。
 
 教師たちは、何かにつけて「時間がない」「時間がない」と連呼します(人によっては「カネがない」とも)が、それが本当かどうかは、1年間の教育実習が行われるようになれば、その実態が暴かれるようになるでしょう。そもそも、本当に時間がないのなら、教育実習生の指導なんてとてもとてもできたものではありません。

 「どうしたら公立学校は信頼されるようになるのか

 ということがよく話題になりますが、一部の人たちは、「無条件で学校や教師を信頼するシステムをつくればいい」などと寝ぼけたことを言い、ごく一部の人たちは「今でも十分に信頼されている」と胸をはって豪語し、かげで笑われています。

 常識と非常識が逆転しているのが当たり前と思われている学校現場では、まず「実態」をしっかりを見据えることが大切です。

 「これは普通のことなのか、どうか。」
 「これはいい授業と言えるのか、どうか。」
 「この生徒たちに必要最低限のことは教えたと言えるのか、どうか。」
 「整理整頓という言葉は、だれのためにあるのか。」

 「信頼される学校とは何か」・・・この共通認識を教師集団が持てているか、どうか。・・・これが、「関係性」によって問えない場であるというのが、学校現場の最大の特徴と言えるのかもしれません。

 そもそも、教師たちは、「信頼される学校」という言葉を投げつけてくる人間(行政など)に敵意をもってしまう存在なのです。そこが分からない行政が仕事をすると、たいてい関係は悪化の一途をたどります。

 学校は、最も信頼されていないときが、最も居心地が良い・・・そんな声も聞こえてきそうです。

08/7/12 信頼回復に必要な議論  よたよたあひるさんが、教育に関する議論の話題を続けて提供していただいています。  記事に私がコメントさせていただいた内容を掲載します。   
学校現場での教師と生徒の関係は、「関係性への依存が大」で「論理的には強かったり弱かったりする」のが特徴でしょうか。ですからうまくまわるときはWin-Winの関係になり、保護者も含めていったんこじれると泥沼になりやすい。ですからリスクコントロールのために教員はチームを組んで動くべきなのです。  マスコミ報道では、現場の問題を管理職や教育委員会が謝罪するというパターンしか見えないので、現場のチームワークがなかなか見えてこない。  教育ブログでも見えにくい(これは守秘義務との関連もありますが)。  一方のネットの世界では、精神的なダメージを除けば実害はなく、とても自由な世界だと思う反面、教師が書き手の場合はその言葉によって信用の喪失という問題が生じてきます。  私のように「きれいごとばかり」と言われて批判される者もいれば、今回のS先生のような場合もある。  兎角この世は・・・のとおりです。  教師間の議論の場というのは、これまであまりオープンにされませんでしたが、保護者や教育関係者の目から、さまざまな指導観にふれられる機会というのは貴重なものであり、そして互いに批判し合うこと、議論すること自体が、子どもからの信頼回復、そしてもしかしたら尊敬の念を生むきっかけになるかもしれませんね。

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昭和18年に廃止・中止・禁止・変更されたもの。
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 ○衣料切符点数が都市部で75点に引き下げられる。
 ○滋賀県が,教科書を公有として貸与する制度をつくる。
 ○NHK,「ニュース」を「報道」と改称。
 ○ビールが配給制になり,銘柄・商標を廃止して「麦酒」に統一される。
 ○リンゴ園の耕作転換令が出される。
 ○燃料不足のため,神奈川県浴場組合は男女とも洗髪を禁止し,使えるお湯は7杯まで,入浴時間は30分以内とし,厳重に守らせた。
 ○文部省,諸学校の夏休みを廃止し,学内皆訓練と決定。
 ○東京6大学野球が廃止となる。
 ○東京都内唯一のゴルフ場,駒沢ゴルフ場が閉鎖。防空用地と農場になる。
 ○作付統制令が強化され,エダマメ・ミツバ・食用ユリの栽培が禁止される。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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「政」と「官」の距離 ふり返り366日【08/7/11-2】/昭和18年の流行

 「脱官僚」ではなく「脱官僚依存」というスローガンでは、何も変わらないだろうな・・・と思われる方は多いのでは?

 ドラマになりにくい「」の話を半フィクション仕立てで小説にしている人もいますが、あまりおもしろくない・・・「」の世界はそれを経験した人でないとなかなか理解しにくい部分があります。

 基本的にお金を自分のためでなく、「市民」のために使っているのが普通なので、「市民のために頑張っている」という自覚をもちやすい公務員ですが、どのような「市民」のためか?と踏み込まれると、結局分からなくなる・・・というか、「一部の奉仕者」になってしまっていることになかなか気付けないでいる・・・・そういう特徴があります。

 この、「市民」なのか「利益団体」なのか、「一部」なのか「大部分」なのか「全部」なのか、それが見えにくい世の中では、一番「食い物」にされやすい性質があります。

 問題は、その「程度」が「」とどのくらい離れているのか?というところでしょうか。

 「」の存在意義は、その「距離」との関係で説明がつきそうな気もするのですが、「」にコントロールされるようになってしまうと・・・・。

 中学生なら、「三権分立」の考え方をここにどのようにあてはめてみるでしょうか?

 「」と「」の関係については、首相官邸のHPに平成14年の「閣僚懇談会申し合わせ」としての見解が公開されています。「基本認識」を引用すると、以下の通りです。

〔1〕 「政」は、行政が公正かつ中立的に行われるよう国民を代表する立法権者として監視責任を果たし、また、国務大臣、副大臣、大臣政務官として行政を担う。「官」は、国民全体の奉仕者として中立性、専門性を踏まえて法令に基づき、主に政策の実施、個別の行政執行にあたる。
〔2〕 政策の決定は、「政」が責任をもって行い、「官」は、職務遂行上把握した国民のニーズを踏まえ、「政」に対し、政策の基礎データや情報の提供、複数の選択肢の提示等、政策の立案・決定を補佐する。
〔3〕 「政」と「官」は、役割分担の関係。それぞれの役割分担に基づき一体として国家国民のために職務を遂行する。
〔4〕 「政」と「官」は、それぞれが担っている役割を尊重し、信頼を基本とする関係の構築に常に努める必要がある。

08/7/11 教員採用にもみえた私共空間  大分県の教員採用の問題は、すでに新聞や多くの方々が指摘されているように、日本独特の「私共(わたくしども)空間」ならではの慣習ですから、「やっぱりそうだったのか」という印象の方が多いのでしょう。  笑えないのは、教師がよく批判するタイプの親が、実は校長先生自身だったりした、ということでしょうか。  地方議会議員の役割は、公共空間ではなく私共空間からの票への奉仕に重点があるようで、一方の行政マンも市民の代表者には頭が上がりませんから、罪の意識がかき消されてしまい、言いなりになってしまうのでしょう。  東京都のように、他府県からの受験者が多く、かつ倍率が非常に低いところと、地方のように倍率が10倍を超えていて不正があるところでは、どちらが教師の質が高いのかとふと思ったりもしますが、教師の力量は1校目で受けた教育と行ってきた実践によってその後が大きく左右されるといいますから、どの新任教師にも成長を期待したいと思います。  いずれにせよ、ここまで信頼できない私共空間というのも珍しい。  我々は、あくまでも「安心社会」であることを貫きたいのでしょうか。自問したいところです。

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昭和18年(1943年)のブーム・流行・流行語
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○全国で貸本屋が目覚しい復活。いずれも古本屋が兼ねていた。
○破れた唐傘や洋傘で落下傘遊びが流行。
○空き地利用の路傍菜園,校庭農園が本格化。
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未来の「校長」のかたち ふり返り366日【08/7/11】/第90問 集団見合い

 私がよく知っている公立中学校は、かなりの年数、力量のある教師が異動していません

 これはある意味、先導的な「教育改革」「人事改革」です。

 「○年たてば機械的に異動」というルールは、もちろん必要なものでしょうが、「すべての教員に適用する」のは誤りでしょう。

 組織を支えてきたという自負をもてる教師は、学校を異動するとき、非常につらい思いをしてきたに違いありません。出ていく教師も、残る教師も、まるで「新たな戦地に向かう」「戦友を送る」ような気持ちで別れのときを迎えていたのでしょう。

 企業社会でも、よい業績を残した人材が、低迷した支店に出向いて活躍するというシナリオがあるのでしょうが、学校社会と企業社会の違いは、そういう人材が「本社」に帰って昇進する、という仕組みが学校社会にはあまりなくて、常に困難校を立て直して回るという「苦労人」が多いのが学校です。

 そういう「苦労人」が、多くの学校で人材を育成してくれていればいいのですが、少子化で学校が小規模化してしまっている日本では、同僚が少なく、育成の幅がかなり限られてしまっています。

 「若い教師が育たない」原因の一つが、「育てられた経験に乏しい教師」が増えてしまっていることにあります。

 異動の効用を述べたことがある立場で別の側面をここでは書いていますが、「優秀な教師は他に出さない」(もちろん本人が出ることを希望すれば別の話ですが)という選択肢も、「なし」ではないと考えています。

 管理職の異動サイクルが短いのは仕方がないとして、管理職よりも地域とのあつい信頼関係をもっている「ヒラ教員」(あるいは主幹)が複数いる学校というのは、なかなか荒れにくく、改革も軌道に乗りやすい面があります。
 
 こういうタイプの人が「地域の人が推薦する管理職」という形で登用されるようになる、というのも、「民間人校長」よりも民主主義の理念に叶ったかたちであろうとも思っています。 

 教育改革には、「改革しない改革」など、様々な「かたち」が考えられます。

 問題は、それを子どもや保護者が支持してくれるかどうかです。

08/7/11 教育改革への抵抗と提言  私はある時期に、ビジネス書や自己啓発書をひたすら読みあさりました。  これは、教育という狭い世界だけでなく、子どもたちが卒業後に羽ばたいていく世界がどんな価値観のもとで動いているのか、そういう世界で将来生きていく子どもたちのために、教育の現場でできることは何か、と考えたからでした。  そこから付随的に、教師はどうあるべきか、という視点に広がり、コンピテンシーの活用という記事が生まれるにいたりました。  教育の世界では、「新しい価値の創造」より「既存の価値の尊重」に重点がおかれており、その伝達や継承という任務があるのは重々承知しながらも、私というタイプの教師は、どちらかというと「新しい価値の創造」に目がいってしまうので、読む方の感じ方に違和感が生まれやすい原因になっているかもしれません。  教師の中で、「新しい価値の創造」に重点をおくタイプとそうでないタイプの違いは、たとえば「総合的な学習の時間」の充実・発展にどのくらい尽くしてきたか、結果が出せたかという基準で評価することが可能だと思います。  道徳や総合的な学習の時間、特別活動のように、教科書のない教育活動では、各学校の創意工夫が図れます。これらの活動を通して学校改革に取り組み、成功した事例は数多く紹介されています。  朝令暮改の発想・その7は、「みんなが反対することはたいてい成功し、いいということは概して失敗する」ですが、私の経験上、教育現場でも新しいことをやるときの一般的傾向と同じです。  企業の世界では、「過去の延長線上で考えても誰もが賛成することはおおむね未来の展望が乏しく、逆に反対されることは多分に可能性を秘めている」ことを、大きな成功を収めた人たちがよく指摘しています。  逆に大失敗のケースも多いのではないかと思いますが。  教育現場の場合、教師たちは、「やるべき価値は認めるが、仕事は増やしたくないからやりたくはない」と主張します。  手元に、中教審教育課程部会の「審議経過報告」があり、資料として平成15年度の教育課程実施状況調査の結果が入っているのですが、アンケートの結果には、教師の姿勢(現状)がはっきりと映し出されています。  いくつか例を挙げますと、教育改革の方策についての考えとして、「賛成・まあ賛成」の割合は・・・  「年間の授業時間を増やす」ことについては、教師が4割弱で、保護者が7割弱。  「教科書に盛り込む内容を増やす」ことについては、教師が約4割で、保護者が5割強。  「選択教科などで学習内容の選択幅を広げる」ことについては、教師が約25%小学生、中学生、保護者が約50%。  「放課後や土曜日、夏休みなどに補習授業を行う」ことについては、教師が1割強で、保護者は6割強。  賛成しない理由は示されていないのですが、そこには「もし教員数が増えるならいい」「休みが取れるならいい」という考えもあることは予想できます。  ただ、教育改革のいくつかが、教師の望まない方向にいっていることがはっきりしているわけです。  この点を批判している方も大勢いらっしゃいますが、できれば生徒や保護者を納得させられるような方法を考えていきたいものです。   さて、一方で、教科指導に重点をおいた学校発の教育改革というのは、あまりピンときません。  この原因は、一人一人の教師がもっている専門性に踏み込んでいく必要がこの改革にはあり、改革の過程で、一部の教師の「指導力」に関する課題が明確になってしまうおそれがあるからだと考えられます。  過去10年間に、校内研修等で招いた教育の専門家が何人いるか。  成果はまた別の問題として、このデータをとってみても、学校間格差だけの問題ではないことが明らかになるでしょう。  教師の世界の学び合い環境を広げるために、一部の自治体・学校では、学校間交流が進められています。  しかし、これがまた互いの悪口合戦に広がるおそれがあるために、実施が難しかったりもします。  小学校に中学校、高校、大学、中学校に小学校、高校、大学の教師が訪問して授業を見学しあう機会は、時間とお金はかかりますが、長い目で見れば重要なことだと考えられます。  批判はリアルな現場を知らずになされるケースが多いことは明らかですので、まずは授業を見合う。  「都道府県名を知らない学生が多い」という課題を認識している大学の教師が、小学校や中学校を視察することは、決して無駄にはならないはずです。  小学校の教師に対して中学校の教師が、「発言させるのもいいけど、もっとノートに自分の考えを書かせて!」と希望を言ったり、その逆に、小から中へは「もっと授業で発言させて!」と望むのはもっともなことですが、そういう場面で、「豊かな学習活動とは何か」「学習の質と習得について」などという専門的な指導が大学の先生などから入るのは貴重なことです。  教育に携わる人々の相互交流の中から、教育改革のあるべき姿が提言されてくるかもしれません。  小中連携、中高連携、高大連携には、授業参観、交流授業、さまざまな形がありますが、とにかくまずはリアルな授業を見合うことから始めてほしいと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第90問】 
 昭和18年(1943年)の話です。
 6月に,日本で初めての「集団見合い」が実施されました。東京府結婚相談所が中心になって開いたものです。集合場所はどこだったでしょうか。
 ① 東京駅 
 ② 上野駅
 ③ 立川駅

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 【第89問の解答
 ③の『富士』でした。

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自尊感情維持テクニックで防ぐ「いじめ」 ふり返り366日【08/7/09-2】/第89問

 現場で見てきた「いじめ」には、比較的親や教師も「予測可能」であるもの・・・つまり起こったときの因果関係に想像がつくパターンのもの=「防ぐ」ことも可能なものと、「予測不可能」なもの・・・これは、第三者が因果関係にすぐには気付けない、「関係性」の中で生じるパターンのものに大別することができます。

 最も難しいのは、「秘する形での関係性」の中で生まれるタイプの「いじめ」です。

 いじめられた本人がだれかに相談するまで、この「いじめ」は発覚しません。

 日本の子どもは、自尊感情が低いというアンケートからのデータがありますが、これは見方を変えればよりレベルの高い自尊感情を望んでいる、あるいは保持している可能性もあり、「自尊感情維持テクニック」を体得することで、「いじめ」の害を軽減することが可能になるかもしれません。

 「自尊感情維持テクニック」は、教師が日頃の教育活動で子どもに育成し続けるべきものですが、なかなかそういう実践は少なそうです。 

08/7/09 いじめは「かわす」のが正解か?  矢部武著「アメリカ発いじめ解決プログラム」(実業之日本社)に、心理学博士のカーラ・ギャリティが考案したHAHASOに基づく寸劇訓練というものが紹介されています。  記事で紹介した「いじめ被害の回避方法」はHAHASO(Help、Assert、Humour、Avoid、Self-talk、Own itの頭文字)のうちの2つでした。   文科省の定義では、精神的な苦痛を自助努力で回避できた生徒への攻撃的な行動が、「いじめ」と認定されないわけですが、たまたまそのときは回避できたとしても、心の傷として残り、それがさまざまな形で後遺症の症状のようにして表れるのではないか、そういう仮説を立てることは可能だと思います。 ①Help=いじめの被害にあったときに、他の生徒や先生、両親などに助けを求めることによって解決できた場合 ②Assert=いじめっ子に対して断固とした態度をとることができた場合、 ③Humour=いじめられてもユーモアのセンスを忘れずに応酬することができた場合、 ④Avoid=いじめにあった現場をすぐに立ち去ることができた場合、 ⑤Self-talk=いじめられた時に意識的に独り言を言って自尊心を維持することができた場合、 ⑥Own it=いじめっ子に意地悪なことを言われても、ムキになって怒らず、「私も同感」などと言って受け入れてしまい、自尊心を守ることができた場合・・・  もしいつか「いじめに関する調査」を行う機会があったら、過去にこのような方法でいじめを回避することができた経験があるかどうかを問うてもらいたいと思います。  著書で紹介されているロールプレイによる訓練を実際にやるとなると、日本では相当の配慮が必要でしょう。  特にユーモア、ジョークで切り返せるような子どもは日本ではあまり想定できません。そもそも対等な関係でないと難しいでしょう。  かえって擬似的ないじめをたのしむ子どもが出てきてしまうおそれがあります。  何も著者がこのような対処方法がいじめ解決の鍵だとまでは思っていないでしょうが、回避できた場合でも後の心のケアに責任をもつべきことを考えると、やはりいじるめ側と、傍観者に対するはたらきかけがいじめの予防には欠かせないことだと思われます。  ただ、個人の「力」を重視するアメリカらしい、戦略的行動がとれる個人の育成という視点も大切であることは言うまでもありません。  このブログも、そのような視点で教師の役割、能力、課題等を考えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第89問】 
 昭和18年(1943年)の話です。
 米英語雑誌名が禁止され,『サンデー毎日』は『週刊毎日』に,『オール読物』は『文芸読物』と改称されました。では,『キング』は何と改称されたでしょうか?
 ① 雑誌王
 ② 獅子
 ③ 富士

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 【第88問の解答
 ③の「シカゴ」でした。

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ウィキペディアの教科指導版はできるか? ふり返り366日【08/7/09】/第88問

 文部科学省動画チャンネルで、担当課長から新しい学習指導要領についての説明を見ることができるようになったのは、8月13日でした。

 教師が見たいのは、各教科の指導に関する情報(移行措置なども含めて)なので、今後、積極的に公開してほしいものです。

 大きな研究発表に参加してみていつも思うことですが、発表内容に対する質疑応答がとても貧困であり、参加している意味があるのかどうか疑問に思えてしまうものが多いのです。

 このことに影響を与えているのは文科省の教科調査官などからの講演の時間が設定されているからで、ひどいときは時間の都合で質疑応答は中止、なんてこともあります。

 もちろん話を聞くだけでためになることも多いでしょうが、事前にいくらでも勉強して質問も用意できるものを、ただ聞いて帰ってくるだけというのは、社会科教師の場合はいかにも生徒が同じような態度で授業を受けているのだと邪推したくなってしまいます。

 ちょっと硬派の教育雑誌を読めば、ただ同じことをいろんなところで言い換えているだけの、ほとんど参考にならない内容ばかりで、わざわざ購入して落胆するにも限度があるだろうという状況になっています。

 紙資源、学校予算の節約のためにも・・・。
 
 ウィキペディアの教科指導版のようなものはできないでしょうか。

 もちろんある項目についての見方・考え方は様々でしょうから、いくつかのタイプの説明が補足・訂正・加除を繰り返しながら、共通理解が可能なものに近づいていく・・・そういう過程も見える「研究会」がネット上で開かれる日が来るのを待っています。

08/7/09 文科省への提案 ~解説への解説は映像(動画)で~  今私が抱いている教育への危機感の中で、かなり大きな比重を占めている問題について述べてみたいと思います。それは、教科指導の専門性が高い人間からの情報発信力が低下しつつある問題です。  問題の発端は、週刊誌の記事でした。  それは、文部科学省の教科調査官が、多くの出版社から執筆の依頼を受け、多額の原稿料を受け取っていたという問題です。  東京都の場合はこれに先だって、平成15年頃でしたか、同じように指導主事が教科書会社などと結びつきをもち、原稿を書いて副収入を得ていたことが問題となり、以降はほとんど接触することができなくなりました。  教科書会社や教材会社にとっては、よい原稿が書ける教員を探すわけですが、一番いい書き手は、教科指導の専門性が高い指導主事レベルの人材だったわけです。  指導要領の解説本などは、それに携わっていた教科調査官を利用するのが一番てっとり早く、間違いがないということで、今まではそういう本が出るのは当たり前でした。  しかし、中学校でも間もなく学習指導要領解説が公表されますが、今回はそれに関する解説本は別の人が書くしかなくなるように思います。  そもそも、文科省が著作権をもち、一冊100円くらいで売り出される解説自体が不十分な内容だからさらに解説本が出されるのであって、改善の選択肢としては、「解説」の出版はやめてそこから民間にまかせるか、もっと詳しい解説を文科省がつくるかというものが考えられるのです。  後者の方は、ほとんど「国定教科書」のようなものができてしまうと批判されてしまうため、文科省はより簡便な「解説」を出すのにとどめ、教科書づくりも大幅に弾力化させられる方向を目指すという選択肢もあります。  あるいは、文科省できちんとQ&Aを作って、それを公開するか、伝達講習などはやめて、解説の映像をネットで公開して、だれもがその内容を聞いて質問することができるようにすればよいのです。  事務方は、「教科調査官」という人材を、より学校や教科書会社のニーズに合う方で活用しなければいけないのです。今のままでは、東京都に指導主事のなり手がいなくなるのと同じように、教科調査官のなり手もいなくなります。

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昭和の家庭史トリビア?【第88問】 
 昭和17年(1942年)の話です。
 12月2日,アメリカのある都市の原子炉で,ウランの核分裂連鎖反応の実験が成功し,人類初の原子の火がともりました。この都市とは?
 ① ロサンゼルス
 ② ヒューストン
 ③ シカゴ

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 【第87問の解答
 ①の「篝火草」でした。「秋桜」はコスモス。「篠懸樹」(すずかけのき)は,プラタナスのこと。

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新型インフル対策・文科省通達の威力 ふり返り366日【08/7/08】/第87問

 文科省の通達というのは威力のある、ある意味「究極」の方針で、おそらく学級閉鎖・学年閉鎖に踏み切る小中学校が急激に増えることでしょう。

 成功と言えるか、効果がなく失敗に終わるかは、しばらく様子を見てみないと分かりません。

 子どもにとって気の毒だったのは、この流行のシーズンと運動会、文化祭、部活動では秋の大会(新人戦)が重なってしまったことです。

 また、一度感染した生徒が、「もうインフルエンザにはかからないだろう」と安心できるかどうかは分かりません。

 変異したウイルスが強毒性で、一度感染した人だけは救われる・・・なんて結果になったら、今の不幸が逆転するかもしれません。

 ・・・などと仮説に仮説を、予想に予想を重ねても仕方ありませんね。

 繰り返しになりますが、一番心配なのは、入試のシーズンに大流行していたら・・・ということです。

 大学は「二次試験の実施可能性」を打診されているようですが、中学入試・高校入試はそれに対応することは事実上不可能でしょう。

 どうなることか・・・。

08/7/08 その問いへの究極的な答えとは・・・。  ずい分以前に読んだ本でしたが、スティーブン・R・コヴィー著『原則中心リーダーシップ』(キングベアー出版)を読みかえして、  傍線を引いていた箇所の意味を改めて噛みしめています。

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 恐ろしいほど複雑な世の中で、どうしたら一貫性を持つことができるのだろうか?

