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カテゴリー「昭和の家庭史」の155件の記事

長子・中間子・末っ子,一人っ子の特質

 トップアスリートに末っ子が多いというのは,どこかで聞いたことがある。

 一人っ子が増え,兄弟姉妹がいても一人だけ(つまり子どもが二人)という家族ばかりになっていくと,「末っ子」という分類自体がなくなっていくと思われるが,

 次のような兄弟姉妹の「価値観」などの分析?が紹介されている記事(週刊朝日)を読んだ。

>長子は,やるべきことをやる

>末子は,やれそうなことをやる

>中間子は,みんながやらないことをやる

>一人っ子は,やりたいことだけやる

 なるほど,と思えるのは,だからこそ,・・・と思い当たる事例が多いからだろう。

 歴代首相の約半数が中間子だというのも,なるほどと思える。

 「注意される・叱られる」とき,どうなるか。

>長子は,「自分が悪かった」と反省する

>末子は,「自分のせいじゃない」と開き直る

>中間子は,「なんで自分だけ」といじける

>一人っ子は,「……!」とパニックになる

 教育現場での事例を集めると,同じような分析結果が出てくるかもしれない。

 人間関係をうまく機能させるための一言は・・・

>長子には「頼りにしてます」

>中間子には「あなたしかいない」

>一人っ子には「やり方は任せるよ」

>末子には「これが終われば○○だよ」。

 学校にも,放っておかれる方が大好きなのと,放っておかれると怒り出す子がいる。

 自分はどうでもいいが,先生が人によって扱いを変えることが嫌いな子もいる。

 いずれにせよ,教育というのは「面倒臭い」ものだからこそ,面白いとも思えるし,

 かかわりたくない,とも思えるものである。

 かかわりたくない,と思ってしまうのは,どういう人だろう。

 末っ子や一人っ子で先生になっている人がいたら,会ってみたい。

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【データから考える教育-7】 子どもの自立への不安

 子どもが自立できるか不安である,と考えている親(子どもが小1~高3)はほぼ半数。

 ベネッセ教育総合研究所が2015年7~8月に行った調査の結果である。

 学年別で見ると,どこでも男子の保護者が女子の保護者を上回っている。

 では,「自立できない」と考えている理由は何だろうか。
 
 「整理整頓・片付け」が57%で最多。

 「家庭学習の習慣」が39%。

 「友達との関わり」が38%。

 そのほか,「家庭の経済状況」,「学校の宿題」,「心の成長や性格」,「進路・学校選び」,「ゲームの仕方」などが不安要因としてあがっている。

 (日本経済新聞2016年4月4日の記事より)

