ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

カテゴリー「いじめ問題」の343件の記事

遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い

 学校によっては,闇雲に定時一斉(よりはたいてい1時間から2時間くらい後に設定されると思うが)退出を推進しようとしているところがあるのではないか。

 放課後の活動がほとんどない小学校ではやりやすく,中学校も極小規模で部活動がほとんどさかんでない学校ではやりやすい。

 組合の組織率が低下し続けている今,勤務時間の短さを競い合う時代が来るとは思ってもみなかった。

 困っている先生方にメッセージを送るとしたら,・・・。

 無理矢理に持ち帰り仕事にさせられる場合は,すぐに不服を直接伝えるより,合計何時間分の自宅勤務をさせられたか,累計をしっかりとって,1か月とか2か月「たまった」状態で「発表」することをお薦めしたい。

 ただ,決してためたり,なかったことにしたりではいけない仕事が教師にはある。

 それは「いじめ」への対応である。

 少しでも気になった点があれば,「いじめる側」はもちろん,「いじめられる側」の子どもから,さらにはそれぞれの生徒と親しい子どもから,しっかりと聞き取りを行って,対応を「組織」で(たいていは学年で,重いものや他学年にまたがっている場合はいじめ対策委員会等で)協議する必要がある。

 冒頭のような環境の学校にいる少し消極的な教員が陥りがちな課題がある。

 「これ,報告したら,いろんな先生方の仕事を増やしてしまうな・・・・」

 「本人からの訴えがないんだから,いいか,見なかったことにしよう」

 この瞬間に,「自殺」への一直線のルートが確立してしまうケースもあるだろう。

 「忙しい」「忙しい」と言っている割に,たいして仕事もせず,さっさと帰宅してしまう教員が多い組織に対して,「憶測や思い込みにすぎないかもしれないこと」について,先生方の対応について協議してもらうことをお願いするにはけっこうな勇気がいる。嫌われる勇気が必要な行動である。下手をしたら,教員である自分自身が組織から「いじめ」を受けることになるかもしれない。そんなのは嫌だ・・・。

 いじめられているかもしれない子どもに寄り添おうとしない教員の構図は,実は教員の組織内にしっかりできあがっていたりする。それが学校が信頼されない大きな理由の一つである。

 「働き方改革」と「いじめ対策」をどうしたら両立できるか。簡単な話である。「いじめ」を早期に発見し,聞き取りや指導をすぐに行う。子どもたちは,教師集団の機動力の高さを実感したとたんに,「より気づかれにくくやる」という方向へ舵を切るかもしれないが,そこはベテランの力の見せ所である。ベテランがいない?育たない?そんなことを言っていると,「いじめ被害」の恐怖心から,親も子どもを学校に通わせなくなってしまう。

 いずれ学校にも,「不審者判別防犯カメラ」が設置される日が来るのだろうか。もちろんカメラが常時監視するのは,生徒たちである。心拍数が上がったりした生徒はその都度「履歴」に氏名が重ねられていき,「呼び出し」を受けることになる。

 教員にはどれだけの資質・能力が必要とされているか,実感できる話の一つである。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

現場感覚のない人が社会感覚のない人にアドバイスを送る教育の世界の不思議

 放射線に関する知識を小学生,中高生が身につければ,風評被害や原発避難者へのいじめをなくすことができるだろうか。

 現場感覚的に言えば,「無理」「難しい」である。教員ではない方に聞いても,感想は同じだった。

 「放射能の性質を学べば,いじめはなくなる」という考え方は,「被差別部落の歴史を学べば,部落差別はなくなる」というものと同じである。LGBTの日常生活を詳しく知ることで,LGBTへの偏見がむしろ強くなってしまうおそれがあることくらいは,想像できると思う。