 予期せぬ突然の変化によって、優れた地図(戦略とプラン)でさえ役に立たなくなる現代の荒野で、どうしたら方向感覚を失わずにいられるのだろうか?

 どうしたら非難と自己正当化ではなく、同情と理解をもって人間の弱さを見守ることができるのだろうか?

 どうしたら偏見を捨て、尊敬と探求の精神をもって他人の学習と達成を促し、長所をのばすことができるのだろうか?

 どうしたら変化と進化への強い熱意を持つことができるのだろうか?

 多元性と多様性の価値を認め、尊敬の念を持って相手を賞賛できるような人間になるにはどうしたらいいのだろうか?

 何からはじめたらいいのだろうか?どうしたら心のエネルギーを充電して学習、成長、進歩への情熱を持ちつづけることができるのだろうか?
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 これらに共通して言える答えとは・・・。究極的には、教育の世界の私たちは、「子どもの立場」になって常に考える、ということです。
 私が教師に対して常に批判的であるのは、「そんなことを言われたり、書かれたりしたら、子どもはどう考えるのか」「子どもはどんな教師のどんな指導・授業をのぞんでいるのか」という問いから始まってしまうからでしょう。
 もちろん、自分も教師ですから、同僚への「同情や理解」はリアルな世界では非常に優先順位が高いものです。
 しかし、子どもが被害を受けているとしたら話は別です。
 「自分より実力のある生徒とつきあいなさい」という指導言に対してさまざまな直言をいただきましたが、それが言える人間関係・信頼関係の構築にどれだけ力が入れられているかまでは、ネット上では伝えきれません。
 批判的思考力を育ててある子どもというのは、必ず教師の指導言の「意図」を読み取ろうとしてくれています。
 単なる教科書的な知識や社会的な常識だけを教えてくれるのが学校や教師ではないんだなと子どもに実感してもらう教育を目指しています。

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昭和の家庭史トリビア?【第87問】 
 昭和17年(1942年)の話です。
 京都植物園が,「外国語を一掃し,日本語に帰れ」と,園内の花草木1万余りを日本語名に変更しました。
 「シクラメン」は次のうち,どれでしょう。
 ① 篝火(かがりび)草
 ② 秋桜
 ③ 篠懸(すずかけ)

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 【第86問の解答
 ①の56社でした。

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自尊心維持システム ふり返り366日【08/7/07】/昭和17年に始まったもの

 いじめを「無」にする「自尊心維持システム」は、幼少期に基本的信頼感を獲得している子どもに特有のものなのか、それとも虐待を受ける子どもにも形成されるものなのか、私の乏しい経験では分かりません。

 親として、学校でのいじめから子どもを守るのは難しいことですが、学校でいじめを受けたとしても、それを無力化する力を子どもにはぐくむことは可能であるかもしれません。

 もちろん、親として、いじめをしない子どもに育てることも可能でしょう。

 難しいのは、同調への圧力が強い集団に入ってしまったときに、子どもが「いじめをしない」方を選択しきれる強さを身に付けられるかどうかです。

 「いじめられている」と周囲に訴えることで、特定の子どもを「いじめる」という「技」も登場しているようですが、早くこの負の連鎖から抜け出てほしいものです。

08/7/07 「強さ」が導く潜在的な「いじめ」  文科省の現在の「いじめ」の定義は、「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」(いじめをするのは仲間や友達)となっています。  今の私の一番の関心は、そのときそのときで、「精神的な苦痛を感じている」と自覚しないように防衛している子どもはどうなるのだろう、という問題です。  「いじめがある」という訴えを受けると、直接の当事者に事情を聞くことになるのですが、「いいえ、いじめられていません」と強く否定する子どもがよく見受けられます。  こういう場合は、「いじめがある」という事実はないことになり、統計上の数字にもなりません。  しかし、こういう場合こそ危ないのではないか、ということに気付いている教師はどのくらいいるのでしょうか。  プライドの高い子どもほど、「自分はいじめられている」ということを認めたがらないものです。 10年くらい前のアメリカのいじめ解決プログラムに、「いじめに遭遇したときに有効な6つの対処方法」というのがあって、その中に、  いじめられてもユーモアのセンスを忘れずに応酬する。  いじめっ子に意地悪なことを言われても、ムキになって怒らず、「私も同感」などと言って受け入れてしまい、自尊心を守ること。 というのがあります。  こういう「自尊心維持システム」を作動してしまうと、そのときの「いじめ」は文科省の定義でいうと存在しないことになってしまうのです。  しかし、実は心はすでに傷ついていて、その傷が痛み始めるのが1年後とか、10年後とかいう場合もあるのではないか。  いじめられたその場で、「弱さ」を発揮してしまう方が、問題は解決しやすい学校が増えているのに、逆に子どもに防衛力がついてしまうと、その「強さ」が後々の大きな悪影響を生む・・・・。  心理学の専門家の先生は、「いじめなんかされていません」という子どもには意識的に寄り添い続けるべきである。そうすると、徐々に本音が出てくるかも知れない・・そのような貴重なアドバイスをいただきました。

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昭和17年(1942年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○衣料の点数制実施。1年間の点数は都市部で100点。
 背広は50点,国民服・学生服は32点。スカート12点。
 ブラウス8点,ズロース4点など。
 (すぐに衣料切符のヤミ販売が判明する)
○東京に初の空襲警報が発令される。
○日立製作所が電子顕微鏡を製造し,第1号が名古屋大に納入
 される。
○国語審議会が,横書きは左からに,仮名遣いも発音通りを原則として,「てふ」(蝶)は「ちょう」と書くように統一。
○6月1日を「気象記念日」とし,第1回記念式典が開催される。
○高等学校の鉱物および地質科を「地学」と改称。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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どんな「記録」をめざすか ふり返り366日【08/7/06-2】/昭和17年に中止になったもの

 「大記録」にも,いろいろなタイプのものがあることを,子どもに分からせるきっかけになるいいニュースがあります。

 それが,野球で言うと,「○年連続○○本以上の○○」という記録です。

 これを,「年間最多○○記録」という単発のものと比べてみたら,どんなことがいえるでしょうか。

 「お金に置き換える」のは嫌らしい話ですが,目安にはなります。

 大ベストセラーを出した作家の新作が,あまり本屋で見られない・・・そういう例もいくらでもあるでしょう。

 究極の選手,作家とは,毎年毎年,今までの記録を破り続ける・・・そういう人でしょうが,それこそ「究極」であって,実現はなかなか難しい。では,1年限りの記録を目指すか,○○年連続という記録を目指すか・・・?

 教師として,どんな「1年限り」「○○年連続」という記録を打ち立てることができるのでしょうか。

 そんなに難しいものではないのは,○○人以上に見ていただく研究授業を年○回という目標。

 これが毎年伸びていくということは,実力もついていっている証拠になるでしょう。

 もちろん,途中で挫折を経験することがあるかもしれません。

 一度途切れても,あらためて活躍した人に贈られる「カムバック賞」。

 いずれにせよ,だれが「賞」を出すわけでもなく,ひそかに目標を立てて仕事に取り組むのもいいものでしょう。

08/7/06 「売れれば売れるほど失われる信用」の問題  当ブログに対しても私の教師としての資質についても、積極的なご批判をいただいているおかげで、直接的に面と向かって議論や指導をしている相手方の目線に自分自身を置き換えてつつ、話を進めていくくせがついてきました。自分を批判的に見る自分がそこにいることを意識できることはすばらしいことです。  当ブログは、教師が陥りがちな失敗に目を向け、それを改善するために必要なこと、あるべき姿を追究することを目的にしていますので、ここしばらくは願ったり叶ったりの状況が続いています。  私が読者として基本的な対象としているのは教師でありますが、「教師にひどい目にあった」方々が「教育失敗学」というタイトルをふまえてご覧になることも考慮に入れて、なるべく記事を書いていこうと思います。  私自身の理解力や表現力が及ばないために、私の教え子たちまでもが誤解されていることが無念でなりませんが、直接ご紹介して誤解を解くわけにはいきませんので、文章によって認識を改めていただけるよう努力をするしかありません。  ひどい教師がいたら、その教え子はみんなひどい目に合っている、とか、子育てをろくにしない親の子どもは、みんなろくでもない・・・なんてことは決してないのですが、どうしても人間は何かの原因を人のせいにしないと気がすまないというか、そうやって精神の安定を図っていくものなのだと実感しております。  朝令暮改の発想・その6は、「部下は『常に自己正当化する存在』だから追い詰めることも必要」という話です。  教師も単純な話、「何で私がこんなに努力しているのに子どもは言うことを聞くようにならないのか。親はいったいどんなしつけをしているのだ!」と口に出しやすい存在ですが、「はい、そうですね。仕方がないですね」ではどうしようもないわけで、「自分はどのような仕事のやり方をしてきたのか。自分が生徒に教えてきたことを入学当初から整理するとどうなるか。どこに今、子どもが話を聞かない原因があるのか・・・」と追求していく姿勢が大切だと思うのです。そういう姿勢がなく、「そこそこ聞いているからいいでしょう」などという答えを返す教師に対しては、厳しい言葉を返していくことになります。  セブンイレブンのチャーハンについて、部下の自己正当化を鵜呑みにしていたら、質の追求などとうてい不可能だ、という話が紹介されています。
 「(そこそこ)売れているからいいのではない。自分たちが納得できていない味の商品が売れていることにこそ危機感を持たなければならない。セブン-イレブンのチャーハンはこの程度かと思われては、売れれば売れるほど信用は失われていく」
 「教育とは答えを教えることではなく、部下に『気づき』を与えることです。部下が自己正当化を始めたら、本人の中で『これ以上は無理だ』と守りに入る意識が生まれ始めている表れです。しかし、限界を突破できれば自信がつきます。これを繰り返しながら部下は成長していくものです。・・・上司が『仕方がない』と思ったときから部下の成長は止まり、組織も停滞が始まります。」
   私のリーダー育成もふり返ってみれば同じことでした。  しかし、このような働きかけが可能になる程度までまずは一人でも多くの生徒を成長させることが大切なのは、言うまでもありません。

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昭和17年に廃止・中止・禁止されたもの。
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 ○外国製乗用車の販売が禁止される。
 ○朝日新聞社,26回にわたり実施されてきた全国中等学校野球大会の中止を発表。
 ○京都製氷組合と飲食店組合が,ぜいたくな氷の消費はやめることを決議。うどん屋・料理店・喫茶店・カフェーなどでの氷使用の廃止。
 ○マヨネーズの製造が中止に。
 ○明治製菓,時局急迫のため,「ミルクチョコレート」の製造を中止。
 ○5万分の1の地図は秘密扱いとなり,販売禁止に。
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受験とインフルエンザ ふり返り366日【08/7/06】/昭和17年のブーム

 子どもの立場ではなく,自分の立場しか考えていないような言動が,「気を抜く」とすぐに露出してくるのが教育界です。

 できるとかできないとか,結果は一切考えなかった。何が何でもやるとか,そういう気負いも悲壮感もなかった。ただ,やる。ダムを作る。考えたのはそれだけです。まあ無我ですね。あとは真っ白です。突撃です。

 戦前・戦時の教育の成果は,「戦争」という極限状況の中では最悪の結果としてあらわれたわけですが,「ダムづくり」の場合は,そういう教育の成果なしでは実現不可能だったのではないかと思ってしまうような言葉です。(今井彰著『プロジェクトX リーダーたちの言葉』文藝春秋・黒四ダム総監督・中村精の言葉より)

 受験生とその保護者にとって,「もし受験当日にインフルエンザにかかってしまったらどうしよう」という心配事があると思いますが,「出席停止扱いの生徒は受験できない」という態度をとられてしまったら,「はい,そうですね」と簡単にあきらめることができるでしょうか。

 39度の熱が出ていて,体調がひどいときには「あきらめる」こともできるでしょうが,「インフルエンザに感染した可能性がある」「熱が下がって1日目」などで出席停止扱いを受けたときに,受験をあきらめることができるかどうか。

 私学の場合には,個別の学校で別室受験という措置がとられるのが普通でしょうが,公立高校ということになると,どこか1校でも「そんな措置はとれない」ということになると,他の100校が可能だと言っても,「不公平だから受験させない」という結論に達する可能性があります。

 「他の受験生のことを考えれば,受験させない措置をとるのが当然だ」という考えもあるでしょうが,では,「もしインフルエンザに感染していることを隠して受験する人がいたらどうするのか,そもそも,疑いがあっても病院に行かない受験生の場合はどうするのか」と聞かれれば,何も答えられなくなります。

 大学入試センター等でも,新型インフルエンザ対策を検討中でしょうが,結果としては,「別室受験措置がどこまで可能か」が焦点となるでしょう。そのときにおこる「学校格差」をどう処理するか。

 こういうとき,公立学校の校長は何の役にも立たない存在であることが露呈します。

08/7/06 新・教員団塊の世代誕生へ向けて  朝令暮改の発想・その5は、「『先手を打つ』より変化に対応して『朝令暮改』ができる方が大切」という考え方です。  本のタイトルに使われている「朝令暮改」の意味は言うまでもないことだとは思いますが、要するに、たとえ朝決めたことであっても、間違いだと気づいたなら、直ちに変更することには、臆することなく徹すべきだということです。  しかし、世の中には、以前の趣旨と違うことを発言すると、「前と意見が違う」ことを理由に朝令暮改を責める人々がいます。著書にあるように、変化の時代だからこそ、むしろ朝令暮改が必要になる(あるいは避けられない)わけです。
世の中がこれほど変化している以上、前に正しかったことがいまも正しいとはかぎりません。雨が降ってきたら傘をさすのが当然です。晴天から雨に変わって傘をさしたからといって、『晴れていたときと違うではないか』と責める人はいないでしょう。
 学校組織にも「朝令暮改」ができる部分が必要だと考える私は、仮説と検証を柔軟に重ねていける学校のあり方こそが、今の教育に求められていると主張しています。  もちろん、企業の商品開発のような超短期のサイクルの話をしているわけではありません。  文部科学省は「朝令暮改」と位置づけている訳ではないのですが、ほぼ10年1サイクルで新しくなる学習指導要領ができあがるまでには、かなりの人数の現場の教師も携わって、さまざまな社会の変化に対応できる内容を検討しているのです。パブリックコメントの募集や集約・公開も進められています。  学習指導要領の改訂が「混乱」の原因だと主張されている方がいらっしゃいますが、私の目から見て、改訂が原因の「忙しさ」をはるかにうわまわる別の「混乱」原因が学校には山積しています。

 もし教師が学習指導要領を読んでいないとしたら、「混乱」の原因はどこにあると言えるのでしょう。
 その山積している問題への対処のあり方について、学習指導要領は、法令に準じるものとしてはかなり限界に近いところまで具体的に表現するようになっています。
 ですから改訂はむしろ停滞している学校改善のカンフル剤としても使えますし、子どもや保護者への「本当に教育したいことは何か」という学校からのメッセージを伝えるのにいい機会にもなっているのです。
 子どもの立場からは「ころころ変わってこまる」という発想は見えてきません。(ただ、移行期間は学校の対応力・教師の指導力による混乱が見られる場合があります。)
 基本的に、改訂の趣旨が十分理解できるものであるなら、改訂するのは当然のことですし、「何があっても改訂しないですむものがほしい」「そもそもなくすべき」という無理な相談は、教師の立場の発想であって、今後ますます変化の激しい社会を生きる「子どもの立場」からの発想ではないでしょう。
 とにかく現実問題として、現行の学習指導要領では、その趣旨(昔からの内容も含めて)をよく理解できずに目標を実現できない学校が多かったことが、改訂の趣旨を考える上では欠かせない前提となっています。
 これまでの繰り返しになりますが、私の大きな関心は、教える側の大きな変化として、「大量採用の団塊の世代」が抜けるのと同じタイミングで採用される「新・教員団塊の世代」が生まれたときの学校がどうなるのか、ということです。
 倍率が下がるだけで、どれだけ資質に課題のある教師が増えていくのか。
 現行の学習指導要領に基づく教育を受けた新規採用の教師たちが、どれだけ「生きる力」を身に付けているか。

 免許更新制は現在の教師の問題だけでなく、将来の資質問題への備えとして想定されますが、行政の側には、「自分たちは教師の資質の向上を保障する場を設けることは設けた」という言い訳ができることになり、「だから教師の資質低下は本人たちの問題だ」ですまされてしまうおそれがあるのです。
 「生きる力」が身に付いている教師なら、そのハードルは容易に乗り越えることができるのでしょうが・・・。
 なお、ある先生は、「総合的な学習の時間の運営については、他校から転任してきた教師より、初任者の方がよっぽど役に立つ」とこぼしていました。
 転任してきた教師の場合、前任校より「手のかかる」総合を実施していると、「めんどうだな」と思われてしまう傾向があるそうです。

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昭和17年(1942年)のブーム・流行・流行語
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○高等学校の理系志望者が激増。
○戦勝祈願のため,三重・伊勢神宮の参拝客が激増。
○東京で唯一の地球儀製作所が大繁盛。特に,占領地に「日の丸」の紅を書き込んだ豆地球儀に人気が集中。
○翌18年の暦に,迷信・まじないを刷ったものが大流行。内務省はそのうちの400種を発禁。
○「負けられません勝つまでは」「頑張れ!敵も必死だ」など,「国民決意の標語」10点が決まる。
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「見る」ことの意義 ふり返り366日【08/7/05-2】/第86問

 組織が大きくなれば大きくなるほど,課題に気付いたときに「すぐに対応する」ことが難しい。

 カレンダー上で設定されている会議の日まで待っているうちに,課題がかなり深く進行してしまって,手遅れになる場合もあります。
 また,数人の教師が「気付いている」のに「放置している」と生徒に受け止められ,そのメッセージがさらに大きな問題を生む・・・。

 学校現場というところは,あまりの問題の多さに教師の側では感度を下げざるを得なくなってしまうというケースもありますが,もともと「アンテナに入ってこない」「レーダーに映らない」タイプの問題の糸口になるものを見逃してしまうと,「今の子どもは分からない」というあきらめにつながってしまう恐れもあります。