********************

 子どもが将来,自立できるかどうか「不安」に思ってくれる保護者が多いのはありがたい。

 「不安を感じない」保護者は,大きく2つのタイプに分けられると考えられる。

 十分な教育をほどこしており,学校の成績もまずまずよいので,本当に不安を感じていない保護者。

 本当は不安を感じてもらわないと困るのに,根拠のない楽観で余裕のある?保護者。

 世の中には,不安をあおることが自分の収入源になる人たちがいる。

 「人間の不安心理寄生虫」とでも呼ぶべき仕事がお金になるくらいだから,

 将来も「仕事が皆無になる」心配はないだろう。

 
 将来を生き抜く力をつけるために,アクティブ・ラーニングをどんどん推進させようというムードが高まっている。

 教科書レベルの内容が理解できてお互いに満足しているような「協働性」では,格差は開くばかりである。

 公立学校の現場の教師は,絶対にだまされてはいけない。

 何が子どもたちによって最善の教育かを常に問い続けることができる教師でありたい。

 教育はその場その場で常に現在進行形の取り組みである。

 教育の成果が「死蔵」されてしまる理由もそこにある。

 「変わり続ける力」と「守り続ける力」を両方合わせ持つ柔軟性がほしい。

 
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タイムスリップを体感できる「公楽園」

 どのテレビ局か忘れてしまったが,新潟県燕市にあるドライブイン(宿泊施設もある)「公楽園」に集まる人々を取材した番組を見た。

 一言で表現すれば,ここは「オヤジのたまり場」である。

 50歳以上の人間なら,「懐かしさ」いっぱいのゲームセンター,自動販売機に魅力を感じるかもしれない。

 ゲームに興じる「オヤジ」たちは,「公楽園」を「オアシス」だと思っているようだ。

 この「オヤジ」たちを見ていて,私はすぐに不登校で自宅にこもり,ゲームに興じている中学生と姿を重ね合わせてしまった。

 10代なかばで,仕事をリタイアした「オヤジ」たちと同じような生活を送っている子どもに,何が必要なのか。

 つい先頃,戦後最悪の事件が起ってしまったが,99.99・・%の日本のまちは「平和」である。

 ほとんどの日本人は,自国内で殺人事件に巻きこまれる危険性を感じないで生きている。

 しかし,精神的に不安定になる人,潜在的に攻撃性を持っている人が,いないわけではない。

 将来への不安が,人々や社会への不満と結びついてしまうことを,できれば防いでいきたい。

 今まで,「いないことにしてきた」本当に苦しんでいる人たちに,目を向けるきっかけをつくらなければならない。

 「現金をばらまく」という安易な政策ではなく,本腰を据えて取り組む部署がつくれないものだろうか。

 別に,さまざまな施設で働く人々の苦しみを首相自らが聞き取りするようなパフォーマンスを期待しているわけではないが,政治家のパフォーマンスは,政策立案者の本能を活性化させる働きもある。

 「公楽園」に立ち寄る人々の表情がどうしてあそこまで穏やかなのか,本当に苦労している人たちが一息つくときの表情の共通点なのか,知りたい点ばかりであった。


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家庭崩壊を「利用」する教師

 ファミレスは,普段,顔を合わせていない家族たちが

 「特別会議」をする場になることがある。

 以前,私の家族の席の隣にいた両親(離婚して別居しているらしい)と子ども(30歳代?)が食事よりも「話し合い」をメインに時間を過ごしていて,結局「喧嘩別れ」に終わったようで,ずっと詳細を聞かされていた私たち家族はせっかくの料理をおいしくいただくことはできず,「もうここに来るのはやめようか」という話になってしまった。

 「理想の家族」とは何だろうか。

 「理想的」とまではいかなくても,「平和的」「一般的」な家族の関係は,どのくらいの割合で維持できているのだろうか。

 教師を長くしていると,「崩壊家族」にたくさん出会うことになる。

 「崩壊家族」の方が,「まともな家族」よりも多いのではないか,という錯覚に陥ることもある。

 子どもが本当に不憫でならない。

 学校で問題を起こす子どものうち,それを家庭に告げて注意喚起した場合,どのくらいの割合で「DV」を受けることになるか,教師は理解しているだろうか。

 余裕のない教師は「家庭が悪い」とふんぞり返って我が身の指導の是非に考えをいたらせることができないだろうが,「教師のせいで(教師の立場からすれば,子どもが悪いだけという話だが)親に殴られた」という恨みをもっている子どもがどれだけいるのか。

 思春期の子どもに対応する余裕のない親をなじるだけの教師に,何かを語れる同僚はどれだけいるだろうか。

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不平不満を書き散らすことが恥の上塗りになっている

 どの職場にも,「ぼやき」「嘆き」「愚痴」ばかり吐いている人がいるに違いない。

 本人は,それを口にすることで,ストレス解消になっているようだが,聞かされる側はたまったものではない。

 パーソナリティ障害をかかえる人の中には,人間関係がうまくいかない原因が自分にあることを知る機会がなく,周囲のせいにしてばかりで何の改善も得られない気の毒な人が多いだろうが,迷惑をこうむっている側としても,「障害」の理解を深めることでしか,自分にふりかかってくる災難を緩和できない悲しさがある。

 せめて,掃いて捨てるほどあり,気に入らなければいくらでも読み飛ばせるこのようなブログなどで不満をぶちまけ,ストレスを解消していただきたい。

 ブログを読んでいると悲しくなってしまうのは,こういうブログに書かれている不平不満も許せないといいながら,自分自身が思いっきり不平不満を書き続けている人である。

 「自分だけは,どんなことをしてもスルーされる」と信じてやまない人は,自分が「裸」であることに気づかない「王様=幸せ者」なのだろう。

 気づかない方が本当に幸せに生きられると考えるかどうかは,人によって意見が異なるかもしれないが。

 これから,人とのかかわりを持たないまま一人暮らしをする高齢者がますます増えていく。

 ネット上で書き散らかすしか不満のやり場のない人たちはどうやって救ってあげられるのだろうか。

 『学び合い』の授業が大嫌いなら,そうではないアクティブ・ラーニングの授業で子どもたちを惹きつけた自分の実践をどんどん紹介すればよい。部活動のようにそもそもが「アクティブ」のものではなく,1時間1時間の授業の実践である。

 せめて,幼稚な不満をぶちまけているだけのブログを「よいしょ」するコメントだけはやめてあげてほしい。

 ただでさえ恥の上塗りで惨めさが際立っているところに,「褒め殺し」はきつすぎるだろう。

 
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「おもてなし制服」「新国立競技場」で五輪期待ムードがだいなしに?