 「無知がいじめを生む」というのはいじめた人間に対する良心的な態度であり,そういう発想でいる以上,いじめは絶対になくならない。

 学校現場には,風評被害の実態や,原発避難者の生活を知らない人が多い。「SDGs」の意味すら知らない教員がいることには驚きを隠せない。

 社会感覚と現場感覚がない人が,社会感覚のない人間に指示を送り,教育させているのが今の日本の学校である。

 文部科学省から,全国すべての小学校,中学校,高等学校に,放射線副読本が無償配布されている。

 HPによる説明は,以下のとおりである。

平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と津波によって東京電力株式会社福島第一原子力発電所で事故が起こり,この事故により放出された放射性物質は,日本に大きな被害を与えました。

 文部科学省では,福島第一原子力発電所の事故後の状況を踏まえ,平成23年度に作成した「放射線等に関する副読本」の内容を見直し,児童生徒等が放射線に関する科学的な知識を身に付けるとともに,理解を深める一助となるよう,平成26年3月に,放射線副読本として,小学校用と中学・高等学校用の2種類作成・配布し,その活用を促しています。

 パンフレットを開くと,そこに書かれている言葉は「風評被害」と「いじめ」をなくしたい,とする作成意図である。

 新しい学習指導要領では総則で放射線教育への指針が書かれている。

 しかし,「社会科」で扱われる想定がないこと。なぜか「道徳」で扱う想定になっていることが,現場感覚,社会感覚からすると,大きなハテナである。

 日本の小中学校では,エネルギー教育に対する指針がない。だから,原子力発電に関する知識がない状態で,事故後の放射線に関する知識だけを学ぶことになる。

 こういう社会感覚の欠如が,そもそも事故を生み,被害を拡大した原因の一つだと私は言いたい。

 福島県で処分に困っている除染土が,園芸用の土として利用されることになっていることを,国民の多くは知っているだろうか。小さな子どもを公園によく連れて行く保護者は,知っているだろうか。

 日本が定めている安全な?放射線量の基準がどういうものか,知っているだろうか。

 震災直後から,現在まで,その基準がどのくらい緩められているか,知っているだろうか。

 国民が本当に知りたい情報が,パンフレットに書かれていないことだけは確かである。
 
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

いじめや暴力行為が多い自治体の「いじめ」対策の共通点

 調査結果には表れてこない数字なので,予想を立てるしかないのだが,私の経験上,「外部機関に頼ろうとする姿勢」が強ければ強いほど,「いじめ」を減少させることが難しい自治体だと思われる。

 まず,自治体が教員を信用していないこと。

 こういう自治体では,教員も自治体を信用していない。

 管理職と教員の関係性が悪いこと。

 こういう「大人の仲が悪い」社会では,そのまま子どもたちの仲も悪くなる。

 「施策を打てばそれでいい」という感覚は,私も行政にいたのでよくわかる。

 問題は,施策が「役に立っていない」「そもそも利用されていない」ことがバレないように,自治体がダメな施策を隠蔽していることである。「税金の無駄遣いだ」という批判がこないように,いくらでも「実績」をでっち上げる。

 しかし,「実績がない」ことくらい,当事者だったらわかってしまうものである。

 「いじめ」対策の本当の基本は,「教師」「子ども」「保護者」という三者の関係をどうするかである。

 すべてが密接でなくてもよい。そもそも条件が満たされない子どもはたくさんいる。

 どんな荒れた学校にも,教師がいる。

 教師は,自分の子どもではなく,人様の子どもの教育を職務とする職業である。

 まともな教師がまともな行動をとることが当たり前の場が学校である。

 親の子育てのせいにしたり,いじめた子どものせいにしたり,本人のせいにしたりする「教育を他人事とする教師」は,当然だが「教師」とは呼べない。

 徹底して「教師」を「教師」として育てる機能を果たせる自治体にならないと,すべての施策は無駄になる,というか,そういう機能さえあれば,余計な施策はなくし,行政コストをなくすこともできる。

 どこに資金を投下するか,最初に大きな誤りを犯したのはどこの自治体か。当事者ならその痛さが実感できるだろう。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

いじめがない(認知されていない)学校で,いじめがある学校よりもたくさん実施されていることとは?