 アンテナレーダー性能が,教育力の源泉の一つです。

 それを磨いていくためには,小さなことを見逃さない習慣をつけなければなりません。

 無反応ではなく,「おや?」という表情を生徒に見せるだけでも,それが有効な「対応」になっていることがあります。

 「見る」という行為の教育的意義についての分析をしてみるのもおもしろいかもしれません。

08/7/05 反対意見へのアンテナ 朝令暮改の発想・その4は「本を読みながら傍線を引くなら『反対意見』に引く」です。  ブログや自己啓発本などで自分も同感に思える意見に出会えば、心地よく、さらに共感するメッセージを相手に伝えることによって、交友の幅が広がったりもします。  ただ、共感しているということは、自分もその考え方の域に達しているわけなので、そこから得るものは少なく、それ以上の自己の発展はあまり期待できない、というのが著書の考え方です。  過去の成功体験によりかかり、それを鵜呑みにしている限り、自分自身も過去の経験から抜け出せなくなる可能性がある。  一方、自分と異なる意見、反対意見と出会ったときは、  どこが異なるのか、  なぜそう考えるのか、  根拠は何か、  ひるがえって自分はなぜこう考えるのか   などということを考えつつ、さらに自分を発展させたり、補正したり、補強したりすることができる。  ・・・これは、本の読み方についての考え方の一つです。  私の場合は、教育者の失敗事例に最大の関心があり、逆コンピテンシーを整理したいと考えているので、そのような情報に自然と目が行くようになってしまっています。  アンテナにひっかかってくる情報の多くは、自己責任回避のパターン、「子どもの立場」での思考になっていないパターン、評論家的・抽象的で自分自身が何をしたいのかが伝わってこないパターンなどがあります。  「もっと自分のことを考えろ」というご指摘もいただいておりますが、学校内でこのような指摘が双方向に行き交うことで、あるべき実践の本質が見えてきているように思います。これはあくまでも私の実感です。  同じ指導言でも、性格や能力等の異なる子どもへの伝わり方は十人十色であり、能力を過信したり内面まで見通せなかったりすると、その指導は失敗に終わります。  しかし、多くの道徳授業のように、いつまでも「失敗しないための指導」を続けていても、目標は達成されにくい。問題行動がおこってからスタートする「守りの生活指導」では、同じ問題は何度も繰り返されるでしょう。  いずれにせよ、子どもへ「本当に成長してほしい」「強く正しい人になってほしい」「実力を伸ばしてほしい」というメッセージが響いていく指導ができるかどうか。それが成否の鍵を握っていると思います。  テレビドラマの学園ものを私もよく批判していますが、この点だけは正しいかもしれない。  子どもに「本当にこの先生は自分たちを成長させようと真剣に考えている」ことが伝わるかどうか。  暴力に訴えるなど方法は大間違いでも、結果として上記の満足感が得られるので視聴率がとれる。  むしろ失敗の危険性がある指導の方が、成功に結びつく可能性をもっているとも言えるのかもしれません。  ただ、けっして失敗をおこしてはいけないので、リスクをコントロールするための人や道具を増やしておく必要があります。これは「同僚性」とか「チームワーク」とか「一枚岩の組織」とか呼ばれているものです。道具とは、指導法です。  私の場合は、自分対数人の生徒(ここにはいくつかのタイプの生徒を選んでおく)で指導を行う場合、伝えたいことを伝え終え、個別に意見を聞き終えたら、生徒に話し合わせて再度生徒たちの意見を聞くようにしています。  子どもなりにふり返る時間と機会を与えることが、リスクをコントロールする方法の一つになっています。  指導の失敗も、子どもたち自身の自己教育力で救われたこともありました。  10回の指導場面があれば、教師としても10回の学びの機会があり、数多くの学びがあります。

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昭和の家庭史トリビア?【第86問】 
 昭和17年(1942年)の話です。
 新聞が1県1紙制となりました。104社あった新聞社は統合されて何社になったでしょうか?
 ① 56社
 ② 50社
 ③ 47社

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 【第85問の解答
 軍服着用による,②の手榴弾投げでした。

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消極的行動で積極的にメッセージを伝える教師 ふり返り366日【08/7/05】/第85問

 子どもの立場で考える習慣をつけると,「こんな注意は受けたくないな」と思っている生徒に注意をするとき,そこに「子どもに伝わるメッセージ」がこめられるきっかけになります。

 「こんな注意は受けたくないな」と思っているだろう生徒に「注意をしない」という選択肢をとる教師もいるでしょうが,今度は「それが子どものため」か?という問いが必要になります。

 「指導しない」「注意しない」という消極的行動が,実は非常に積極的に,特定のメッセージを子どもに伝えていることに,気が付かない教師がいるのは残念でなりません。

 「子どものため」を考えること,「子どもの立場」で考えること,これをうまく組み合わせて生徒指導にあたることが大切だと思われます。

 場合によっては一方を優先し,違うケースでは他方を重視する。その使い分けのコツも,経験の中から見つけ出していくものでしょう。

08/7/05 「子どものために」ではなく「子どもの立場」で考える  前回の記事の補足ということになりますが、私は「自分より実力のある人間とつき合いなさい」という指導をすべての学校で導入してほしい、などとは考えておりません。  教育課程編成におけるこの大きな原則、「創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開」すること、「生徒の発達の段階を考慮して、適切な指導を行う」ことができずに、単なるものまねで失敗したり、無理な要求を子どもにも教師にもしてしまったりと、最初のボタンから掛け違えている学校というのがあるのです。  このタイプの失敗をしてしまう学校の共通点は、子どもの視点からの検討が欠けているということです。  ある指導言によって、子どもは何を感じるのか。何を学べるのか。それはなぜか。  この問いを絶えず繰り返していくなかで、「子どものための」というより「子どもの立場を重視した」教育が展開していくのが理想だと思います。  「朝令暮改の発想・その3」ということになりますが、「子どものために」ではなく「子どもの立場」で考える理由は、「子どものために」と教師たちが考えていながら、ほとんど目的は達成できないようなとき、たいていは、過去の経験などをもとにした「子どもとはこういうものだ(こういうものを求めているはずだ)」という思い込みや決めつけが背景になっていることが予想されるからです。  「子どものために」とはあくまでも教師からの視点であって、生身の「子ども」が不在のまま主張が展開されてしまうおそれもあります。  一方の「子どもの立場」で考えれば、たとえばこんな授業ならいらない、とか、こういう当たり前の話を聞くのはだるい、という発想が出てくるわけです。そういう発想を生かして授業改善に結びつけたり、生徒の誤解であるならそれを解いていきながら、子どもに持たせたいと教師が願っている力に気付かせる。  ここに、各学校の創意工夫、生徒の実態に応じた教育が可能になるわけです。  これはあくまでも視点を変えることで挑戦する価値が見えてくる例の紹介なので、「子どものため」という視点はもたなくてもよい、と言っているわけではありません。  ただ、子どもの視点でものを書いている人と、「子どものために」という教師の視点だけで書いている人との意見はすれ違うばかりなので、私も考えなければならないと思っています。

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昭和の家庭史トリビア?【第85問】 
 昭和17年(1942年)の話です。
 東京・後楽園球場の第1回巨人VS大洋定期戦で,アトラクションとして実施されたのは?
 ① 戦車の行進
 ② 手榴弾投げ
 ③ 軍人たちによる綱引

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 【第84問の解答
 ①の3軒でした。予想よりも,みんな押しつけられたルールを守っていた?

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「教師一同」は「考える集団」か? ふり返り366日【08/7/04-2】/昭和16年に始まったのは?

 学校という場では,子どもと大人とで価値観が逆転するケースというのが,かなりたくさんあります。

 子どもは「勉強なんていい,部活がやりたい」と言い,

 教師は「部活はほどほどがいい。勉強が大切」と言う。

 この場合,実は,子どもと教師の心の中は一緒なのかもしれません。

 学校は,子どもの成長を促す場ですが,特に公立学校の中に,「すばらしい子どもの成長」ではなく,「すばらしい教師の指導の成果」をアピールしたくて,「完成形」に近いものを短時間で作りたがるところがあります。

 「完成形」に近い成果は,外見上の「ムダのなさ」に象徴されます。

 しかし,形ばかりが「ムダのない」ものになり,「効率のよさ」というのが中心の価値観になると,実際の子どもはほとんど成長していないまま,外見だけがまともになる場合があります。

 これは,「外見だけはまもとにしてやらなければ」という教師や学校側のあせりが助長しているムードであるとも言えます。

 普通の教師が考える「効率のよい教育」が,実は最も「効率の悪い教育」だったということがあり得るのです。

 教師たちが新しい学校をつくり,それが軌道に乗っていってよい学校になっていく,そのプロセスを考えてみれば容易に分かるように,様々な試行錯誤があり,話し合いがあり,調整があって初めて「大きな成果」がでるのであって,「何々をここに移植すればいい」という安易な発想で効率を重視すると,深く考えなければ「悪くない」ものができてしまいます。そして,その後に荒れが起こった場合,「どうしてか分からない」という声が上がってきそうな予感を抱かせるようなことになります。

 学校改革については,外部からあれこれ言うことは簡単なのです。それに従って教師が動けば,成功できる部分が出てくるかもしれませんが,根本的には,教師が「考える集団」をつくらなければダメなのです。

 「考える集団」をつくろうとしている教師が「考えない集団」の人間では困ります。

 そして,それは教育委員会が悪いとか,親が悪いとか,「人のせいにする」のがプロの教師が混ざっていたら,もっともっと困ることになるでしょう。

08/7/04 道徳的価値に気付かせる教師の役割とは?  「自分より実力のある人間とつき合いなさい」という指導について、読者の方からかなり突っ込んだご意見をいただきました。誠にありがとうございます。  「生徒の善良さや優秀さを前提とした,かなりリスクのある指導法」というのは、一定の評価をいただいたと考えてよろしいのでしょうか。  そして、私が「当たり前の指導言」とよばせていただいた「誰とでも分け隔てなくつきあいなさい」についてなのですが、教師が子どもに「誰とでも」という形で言葉を投げかけたとき、子どもがどんなニュアンスでその「」を受け取る可能性があるか、お考えになったことはありますでしょうか。  子どもが本来のその意味に到達するまで、どのような壁を乗り越えていく必要があるのでしょう。  そして、その壁を乗り越えさせる教師側の指導言とは何でしょうか。  同じ言葉を繰り返し子どもに投げかけることでしょうか。  「貴殿自身が誰とでも分け隔てなくつきあうということの道徳的価値を本当には理解なさっていないから,そう思われるのでは」というご指摘についてですが、私のまわりにはいくつかの壁を越えてそういう道徳的価値をつかみとった子どもたちがいっぱいいますから、ご心配いただく必要はございません。  ストレートにその価値に到達している子どももいます。しかし、私の目からは、壁にぶつかっていない子どもの現状にはあまり楽観視できないものがひそんでいるように見えます。  「誰とでも分け隔てなくつきあう」ためには、何が必要か。  「でも先生、人の悪口ばかり言うあの人とはつきあいたくないですよ」という訴えに、教師はどう答えればよいのでしょうか。  教師の役割は、選挙演説のように当たり前の指導言を連呼することではなくて、そのような道徳的価値に気付かせ、つかみとらせることができる環境を設定することではないでしょうか。     「盗む」という言葉についてです。  悪い言葉は悪い。よい言葉はよい。  このような単純な思考が、子どもから豊かな創造力を奪い、堅い殻をつくったり、物事を固定観念によってとらえたりしているという危惧を私が抱いており、自由で伸びやかな発想力をつけさせるために、利用する言葉のパターンの一つがこの「盗む」というものでしょう。  また、プライドの高い子どもは特に、人の「まね」をすることには一種の抵抗感をいだいています。  泳ぎ方が上手な生徒がいたとして、そうでない生徒に、「まねをすればよい」と言っても、何も始まらないわけです。  よい行いはどんどん「まね」をしていきましょう。これも当たり前の指導言なのですが、こういう言葉は、繰り返し述べるように、「そういうあなたはそれができているのですか?」という質問を受けると困ったことになってしまう人もいる。また、簡単にできる「まね」には創造力が必要ありません。  一方、「盗む」ことは一種の芸術なのです。  これはその道のプロをたたえて表現しているわけではありません。  私は大学まで野球部にいたので、たとえば盗塁をするために、ピッチャーの投球動作の癖を盗むことは必須の課題でした。相手の監督のサインを盗むこともあれば、すきをみて次の塁をねらうというのは、常に選手に要求されている課題です。  「人の所有物を盗む」ことがいけないのは当たり前のことです。  しかし、「心を盗んだ」ルパン三世など、言葉には必ず広がりというものがあるわけです。  私は社会科の教師ですが、漢字の成り立ちについて説明することもよくあります。  「盗」の「次」という字は、本当はにすいではなくさんずいであったこと、それはよだれを示すものであったことなどを話すと言葉へのイメージも広がっていきます。  どうしても子どもに「盗んでもいいものがある」などというなぞなぞみたいな話もさせたくないと思われるのであれば、「まねる」というより「取り入れる」という言葉の方が私のイメージには近いものがあります。  繰り返しになりますが、「これは批判のしようのないいい言葉」「これは口に出して言うことすら忌まわしい悪い言葉」とその価値を固定化することの方が危険であると私は認識しています。

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昭和16年(1941年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○国民学校令,公布。尋常小学校を国民学校と改称し,義務教育年限を8年に延長。
○肉屋で犬・タツノオトシゴ・オットセイの肉も販売できるようになる。
○日本唯一の太陽観測専門の天文台が奈良・生駒山に完成。
○「備荒動植物」調査の概要がまとまる。げんごろうの天ぷら,とんぼの佃煮など,雑草1000種,動物は100種が食糧に。
○イギリスでレーダーによる雷雨の観測が行われる。レーダー実用化の始まり。
○文部省の児童図書推薦に従って,表紙に「4~5歳向」のような印刷がされるようになる。
○国鉄,アメリカ・キャタピラ社よりブルドーザーを始めて輸入。
○11月30日から,天気図が丸秘扱いとなる。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

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子どもが道徳の時間に学んでいること ふり返り366日【08/7/04】/昭和16年に変わったもの

 長男の担任は,「道徳の時間が嫌いだ」と公言しているようです。

 そういう教師が「登場人物の気持ちになりきって」迫真の「演技」を授業でしている・・・。

 子どもの価値観は,どのように育っていくのでしょう。

 「道徳教育」という言葉があり,「道徳の時間」があるために,教師たちは学習指導要領に示された様々な「価値」を教えようと努力するわけですが,それが「どのような努力」「何のための努力」かを子どもが知ってしまうと,全くねらいとかけ離れた教育が営まれることになります。
 
 子どもたちにとって,「大人たちのずるさ」「建前重視の日本社会」を学ぶのが道徳の時間になってはいないでしょうか。 

08/7/04 子どもが自らつかむ道徳的価値とは?  道徳の副読本や「心のノート」には,ごくごく当たり前の指導言が書かれており,これに反対する人は一人もいないと思います。  しかし、そう教師に言われた子どもが、みんなそのように学び合う関係をつくっていけるか。  それができたら「教育改革」なんて必要ありません。  教師は、「道徳で教えたでしょ!その通りにしなさい」などとは言わないでしょうが、そんな感覚を抱く人は少なくないと思います。

 子どもは、大人の「ごく当たり前の指導言」に出くわすと、何と思うか。
 「きれいごとばかり言って!」「大人のあなたはそういう関係がつくれているのですか?
 道徳の授業が苦手な教師が多く、道徳の時間がくるのが待ち遠しいという生徒が少ない理由は、教師でなくても考えればわかることです。
 ポイントは、子ども自らが道徳的価値に気付けるような指導となっているかどうか。
 道徳の成否は、ごく当たり前の、常識的なことをわざとらしく答えなければならない授業ではなくて、それが「自ら学んだ」「自分で獲得した」価値となったかどうかにかかっています。
 
 なぜ「自分より実力のある人間とつき合いなさい」などと教師が言うのか。
 子どもたちにも、必ず考えてもらいたい問いなのです。
 本当に素直にこの言葉を受け取って、じっくりと人間観察を始める子どももいます。
 なぜ「誰とでも分け隔てなくつきあいなさい」という当たり前のことを言わないのか。そこに疑問や興味を感じる子どももいます。
 とりあえず、「自分より実力のある人間とつき合う」努力をしてみると、どんなことがわかるのか。
 自分は、「実力」を固定的にとらえていないか。
 勉強のできる子ばかりを探そうとしていないか。
 その幅の広がりに目が向いているか。
 自分は豊かな人間観・友人観をもっているか。 
 子どもたちは、さまざまなことを気付かされるのです。
 生徒たちに限らず、大人でも、自分より優れたものをもっている人とのつきあい方が上手でないために、損している人はたくさんいます。
 環境自体が誰とでも分け隔てなく活動するようなシステムになっている私の学校では、子どもに強調する第一点が、「長所を学び、盗んでいこう」ということになります。
 わざわざ、「あなたの長所をまねしたいのですが、いいですか」などと、断る必要はありません。
 どんどん盗んでいいのです。
 発表するとき、たとえや図を使いながら説明すると意味が伝わりやすいんだな。
 発言するときは、先生の方ではなく、教室の中央に向かって話すという方法もあるんだな。
 みんなの注目を集めるときは、ちょっとだけでもジェスチャーを入れるのが効果的なんだな。
 友達の失敗のフォローって、こうすると相手が傷つかないですむんだな。
 先生に質問するときは、あらかじめこういうメモをつくっておくといいんだな。
 テストで出そうな内容を質問するときのポイントはこれだな。
 この人のノートは見やすいっていうけど、ポイントはこのスペースの使い方なんだな。
 この人の話し方は、なんだか安心感を相手に与える。そのこつは笑顔とタイミングのいいうなずきかな。
 ・・・「学び慣れ」していくと、加速度的に長所が盗めるようになっていきます
 そして、最も「学び上手」の生徒が、よきリーダーとして育っていきます。
 さらに、「学び方」がわかってくると、それを他の生徒に教えることも得意になってきます。
 「気の合う」友達づきあいというのは、黙っていても子どもは勝手に始めるものですし、その中ですでに「学び合い」をしているかもしれません。
 また、「つきあい」には、メル友になるようなレベルのものもあるでしょうが、班、係、委員会、部活動、当番活動・・・など、子どもたちには「つきあい」だらけの毎日を過ごします。
 ただ、惰性のつきあいをしていると、子どもの中には、相手の欠点ばかりに目がいって、ときにはそれを攻撃の材料にしたり、自分と共通した欠点を互いに慰め合う材料にしたりするものです。
 いじめ問題も、多くの場合、「相手より優位に立ちたい(立ち続けたい)」という願望が引き起こしていると私は考えています。
 ですからあえて教師の側では、「力のある生徒とつきあおう」というわけです。
 自尊心が高すぎる生徒にはその鼻の高さを調整する指導を入れることがありますし、理想が高すぎて自己肯定感が弱い生徒には、友だちからのはたらきかけによってその感覚を高めさせる指導を入れることもあります。
 「長所に目を向けさせる」教育。
 子どもによっては、それが短所への攻撃性を高める原因になっているとお感じかもしれませんが、もし実際の攻撃があったときこそ、その生徒への「人間教育」の指導の糸口になるのです。
 人間が対等であるとか、敬意をはらうべき対象であるということは、子どもたちが道徳的実践の中で自ら気付いていくものです。「そういうものなんだから・・・」では、子どもを変えることはできません。
 「そんな言い方、おかしんじゃないか?」という興味・関心をひくことができただけでも、このような指導法の効果を実感していただけるのではないでしょうか。

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昭和16年に廃止・中止・禁止されたもの。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 ○米屋の自由営業が廃止される。
 ○横浜市,食糧増産のため,市内の桑畑をつぶして米麦生産へ。
  (このころ,全国で桑畑の整理盛ん)
 ○一般者のガソリン使用が禁止される。
 ○マネキン人形の青い目を黒に,金髪も黒髪に変更。
 ○明治34年に開校した東京・目黒のアメリカン・スクールが閉鎖される。
 ○内務省が「迷信暦」の発売を禁止。友引・仏滅などの「日の縁起」などを取り締まる。
 ○作付統制令により,スイカ・マクワウリ・イチゴなどが不急作物として栽培抑制,次いで禁止扱いとなる。 
 ○一般用扇風機の製造が禁止。敗戦まで扇風機は海軍艦船用のみとなる。
 ○飛行機に1人でも多く客を乗せるため,「エアガール」が姿を消す。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

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藤田晋の成長学・教師編14 「経験」の落とし穴/昭和16年の流行語

 セオリー№14 入社段階で既に差がついている

 教師の場合,新規採用の段階で,すでに「講師経験」がある人は何%くらいいるのでしょう。

 講師で「教師のつもり」でいた人たちが採用後悩むのは,その仕事量の多さと,「(厳しい目で自分を見てこなかった場合,)経験はそれほど役に立たない」ということでしょう。

 まさか,教材研究をするのが夜中の2時3時になってしまうなんて,考えてもいないことだったはずです。

 講師経験のある人が陥る可能性のある最大の落とし穴は,こういうとき,「講師のときのストックで何とかやっておけばいいや」と思ってしまうことです。

 そういう人などよりは,大学を卒業したばかりの教師の方が,はるかに「伸びる」可能性をもっていると考えられます。

 それは,授業の技量の向上と組織の一員としての仕事力の向上がセットで進行していくからです。

 授業の技量がある程度そなわっているという幻想で,組織の一員として動き始めると,すぐに歯車がかみ合わなくなってくるので,何が原因かがよく分かります。

 藤田社長は,以下のような「入社段階の社員観」をもっており,そういう目からすると,「講師経験者は有利だろう」と思われるかもしれません。

 

大抵の人は,新入社員として会社に入り,そこで初めてビジネスを経験します。私はここで,いつも不思議に思うことがあります。それは,多くの人が「スタートラインはみんな一緒」だと思っていることです。入社時,同期の間に力の差なんてないと思っていませんか。
 実はそれが,キャリアを積むうえでの間違いの第一歩なのです。

 教師にとって最重要の姿勢は,子どもと一緒です。
 それは「学ぶ姿勢」であり,それが子どもをひきつける大きな力になるのです。

 スタート段階のその姿勢の美しさと,意欲の高さが,それほど遠くない未来の差を生み出すもとになります。

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昭和16年(1941年)のブーム・流行・流行語
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○国民学校の正課として取り入れられた模型飛行機作りが全国的ブームに。
○キャベツが急速に普及。1個で大勢が食べられるため。
○「月月火水木金金」
○「進め!一億火の玉だ」
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「主体的な学習」を語るのはだれか ふり返り366日【08/7/03-2】/第84問