 5年後の東京オリンピックで外国人観光客をご案内をするボランティアが着用する

 「おもてなし制服」の評判がすこぶる悪い。

 ネットではネガティブな反応が伝染・伝播しやすいものだが,

 ヤフーの意識調査では8割の人が「良くないと思う」に投票している。

 オリンピック関連ニュースでは,新国立競技場をめぐる動きでも,

 「どうなっているんだ!」という怒りを呼び起こしている。

 あの制服のデザインになった背景には,

 よほど深い理由が隠されているのか?と頭をひねってしまうが,

 そもそも「制服が必要なのか」という議論はなされたのだろうか。

 競技場の「白紙」の最初の1文字は何だろうか。

 モニタリングなど,普通の企業ならやりそうなことができない組織の

 責任の所在は明確にしておかなければならない。
 

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80歳の店主の仕事

 私の母はまもなく80歳になるが,現役の自営店経営者である。

 近所に比較的大きな病院があるため,その帰りの客が立ち寄ることも多い。

 母の愚痴は,ただしゃべるためだけに来店する客?が多いことで,

 3~4時間平気で居座ることもあるとのこと。

 「長生きしよう」と必死な高齢者は思いの他多く,病院の診察券も15枚以上も持っている人がいる,という漫談ネタも,母から耳にした。

 その大好きな病院?の先生から,「もう来なくてよい」と言われた,という愚痴をこぼしに来店する。

 こういう愚痴をこぼせる相手がいるというのが長生きの秘訣なんだろうと想像する。

 母の場合は,聞き側の人間だから,逆にストレスもたまるのではないかと心配になる。

 町の商店街に,このような「おしゃべり」のために入れる店が,今,どのくらい残っているだろう。

 買い物客ではないことは明らかでも,サービスでお茶などを出してくれる店が。

 私と母が住んでいる自治体では,まだ「商店街」が機能している。

 大型の商業施設も展開しているが,住宅密集地であり高齢化が進み,単独世帯も多い。

 だからコンビニもたくさんある。

 町の商業施設の未来は,どうなっていくのだろう。

 商店街の店の後継ぎはいなくなり,個人店舗が消えていく一方で,コンビニの機能がどんどん拡大していくことになるのだろうか。

 私も「お店番」ができた30年前と,今とでは,情報化の進展では社会の「便利さ」は飛躍的に向上した。

 しかし,それだけで「豊かになれた」と感じるのはただの幻想ではないかと思われる。

 店には,体が不自由な方も入られる。知的障害を抱える方も来店する。

 80歳の店主は入る人を拒まない。

 半世紀以上,同じ場所に店を構え,来る日も来る日も来店者を迎え続けている。

 そんな平穏な毎日が過ごせる地域の方々には感謝したい。

 しばらくぶりに,真面目に選挙演説を聞こうとする気になった。

 
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1947年に小学校の保護者が望んでいたこと 【徳の面】

 以下の保護者からの要望は,あくまでも「こういう子どもに育ててほしい」というもので,「こういう教師であってほしい」というものではありませんのでご注意を。


 【生活関係,「徳」の面についての要望

○一度決めた,規律約束には,かならず,しかもすなおに従う習慣をつけること。(4人)

○さ細な仕事でも,それぞれの子どもに責任を持たせ,責任感の強い人間にすること。(5人)

○物事にあたって判断を確実にかつ速やかにできるように。(2人)

○あくまで熱意と興味をもって徹底的に物事をやり通すように。

○どうすれば能率的にできるかを工夫させ,能率のよい人間になるように。(2人)

○東京女高師の生徒らしい,きちんとした,態度,服装,あいさつ,など,礼儀正しい子どもにしつけていただきたい。(3人)

○休みの時間における男女の交際を指導奨励し,共学の実をあげること。(2人)

○人に,物に,何に対しても親切な心を常に持つように。(2人)

○正しさを尊び,実行力を養い,勤労を愛するように。(7人)