 「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」で注目したデータがもう1つある。

>いじめの日常的な実態把握のために,学校が直接児童生徒に対し行った具体的な方法

 として特筆すべきは,

>「個人ノート」や「生活ノート」といったような教職員と児童生徒との間で日常的に行われている日記等

 で,いじめを認知した学校と,いじめを認知していない学校の違いは以下の通りである。

 いじめを認知した公立小学校で行っていたのは47.3%,公立中学校では82.8%,

 いじめを認知していない公立小学校では,57.9%,公立中学校では86.0%で実施されていた。

 これを統計的に有意なデータと言えるかどうか,わからないが,毎日子どもが担任教師に向けてのメッセージを送る仕組みがある学校では,「いじめを見過ごしやすい」と考えるより,「しっかり子どもとのコミュニケーションがとれているので,いじめが起こりにくい」と考える方が自然である。

 こういう仕組みは,単純に労働時間を短縮すれば良いと考えるだけの「働き方改革」推進者から見ると,やっかいなものである。家にまで持ち帰ってコメントを書かなければならないようなものは,できればなくしたい(もちろん,適当に判子だけ押して返している教員も多いだろうが)。しかし,教育への熱意に介入すると,「働きがい強奪改革」になってしまう。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

データから見える「いじめ」発見の難しさ

 「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」では,「いじめ発見のきっかけ」についても詳細なデータが公表されている。

 公立小中学校では,いじめはだれがどのように発見しているのか。

 「学校の教職員」とそれ以外(子ども自身,保護者など)の比率は,

 公立小学校で約7:3,公立中学校では55:45となっている。

 担任教師が発見した割合(全体に占める)は,公立小学校が11.2%,公立中学校は10.3%。

 アンケート等でわかった割合は,公立小学校が57%,公立中学校が38%。

 本人からの訴えでわかった割合は,公立小学校が16.2%,公立中学校が24.0%。

 本人の保護者からの訴えでわかった割合は,公立小学校が9.3%,公立中学校が13.7%。

 このことからわかる「いじめ」の特徴は,9割が教員の見ていないところで行われる,ということである。

 データから少々意外な印象を受けるのは,担任教師といつも一緒に過ごしている小学校でも,担任が気づかないように「いじめ」が行われているということである。ここでは「小学校担任はいじめに気づけない」という意地悪な解釈はやめておこう。

 アンケートをすれば「垂れ込み」がたくさん集まるのが小学校。

 本人が申し出てくれる可能性は,小中いずれも低いが,まだ中学生の方がやや勇気が持てているか,状況がひどくなって申し出がある,といったところだろうか。

 もう一つ意外だったのは,いじめを受けた児童生徒がだれに相談したか(複数回答可)というデータである。

 「友人に相談した」と答えたのは,公立小学校では5.5%,公立中学校では9.6%しかいなかった。

 いじめを受けた児童生徒は,集団から孤立していることも大きな特徴と言える。

 「担任に相談した」と答えたのは,公立小学校では81.4%,公立中学校では74.6%だった。

 私も長年教員をやっていて,「教師としか会話ができない子ども」をたくさん見てきた。「これでいじめを受けていないとしたら,ほとんど集団とはかかわりをもたずに生活しているという意味になる」という心配の仕方をしたこともある。

 スクールカウンセラー等の相談員に相談した児童生徒は,公立小学校では1.3%,公立中学校では4.0%。

 学校以外の相談機関に相談した児童生徒は,公立小学校では0.4%,公立中学校では1.1%にすぎない。

 日本では,いかに「学校の先生」の役割が大きく,「教員以外」の人材が機能していないかがわかる。

 費用対効果を考えて,予算を大幅にカットするという方法もあろうが,日本では「やがて機能する」という神話を信じる人が多いので,状況は変わらないだろう。もちろん,臨床心理士の人の仕事が急になるなるのも気の毒なことである。「いじめ防止に役立っている」というデータをつくれば,何とかなるだろう。だが,いじめの防止に対しても,教員の果たす役割が非常に大きいことは,次に紹介するデータからもわかってしまう。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