 「子どもが主体的に取り組む学習」というのを,教師はどのようなものだと想定しているのでしょうか。

 以前にも書いたかもしれませんが,私にとっての「主体的な学習」とは,自分が興味・関心を持ったテーマについて,主に本を読むというものでした。ただ,これはとにかく学校の宿題とかテスト勉強にとっては非常にネックになるものでした。

 だいたい,1日に1冊のペースで読まないと気がすまなかった時期は,バスと電車の中ではとにかく一所懸命に読んだ記憶があります。中学校時代のテーマは自然科学,高校時代のテーマは環境問題でした。

 高校時代は新聞のスクラップもかなり時間を取られたので,宿題をやるのはたいてい学校の休み時間。

 私の尊敬する教師は,何かのことに興味を持たせてくれるというタイプで,「自分が教えている今の単元よりも生徒が学ぼうとしているテーマを優先すべき」という空気は,心地のよいものでした。

 受験とか試験とかのことになると,「穴があく」。

 ただ,塾のような場所には死んでも行きたくなかったし,経済的にも行けなかった(お年玉を本代にするのは「財産」が貯まっていく実感がありましたが,「講習」で使ってしまうのはお金を捨ててしまうような感覚がありました)。

 たまたま,大学は自分の「主体的な学習」のスタイルがぴったり合った問題を出してくれるところがあったので,そこに進学することができ,そして中・高と同じような教師のスタイルだったので同じように学ぶことができたのです。

 ・・・という経験がある人間がもし「主体的な学習」を語ろうとしたら,それは「学習指導要領」の理念には合わないのかもしれません。そこが,教育の悲しさです。

08/7/03 総則の冒頭に改訂のエッセンスがあります  教育制度改革についての具体的な提言をするわけでもなく、ただ現行の学習指導要領等に対する不満(批判ではない?)が述べられている記事が散見されますが、このこと自体が、現在の学校教育が抱えている大きな問題の顕著な傾向であると考えられます。  教育課程編成の大原則を理解せずに(下手をすると自分の学校の教育課程も知らずに)、そしてその内容への批判や自己評価をせずに、現在そして近未来の学校教育の課題を語ることに意味はあるのでしょうか。  現行の学習指導要領の総則の1「教育課程編成の一般方針」では、「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、生徒に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り、個性を生かす教育の充実に努めなければならない」とありました。  ところが、「自ら学び自ら考える力の育成」の具現化が十分に図れなかったばかりか、内容を減らした基礎的・基本的な内容も確実に定着させられないことが明らかになったため、「自ら学び・・・」の部分が、以下のように改訂されるようになりました。  ・・・創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で、基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむとともに、主体的に学習に取り組む姿勢を養い、個性を生かす教育の充実に・・・  「定着」が「習得」に、「自ら学び自ら考える力」が「基礎的・基本的な知識及び技能を活用して課題を解決する力」=「思考力、判断力、表現力その他の能力」、「主体的に学習に取り組む態度」となり、  さらに、  「生徒の発達の段階を考慮して、生徒の言語活動を充実するとともに、家庭との連携を図りながら、生徒の学習習慣が確立するよう配慮しなければならない」 という文言が加えられました。キーワードは、「言語活動」の充実と「学習習慣」の確立です。  学習指導要領総則の「教育課程編成の一般方針」の第一に掲げられたこの内容については、学校だけではなく、家庭にも周知されるよう、文部科学省及び各教育委員会、学校は努力すべきであることは言うまでもありません。  「習得」と「活用」への理解に関する課題は、これまでも記事にしてきましたが、また後日ふれることがあると思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第84問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 愛知県西尾町で,町内400戸の家庭の飯ビツが一斉点検されました。麦の混ぜ具合を調査するのが目的だったそうです。このとき,白米だけの「不心得者」が見つかったそうですが,その軒数は?
 ① 3軒
 ② 30軒
 ③ 150軒 

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 【第83問の解答
 ③でした。8ポイントから9ポイントに活字が大きくされた理由は,「国民の視力保護」のためだそうです。

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官僚と政治家の関係と教育の失敗 ふり返り366日【08/7/03】/第83問

 教育の中で「自治活動」を重視するとき,教師が子どもに丸投げしてしまうと,「自治活動」がない学校での教師と子どもとの関係(子どもが教師を頼る)と似たようなものが,子どもと子どもとの間にもできてしまいます。

 ですから,あるときは子どものリーダーシップが物を言う場面をつくり,表面的ではないことが多いですが別のところでは教師による強力なリーダーシップが必要になるのが,学校現場というものです。

 これは,政治家官僚の関係に非常に似ているかもしれません。

 官僚主導=いたれり尽くせりの学校で,子どもの自治活動,民主主義は必要なくなります。

 政治家主導=子どもたちによる自治が重視されますが,未熟だったり対立を生んだりして,ただただ混乱するだけでみんなが損をする結果に陥ることがあります。
 
 どのような関係がよりよい学校づくり,国づくりにつながるのか・・・・そのためにどのような関係づくりをするのか・・・・教育の失敗が今の政治を生んでいるという仮説が成り立つでしょうか。

08/7/03 「しつけの問題」?・・・子どもの行動を左右するものとは  はるえもんさんのブログで、「しつけの問題」って言われても・・・(1)という記事がUPされていたので、その趣旨を受けつつ、以下のようなコメントさせていただきました。

>はじめまして。
私は小学生と赤ん坊の父親で、教師です。
教師による教育ブログでも、このような発言(「しつけの問題」)が散見されますよね。
教師が「親の」しつけの問題、親が「教師の」指導力の問題として子どもの課題を捉えてしまえば、「教育」という行為はそこに生まれません。
問題は、親が自分のしつけの問題、教師も自分の指導力の問題だと気付いたときに、この親と教師にはどのような会話が成り立つのかということです。
私が実際に経験した三者面談で、保護者と私が互いに謝り合うという場面がありました。
間に入った子どもの表情は、うれしいような、恥ずかしいような、微妙なものでしたが、両者が自分のことに責任を感じて教育してくれているんだなあということを肌で実感してくれたのでしょう。
ある時期まで「手がつけられなかった」子どもは、「生まれ変わった」「見違える」ように頼もしく成長していきました。
保護者として、教師として、今後もそういう関係づくりをしていきたいと考えています。

 私が接してきた子どもの場合は、親や教師のはたらきかけよりも、小さい頃からの友達関係、交友関係によって、その行動がかなり大きく左右されているようでした。
 本当に荒れて荒れて仕方がなかった男子も、ちょっと優等生っぽい彼女ができてからは、何だかお行儀よくなってみたり。
 そこでもともとリーダー性の高かったその女子生徒を学年のまとめ役として鍛え上げ、「教師の指示は聞けなくても、○○さんの言うことなら聞く」という環境の中で、(直接的には見えない教師の働きかけで)本来中学生が学んでいくべきことを積み上げていった経験がありました。
 要は、「○○の問題」として片づけずに、「自分なら何ができるか」「自分以外のだれならうまくいくか」を考え抜いていく習慣が必要だということでしょう。

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昭和の家庭史トリビア?【第83問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 岩波文庫の活字の大きさが変更になりました。何ポイントから何ポイントへでしょう。
 ① 9→10
 ② 10→9
 ③ 8→9

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 【第82問の解答
 ③の1000万機でした。

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気付いたことに気付く時期 ふり返り366日【08/7/02-3】/第82問

 自分が率いているチームを褒められるのは,普通,悪い気がしないものです。

 しかし,褒めるのも仕事にしている教師にとっては,何を褒めてくれるかに相手の力量をくみとることができます。

 自分が最も力を入れているところを褒めてくれる教師と,単なる社交辞令として褒める教師がいます。

 かつて,「学校始まって依頼のすばらしい学年」と評価してもらえる期間を二度経験しました。

 「すばらしくて当然」という時期を除いての話ですが。

 そのような評価を口にする教師には,やはり「分かっている人」と「分かっていない人」の二つのタイプがいました。

 「分かっていない人」にも細かく分ければたくさんタイプがありますが,そのうち困ったのは子どもが見えていないタイプが評価するときです。

 「関係性」で教育を語れない人が実は現場にはたいへん多い。

 このブログでも「個」の力量だけを対象にしているように勘違いしてしまうために,先に進めないのが手に取るように分かるコメントをいただいた例がありましたが,そういう「失敗事例」が意識化できると現場は変わるでしょう。

 「子どもを変える」のも,「子どもに気付かせる」ことしか方法はありません。・・・・いつの間にか変わっていることが多いですが,「気付いたこと」に気付くのはたいてい変わってからではあるのですが。

08/7/02 教育ブログでのスタンス  「強き」リーダーを鍛え抜いている場面を見られ、「どうしてそこまで厳しくするの」と問われることがあります。  私が厳しく指導するポイントはその生徒が自信をもっており、その部分をよりピカピカに磨いていこうとするときに行うことです。  リーダーの中にもある弱い部分には、しっかり寄り添って自信に変える指導を行うようにしています。  ただ、それぞれの指導にはタイムラグがあるので、「教師間の協力的指導」というのが威力を発揮するわけです。  強さと弱さが同居しているのが人間であり、子どもならそのアンバランスさが心の不安定さも招いています。  「弱い」部分を支えることに注力しすぎたために、いつも手助けを必要としてしまうような依存心の強い子どもが生まれるのだという批判を私も受けたことがありました。  「強い」部分には度合いに応じた適当な刺激を。  これが私のモットーであり、教育ブログの中でのスタンスでもあります。

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昭和の家庭史トリビア?【第82問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 国民学校の正課として取り入れられた模型飛行機作りが,全国的ブームに。教材としての使用だけで,どのくらいの数があったでしょう?
 ① 10万機 
 ② 100万機
 ③ 1000万機

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 【第81問の解答
 ③の20000人でした。紙芝居業者は,東京に1581人,大阪930人,群馬726人,山口には620人いたそうです。

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歴史学習の苦手意識 ふり返り366日【08/7/02-2】/第80問

 小学生にとっての歴史学習で「苦手意識」が高まるのは,「近現代」を扱うときです。

 小学生にとって,ということは,6年生で歴史を学び始めますから,中学校1年生にとっても同じことで,「人気のある時代」というのは,戦国時代,江戸時代,平安時代となっています。

 その理由は,あることを調べろ,と言われたとき,対象となる人物が限られていることと,何をしたかが理解しやすいこと,そしてその評価がかなり定まっていることにあるようです。

 一方で,幕末から明治維新,そして戦争の20世紀に入っていくと,「できごとが多すぎて分かりにくくなる」という印象から,「苦手意識」が高まっていくのです。

 小学生にとっての人物を中心とした学習というのは,その人の行動から時代の中でのはたらきやその意義を考える活動であって,同時期に複数の人間が登場してくると,「情報量が多くなる」という実感から,拒否反応が表れ出すわけです。

 人物だけでなく,複数の「外国」がかかわり始める近代では,混乱するばかりになってしまう・・・。

 このような実態からは,小中学校の社会科で学ぶ「知識」面の順序性の課題も明らかになってくる。

 あとは,発達段階を考慮して,どのタイミングから「関連性の理解」「共通点や相違点の発見」を重視する学習を導入し始めるべきか,ということが課題になります。

 算数→数学などと違って,社会科の得意・不得意を分けるメカニズムはまだ十分に分かっているとは言えません。

 この解明に力を注ぎながら,次の次の学習指導要領を考える段階に入っています。

08/7/02 歴史学習における名脇役と主役  特定の課題の調査結果から、「主に学習過程でより強い印象をもった歴史的事象に引きつけられたこと」による習得場面での失敗が指摘されています。  ある教科の1時間の授業で学べたことを家に帰って一言で表現させると、社会科などは、教師の雑談や脱線した内容しか覚えておらず、肝心の「習得すべき内容」がおろそかになっているのがわかることがよくあります。  ここで大切なのはノートなのですが、ノート指導ができない小学校教師が担任になってしまっていたらもうおしまいです。  小学校の教師は、子どもに「あきさせない」ために、さまざまな工夫をしてくれることがあるのですが、それが導入にとどまらず、主要な展開部分でも余計な話が入ることがあるため、学習内容に焦点があたらず、子どもも何が大切なのか、何をこの授業で学ぶべきだったのかがわからず、ピンぼけのまま終わってしまうことが多いのです。  もちろん「話術」で子どもを引きつける中学校の社会科教師にも似たようなことが言えるでしょう。  しかし、さすがに中学校ではノートをとらずに授業が終わるということはめったにないので、最低限、どのような用語が理解できていればいいのか、どのような概念がわかっていればいいのかが一目で復習できるようなしくみになっています。  特定の課題の調査結果では、中学校の歴史的分野で、「関係図にまとめる学習を行っている生徒は正答率が高い傾向がある」ことが明らかになりました。これは、教師の指導の有無による影響が多いことは言うまでもないでしょう。  関係図では、丸や四角、矢印の意味を明確にしておかないとかえって誤解を生む場合もありますが、それが書かれて初めて理解できるような内容もあるわけです。  話を元に戻しますが、歴史学習では、非常に印象深い場面、絵画資料、エピソードなどが豊富にあります。  それらを学習の主役ではなく、「特別出演」「友情出演」のような扱いにし、習得すべき学習内容の名脇役として子どもに認識させるような指導が求められているのだと言えます。  もちろん、小学校段階では、「歴史的事象に興味・関心をもてるようになること」だけでも十分な気もしますが、学習指導要領に示された内容を重点的に指導し、簡単に子どもに説明させられるような授業を展開してほしいと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第80問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 東京のある場所の前でのお見合いがはやりました。その場所とは?
 ① 皇居前
 ② 交番前
 ③ 忠犬ハチ公前

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 【第79問の解答
 ③のトウモロコシでした。

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社会科のテストはどう変わるか? ふり返り366日【08/7/02】/第79問

 「説明文から用語を選択する問題」より,「用語から説明文を選択する問題」の方が,得点が低い・・・これはつまり,短文で聞かれ,「単語」で答える=一問一答式の学習ばかりが行われていることを示しているわけでしょう。

 「言語活動の充実」が改訂の要点に入った以上,「単語」で答えて評価されてしまうような試験問題はなくなります・・・こういう単純なところから,「学力向上」は実現できるのかもしれません。

08/7/02 特定の課題に関する調査(社会)結果が公表されています  国立教育政策研究所から、「特定の課題に関する調査(社会)」結果が公開されています。  この調査は、 ①社会科における基礎・基本となる知識・概念②問題解決的な学習 に焦点を当てた調査を実施したもので、ペーパーテストの結果と学習に対する意識や学校における指導の実際等に関する質問紙調査の結果との関連も考察しています。  学習指導要領の解説も出されてきますので、指導の改善に役立てる資料と捉えるならよいタイミングでしょう。  基礎・基本に関する調査結果では、たとえば、中学校の歴史的分野の場合、正解率が高かった(80%以上)ものには、次の3つの特徴が挙げられています。 1.時代の転換にかかわる歴史的事象・・・鎌倉幕府太平洋戦争など。 2.用語から内容が推察されやすいもの・・・刀狩廃藩置県富国強兵世界恐慌冷戦など。 3.歴史的事象が視覚的にとらえやすいもの・・・甲骨文字古墳東大寺南大門の金剛力士像など。  一方、正解率が低かった(60%以下)ものは、 1.主に語意や概念が似ている誤答と混同したと考えられるもの・・・国際連合に対する誤答は国際連盟。 2.主に時期が接近している歴史的事象同士で、歴史の流れや内容の理解が不十分であるために混同したと考えられるもの・・・サンフランシスコ平和条約に対する誤答は日米安全保障条約。 3.主に学習過程でより強い印象をもった歴史的事象に引きつけられたと考えられるもの・・・大和朝廷に対する誤答は邪馬台国。 4.主に覚え間違いや曖昧なままの理解を続けていると考えられるもの・・・○世紀の意味。 などの特徴が指摘されています。  質問紙調査からは、教師の指導方法によって子どもの理解度への影響が見られる内容があり、このような調査結果が現場の教師までわかりやすく伝えられる手段というのも求められていると考えられます。  ちょっと読み続けるにはしんどいページ数がありますが、「ポイント」でおおまかな内容は判断できそうです。  指導上の改善に役立てる内容もごくわずかですから、参考にしていただきたいと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第79問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 食糧増産のため,国鉄の線路脇に植えられることになったのは,どれでしょうか?
 ① 大根
 ② サツマイモ
 ③ トウモロコシ

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 【第78問の解答
 マネージャーは,②の「秘書」でした。

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リーダーをつくらない小学校 ふり返り366日【08/7/01-2】/昭和15年の変化

 とてもなつかしい響きのある,教師の一言。

 「自分より実力のある人間とつき合いなさい

 とてもメッセージ性の高い言葉です。

 あるブロガーは,自分よりも私の「実力がない」と判断した後,私のこの一言を忠実に守って,この記事へのコメントを入れるのをやめました。

 

「私を論駁なさりたいのであれば,私の指摘した矛盾が成立しないということを同じ論法を用いて証明なさらなければいけません。決して,教育観などに関わる問題ではなく,純粋に貴殿のご主張の論理性の欠如を指摘しています。教育観の差異に関しては,お互いに相容れないことが明白なので,貴殿と議論する価値を感じません」

 ・・・大学の先生と公立学校の現場の教師の話がかみ合わない理由がよく分かる見解ですね。

 なぜ「自分より実力がない」と判断した相手の言いなりにならなければならないのか不思議ですが,以下の誤解があったのも確かでしょう。

 「自分よる実力のない人間とつき合うのはやめなさい

 と言っているわけではないこの言葉に込められた思いは,文字では伝わりにくいようです。

 さて,社会の中で優れたリーダーを養成する仕組みをきちんとした形で担っている組織はどれだけあるでしょうか。

 単純に,テストの点数が高ければリーダーになれてしまう,そういう「秀才信仰」はさすがに消えつつあるかもしれませんが,「利他的リーダー」は自然に生まれてくるものなのかどうか。

 小学校の中には,「学級の代表」をおかないところもあるようです。

 近隣の中学校との話し合い・交流の中で,このような現状はどのように認識されているのでしょうか?

08/7/01 リーダーを育成する学校と教師  「自分より実力のある人間とつき合いなさい」  このことは、「生徒から学ぶ生徒」「生徒が生徒を育てる学校」という伝統がある私の勤務校では、昔から教師が口を酸っぱくして生徒に語りかけてきた言葉です。  この「力」というのは、もちろん「学力」だけとは限りません。たとえ一言で「学力」と言っても、それがさす「力」は非常に広がりがあるものです。  あえて誤解を避けるように言えば、「自分より個性の豊かな人間とつき合いなさい」という表現になるでしょうか。  「実力」「個性」とは、たとえば包容力なんてものもあっていいし、忍耐力、協調性、雑学博士、運動センス、・・・さまざまな「力」が子どもたちには備わっており、また、伸ばしていっているのです。  人は、自分が優越感を感じられるように、自分と同等か、似たようなタイプ、自分が優位に立てる自信があるようなタイプの人間とは容易につき合うことができます。  しかし、自分より優れていると見えてしまう人で、自分が下に見られそうだなと思ってしまうと、自分から近づいていくことは難しくなる。人が人から学ぶというのは、言うのは簡単でも、実際には難しいものです。  自治のさかんな学校というのは、そういう場面がたくさんできるよう、あらかじめプログラムされているというか、代々そういう経験ができるようなしくみができあがっています。  学校が「リーダー育成」を声高に目標に掲げると、「格差拡大を目論むつもりか!」という反論が出てきそうですが、子どもにリーダーシップが備わると、たとえば危険な行動をとっている仲間に対して、子どもの側から「危ないぞ!」「そんなことはやめろ!」という注意が促されるものです。  単純な一例ですが、リーダーがそういう態度に出たとき、「おまえは教師の犬か!」などと非難されるような学級経営をしているようでは、具体的な対案も出さずに世の中を批判することしかできない人間ばかりが増えてしまうことでしょう。  「子どもにそんな責任感をもたせる必要があるのか」と問われると、教師の力量に多大な疑問を抱えている私などにとっては、「あるどころの話ではない。それが学校を救えるかもしれない」とまで言い切ってしまいます。  以前に若干ふれた、「学校再建」「学校正常化」の最大のコツは、そこにありました。教師の力ももちろん必要でしたが、生徒が生徒を救ったのです。  公立中学校にいたときは、「学級委員ができるレベルの生徒が少なくなった」という嘆きをよく耳にしました。  こういうとき、即、「学級委員が育てられる教師が少なくなった」と読み替えられるかどうか。  公立中学校のピンチの背景として、子どもと教師、どちらに大きな比重をおくか。  私のスタンスは、これをあくまでも教師におくという前提で考えをまとめていくというものです。

*********************

昭和15年(1940年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○全国に先駆け,名古屋でマッチの配給制が始まる。
○全国に先駆け,高知で米の切符配給制が始まる。
○東京・隅田川に,船が通るたびに橋の中央部が跳ね上がる勝鬨橋が完成し,東京名物となる。
○東京市内に「贅沢は敵だ」の立て看板1500本を設置。
○文部省,中学校の制服を男子は国防色(カーキ色),女子は紺色と決める。
○アメリカで最初の高速道路が開通。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
*昭和15年に廃止・中止・禁止されたもの。
 ○調理用電熱器や家庭用電気冷蔵庫など,電気器具の使用が禁止される。
 ○三越,エスカレーターの運転を休止。
 ○東京府の食堂・料理店などで米使用を全面禁止。
 ○列車寝台の貸し浴衣を廃止。
 ○学生の劇場・映画館への平日入場が禁止される。
 ○文部省,修学旅行を制限するよう全国に通達。昭和18年以降は全面禁止。
 ○電力制限で広告灯・ネオンサインがなくなる。