○何事もあきずに根気よく,最後までやりとげる習慣を。(4人)

○手早く身のまわりを整頓する習慣を。(8人)

○時間を守る習慣を。(2人)

○協力と依頼心を混同せぬようにして,真の協力をするように。(6人)

○早合点でそそかしい性質故,落ち着いてことにあたるように。(2人)

○心配性の点少々あり,さっぱりさせたい。(2人)

○自力,実行力のある良い点を伸ばしたい。

○環境に支配されやすい故,良友を得させたい。(2人)

○物を大切にする良い習慣を伸ばしたい。(6人)

○長上を尊敬し,情義に厚い子に。(7人)

○明朗であること。(5人)

○公徳心をたかめたい。(4人)

○質素で清潔好きであるように。(6人)

○博愛の心の深いように。

○苦難にたえ,信念の強い子に。(3人)

○虚栄心を持たぬように。

○かげ口を申さぬように。(2人)

○兄弟姉妹仲よくするように。(3人)

○目下の者もいたわるように。(2人)

○世界には,正義と愛が君臨していることを理解させたい。

○うわべで人を律せず,真実を常に見るように。

○自分には厳格で人には寛容なることを。

○知識を得るには,忍耐が必要であることを。(3人)

○自分のことは自分ですることを。(7人)

○規律正しく生活するように。(3人)

○人の能力は努力次第でいかようにも発揮することができる。天才は努力である。努力できる人こそ天才であると言うことを知らせたい。(2人)

○食事の作法について特に注意してほしい。

○正しいと思うことは,どこまでも頑張る強い気持ちを養いたい。(3人)

○言葉づかいをはっきりていねいにするように。(6人)

○口外した言葉の責任を持つように。(3人)

○中庸を得た,堅実な思想を養いたい。

○人の話を途中で取らぬように。(2人)

○いいつかったことを完了したら必ず報告する習慣をつけたい。

○自分一人のことを考えず,他の人のことも考えて,自分勝手はせぬように。(3人)

○何事にも責任感をもたせ,自由の精神を体得させたい。(3人)

○イエス,ノーを明確にするよう。

○自然に親しませ,ゆとりのある,やさしい心を養いたい。(5人)

○目的のために手段をえらばないという考え方は間違いであることをよく理解させたい。

○ずるいことはしない,立派な内観世界を築きあげるようにしつけたい。

○謙遜の気持ちを持つように。

○感謝の反省の生活をするように。(2人)

○人の喜びを喜びとすることができるように。


 【「体」「体力」の面についての要望

○その子どもに耐え得る程度の肉体労働をさせていただきたい。

○予防医学の立場から,できるだけ,消毒,予防注射等をやっていただきたい。また,爪切り日,虫くだし日,等々を設けてそれぞれ励行のこと。(4人)

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1947年に小学校の保護者が望んでいたこと 【知の面】

 私の手元に,宮地忠雄著『社会科指導の実際』(木村書院刊)という本があります。

 昭和22年=1947年の11月に発行された,東京女子高等師範学校附属小学校の「教官」による本で,小学校における「新教科」としての「社会科」をどうやってつくっていくか,この指導事例を示すために出されたものです。

 東京高等師範とか,東京女子高等師範とかいっても,ほとんどの人は分からないかもしれませんが,教員を育てるためにつくられた学校で,現在の筑波大学とお茶の水女子大学のことです。東京教育大学から筑波大学に変わった時点で,大学は変質してしまいましたが,「附属学校」は今も昔と変わらない場所で同じ使命を果たしています。

 さて,上記の本に,こんなアンケート結果が載せられているのに目が留まりました。

 1947年5月の保護者(第五学年男女組)向けの「要求調査」で,

 「お子さまを立派に育て上げるのには,どんなことを知らせたり,しつけたりしたいと思いますか。それをできるだけ箇条書にして,たくさん書いて下さい」というものです。

 敗戦後,まだ2年もたっていない時点での,小学校の保護者の声です

 該当の小学生は,3年生のときに終戦を迎えたので,2,3年生のときには学童疎開も経験しているのでしょう。

 本の中では整理されていないものが列挙されています(同じ趣旨の内容については,何人から寄せられたものかが示されています)が,ここでは学習関係,生活関係に分けてみようと思います。漢字などの表記は,現在のものに改めてあります。