「いじめ」対策は,日本という国のどんな弱点を象徴しているか

 新しい「いじめ」の定義によると,成績のいい子が近くにいて劣等感を覚えると「いじめ」になってしまうので,もはや「いじめ」の統計は意味をなさない。

 「いじめ」がゼロなんて,おかしいぞ!

 という恫喝をくらう状況だから,認知される「いじめ件数」はまだ増え続けるだろう。

 そのうち,「いじめ」のレベルを「心の震度1」「心の震度7」とか呼び始めて,細かい調査が始まることと思われる。

 「震度3」でも緩い地盤のところは相当揺れるし,「震度7」でも揺れをうまく受け流す柔構造の建物もある。

 不登校にならずに「耐えて」いれば「重大案件」にならない,というのも問題になるだろう。

 
 「いじめ」の根絶という「願い」はもちろん悪いものではないが,個人の言動だけではなく,

 「劣等感」などという,人間と人間が生活する場の「状況」によって生じる精神的な苦痛を根絶することは難しい。

 公立学校では特に,「できること」を隠すことが優れた生存戦略として機能するわけだが,「いじめ」防止のためにこうやって生徒たちは涙ぐましい努力をしているわけである。

 「公正・公平」などという原理や原則に照らしてみるときに,「いじめ」をめぐっては「目には目を」というタイプの要求をしてくる親が増えてくることも予想できる。

 「いじめは犯罪だ!」と声高に叫べば,「犯罪者は罪を背負うべきだ」「犯罪者には,刑罰を与えるべきだ」という主張も当然存在感を増していく。

 いずれ,「いじめ」を装って相手に罰をくらわせるタイプの「いじめ」も増えるだろう。

 学校は,どんだけ生きにくい場所になったんだ,とあきれるばかりである。

 「いじめ」対策は,どんどん「地盤を緩める」方向に流されていないか。

 今の日本では,そもそも地盤の緩い,危険な場所に住んでいる人が多い。

 しかし,「移住による安全確保」という選択肢をとることができない。

 「自分で自分の命を守る仕組み」がつくれない国の弱点が,「いじめ」対策に象徴されている。

 
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

心にないことは相手に伝わらない

 指導がうまくいかない,授業がうまくいかないと悩む教員は少なくない。

 どんなにベテランでも,「悩む」人の方がより有望である。

 子どもへの愛情がある一方で,現状と限界がわかっているということだから。

 学校には,「悩まない」タイプの教員が存在する。

 「うまくいっていない」という現状認識すらできないタイプの人もいる。

 先日,ある会合が開かれて,様々な年齢層の方々が集まった。

 会合の主催者側は,集めた人々に感謝をしなければならない立場にある。

 しかし,「感謝の念」が伝わっている空気はなかった。

 人間の心にないことは,相手に伝わることはない。

 「ただのお世辞」をそれと気づいて受け取ったことがある人ならわかるだろう。

 子どもの成長への期待というか,責任感のようなものをもっていない教員から,

 子どもたちはどのような影響を受けているのだろう。

 「自分の仕事が問題なくすめばよい」

 「もめなければいい」

 「できれば仕事が減るのが望ましい」

 そんな教員を増やす環境ができあがるのはなぜだろうか。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

集団による「いじめ」と個人による「いじめ」の区別がつかない人がいる

 長く教員をやっている人の中にも,集団による「いじめ」と個人による「いじめ」の区別がつなかい人がいます。

 子ども社会と同じように,職場にも教員社会にも,子どもの「いじめ」に当たるような現状は起こります。

 大人の場合,「いじめ」加害者になる側に,「罪の意識」などはありません。

 だれが悪い,何が悪い,これが原因だ,と言い切るタイプの人間には,「いじめ」が起こるメカニズムは絶対にわからないでしょう。こういうタイプの人は,たとえ自分が「いじめ」にあっても,それを「いじめ」とは捉えず,「対立」と捉えて終わりでしょう。