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教員の人数を増やすよりも効果的なことは? ふり返り366日【08/7/01】/昭和15年のブーム

 いよいよ,教師にとってはその使命感が問われる時代になっていきそうです。

 「給料が下がることで教職を志望する人の質が下がるのではないか

 という危惧を抱いている人がいるようですが,少なくとも,「高い給与・職の安定性」だけを目当てに志望する人が減るのはよい効果かもしれません。

 低い給与でも子どものために汗水たらして精一杯働きたい,という若い人がいてくれることはいいことでしょう。

 給与を減らせば,教員を増やすことができます

 そして,教員を増やしたいと主張する人は,1学級の子どもの数を少なくすることを実現したい,とも考えています。

 しかし残念ながら,学級の子どもの数が少ないほど効果的な教育が展開できる,という主張に十分な根拠があるとは言い切れません。

 少人数ならではの問題に悩んでいる,へき地の学校も多いのです。

 少人数指導を行って苦手教科を克服させたいというのなら別ですが,人数が多い方が活気があり,切磋琢磨があり,協力関係があり,複雑な人間関係の中で調整能力がつき・・・などの教育効果も捨て去りにくい面があります。

 また,少人数指導は,準備に非常に時間と労力が必要になります。実は負担感はかなり増大することが考えられます。

 それは「児童が学習内容を確実に身に付けることができるよう」にする責務がより明確になるから,という側面もあるからです。

 本気で仕事をしている人にとっては,教員を増やすよりも,教育課程の編成をより柔軟に行えるようにしてくれた方が,よほど子どものためになると考えていることでしょう。

 そのときネックになるのは,「本気」の加減が一律ではないことです。

 管理職が「本気」になると,「やる気のなくなる」教師が増えるのも困った問題です。

 それより,管理職が「無気力」な方が教師の「やる気」が高まるという今の学校の仕組み自体を考え直した方がいいのかもしれません。

ふり返り366日【08/7/01】 小学校学習指導要領解説が公開されています

 「少人数指導」というのは通称で、学習指導要領では「グループ別指導」とよんでいる指導のことです。
 「少人数」と言ってしまうと、それは何人以下の指導のことなのか、などと説明しなければならないのを避けるためでしょう。
 それは相対的な見方もできて、児童・生徒数が少ない学校で、学年に数人しかいない場合、40人学級から見れば常に少人数に見えてしまう学習集団が「グループ別指導」を行おうとすれば、3人と4人に分けたりすることができます。
 小学校学習指導要領総則で「指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項」の一つとして示されている「指導方法や指導体制の工夫改善など個に応じた指導の充実」については、現行と改訂版にほとんど変化はありません。(「教師」→「教師間」だけかな?)
 引用すると、以下の通りです。

*******************
 各教科等の指導に当たっては、児童が学習内容を確実に身に付けることができるよう、学校や児童の実態に応じ、個別指導やグループ別指導、繰り返し指導、学習内容の習熟の程度に応じた指導、児童の興味・関心等に応じた課題学習、補充的な学習や発展的な学習などの学習活動を取り入れた指導、教師間の協力的な指導など指導方法や指導体制を工夫改善し、個に応じた指導の充実を図ること。
*******************

 本日、文部科学省のHPに、小学校学習指導要領の解説がUPされました。
 よたよたあひるさんもふれている、「少人数指導」への配慮事項として、解説には以下のような内容があります。
 

こうした指導方法の工夫はすべての児童に対応するものであるが,学習の遅れがちな児童には特に配慮する必要がある。

 各学校で学習内容の習熟の程度に応じた指導を実施する際には,児童に優越感や劣等感を生じさせたり,学習集団による学習内容の分化が長期化・固定化するなどして学習意欲を低下させたりすることのないように十分留意する必要がある。また,学習集団の編成の際は,教師が一方的に児童を割り振るのではなく,児童の興味・関心等に配慮し,自分で課題や集団を選ぶことができるよう配慮することも重要である。その際,児童が自分の能力・適性に全く合致しない課題や集団を選ぶようであれば,教師は適切な助言を行うなどの工夫を行うことが大切である。
 また,保護者に対しては,指導内容・指導方法の工夫改善等を示した指導計画,期待される学習の充実に係る効果,導入の理由等を事前に説明するなどの配慮が望まれる。


 一般の方は学習指導要領の解説までは読まれないと思いますが、小中学校の教師でも、「総合的な学習の時間」の担当者以外で、総則の解説を読み込んでいる人はきっと少ないでしょう。
 各学校は独自の「教育課程」を編成しなければならないのですが、学習指導要領をしっかり読み込んでいかないと、教育委員会が受理するときにつっこまれた質問をされて答えられなくなってしまいます。
 受理する時、指導主事は、解説までしっかり読み込んでおかないと、つっこんだ質問ができません。
 学校が教育課程を編成するとき、教務主任や副校長だけが練るのではなく、学年や研究部の教師の意見がどれだけ反映できる仕組みになっているかが問われなければなりません。
 解説の以下の部分を知らないということにならないよう、徹底してほしいものです。
 かなりつっこんだ学校の指導体制のあり方を述べています。もちろん法改正の趣旨をふまえた内容です。
 昔からしっかりやってこれている伝統があるところは慌てる必要はないのですが。

**********************
 指導体制の工夫改善を進める上で校長の果たす役割は大きいので,校長は指導力を発揮して,指導体制の活性化を図るよう努めることが必要である。また,校長や副校長,教頭が授業の指導を行ったり参加したり,学習指導について経験豊かな指導教諭などの教師が他の学級の授業を支援したりするなど,様々な工夫をすること
が求められる。さらに,指導案の作成,授業研究などを学年会や教科部会,学校全体などで行い,広く意見を交わし合い,教師間で情報の共有を図るような機会を設けたり,それぞれの役割分担を明確にすることも,より効果的な指導を行うためには大切である。なお,教師が教材研究,指導の打合せ,地域との連絡調整などに充てる時間を可能な限り確保できるよう,会議の持ち方や時間割の工夫など時間の効果的・効率的な利用等に配慮することも重要であろう。
**********************

昭和15年(1940年)のブーム・流行
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
○野草食が流行し,雑草のパンや桑の葉パンなども登場。
○雑木をガスで焼いた焼きゲタが流行。
○大阪で真綿で作った鏡餅が流行。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
 *流行語
  「バスに乗り遅れるな」「紀元2600年」
  「八紘一宇」「南進」「一億一心」「節米」
  「万世一系」「さあ働こう」「大政翼賛」

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学校での三角関係 ふり返り366日【08/6/30】/第78問

 指導主事のころですが,少人数指導で課題がある教師に対して指導するときに,そこに管理職の先生もいて話を聞いているという状況は,なかなかやりにくいものでした。

 なぜなら,管理職が大事なことに気付いていないことを指摘するようなものだからです。

 ごくまれに,自分は(嫌われるから)教師たちに言いたいことは言えないが,たまにしか来ない指導主事からは,どんどん(自分が言いたくて言えなかったことを含めて)言ってほしい,そういう考え方の管理職がいるようです。

 状況から察することができるので,望みどおりに,そしてとても大事なことを,該当の教師に対して指摘するわけですが,学校として,仮に教師が変わっていくとしても,同じことばかりを言われ続けるというのはおかしな話です。

 こういう問題について,教育委員会の事務局,いわゆる教員ではなく,事務方の係長や教育長なども,理解を示してくれる・・・ということは,校長の評価が低くなる・・・こともあるでしょうが,親からの苦情とか,何か直接的な「形」になっているもののみを「問題」ととらえ,単純な低学力は「問題」とはとらえない,そんなムードがあるところが多いのではないでしょうか。

 「主幹」「指導教諭」がやるべきことは,確かにたくさんあると思いますし,このタイプの「指導」も必要だと思いますが,やはり「校長」「副校長」の一言は重い・・・はずなのです。

 管理職・指導主事・教諭,管理職・主幹や指導教諭・教諭の三角関係は悩ましい問題です。

 教師たちの機嫌をとってばかりの管理職ではなく,教師をきちんと指導できる,ということは子どもをきちんと指導できる環境をつくる,そういう管理職が増えてくれることを期待しています。

08/6/30 少人数指導のあり方にも注意と関心を!

 小学校における少人数指導の問題点を保護者の立場からも指摘しておきたいと思います。
 転落事故がおこった小学校ではどうだったかわかりませんが、2学級を3グループに分けるような算数の少人数指導を行う場合、当然担任外の教師が指導に加わることになります。
 新聞発表では、「担任教諭」ではなく「女性教諭(なぜ「女性」「男性」と断る習慣があるのかよくわかりませんが)」と表現されているので、もしや、と思いました。

 私が授業観察させていただいた学校だけでなく、子どもの通う学校にも、児童の能力・性格・行動の特性はおろか名前までわからずに「一斉指導」形式の授業をしている教師がいました。
 当然指導主事の時代には指摘せざるを得ないケースでした(これは、学校の教育課程で示していることと反することになり、校長の責任で改善してもらうべき重要な点だからです)。

 「少人数指導」というのは、少なくとも「一人一人の児童・生徒にきめの細かい指導を実施する」ことが目的であり、それができて、子どもの能力が高まることが最大のメリットなのですが、40人のときと変わらない指導では意味がないのです。それどころか、名前やクラスまで覚えていないというのは大問題です。
 今回の事故を通しては、このような指導のあり方にも目を向ける必要があるかもしれません。

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昭和の家庭史トリビア?【第78問】 
 昭和15年(1940年)の話です。
 日本野球連盟,監督・選手の呼称をやめ,教士・選士と改称しました。では,マネージャーは?
 ① 助手 
 ② 秘書
 ③ 助士

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 【第77問の解答
 ②の「弾丸ライナー」でした。阪神戦の実況で野球評論家の大和球士がそのように表現してから,川上選手の代名詞になったそうです。

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無駄を有益とする有害な人 ふり返り366日【08/6/29-4】/第77問

 学校には,職員会議という,かなりの無駄な時間が費やされる拘束場所があります。

 職員会議で分かることというのは,結局,準備がよくできていないとか,根回しが不十分であるとか,理解していないとか,そういう「失敗」に気付くこと,そういうことばかりです。

 「失敗」状況に気付かずに,ただよくも分かっていない目標に向かってまい進するのはいつかのどこかの国と同じ態度であって,それはそれで避けなければならないとすると,結局,会議は必要である,ということになってしまう。

 無駄な時間をつくっている原因がどこにあるかについて共通理解をつくって,それを解決する手段を講ずれば,会議の時間は短くなるのです。

 でも,「無駄」は「無駄」なりに「有益」だという「有害」な人もいるので,この「無駄」は簡単にはなくせません。

 堂々巡りをたつ方法はただ一つ。教師の成長です。

08/6/29 豊富なメニュー【「朝令暮改の発想」その2】

 教師の逆コンピテンシーにも共通する「朝令暮改の発想」のメニューは非常に豊富で、どのように料理すべきか迷うほどです。
 「時間の無駄の典型は成果に結びつかない会議と資料づくり」
 「人間は『○○』のせいにして自分が納得しやすい話をつくりたがる」
 「『○○のせい』にして責任逃れをしたときからすべては終わる」
 「『できない』という間に『できない理由』になっているか考える」
 「『なあなあ』『まあまあ』に流れたときから停滞が始まる」
 「口先だけの『評論家』をやめ、仕事のできる『実務家』になろう」
 「『真の競争相手』は同業他社ではなく『絶えず変化する顧客ニーズ』である」
 「『顧客のために』ではなく『顧客の立場』で考える」
 「『素人の強さ』をあなどってはならない」
 「『本当にそうだろうか』と常に問い直し、ものごとの本質をつかむ」
 「目的と手段をはき違えてはならない」
 「『基本の徹底』ができないと『変化対応』もできない」
 「部下は『常に自己正当化する存在』だから追い詰めることも必要」
 「上司はいざというときは部下にかわって『答え』を出さなければならない」
 「『悪い情報は知りたくない』と思う人間には真実はつかめない」
 「人は『変えること』に抵抗をする」
 「『自分を守ろうとする心理』に妥協しない」
 厳しく教育現場を見つめ直してみたいと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第77問】 
 昭和15年(1940年)の話です。
 巨人の川上哲治1塁手のニックネームになった言葉とは?
 ① 打撃の神様
 ② 弾丸ライナー
 ③ 若き大砲

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 【第76問の解答
 ③の火葬場の残灰でした。金歯や指輪を取り出して,3200円の収入になったそうです。

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荒れの中でたくましく育つ子ども ふり返り366日【08/6/29-3】/第76問

 プロ野球でも,ピンチのときこそ力を発揮する,そういうタイプが一流選手となって,長くグラウンドに立っていられるわけです。

 高校野球や少年野球などでは,「ピンチに耐える」プレーができず,がたがたに崩れてしまうチームも見かけられます。いかにも練習をしてこなかったんだなという空気が伝わってくるものです。
 
 では,ピンチに強い人間になるためには,地道に努力を怠らないでがんばっていればいいのか,というと,そう簡単にはいかないのも現実社会です。

 新しい学習指導要領では,「習得」だけでなく「活用」を,そのためにも「言語活動の充実」を求めるようになっています。

 これは,ちょっと状況が変わるだけで,自分の力が出せなくなるような柔な人間ではなく,多少の状況変化には適切に対応して,それまで培ってきた力を発揮できるような人間になることを求めている,そういうイメージとしてとらえればよいわけでしょう。

 よく,学校が荒れた状態の中で,一方でとても立派な生徒が育っていくという状況を目にしてきました。

 これはあくまでも,教師がその荒れに適切に対応して,飲み込まれない状態が維持できた場合に限ってのことです。

 教師が荒れに流されたり,生徒に媚を売ることによって生き残りを図ったりするような学校では,決して起こらない現象です。

 平穏な状況が続く中でも,変化に対応できる生徒を育成するには,常により高い水準の要求を続けていくことが求められます。

 しかし,向上意欲の育成が不十分だと,「去年より厳しい」という愚痴になってしまいます。

 教師が子どもに対して見せつけるべき重要なことは「向上心」です。

 これを実践し,これこそが道徳教育とよべる学校が,どれだけあるでしょうか。

08/6/29 逆風のときに問われる力量【「朝令暮改の発想」より(その1)】

 私はこれまで、企業経営者の本を読んでも、あまく多くの共感を得ることはありませんでした。
 ただ、最近手にした鈴木敏文(セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長・CEO)著『朝令暮改の発想 ~仕事の壁を突破する95の直言~』(新潮社)には、教育失敗学にそのまま適用できる考えばかりが紹介されており、ここで取り上げる価値があると思うようになりました。
 さっと読んでこの本を購入することにしたきっかけは、「はじめに」の中で、

*********************
 チャンスをつかめるかどうかは、才能ではなく、ものの見方や、仕事の取り組み方にかかっています。世の中でいわれていることを鵜呑みにするのではなく、「なぜ、そうなのか」と常に問題意識を持ってクエスチョンを発し続け、自分で掘り下げて考える習慣を身につけることです。そうすると、日々起きるさまざまな出来事に対し、自分なりに理解力がついてきます。

 アゲンストのときこそ、取り組み方の差が大きく表れる。自分の仕事のフォームをもう一度見直す上で、この本が一つのヒントになれば、何よりの幸いです。
*********************

とあったこと。
 また、「仕事は毎日が瀬戸際」というフレーズ。
 まさに今の私は文字通り、瀬戸際です。ルーチンワークを除き、校務関係、教科関係、外部関係、合わせて約20のプロジェクトが同時進行で、常に結果が求められています。
 「人間は一度仕事でうまくいくと、その喜びの余韻にいつまでも浸ろうとする習性があること」、「仕事の中で惰性に陥る人がいること」は教師の世界でもよくあてはまり、惰性や妥協をなくさない限り、問題の解決は図れないという考えにも共感できます。
 「去年と同じ(内容、レベル、・・・意味はさまざま)でいいのでは」と言われることがありますが、それでは決して満足できません。
 冒頭のゴルフのたとえは秀逸でした。

 ゴルフでフォローからアゲンストに風が変わると、普通の人は「ついていない」と思う。
 アゲンストのときはボールの中心を打たないと、どこに飛んでいくかわからない。
 ということは、実力が結果にストレートにあらわれる。
 日ごろから熱心に練習し、正しいフォームを身につけて、技術を磨いていれば、アゲンストのときほど努力が報われ、努力を怠っていた人が出せないような成果が出せる。
 
 ただ、ゴルフは競技で一緒にプレーしていた人と競うスポーツですが、教育現場はそうはいきません。
 アゲンストになるともろくも崩れ去るような弱体化した教師集団では困るのです。
 「95の直言」の中には、当たり前のこともたくさんあるのですが(その当たり前ができずに苦しむ場合も)、教師の逆コンピテンシーにかかわる部分を取り出して考えてみたいと思います。

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第76問】 
 昭和15年(1940年)の話です。
 このころになると,「節約ネタ」ばかりになります。
 大阪市が,資源確保のために捨てるのをやめたものとは?
 ① 役所や学校での使用済みの紙
 ② 動物の死骸
 ③ 火葬場の残灰

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 【第75問の解答
 ②の20倍,125万人でした。

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なぜ学習指導要領準拠の入試問題ができないか ふり返り366日【08/6/29-2】/第75問

 入試にも大きな影響がある教科の評価が「目標準拠評価」(いわゆる絶対評価)になった以上,学習指導要領の目標や内容を理解しない限り,適正な評価はできないことになっています。

 しかし,入試における学力検査しか頭にない人たちは,「どういう問題が出るか」「どういう範囲で出るか」という視点ばかりを重視するので,「過去問」をもとに同じような指導を繰り返すことになります。

 入試をつくる側にとっての悩みは,「短時間で,だれが採点しても同じ採点結果がでるような問題が望まれている」ことです。

 全国学力調査の活用問題のようなものばかり出題されると,採点に時間がかかる,そのために,結局は「学力のごく一面を問う」問題になってしまう。

 授業も一面,入試問題も一面では,「目標」の意味がない。

 しかし入学選抜ではそれが実情でしょう。

 「問題が解けるようになればそれでいいだろう」という極論もあるでしょうが,こういう人たちに限って,「学力検査の結果で評価するのはおかしい」などという主張をするのであり,本当にチグハグなことになっています。

 教育政策の動向は,政治の変動とも無関係ではありません。

 教育への関心自体が高まっていくであろうことは,ある意味ではとてもよいことです。

08/6/29 学習指導要領改訂による混乱とは?