 【学習関係,「知」の面についての要望

子どもの特徴を活かして,科学班,芸能班等を設けて,個人別に指導を願うこと
 (新しい学習指導要領のもとではなくなりましたが,中学校で言えば選択教科のことです。それを小学生に求めている。)

自由研究等もただ自分で自由にやると言うのではなく,ある程度まで指導し暗示を与えて,興味が湧いて研究できるように
 (総合的な学習の時間の指導には,欠かせない指導の工夫ですね)

わからぬことは徹底的に質問させて中途半端にしておかぬ習慣を

遠足,見学,農耕など,実地の指導をやっていただきたい

学級文庫は非常に結構なれど,つまらぬ読物を読まぬよう,良書の紹介,指導もお願いいたします。(8人)

社会公共のために奉仕する観念を涵養せられたい

時局を認識させるため,新聞を読むことを指導せられたい

自由主義,民主主義は放任を意味することでない事を理解させてほしい。(5人)

教官の個人的政治上の立場を児童に強要しないこと

名曲,名書等を鑑賞する機会を与え情操教育に資せられたい。(11人)

外国語教育は記憶力旺盛なる低学年より始めてほしい。(3人)
 (英語教育は5年生から始まりました。これではちょっと遅い,というのが当時の保護者の感覚です。)

科学の知識を豊富にさせたい。(5人)

適当に宿題を出してほしい

自分は頭が悪いのだと思いこんでいるこの気持ちを除去させたい

社会の実状を知らせ,正しい常識を持たせたい。(6人)
 
政治,経済,法律への関心をたかめるように

正しい批判力を与えてほしい

正しい日本語を教えてほしい

科学的なものの考え方を養成してほしい

全般の学科にテストを多くして,自ら勉強するようにし向けてほしい

全般の学科に質問時間と言ったものを設けてほしい

基礎になることだけしっかりつかませてほしい

自分から進んで勉強する気持を起こさせたい。また勉強の楽しさを味わわせるよう指導してほしい。(4人)

創造力を養うように

疎開中遅れた学科や(理科,算数)不得手なもの(体操)に特に注意して指導してほしい。(3人)

 少数意見ももちろんあるのでしょうが,著者は,以下のような感想を述べています。

 中にはまだ二,三つめこみ主義の教育を考え,古い型の保護者もいるが,とにかく傾聴に値する。

 「つめこみ主義の教育」というのは,昭和22年の時点でも問題にされていたことがわかります。
 
 次回は「徳の面」についての要求を掲載します。

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親を惑わす専門家の言葉(100ページの1文より)/昭和21年・第117問

 教室における「良いけんか」指導の4つのポイントとは・・・・?

 1 どちらか一方を勝たせようとしない
 2 どちらか一方だけに攻めさせない
 3 仲直りしている姿を他の子どもにも見せる
 4 日ごろからルールを話し合う

 こうなりますか?

 そういえば、「ルールとは・・・・・ものである」の「・・・・・」にあてはまる言葉を考えさせたときに、よい方向に発展した事例ができました。

 「・・・・」に「破るための」が入ったとき、冗談ではなくて、これを「正しいこと」とするにはどう解釈したらいいか?

******************

 このときも、爪かみは成長の一過程であって、愛情不足とはまったく関係ないことを説明しました。

 親を惑わしているのは、本当に「専門家」の言葉なのだろうか?・・・というのが第一印象です。

 「情報に踊らされる子育てが悪い」という「情報」は、ますます「情報に踊らされる親」をつくるような気がしてなりません。

 教育に関しては、著者自身は分かっていることでしょうが、本の読み手にとって自明であることばかりとは限りません。

 「常識」を疑うべきものだと説いているこの本の「常識」をどう解釈したらいいのか。

 さまざまな考え方があって、それぞれみんな、怪しい・・・そういう解釈が一番いいのでしょうか?

 「良い夫婦げんかの4つのポイント」が参考になりました。

 1 勝とうとしない
 2 双方でぶつけ合う
 3 仲直りしている姿を子どもに見せる
 4 日ごろからルールを話し合う

 ・・・3と4は「けんか」ではないのですが・・・。

親を惑わす専門家の言葉

*******************
昭和の家庭史トリビア?【第117問】 
 昭和21年(1946年)の話です。
 この年、厚生省人口政策委員会が提唱した運動とは?
 ① 産めよ殖やせよ
 ② 産むな殖やすな
 ③ 産まずに殖やせ

*******************
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 【第116問の解答
 ②の昭和37年でした。

より以前の記事一覧

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より