 新しい学習指導要領が、かなりの期間及び相当の回数の検討を経てできあがることは、中教審の答申や教育課程部会の審議内容を読まない教師はよく知らないと思います。
 学習指導要領の各教科編には、「改訂の経緯」や「改訂の趣旨」「改善具体的事項」「改訂の要点」等が冒頭に示されています。
そこを読めば、今回の改訂がなぜ行われたのかを知ることができます。
 一部に、学習指導要領の改訂が教育の混乱を招いてきたと考えている人がいますが、改訂されてもあまりその趣旨を理解せずに昔ながらの授業を実践している教師が多いのは、学習指導要領があくまでも基準を示したものだからです。

 一方で、たしかに「混乱」する部分があると言えるのは、たとえば教科書会社が、新しい学習指導要領の趣旨に沿うように新しい教科書を作らなければならないのですが、具体的にこう教えろとは学習指導要領は書いていないものですから、「どうやってつくったらいいか」と悩むわけです。編集者、執筆者の中には「混乱」している人がいるかもしれません。

 また、授業時数がかわるので、新しい時間割づくりなど、現場が苦労することはあります。
 教育政策へのスタンスは、非常に長いスパンが必要である部分と、「豊かな人間性をはぐくむべき時期の教育に様々な課題が生じている」以上、それらの「課題に適切に対応していくことが、これからの教育に求められている」こと、また、国際化、情報化、科学技術の発展、環境問題、高齢化・少子化等の様々な面における大きな変化は、10年先のことも十分に見通せないため、今後の変化を踏まえた新しい時代の教育をしっかり検討し、それを学校教育でも反映していくような短いスパンで実践すべき部分があるのは当然のことです。
 学習指導要領そのものも問い直すべきではないかという意見もありますが、たとえば今回の改訂では、いわゆる「はどめ規定」が見直されるなど、さらに学校の裁量が増え、自由な教育ができるように改善されています。
 (ただ、はどめ規定が示された現行の学習指導要領の趣旨をふまえると、内容を厳選して「これだけは身に付けさせて」ということが結局は実現できなかったため、今後は指導者や学習集団の力量による格差が拡大することは避けられないことが予想されます)
 学習指導要領の具体的な内容については、私も批判したいことはたくさんあります。ただ、もし公務員が法令に準じる学習指導要領を自主的に、そして批判的に読む習慣を失っているとすれば、公教育への信頼は失われていくばかりだと考えれます。
 (現実に、学習指導要領を読まなくても、それに準拠した教科書が作られて、文部科学省の検定で合格させている以上は、それをもとに教えれば、教育は成り立ちます。しかし、学習指導要領の改訂の趣旨を踏まえないことで、マイナスの要素が生まれることは多いと思います。)

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第75問】 
 昭和15年(1940年)の話です。
 この年は「皇紀2600年」。「国史劇」「神社めぐり」が盛んになりました。
 奈良・橿原神宮の正月三が日の参拝者は,前年の何倍になったでしょうか。 
 ① 10倍
 ② 20倍
 ③ 200倍

*******************
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 【第74問の解答
 ②の金歯でした。「金」が調査の対象になったため,各家庭の金歯からキセルの口金まで強制申告させられることになりました。

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教科書会社の負担 ふり返り366日【08/6/29】/昭和14年にできたもの

 学習指導要領,そしてその解説も,版を大きくしたり,体裁を考えたりと「読ませる」ための工夫をたくさんしているのですが,教員採用試験の前には読む指導要領も,採用された後は読んだことがない,という教師が少なくないかもしれません。

 特に小学校の教師は全科ですから,読まなければならない解説のページ数は大量です。

 しかも,「解説の解説」が出版されるくらい,実は解説というのは「分かる人」が読まないと「分からない」内容になっているので,ますます読むことから遠ざけてしまう原因になっています。

 小学校では平成23年度から,小学校では24年度から完全実施ですが,移行はもう始まっています。

 教科書もできていないから,「まだ先の話」と言い切ることはできません。

 ところで,学習指導要領やその解説本の弱点は表紙が薄いことと,読むときに紙の表面が光って見えないことがあることです。

 教科書会社に負担をかけて安く仕上げるのはやめて,30年版にはもっと本らしい本に工夫されることを期待します。

08/6/29 学習指導要領を読まない教師    学習指導要領の趣旨を誤解している方たちがいます。  「生きる力」とか、「新しい学力観」など、改訂に際してのキーワードの意味すら認識していない教師もたくさんいます。(なお、新しい学習指導要領は、現行の学習指導要領の理念を引き継ぎつつ、教育基本法や学校教育法の改正もふまえ、その理念の実現するための具体的な手立てを確立する観点からの改訂です。)  「移行措置」についても、「教科書会社が資料を作ってくれるだろう」と頼り切っている教師が多いことでしょう。  新聞などのマスコミからの情報を鵜呑みにしている教師もいます。  学習指導要領というのは、内容の基準を示すものであって、細かな内容や教育方法については現場や地域の特色に応じた創意工夫にまかされている部分が大きいものです。  そのため、「どうやって教えたらいいか分からない」という先生方のためにさまざまな研修が実施されています。  私は基本的に、50年たっても教師の教え方はそれほど変化していないのではないかと考えています。  内容の増減はあっても、20~30年前の教師と、今の教師を比べて、何がどれだけ変わったというのでしょう。  教師はほぼ10年ごとに学習指導要領が変わって、10年区切りの世代が引退していきますが、特別リニューアルされるわけでもなく、昔のスタイルを引き継いでいる部分が多いのではないでしょうか。  学習指導要領では、各学校がその特色に応じて工夫すべき点をたくさん示してあります。  本当に目の前にいる子どもたちのために工夫している教師が多いのかどうか、それを問うべきときだと考えています。  学習指導要領の改訂ごとに、現場がしっかり教育内容、教育方法についてふり返り、よかったことを引き継ぎつつ、課題があったことを改善していく。このサイクルは、「もっと短い方がいい」という意見もあるのですが、私は10年がいい区切りだと考えています。  学習指導要領には、細かい具体的内容や方法は示されていません。それは、それを示すと国定教科書ができてしまうからです。  現場の困惑は、よりよい指導法を編み出し、教科の専門性を磨くための産みの苦しみだと捉えています。  私は「学び直し」「目標と内容、その構成の再検討」の機会として、積極的に改訂を捉えています。  人から説明されるのをただ待つのではなく、具体的な質問ができるくらい読みこなせる教師が求められていると考えます。

******************
昭和14年(1939年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○文部省が中等学校に支那語(中国語)を正科として開設することを訓令。
○早稲田大学,本科に女子学生の入学を許可。
○文部省,第1回児童図書を推薦。新村出『イソップ物語』などが推薦される。
○百貨店食堂の見本料理,毎日捨てるのはもったいないと,以後絵や写真になる。
○大日本吹奏楽連盟が結成される。
○大日本音楽著作権協会が設立される。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
*昭和14年に廃止・中止されたもの。
 ○日本学生水上競技連盟,日本式泳法強化のためバタフライ泳法を禁止。
 ○文部省,男子学生には緊褌一番・長髪廃止・禁酒禁煙の断行を指示。
  女生徒には,口紅・白粉・頬紅・パーマネントを禁止。
 ○文部省,学生の運動競技を休日・土曜日の午後以外は禁止に。
 ○中学校で制服の金ボタン禁止。
 ○全国中等学校の入学試験を廃止。小学校長の報告書・人物考査・身体検査の3つの総合判定にする。
 ○デパートの年末贈答品の大売出しや配達が廃止,門松も全廃となる。

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気付いてほしい教師の「役」意識 ふり返り366日【08/6/28-1】/昭和14年のブーム

 職場の親の姿を見ることは,なかなか難しいのですが,親が地域でも何かの「ヤク」=「」(たとえば自治会長とかPTA役員とか)についていれば,その「」の責任を果たすときの態度というのを目にすることができます。
 しかし,そういう機会もやはり,なかなか持てない。

 どうしても限られた子どもだけということになります。
 
 子どもにも,「選ばれる」役というものを経験してほしいのですが,多くの場合は自分で「選ぶ」役でありたがる。
 
 「選ぶ」責任も軽いわけではありませんが,「選ばれてついた」役の責任と比べると,大きな違いがあります。

 すべての子どもが同じように感じ取るチャンスがある身近な大人の「役」意識は,どう考えても教師のそれしかありません。
 教師が示す「役」意識のバリエーションが,そのまま子どもの「役」感覚の涵養に役立ちます。

 なぜA先生は,○○のときと△△のときでは,態度に違いがあるのだろう・・・こういうことに思考が向くような子どもを育てておかないと,教師は「恨まれるばかり」の存在になってしまいます。

 ・・・こういう話は,なかなか教員研修では聞かないものだと思いますが・・・・。

08/6/28 「役」意識を喪失し始めた日本人(序)

 学校で発生する事件や事故は、ネグレクト系、虐待系の親が多いから増えている、という単純なものではないようです。
 確かにそういう親は増えているかもしれませんが、そういう親の子どもでも、学校生活だけはしっかりできている場合があります。
 それは、教師集団の力というものもあるかもしれませんが、子ども集団というものが、「いじめ」にも向かえるような強いエネルギーを「良い面」にも発揮できる力をもっているからだと考えられます。
 行事のときの子どもの姿を見ればよくわかります。

 指導力のない教師より、よほど子どもは自分が認めた子どもの言うことをよく聞きます
 ですから、教師は子ども集団に適切なはたらきかけをして、よきリーダーを育てることを大切にしてほしいものです。私も、近く学校で「リーダー講習会」を企画します(クラブの責任者は必修、その他の生徒も参加自由)。
 親の話に戻れば、本当にしっかり子どもをしつけている親でも、必ず反抗期の洗礼を受けるものです。「うちの子に限って・・・」なんていう話は、ドラマに限らず現実でもいまだによく聞きます。
 子どもとはそういうものだと捉えることが第一歩です。
 だから、家庭では親が、学校では教師が、地域では地域の人々が、子どもにあたたかい目を向けてあげていてほしいのです。
 学校でおこった問題を、「親が・・・だから」という話でしめくくるのだけはやめてほしいと思います。
 息子の学校近くの自治会で「挨拶運動」を毎朝してくださっている方々には、本当に頭が下がります。
 そして、学校に入ったら挨拶をしない・・・なんてことは本当に悲しくて見ていられません。

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昭和14年(1939年)のブーム・流行・広まり
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○制服・制帽などを卒業生から新入生へ贈る運動が広まる。
○「日の丸弁当」が登場し,あっという間に全国に広まる。
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ニュースにならない学力調査 ふり返り366日【08/6/28】/第74問

 全国学力調査の結果だけで指導の成果を見るな,という主張は,「責任問題」としてふれられたことを受けて起こったもののようですが,一方で生活習慣と学力の関係を,二つのデータの相関だけで語る記事もある・・・。

 新聞に目を通すと,改めて,選挙後を織り込んでの「記事づくり」が中心であることがわかります。

 今までの調査と同じような結果=活用力に課題がある・・・ではつまらない・・・新聞記者の立場というのもよくわかるのですが,記者自身に目のつけどころがないので,「橋下知事」の話題でも出さないと「ニュースらしくない」新聞になってしまっているわけです。

 まさか「ニュース」にならないから学力調査は今年でやめろ,と言えるわけではないのでしょうが,「やめる」ことが織り込まれているようです。

 学力調査は無駄なのか役立っているのか,という比較は,そう簡単にできるものではありませんし,以前にも書いたとおり,「無駄」にしようと思えば,手を抜けばいいだけですから,「どう生かすか」が記事にならないかぎり,・・・これは結果を公表するかどうか,ばかりが話題ですが・・・・最終的には現場次第なのです。

 ただ,新聞記事だけ読むと,税金の負担者には「無駄」と判断したくなる気持ちばかりが高まっていくことになるのでしょう。
 「世論」に勝てるものはなかなかありません。

 ということは,「世論」をつくっているところが一番強い力をもつ・・・のは確かなことでしょう。

08/6/28 ~だからこそ必要な指導

 学校事故を根絶することは難しいと思いますが、その発生を少しでも減らし、安全・安心な学校づくりをするために、教師ができることをぜひもう一度しっかり考えてほしいと思います。
 先生方は、3階の教室の窓から身を乗り出して1階の友達と話をしている生徒をすぐに注意していますか。
 混雑している校庭で危険なボールの扱いをしている子どもを注意していますか。
 そもそもそのような休み時間に、だれか一人でも生徒の安全確認をしている教師はいますか。
 「危険を察知する能力が今の子どもには身に付いていない」という認識があるのならばなおさらのこと、「忙しい」「他に用事がある」という言い訳をせずに、安全確保のために努力すべきなのです。
 杉並区と杉並区教育委員会は、すでに訴訟対策をとっているようです。
 教師の監督責任について、公的には一切言及していません。
 教師自身もたいへんなショックを受けていると思いますので、心のケアは最大限行っていくことが必要でしょうが、短い間隔で「二人目」を出さないためにも、うちうちではしっかり声をかけているのでしょう。
 繰り返しますが、今の子どもに「危険を察知する能力が欠如している」認識があるのなら、「ですから事故発生の確率は昔より高くなっていますよ」ではなく、事故を減らすための努力をこれまで以上にしようとする姿勢がほしい。
 どんなに対策を講じていても、事故が起こってしまえば、どんな学校でも教師でも「悔いが残る」結果になるでしょうが、「起こっていたかもしれない事故が防げている」感覚を努力の中から感じ取っていける教師集団でありたいものです。

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昭和の家庭史トリビア?【第74問】 
 昭和14年(1939年)の話です。
 政府による国勢調査では,あるものも調査の対象になりました。「あるもの」とは?
 ① 鍋
 ② 金歯
 ③ 金庫

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 【第73問の解答
 ②の10人でした。陸軍では,子どもの数によって月給を考慮する「子宝ボーナス」が始められました。

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ストレスと報酬 ふり返り366日【08/6/27】/第73問

 教師には,ストレスなどの重圧をはねかえすのに余りある報酬を受け取ることがあります。

 その報酬とは,「子どもの成長」です。

 親と同じ話ではないか,と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが,毎日一緒に生活している親というのは,成長している部分より,成長していない部分の方ばかりが気になってしまって,喜んでもいられないわけです。
 (もちろん,育児ブログなどを拝見すると日々楽しんでいらっしゃる方も多いようですが)

 教師の場合は,たとえば夏休み中,ほとんど顔を合わせなかった生徒に久しぶりに会って,その成長ぶりに驚くことがあります。

 また,卒業して何年かたって会ったりすると,見かけはどうしても学校時代の面影がかぶって「子ども」のように見えても,考え方とか話し方,容姿はすっかり大人になった「元子ども」に驚くわけです。

 もちろん短期的にも,さっきまでできなかったことができる喜びを子どもと共有することもできるし,その「できた!」「わかった!」「なるほど!」という子どもの表情見たさに一所懸命教材研究する教師もいるのです。

 つまりストレス解消の最高の方法は本来の仕事をすることなのですが・・・。

08/6/27 教師のストレスの原因

 教職というのは、確かに精神的なストレスを抱えやすい職業です。
 休職者のデータもそれを物語っています。
 休職者を減らす取り組みを行政が考えたとき、「ストレスを取り除く」施策は大切だと思いますが、一部で、近年の業績評価人事考課制度、管理職による指導等が教職員のストレスを助長しているという見解があります。

 自分の職務の成果を直視しなければならない人事効果制度は、たとえば責任感が強く、目標が高く、自分を責める傾向が強い人にとっては、ストレスの原因になることは考えられます。
 しかし、この制度をしっかり浸透させることによって、教師が仕事のどこでどのように悩んでいるか、同僚との協力関係はどうか、生活指導ではどうか、教科の専門性ではどうかなど、具体的な問題点を管理職が把握し、学校運営の改善に生かしたり、相談にのったり医療機関や研修先を紹介したりするチャンスも増えます。

 教師のストレスは「一人で抱え込まない」ことが大切で、360度のフォローの体制が必要です。そういう共通理解があれば、極端な話、自己申告書をオープンにして本物の360度評価を実施することも不可能ではありません。最も関心を呼ぶべきなのは、中学校ではあまり共通理解がないと思われるその教師の教科の専門性について。どんな研究をして、どのような成果を残してきた人なのか。専門以外にもどんな分野に関心があり、どんな興味を抱いているのか。普通の人物像を超えた「人間観」の共通理解ができるのは、たとえば大学附属のように、毎年研究発表をしているような学校では可能です。それを全公立学校に求めようとは思いませんが、「意外」と言っては失礼かもしれませんが、おもしろい発見がたくさんあるかもしれません。

 さて、ストレス対策ですが、ある地域では、スクールカウンセラーの仕事は生徒ではなく教師の話を聞くことだろうと思ったこともありました。
 人とのコミュニケーションとか社会性の欠如によっても教師が精神的に追い込まれるケースがありますが、これは「社会性を実社会で身に付けてきたはずの社会人」を教師に登用した場合でも実際に起こっています。
 教師というのは、その立場が公的であるがゆえに責任も重く、全体の奉仕者としてどのようなことに価値を見出していくべきか、常に追求していかなければなりません。ストレスがかかるのは当然の仕事なのであり、それに強くなる自己防衛システムがあることは、教師の資質として欠かせないものと言えるかもしれません。

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昭和の家庭史トリビア?【第73問】 
 昭和14年(1939年)の話です。
 厚生省が,多子家庭の大臣表彰を決定しました(第1回表彰式は翌年11月)。何人以上で表彰の対象に?
 ① 8人
 ② 10人
 ③ 13人

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 【第72問の解答
 ③のキツネ・タヌキでした。養殖実験を行った結果,「有望」という判断が下されたようです。

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選挙直前に発表された学力調査結果 ふり返り366日【08/6/26】/第72問

 地震,新型インフルエンザ・・・命にかかわる可能性のあるこれらへの対応に,新学期早々,追いかけられるような毎日が始まりそうです。

 選挙直前に発表された全国学力調査の結果・・・官僚側の意図も様々な読み方ができますが,選挙のことはさておき,NHKでは学力上位の子どもに見られる傾向として,朝食をとる,家で学校でのできごとを話す,ノートをきれいにとる・・・などの共通点があることを報道していましたが,これらがすべてできても上位に入らない子どもや,家庭の事情でそれができない子どももいるので,統計上のデータの示し方というのは,特にすべての人が知ることになる情報には,配慮する必要がありそうです。

 統計上では,学力下位の子どもにそれらの傾向がみられにくいということが言えるのかもしれませんが,それが勝手に想像されてしまうという面もあります。

 公立中の校長がインタビューに答え,「家庭でのコミュニケーションが大切」というまっとうな言葉の部分が報道されました。 
 
 今後のアンケート調査では,教師への質問紙回答で,「成績がよい自治体の回答」に見られる傾向に近いことを書こうとしてしまうという問題も出てきそうです。

 教師ごとの質問紙調査回答履歴がとれれば,授業改善の様子なども追っていくことができそうですが,それが実施できるとしたら,都道府県レベルです。国が主導で行っているこの制度をどう活用するかは,各学校と,区市町村,都道府県のそれぞれのレベルでふさわしい対応を考えていくことが大切です。

08/6/26 批判の海への航海で求めるもの

 よたよたあひるさん、コメントありがとうございます。
 私の場合は、現場のときも教育委員会のときも、主義・主張、法令遵守の立場というのを徹底していましたから、そこへの批判は当然覚悟の上で、場合によっては相手に考えを変えてもらうために必死になって説得するようなこともします。そのおしつけがましさを「傲慢な態度」と受け取られ、それが原因で聞く耳をもたなくさせてしまうというのは、明らかに失敗なのですが、私にはどうしても「孫子の兵法」を使いたくないケースがあるわけです。
 (今回の一連の批判がそれです。同じ意見のブロガーもいらっしゃいます。)
 さまざまな質の批判を受けますが、それにくじけないのは、さまざまなバックグラウンド(特に全国民が必ず学校という場を経験してさまざまな教師に接してきているがゆえに)がある人をしっかり想定し、こういう人ならこう言ってくるだろう、それに対してはどう対応したらいいだろうと常に頭を回転させているからだと思います。行政のときに身に付いた癖と言ってもいいかもしれません。いわゆる「想定問答集」を頭の中につくる癖です。
 しかしそれは、行政の場だけで役に立つものではなく(実際にはほとんどの質問はされませんからかなりの部分が無駄になるのですが、だから紙には書かず、頭の中に入れておくのです)子どもに対する指導のあり方と重なる部分が非常に多い
 反抗的な態度、権威やプライドを傷付けようとする攻撃的な態度が表れる裏には、子ども自身がさまざまな人から受けてきた傷があるわけで、批判を受けながらその深さを感じ取ろうとする余裕が教師には必要なのですね。
 現場と違って教育委員会というところは、基本的には法令に沿って上司の指示に従って職務を遂行するところですから、批判を受けたとき、「それは私のせいではないんですが・・・」という思いが頭をよぎってしまいがちになり、対応に誠意を込められなくなる原因になるのですが、とにかく「特定の人の利益を追求する立場ではなく、あくまでも全体の奉仕者として、公共の利益という価値を追求する立場として仕事をしている」感覚を忘れないように努力しました。
 主義・主張というのは、自分自身がつくりあげてきた「価値」へのこだわりだと思います。
 けっして与えられた「価値」ではなく、信じきることができるようになった「価値」へのこだわりです。与えられた「価値」で動く教師では子どもは動かせません。
 道徳の学習の生命線もここにあります。
 もっと言えば授業の生命線でもあり、教育活動の生命線です。
 東京都教育委員会教育長から来た区市町村教育委員会教育長宛の通知文に、「写」と判を押して、ただ機械的に各学校に送るのではなく、たとえばその文書の送付状に、一言だけでも「子どもの命にかかわる重大な問題です。周知徹底をお願いします」と加え、「念を込める」「魂を込める」だけでも、紙一枚の重さは違ってくると信じていました。
 もしこの通知文一枚で、数百校のうち1校でも改善箇所が見つかり、措置が講じられれば、無駄にはならなかったことになります。
 安全点検というのは、定期的に行うこと、繰り返すことが大切で、前回は何となく通り過ぎてしまった箇所が、今回は何だか危険に見えてきた、壁に浮いている釘を発見した、などということが実際にあるわけです。
 そういう趣旨を、通知を送るときには一緒に伝えたい。
 こういう姿勢は、テスト問題一つとっても、「どういう力をつけてほしいのか」が明確に伝わるような工夫をすることに結びついています。
 自分がよって立つ価値の源泉。
 私の場合は、宮城谷昌光の小説がベースの一つになっています。
 よって立つ価値は、「人から学べる」ものが非常に多い。
 だから批判というのはその中からダイヤが見つかるかもしれない鉱脈だと考え、あえて自分から掘っていくこともしたいと考えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第72問】 
 昭和14年(1939年)の話です。
 大阪営林局が農家の副業に有望として,奨励に乗り出した動物とは?
 ① イヌ・ネコ
 ② ウサギ・イノシシ
 ③ キツネ・タヌキ

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 【第71問の解答
 ①の「食糧自給のため」でした。

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よき伝統と悪しき因襲 ふり返り366日【08/6/25】/第71問

 私の恩師は,小学校の教師が最高水準の給料で,中・高・大学にいくほど基本給は低くてよい,そのような主張をお持ちのようでした。

 もし個人単位で教科も含めた教育書を買うとすると,扱っている教科が多いので,ばく大なお金が必要そうですね。ただ,小学校の場合は本の売れ行きは中学校等に比べると良いようで,役に立つかどうかは別として,それだけ「勉強する気がある」教師か,「マニュアル本を読まなければ分からない」教師が多いということです。

 教師は基本的に,「どう教えるか」を教わったことが土台になっているわけではなく,「どう教わったか」が土台になっているので,よい伝統なら受け継ぎ,悪しき因襲なら打破していく,そういう見きわめが教師になってからは重要になってきます。

 最大の問題は,その見きわめの基準が目の前の子どもではなく,「売れている本」とか「名人の言うこと」になってしまうことです。「よい伝統」と言われていることが実は「悪しき因襲」で,「悪しき因襲」が本当は「よき伝統」だったことに気付いている部分が実際にあるかもしれません。

 昔から,「きれいな板書」が最も気がかりです。

 情報量が非常に限られているからです。
 単純に,子どもが視聴している1時間番組と,1時間の授業で扱われる情報量がどのくらい違うか,比較してみるとわかります。

 もちろん,授業では子どもの思考の過程やその結果のアウトプットの量が重要になってくるわけですが,きれいな板書を写している時間が,アウトプットを行う時間を制限していきます。

 「きれいな板書」を子どもがきれいに写しても,書写の時間を除いては,学力が向上しないことは経験的によく分かっていることでしょう。

 50分の中で,個別のアウトプットだけでなく,インプットされる情報量について分析した研究はないものでしょうか。

08/6/25 小学校教師の専門性が高まらない理由

 Psycheさん、まずろさん、コメントありがとうございます。
 どこかでどなたかが指摘されていたかもしれませんが、教師は非常に「打たれ弱く」なってきています。
 「目の敵にされている」意識をもっているだけならまだ大丈夫ですが、実際に批判・追及されるとそれから逃れようと必死になり、関係のないことで紛らわせるような行動にでる。
 よく小学校の教師の授業力が向上しない原因として、授業で失敗しても、それを挽回する(授業のやり直しやフォローができる教師もいますが)チャンスは次に新しい学年をもったときまではやって来ないことがあげられます。
 そして、次の授業の準備に追われているので、その失敗の分析・反省もままならないうちにもう次の失敗を犯している。
 教科担任制を導入している小学校では、次のような効果が期待できます。
 中学校なら、4クラスの教科担任なら、最低でも4回は同じ単元の授業が繰り返せる。
 中には「4回同じことができてうらやましい」と思う小学校教師がいるかもしれませんが、中学校の授業はクラスごとに本当に独立したものになっています。板書や説明の内容は同じでも、生徒の反応はクラスによって全く違う。発言する子どもが違うのは当然ですが、AというクラスでのBというはたらきかけでCがでても、Dというクラスで同じことになるとは限らない。常に新しい何かが発見できるのです。
 短期間で、指導の改善が実施できます。だから専門性も向上させやすい。
 最も効くのが、授業の批判をしてもらうことです。(しかし、批判に耐えうるバックグラウンドや精神的な強さが・・・)
 小学校の場合は、「次の単元は何とか成功させよう」と考えているうちに目の前の授業を失敗する。
 そのときは覚えていた改善の方法も、何年かたってまたその単元を教えるときにはもう忘れている。
 「教育失敗学」では、「えっ、そんなことも失敗に入るの?」というレベルの話をしていますから、教師には厳しい内容になっていますが、授業での本当の成功を味わう難しさは、中学校の教師ならだれでもわかるはずです。
 短いスパンでの業務改善システム、授業力改善システムを実行できる学校でありたいものです。
 超短期、短期、中期、長期、超長期とスパンを分け、何をどう改善できるかを明らかにすることが学校のつとめです。
 そのためには、評価規準、評価者が必要
 究極的には子どもが評価者であり、被評価者です。
 子どもを見れば、その学校の教育がわかる。
 「親の質が・・・だから、仕方がないですよ」なんて陰で慰め合っている教師が多い学校には子どもを通わせたくないですよね。
 子どものとった行動と、教師が行った指導をしっかり結びつけて記録し、一人あたりどのくらいの量、「言ったけど子どもはやらなかった」「教えたけど子どもは理解していない」ことがあるか、考えてみてほしいものです。

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昭和の家庭史トリビア?【第71問】 
 昭和14年(1939年)の話です。
 静岡県が農山村の小学校にウサギの飼育を奨励しましたが,その理由とは?
 ① 食糧自給のため
 ② 動物愛護精神を高めるため
 ③ 輸出による外貨獲得のため

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 【第70問の解答
 ①の「全員丸刈りにすること」でした。②は大蔵省,③は文部省が中等学校の制服について申し渡したこと。

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学級閉鎖中の学力保障 ふり返り366日【08/6/24】/第70問

 いよいよ新型インフルエンザの流行に拍車がかかる,「学校生活」のスタートです。

 部分的に非常にうるさくしていながら,ちょっとしたところを見逃し,それがうるさくしていた分の苦労を水の泡にする,そんなことにならないための対策が必要です。

 公立学校では,生徒が「出席停止」などで休んだときの授業について,そのフォローをどのように実施しているのでしょう。

 「友達のノートを借りたり見せてもらったりする
 「プリントをもらって課題を解く
 「分からないところは教師に質問する

 こういう方法によって,受講できなかった授業の内容はきちんと習得できるのでしょうか

 不登校生徒の学力保障も含めて,学校がその責任上,見落としてはいけない部分であると思われます。

 塾では,当たり前のように「欠席フォロー」というのが存在するところがありますね。

 各教科担任の教師や担任教師といった個別の対応では,非常に負担が重いものになります。学校としての組織的な対応が求められます。

 一つの対応策としては,大学のようなシラバスを徹底し,家庭にいても授業で問われるのと同じような課題に取り組むことができる,「本日の授業のポイント」のようなものがあれば・・・ということが考えられますが,授業は「生きもの」であって難しいのと,もしそのような形でも学力が向上してしまうのなら,学校に行く必要はない・・・なんてことになりかねませんね。

 ただ,学級閉鎖等による家庭学習の時間が長くなることを踏まえると,「そんなことはできない」などとは言ってられなくなりそうです。

 場合によっては,高校での未履修問題の対応のように,小中学校でも「補習」というのがどんどん増える学校が出てくるかもしれません。

08/6/24 学校の危機管理体制のチェック方法

 6月18日の小学6年生の転落死亡事故を受けて、翌日付の「幼児・児童・生徒の安全確保について」という通知文が、東京都教育委員会教育長から都立学校長、区市町村教育委員会教育長宛に出されました。
 通常、公立小中学校へは、教育委員会からそのまま「写」の通知文として配付されます。
 この文書では、留意事項として、次の4点が示されています。
1 学校施設の安全点検を徹底し、危険箇所が発見された場合には早急に改善の措置を講じる。
2 幼児・児童・生徒に対して、学校施設の安全な利用について指導をするとともに、自ら危険を予測し、回避する能力を身に付けさせる安全教育の指導を徹底する。
3 学習指導に当たっては、安全に十分に配慮した活動内容・形態とする。
4 学校の全教職員が安全管理の共通理解について再確認し、学校の安全管理体制を組織的に強化する。

 以上の内容を、公立小中学校の先生方はお読みになったのでしょうか。
 「次の校長会のときに資料として出せばそれでいいや」という教育委員会があり、校長が都教委のHPをチェックしていなければ、校長もまだ知らないことになります。
 校長や副校長レベルだと、あのような重大事故が発生した場合は、必ずすぐに通知文が出されるのを知っていますから、届かなければ教育委員会に請求することもできます。
 学校には、まずはこのような通知がすぐに全教職員に周知できる体制が整っているかどうかをチェックすべきです。
 昔ながらの「上意下達」を批判的に考える人もいるでしょうが、もし通知文にあったような留意事項をすぐに実行していないのであれば、現場の教師が「今何をすべきか」という当たり前のことを知らせるこのような文書は絶対に必要なわけです。
 二度とこのような重大事故を起こさないためです。
 このような通知文を教育委員会が出すとき、教育長としては、「保護者にも危険回避能力を身に付けさせるように促すべき」だとは考えても、死亡した児童の保護者の立場や心痛を考慮して、そのことに触れないのは常識的なことです。2番の留意事項の中に、そのことも含めて教師が取り組むべきことを促しているわけです。
 通知文が、副校長のところで眠っていないか、次の職員会議まで出てこないのか。
 学校の危機管理体制をチェックするいい機会かもしれません。

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昭和の家庭史トリビア?【第70問】 
 昭和13年(1938年)の話です。
 名古屋市が男子職員に通告したこととは?
 ① 全員丸刈りにすること
 ② ゲタばきでの登庁を認めること
 ③ 服の新調を禁止すること

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 【第69問の解答
 ②の「学校の工作で使われるようになった」ことでした。

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職員室の異様な光景 ふり返り366日【08/6/23】/別れのブルース

 小学校の先生で,「毎日学級便り」を発行している方というのは何%くらいいらっしゃるのでしょうか。

 私はそういう教師に育てられてしまったからか,中学校の教師でも学級便り(学年主任になってからは学年便り)を出すのが仕事ではなく,趣味でした。

 学校で発行されるお便りは,不特定多数の人が読めるものではないはずなので,表彰された生徒の名前など,良いことについてはバンバン個人名が登場していましたが,たとえば保護者の中にPDFファイルをつくってネットで公開されるような方が出てくると,そんな通信を発行するのは難しくなってしまいます。

 最近のはやりは,ブログでの通信,メール配信なんていうのもあるようですが,やはり個人情報の扱いには注意が必要そうですね。管理職のチェックも短時間で済みそうですし,これが一番簡単そうなのですが・・・。

 ただ,みんながパソコンの画面に向かって黙々と仕事をしているような職員室よりも,配達人にように職員室の机に学年便りを置いていきながら簡単な会話や情報交換を行う・・・そんな光景のある職員室の方がいいですね。

 私がちょっと気になっているのは,帰宅途中に前を通りかかる塾の職員の様子です。

 常にパソコンの画面にかじりついています。

 授業のチェックでもしているのでしょうか?

08/6/23 ブログから想像される教師像

 教師たちは、もし見ず知らずの人から、「あなたのクラスではいじめがよくおこっているでしょう」「子どもを自分のコントロール下に置くことに重きをおくような過保護・管理主義的な態度が、現在の教育的諸問題の根源ではないか」「子どもに対してレッテルを貼りをしているのではないか」「自分があなたのクラスだったら不登校になる」と言われたら、どのように対応するのでしょう。
 
 まず、学級担任の影響力が過大に捉えられる傾向があるのは、組織的・計画的に学年経営がなされていない学校が多いからでしょうか。それとも学級担任があまりに多くの問題をおこしてしまうからでしょうか。
 学年主任を数年間つとめていた私の経験から言うと、中学校では、学級担任一人ではなく、学年の教師たちの影響力がまんべんなく全クラスに行き渡るような工夫を繰り返し行いました。
 小学校の悪しき「学級王国」習慣を崩す意図もありますが、最大のポイントはみんなで一人一人を育てるという自覚を高め、できるだけ実践するということです。
 たまたま、現任校もまさにそのスタイルで教育実践に臨む伝統があり、子どもは「担任べったり」という習慣がいっさいありません(一応、行事の場面などではそれなりに立ててくれたりもしますが、あまりにも教師を教師と思わない態度が露骨になるのが困る場面もあります)。
 子どもは誰にでも相談できますし、クラスの子どもが他の教員に相談に行ったからと言って、担任も気にしません。
 保護者の意識としては、やはり担任を頼ろうとする気持ちが強いのかもしれませんが、自分が教えている教科ならともなく、他教科が苦手で困っていると相談されたら、自分はこうやって勉強した、とかいうアドバイスもやろうと思えばできますが、ぜひその教科の先生と面談を!としか言いようがありません。こういうことを「血も涙もない」と批判する子どもはいません。
 子どもも少しずつ、厳しい実社会に出て行くための準備を整えていくのです。
 すずめ先生は「スタッフワークが大切」とおっしゃっていますが、その点については私も全く同感で、だから上に述べたような実践をしてきているわけです。
 学年の教師たちがみんながみんな、単一のキャラだったら、子どもはおもしろくもなんともないでしょう。
 ですからキャラの役割分担というのもあるのです。
 現任校の話ではありませんが、それぞれキャラに名称をつけて、今年はこれで行く!と盛り上がる4月が何度かありました。
 私は一貫してかなり厳しいことを要求する教師だったと思いますが、子どもが「当たり前のことを当たり前に行う価値」に気付く段階でほとんどその役割は終え、教科指導に集中することができました。
 教育については、ドラマで作られる歪んだイメージが強かったり、自分の体験が強烈だったりして、誤解を受けていることが多いですが、少なくとも小学校より、中学校というのは担任の影響力は弱く、子どもはより頼りがいのある教師(部活だったり、教科だったり・・・)を支えに、成長してくれます。
 ・・・といろいろ申し上げても、ご理解いただくには難しいかもしれませんが・・・。

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昭和13年(1938年)のブーム・流行
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○淡谷のり子の『別れのブルース』が爆発的に売れる。
 (喫茶店にたむろする若者から火がついたもの。なお,この年,警視庁が管内80署の警官を新宿や銀座などの盛り場へ動員,緊迫した時局を忘れて浮かれ回る学生をチェックし,3日間で3486人が検挙しました。)
○満州への分村熱が高まる。計画中のところが100町村,検討中が720町村に。
○関東で「ドンテッテ」というメンコに似た遊び,関西ではお手玉を足で蹴るジャンケリ遊びが流行。
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「話し合い」主義 ふり返り366日【08/6/22】/昭和13年の初登場

 「話し合いによる決定」は,聖徳太子の十七条憲法や明治新政府の五箇条の御誓文でも重視されていることなので,学校教育でもなるべくそのような機会を設けたいのですが,それがあまり実践されない理由は二つです。

 1.時間がない
 2.(学校にとって)望まない結果になる場合が多い

 時間の問題は教師の「言い訳」にしやすいものでもありますが,直接民主制のような形でことを進めようとすれば,時間はいくらあっても足りないということになってしまいます。

 たとえば,「学校へのお菓子の持ち込み」ということを話し合いで進めようとしたら,どんなことになりそうでしょうか。
 そして,「話し合いをする」必要性が生まれているということは,多くの場合,「禁止を解除する」ことなので,「今まで禁止してきた理由」がある場合は,簡単には認めにくいわけです。

 ところで,「憲法十七条」と言えば,役人の心得を説いたものだと説明されますが,有名な最初の三つ以外を,私たち教師,あるいは,もうすぐ選挙で選ばれようとしている人たちなどは,どう考えていったらよいのでしょうか。

 4.役人は,礼儀を重んじなさい。
 5.裁判は,公正に行いなさい。
 6.をすすめ,をこらしめることをたてまえとしなさい。
 7.役人を採用するときは,任務にふさわしい人を求めなさい。
 8.役人は,朝早く出勤し,おそく退庁しなさい。
 9.すべてのことに真心をもってあたりなさい。
10.寛容な心をもってことにのぞみなさい。
11.功績と失敗を見分けて賞罰を行いなさい。
12.役人は,農民に重税をかけてはならない。
13.自分の仕事の内容をよく理解しなさい。
14.他人に嫉妬の心をもたないようにしなさい。
15.私欲を捨て,公私の区別をつけなさい。
16.農民を労役に使うときは,農業のひまな時期にしなさい。
17.ものごとは,一人で決めず,よく議論してから決めなさい。

08/6/22 ルールづくりを通してのよりよい「社会」づくり

 よたよたあひるさんから、法教育、法関連教育を推進する立場の人、生徒会活動などの自治によって「生きる力」を身に付けることが必要だと考えている人には、たいへん参考になる具体的事例を紹介していただいたので、記事の方にコピーします。

>娘達の学年は、入学当初から落ち着いたいい子たちではありましたが、先月の修学旅行では、「規則なしの修学旅行」を先生方から提案され、生徒達は「これまでやってこれたんだからなんとかできるんじゃないか」「いや、せっかくこれまでうまくやってきたのを修学旅行で失敗したら残念だからやっぱり共通ルールを作ったほうがいいんじゃないか」と大激論の結果、「YES OR NO ポケットに仏像を入れますか?」というスローガンを立て、持ち物の規則などはつくらない、でも、皆が気持ちよく過ごせる修学旅行にしよう、ということになったそうです。・・「仏像をポケットに」はありえない比喩ですが、要するに、学校で決めた紙に書かれた規則ではなく、常識を基準に自分達で判断しよう、ということですよね。
 ただし、日中の活動は制服着用、ということになっていました。これも学校が、というよりも生徒が決めたことだそうです。うちの娘などはかなりがっかりしていましたし、多くの保護者もそれまで修学旅行は私服が続いていましたからちょっとびっくりしていました。
 結果、なかなか良い旅行だったようです。
 
 ある立場の人たちに言わせると、「制服」か「私服」かにそろえること自体、憲法違反だ!ということになってしまいますが、常識的に考えて、同じ時間帯の話ならどちらかに統一するのは当然のことでしょう。
 学年という「社会集団」の生活から学べることは何でしょう。
 社会集団のルールづくりを考えるときには、まず「なぜそのようなルールをつくることが必要なのか」という問いからスタートします。「人に迷惑をかけないように」「自分勝手な行動をおこす人が出ないように」など、子どもでもさまざまな視点からのルールづくりへの価値観が確認できると思います。
 日中は制服で、宿舎では私服。
 これは、日常生活と同じルールを適用するという趣旨でしょう。
 日中は、公的な場で、公的な活動をしている。そのことを自ら示し、他の人からも認識してもらうために制服であることが必要である。
 私の言い方だと、「公共空間」の中に「私共(わたくしども)空間」が生まれないようにする、最も簡単な歯止めの方策ということになります。
 宿舎では、公的な集団としてお世話になっているとは言っても、部屋割などもあって、一種の家族生活のような少人数の単位の集団生活となる。緊張を和らげ、リラックスして自由時間などを過ごすためには、私服が最適であろう。・・・このような価値観による判断が下されたのでしょう。
 次に、ルールをつくるという選択肢以外に、問題を解決する方法はないか、議論させる。そして、ルールをつくってしまったときのデメリットを考える。

 そこで、「皆が気持ちよく過ごせる修学旅行にしよう」という目標を立て、自主・自律の精神でルールではなくそれまで培ってきた互いの信頼関係を重視し、目標の実現を図る。そういう選択肢が生まれたのですね。
 「私共空間」を生まないようにする方策としては、理想に近いものです。
 「みんながつくったルールは、みんなで守る」「みんなのための目標は、みんなでその実現を図ろうと努力する」・・・そういう価値観が共有できた学年は理想的な集団になりますね。
 ただ、規範意識に課題がある生徒については、教師ではなく、生徒集団からの強い圧迫感を受けることになります。「少数意見は尊重すべきなのだから、多数決で決まったことも守る必要はない」という「強い個人主義」の持ち主です。
 民主主義は全体主義に結びつきやすい傾向があることは、多くの人が感じ取っていることでしょう。ですから「民主主義」は究極のしくみではない。(朝鮮「民主主義」人民共和国を見ればわかりやすい?)
 中学校段階では、まず価値観というのが多様であること、だから当然「対立」という現象が生まれること。どうしたらその「対立」を「調整」できるか。「妥協点」をどこに見出すか。どうしたら「協調」できるか。・・・そんなことを考える習慣をつけさせることが必要です。
 すべての問題について「日本国憲法」を盾にする人たちが最もやっかいなのですが、そこを解決する教育が「法教育」「法関連教育」であり、その実践事例も徐々に蓄積されていくだろうと考えています。

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昭和13年(1938年)がスタートのもの
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
○東京市バスに木炭自動車が初登場。
○東京市の町会規約に初めて「隣組」が表記される。
○東京・銀座にホットドッグの屋台が登場。
○東京・有楽町の東京日日新聞社(現・毎日新聞)屋上に東京初のプラネタリウムが開設。
○アメリカ・デュポン社がナイロンストッキングを発表。
○おもちゃの「ハシゴ付き自動車(消防車)」登場。
○岩波新書刊行。第1弾は斎藤茂吉『万葉秀歌』など。
○大阪市立運動場に,わが国初のアンツーカーが設置される。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
*昭和13年に廃止・中止・禁止されたもの。
 ○東京駅構内の人力車,車におされて廃業。
 ○産児制限相談所が警察命令で閉鎖に。
 ○学習院初等科,英語授業を全廃し,修身授業を増やす。
 ○資生堂,原材料事情悪化で化粧品114品目の製造を中止。
 ○官庁,夏期半日制を廃止。
 ○映画俳優や少女歌劇などのスターにサインをねだることを禁止。

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「過保護」の意味も多様 ふり返り366日【08/6/21】/セメダインと言えば・・・?

 この記事から,「すずめ先生」ファンの読者からさかんにコメントが入るようになりました。
 しばらくして,「特定の役」を演じ続けることにしました(そもそもスタートからそういうブログでした)が,相手の方は予想以上の勢いでその「」の「相手方」をつとめていただきました。「ふり返り」では「ふれない」記事も多くなりますが,バックナンバーでコメントのやりとりも読めますので,興味のある方はご覧ください。
 「太田総理」が登場する番組のようなやり取りを望まれた方も多かったかもしれません。
 「役」の通りにつとめることに終始していたため,ブログに収まる程度の穏やかな内容で物足りなかったと思われますが,教育の話題は,現場を知っていただくのが一番・・・これに尽きますので,残念ながら限界がありました。
 それはこれからも変わることはないでしょう。

08/6/21 他ブログ内での批判に応えて >そのようにして親の責任にするのが教師の同僚性というものですか・・・。 身近にも、「私はやめろと注意したんですけど子どもが聞かなくて・・・」と言い訳をする教師がいました。 それは「指導」ではなくて「指(ゆび)」ですねと指摘せざるを得ません。 言い訳であることが自覚できない教師は多いのでしょう。 何よりも危険な遊びで命を落とした子どもや保護者は不憫でなりませんが、そういう結果を導いた教師の日常がどのように「同情」を導くか、それとも「怒り」の矛先となるかは、事実関係次第でしょう。

 すずめ先生の記事に以上のようなコメントをした私に対して、以下のような批判が寄せられました。

1 私の記事は攻撃的である。
2 子どもに危険を察知する能力が育たないのは、管理主義や過保護が原因ではないか。
3 能力主義的で、やってできない人の痛みがわかっているのか。
4 すぐにレッテル貼りをする。そのレッテルを鬱陶しく思う人の心がわかるのか。
5 他のクラスよりいじめや登校拒否が多いのではないか。
6 あたたかい集団が見えてこない。

 この場で簡単にお答えいたしますと、
 1については、教師の問題点を指摘すること=攻撃という意味なら、確かに攻撃的かもしれませんね。
 2については、私の使う「管理」という用語の中には、リスクコントロール(危機管理)という意味も含まれており、そのノウハウを子どもや教師が徹底できれば、今回の事故は防げたと思います。本当に過保護だったら、危険な場所にいる子どもをだっこして安全な場所に移動させてあげるでしょう。
 3については、やってできないことを悩んでいる教師ならまだ救われますが、そのことを完全に棚上げし、子どもや保護者のせいにする教師にはそういう教師に教育されて伸び悩んでいる子どもや保護者の痛みをぜひわかってほしいと熱望します。
 4については、大人ならば、つけられてしまったレッテルが誤りであることを証明すればそれで終わりでしょう。
 組合に入るのが当然の地域と、組合に入ることを望まない教師が多い地域がありますよね。ですから組合を総括して批判することはできませんし、そもそもその内部事情は組合の種類によっても全然違うでしょうから、「組合」というものに何かのレッテルを貼ることはいたしません。
 すずめ先生へのコメントにも書きましたが、私がそこに書き込んだのは、すずめ先生個人への意見を公表しただけで、組合の人たちへの意見ではありません。
 5・6については、担任をもっていればという仮定の話ですね。私は、一部の教師のように、現任校の子どもの具体的な様子や指導の概要をこのブログで公表するつもりはいっさいありません。守秘義務違反とまでは言いませんが、もし子どもや保護者に読んでもらうとしても、ためになる情報を提供しようと考えています。

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昭和の家庭史トリビア?【第69問】 
 昭和13年(1938年)の話です。
 この年,接着剤としてセメダインCが爆発的に売れました。そのきっかけは?
 ① 家の補修のために使われるようになった。
 ② 学校の工作で使われるようになった。
 ③ CMに起用された喜劇俳優の影響。

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 【第68問の解答
 ①の「金魚が泳いでも死なないため」でした。この年,水を8割入れた酒が出回るようになってしまったそうです。

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自由と迷惑 ふり返り366日【08/6/20】/金魚酒とは?

 煙草を吸う権利を要求する中学生にはほとほとまいりました。

 しかし,こういう行為にも非常に甘い日本ですから,「家で吸っていて人に迷惑をかけないならいいだろう」という親の言い分にも,毅然とした態度がとれない教師が多かったのです。

 薬物乱用の問題についても,犯罪被害者という立場を経験しない限り,その防止活動の意義が自覚できる教師・親は少ないかもしれません。

 薬物乱用防止教室というのを実施している学校はどのくらいあるのでしょうか。
 
 芸能人の逮捕の陰に隠れてしまっていますが,東京都の公立中学校の副校長も逮捕されています。

 人への「迷惑」がどんなことなのか,「自由」を求める自分の心への反省をどう促したらいいのか,・・・それは時間やお金に換算するのではなく,「心」や「気持ち」の問題として扱うという教育のスタンスは大切なのですが,結局効果がないまま,変化がないまま子どもが成長してしまうのなら・・・と舵がきられる日が来るのもそう遠くないかもしれません。

08/6/20 自由によって何を達成したいのかを問う教育  よたよたあひるさんからのコメントをいただいて、公立中での「ラッキーなこと」とは何か、と考えてみました。  生活指導のうち、服装指導は、一つの学校の中でも徹底するのは難しいものです。  よく生活指導のレベルは学校から生徒が帰ったあとの靴箱を見れば一目瞭然だと言われますが、きっと服装をいじっていない生徒が多い学年は、靴のかかとをふんでいる生徒も少ないことでしょう。  このような指導は、教師の中でも逃げたがる人が多く、学校全体がよくなるというのは異動がある公立学校では一時的な現象かもしれません。その分、荒れたときの修復にも時間がかかるものです。  どうしてそこまでして服装指導にこだわるのかと聞かれれば、「だらしない格好や汚らしい身なりを嫌悪する人間が社会にはいるものだ」ということを子どもにわからせるためです。  「自由の獲得」が目的になってしまっている人には、何を言っても無駄で、議論にはなりません。  「自由を獲得する目的」を明確にして、その自由が何を達成するための手段であるかを問う教育が求められているのだと私は考えています。  これはまだデータ数が少ないので仮説の段階ですが、同じ能力をもっていて、成績が高くならない生徒の共通点は、規範意識に問題があることです。  これが実証されれば、教師だけでなく保護者にも、規範意識を高めるような教育に力を入れるようになるかもしれません。

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昭和の家庭史トリビア?【第68問】 
 昭和13年(1938年)の話です。
 市場に「金魚酒」というお酒が出回るようになりました。この名前の由来は?
 ① 金魚が泳いでも死なないため
 ② 金魚の養殖の業者が製造したため
 ③ 空前の「金魚」ブームが起こったため

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 【第67問の解答
 ②の大阪府でした。

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数字のこわさ/昭和13年に宿題を全廃した自治体とは?

 読書ブログ 「100ページの1文」に,『数字の比較でわかるトンデモ日本』(主婦の友社)の一部を紹介しました。(→「数字の比較で見えてくるもの」)

 数字,統計,データというのは,文字情報の中では際立ってインパクトのあるもので,「日本人の平均年齢は世界の人の平均年齢より高い」と言われても「ああそうでしょうね」で終わってしまいますが,

 日本人の平均年齢は44歳
 世界全体の平均年齢は28歳

 こういうものを見せられると,「超高齢化」の進展でこの数字はさらに・・・と思うと,何だか落ち着かない気持ちになるから不思議です。

 学力調査国際ランキングも,ずばり○位とか,○位低下,とか書かれると,インパクトがあるものです。

 高校生の硬式野球部員は17万人
 そのうち,甲子園に出られるのは990人
 (平成20年)

 夏の甲子園に出られるのは,166人に1人。狭き門です。
 県別比較で有名なのは,人口の少ない鳥取県は予選に25校しか出ないのに対し,神奈川県は193校出ます。「1票の格差」ではありませんが,調整は難しそうです。

 日本の不登校の子どもは13万人
 初等教育を受けられない世界の子どもは1億2000万人以上

 なんだか誤解を生む比較の仕方ですが,その当たり,解説ではふれています。

 以下の二つの比較を並べると,「学力低下」問題は大人にも無関係ではない?

 30代男性の新聞を読んでいる割合
   1975年は80%
   2005年は29%

 小学生の1ヶ月間の平均読書冊数
   1976年は 4.3冊
   2008年は11.4冊

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昭和の家庭史トリビア?【第67問】 
 昭和13年(1938年)の話です。
 夏休み以降,中等学校・小学校の宿題を全廃し,いっさいの受験準備を厳禁するとした自治体はどこ?
 ① 東京市
 ② 大阪府
 ③ 京都府

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 【第66問の解答
 ③のスキージャンプでした。わが国初の全日本ボブスレー大会も,同年,札幌で開催されています。

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藤田晋の成長学・教師編7 溝をなくす

 セオリー№7 評価されないのは上司を見ていないから

 →上司ときちんとコンセンサスを取りながら仕事をすること。そういうアドバイスです。

 能力開発型の人事考課制度が定着すれば,こういう問題は解消しますね。

 教師には自分の仕事に対する強い使命感を持つことが求められていますが,「学校としてどうしたいのか」「組織として何を訴えたいのか」という発想に欠けるタイプの教師がいます。
 
 独断専行,独走型の人です。

 「使命感」に満ちて仕事をしているこのような教師には,周囲の人もなかなか物が言いにくいのでやっかいです。

 それでも「言える」のが本物の上司・管理職なのでしょうが。

 私も指導主事を経験して分かったことなのですが,管理職の先生というのは,この話とは逆に,「部下である教師たちから評価されていない」「管理職の意図をくみとってくれない」ことを悩んでいる人が多いようです。

 この場合も,基本的にはコミュニケーションしか解決方法はありません。
 
 学校の管理職は,一日に何分くらい,部下である教師たちと話をしているのか。
 1週間では? 1ヶ月では?
 「週案」などという「紙」の上でのコミュニケーションではなく,面と向かっての話です。

 これが苦手というか,本当に「苦」になっている管理職が少なくないことが,今の学校の抱える問題の一つでもあるでしょう。

 やはり,相手を見て,自分も相手からよく見えるように行動することが,「理解し合う」「正しい評価をする」「正しく評価される」上での大前提でしょう。

 これは,イデオロギーが異なるとか,組合だからとか,そういう問題とは別で,非常に大事なことだと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第66問】 
 昭和13年(1938年)の話です。
 東京・後楽園で第1回全日本選抜大会が開かれた競技は?
 ① 自転車
 ② ボブスレー
 ③ スキージャンプ

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 【第65問の解答
 ②の旗キキンでした。時局を背景に陸軍旗・日の丸がよく売れて,品不足に。

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口より頭を動かす学習 ふり返り366日【08/6/19-3】/昭和12年のキキン

 「主体的な学習態度」というものへの誤解がなかなか解けません。

 授業で教師が多くの「質問」を子どもに投げかけ,ほとんどの子どもが分かる(=聞く必要もない程度の)質問なので,多くの子どもが「発言の独占権の許可」を得たくて手を挙げる。

 教師は,「発言の独占権」をできるだけ分散させようとする(いくら分散させても,一度に一人しか発言できないのは,独占状態を認めているということです)。

 授業が終わった後,「みんな活発に発言していましたね」「生き生きとしていましたね」・・・そういう「表面的」な部分にばかり目がいってしまって,肝心なこと・・・目標はどのくらい実現できたのか,その目標は適切だったのか・・・などについては手がかりになることがあまりに少ない・・・そういうことがあります。

 何か「書かれたもの」をもとに分析しようにも,子どもはノートをとっていない,参観者で詳細のメモをとっている人がいない・・・・そんな状況では,「印象」で語るばかり。

 そして,何を勘違いされているのか,本当に子どもは「主体的に学習する態度が身に付いていますね」などという感想がアンケートに書かれることもある・・・「主体的に」???

 教師がバンバン質問して,それに子どもたちがはりきって答えている「受身の学習」「質問対応型学習」の光景が,「主体的な学習」に見えてしまうのはなぜか・・・・?

 「主体的な学習」は,前に挙げた言葉の反対語から示せば,「能動的な学習」「質問創造型学習」になるはずです。

 グループ学習は別として,こういう「主体的な学習」には,40人が無言でしっかり思考している,テストのときのような空気も必要なのでは?・・・そして,ノートにまとまった文章を書いた上で,グループで読み合うとか,めぼしい子どもの作品をいくつか読んで,論争になりそうな題材がある子どもの作品を全員の前で読ませてそれをもとに考えるとか,そういう時間があってもよいのでは?と思うのですが,実は,これをやってしまうと,実力格差が如実に表れてしまうのでしょう。そういう「結果」がはっきり表れるものを,小学校の教師は嫌うのではないでしょうか?

 それをなくすためには,だれでも100点が取れてしまいそうな,業者の簡単な確認テストをやめることです。

 (・・・あのテストのために,100点を取れなかったときにどれだけ家で叱られたか・・・それは別の話です)

 教師の質問→間髪をおかず子どもがハイハイハイと手を挙げる「条件反射」・・・そういう問題を出すのを抑えて,もっと「考えさせる」ことを・・・。

 そういう「研究」をやっていた小学校はあったのですが,次の年はまた「基礎学力」がテーマ・・・?

 校内研究も,6年間という長いスパンで(1年入学当初から卒業まで,データを取り続けて検証するために)研究できる土壌はつくれないものでしょうか。 

08/6/19 小学校の授業参観で常に感じる疑問  以前にも書いたかもしれませんが、小学校の授業参観でいつも気になるのは、たいしたことのない質問をして、すぐ何かと手を挙げて発言させたがる教師が多いことです。  なぜ、じっくり考えたことをノートに書かせるような活動が小学校で定着しないのでしょうか。  その原因は、基礎・基本の「習得」場面で「活用させることで習得を促す」機会が少ないことが問題なのでしょう。  そして、「主体的な活動」というのを、「ただ子どもが手足を動かしていること」と誤解している教師が多いからでしょう。  じっくり教師の話を聞きながら、自分の頭の中で類似の題材を考え、整理し、ノートに書いて表現する、これも派手な動きはなくても非常に活発な「主体的な学習活動」と言えます。  中学校も似たようなものかもしれませんが、思考が柔軟な小学生への教育が変われば、PISAの結果などにはすぐに反映されると思います。いかがでしょうか。

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昭和の家庭史トリビア?【第65問】 
 昭和12年(1937年)の話です。
 この年に起こった「飢饉」とは何「キキン」?
 ① 白米キキン
 ② 旗キキン
 ③ 鉄キキン

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 【第64問の解答
 ③の水原茂。「打撃の神様」とよばれるようになった川上哲治はこの年まだ17歳。

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「反抗」の口実としての「自由」 ふり返り366日【08/6/19-2】/後楽園球場初ホームラン

 「自由」に関する議論の中で,私が繰り返し述べていたことは,他者に制御されていることに気付かず,自分の意思のつもりで自由」を求めているケースが多い,ということでした。

 他者からのプレッシャーであることは気付いていても,「自由」を求めようとする行動の目的は,「自由」そのものではなくて「反抗すること」の方にある,そういう解釈もできます。

 「反抗すること」が目的だから,一つの「自由」要求が叶ってしまうと,直ちに次の要求を探さなければならない・・・どんどん要求がエスカレートしていく・・・本当に荒れた学校に勤めていた教師なら,その悪循環を経験しているはずです。

 子どもたちは「自由」を求めたがっているのではなく,「反抗」によって相手の「困惑」を目の当たりにすることを求めている・・・。
 それを,子どもたちには「自由」というものの価値のすばらしさを味わわせてあげたい・・・というわけのわからない理屈で放置していた教師たちの「誤解」は,物が盗まれ,壊され,人が傷つけられてもなかなか解消しませんでした。「革命運動」か何かと勘違いしていたのでしょうか?困り果てる管理職をあざ笑っていたのは,子どもたちだけではなかったのかもしれません。

 こういうタイプの荒れの解消は簡単な話で,「反抗」=不可能,「自由」の主張=可能という図式を分からせることで十分でした。

 なぜ学校が荒れる(荒れた)のか,それがどの程度までの話なのか,なぜ食い止めることができない(できなかった)のか,理由はまだまだたくさんあるのでしょうが,こういうことと無縁な世界で生きてきた教師も多いようで,非常にうらやましい限りです。

08/6/19 「自由」を追求する論理  退職校長先生のブログの中で、「就職した企業の制服のスカート丈を短くして勤務した女性と、その女性に頼まれて丈をつめた母親」の話が紹介されていました。  これも「幸福追求権」の行き着く先でしょうか。  企業の経営者が、「学校の制服のスカート丈が自由だから、こんなことになる。何とかしてくれ」という要望をしたということですが、この件で、「学校」や「企業」という社会的な場が、個人の欲望を消費する空間に取り込まれている様子がはっきりとわかりました。  私自身の考えでは、スカート丈を極端にいじった場合は、その服は制服ではなく私服であると判断できます。  「他の人よりかわいく見られたい」という欲望や衝動が強い子どもはどこにでも必ずいますから、「規制」「制限」「制度」「制御」の「制」がつく「制服」を少しでも大きくはずしにかかり、自己をアピールをします。  昔からそういうことをしないと客がつかない職業がありましたから、市場原理から言っても決して不自然な行動ではありません。  ただ、「社会通念」「常識」から逸脱し出す子どもが出てくるのは自然な現象だからと言って、ただ指をくわえて見ているしかできない大人や教師は、「常識」重視の世界で生きている子どもの目から見ると軽蔑の対象になるでしょう。  学校で「自由」を満喫した子どもたちは、社会人になってもその「自由」は絶対的なものになってしまうのでしょうか。  学校では何を教えればいいのでしょう。  スカート丈を短くしすぎるな、というのは指導として当然の行為ですが、学校が教えるべきことは、その行為の目的や意味、意義に関する課題意識です。  目的と手段・条件の混同が、教育の世界でもさまざまな場面にあふれていることが、ブログを読んでいるうちによくわかってきました。  リベラリズムは、自由そのものに価値をおいてしまっているために、現実社会の具体的状況や社会通念から乖離してしまいがちなのです。  自由そのものに価値があるのではなく、その自由によって意義のある何をなすのか、それこそが重要なのです。 「意義のあるどんなこと」を追求しない「自由」は、目的についての意味を失わせ、人間から社会観や世界観を奪っていくのです。  公立学校が特に、このような問題に蝕まれていることを、論理的に説明できている人はいるのでしょうか。

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昭和の家庭史トリビア?【第64問】 
 昭和12年(1937年)の話です。
 後楽園球場が開場した日のプロ野球オールスター記念試合で,初回に後楽園初のホームランを打ったバッターは?
 ① 川上哲治
 ② 三原 脩
 ③ 水原 茂

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 【第63問の解答
 ③のミッキーマウス・トレインでした。

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自由研究のアイデア ふり返り366日【08/6/19-1】/おとぎ列車

 「自由研究」という「宿題」がありますが,これは「自由」なのか「強制」なのか?

 「宿題」だから「強制」でしょうね・・・。

 子どもが「自由研究」の題材探しに迷って,親があわてて「自由研究の本」を書店に探しにいくようでは,現行の学習指導要領の趣旨は明らかに学校で教育され,身についてはいなかったことが証明されます。

 もし「自由研究」の題材探しに困ったら,まず取り組んでみるのは「マインドマップ」(フィンランド語ではアヤトゥス・カルタ)づくりでしょうか。

 「昨日の食事」からマインドマップをつくるとしたら・・・?

 ハンバーグ→肉→オーストラリア→えさ→・・・・

         肉→牛肉→国産→畜産県→鹿児島→・・・

                国産→食料自給率
                     →やや高まっている理由は?・・

 にんじん→農家→冷夏?→

            冷夏→消費の低下→企業の収益への影響・・・

 マインドマップ作成手帳なんて家庭に一冊あるとおもしろいのでは?

 (例) 父・・・ニュースからの連想
     母・・・1週間のメニューづくり

08/6/19 夏休みの塾ライフ  公立学校の教師がのんびりデスクワークをしたり研修に出かけたり書類を作っている間に、進学塾はかき入れ時になります。  その受講料が半端でなく高い。  「あんたに今までいくらかけてきたと思っているの!」とカツを入れられる将来を恐れながら、夏期講習に通う生徒たちは、決められたメニューをただ黙々とこなしていく・・・。夜は夜で通常の塾の学習・・・・。  だれがどう考えても、公立で言えば学校に支払う6年間分の教材費より高い受講料をひと夏につかって、長時間学習をする生徒と、伸び伸び外で遊んだりプールに行ったりゲーム三昧で過ごす生徒とでは当然のように学力差が開くでしょう。

 しかし、夏休みというものが、信じられないほど苦痛の毎日になるであろう子どもたちを想像するだけでも本当に寒気がします。
 一方では、経済的に恵まれないために、友達がみんな塾に通っているのに、そこで一緒の時間を過ごせない子どももいます。
 夏は遊んだ経験と8月下旬に宿題に追われる経験しかない自分にとって、もし家庭に経済力があり、塾に通うような学校生活を送っていたら、どんな人間になっていたのだろうかと考えると、どちらかというと嫌な予想が先に来ます。
 夏に入る前に、塾に通わない生徒から、「夏休みはどんな勉強をすればいいのですか」と聞かれることがあるのですが、私は必ず「どんな勉強がしたいの?」と聞き返すようにしています。
 「学校は何も教えてくれない」とお叱りをいただきそうですが、学べる題材はいたるところに転がっていることを常に教えているつもりなのですが・・・。

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昭和の家庭史トリビア?【第63問】 
 昭和12年(1937年)の話です。
 8月25日に,国鉄がある「おとぎ列車」を走らせました。その名称は?
 ① かぐや姫・トレイン
 ② 白雪姫・トレイン
 ③ ミッキーマウス・トレイン

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 【第62問の解答
 ①の神風号でした。

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教師の「飢え」とは? ふり返り366日【08/6/18-2】/第62問

 どうでもよい失敗をさけたがる一方で,大きな成功ばかり望んでいる・・・そういうちぐはぐさは,宝くじを買う人の心理などを解明している「行動経済学」の本を読むと納得してしまうことが書いてあります。

 さて,その「失敗」についてですが,村上龍は「無趣味のすすめ」(幻冬舎)の中で,こんな考え方を紹介しています。

 成功者の「輝ける失敗」と,
 罵られるだけで終わる「ただの失敗」
 の間には,埋めようのない溝がある。

 失敗を糧として成功する人は本当にごくわずか

 何かを得ることができるのは,挑戦する価値があることに全力で取り組んだが知識や経験や情報が不足していて失敗した,という場合だけ

 ここで,はっとさせられる一文に遭遇します。

 そもそもたいていの人は,挑戦する価値のある機会に遭遇できない。

 確かに,公務員などの場合は,「挑戦する価値のある機会は?」と聞いても,「昇進・昇任のための試験」くらいのことしか返ってこない人がいるかもしれません。

 村上龍は挑戦する何かに出会うための条件は,「飢え」があること,と言いますが,確かに「公務員が何かに飢えている」とは考えにくい・・・。

 ・・・ただ,私のスタンスとしては(他の世界を知らないからかもしれませんが),「公務員の中でも,教育の世界だけは別だろう」というものです。

 別に大きな「財」をもたらすような仕