 「わかったつもり」でいる人間ほど,「教育」するのは難しいのです。

 学校によっては,「いじめ」は絶対に許さない,という強い決意を教師が持っていれば,それで「いじめ」が防げる,と真面目に考えている人がいます。「日本は絶対に戦争に負けない」と強く願っていれば,戦争に勝てると思っていた人たちと似ています。

 「自分はいじめを許さない態度をとっていて,それでいじめが起こってしまったのだから,自分には責任がない」という,どういう思考経路をたどっているのかわからない主張をしている人もいれば,

 「いじめはこういう原因が起こるのだから,その原因となる環境をなくしてしまえばいじめはなくなる」などという,「無人島作戦」を展開しようとしている人もいます。

 教員の世界の大きな問題は,「自分はいじめに向き合っている」などと息巻いていながら,「いじめ」に全く気づけなかったり,「いじめはないよな」などと生徒を恫喝して「いじめがないことにする」のが得意だったりする人がいることです。

 全く役に立たないような勉強を矯正したり,言いたくもない本心を道徳の授業で言わせたりすることも,相手がもし教師ではなく子どもだったら,立派な「いじめ」なのです。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

「社会通念上のいじめ」と「法令上のいじめ」

 社会通念上,教室でぐずぐずしていて,次の授業に遅れそうな子どもに対して,友人が「早くしろよ」とせかすことは,「いじめ」とは呼ばないはずであるが,せかされた子どもが苦痛を感じたら,「法令上のいじめ」に該当することになる。

 「いじめ防止」とは,「相手の心に苦痛を感じさせる行為の防止」であり,将来は,法律にのっとって,次のような「いじめ」を主張してくる子どもが出てくるかもしれない。

 私は,他の人より成績が劣っていることが苦痛である。

 授業中に,私が答えられなかった問いに対して,他の生徒が答えるのを聞くのは苦痛である。

 私はこうして「いじめ」を受けている。

 すべての生徒が,私よりも成績が下にならなければ,「いじめ」はなくならない。

 子どもを「いじめ」から守るための法律が,子ども全体を「ダメ」にしてしまう,という危険性を感じずにはいられない。

 道徳教育を受ければ受けるほど,真面目に生きていくのがバカらしくなる,という最悪の結果にならないための「手立て」が必要である。

*****************

 W杯で日本がコロンビアに勝利したことが,ある国にとっては「恥辱」と受け止められているようだ。

 特定の国が勝つと「自尊心が傷つけられる」という精神構造は理解できなくはないが,もう少し「大人」になってほしい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

公開授業で「いじめ」がバレた道徳授業

 ある中学校の公開授業の道徳の授業の導入部分で,「友達を助けた経験」を生徒が発表する場面があった。

 二人の生徒から,「いじめられていた子を助けた」という発表があった。

 そのときの言葉が気になった。

 二人とも,「いじめっていうのではないんですけど」という枕詞を使っていた。

 「いじめ」は「被害者」以外が「いじめ」かどうかを判断するものではない。

 被害者が「いじめを受けている」と言いにくい空気がある学校も多い。

 「セクハラ」などの「ハラスメント」も,同じようなものである。

 道徳の授業では,多くの生徒が「黙っていた方がよい」という空気を醸し出しているが,

 ときどき「空気が読めない」「空気を読まない」生徒の発言で「問題」が浮き上がる。

 こういう生徒の「勇気」が評価される学校がどれだけあるだろうか。

 「正直」が評価される社会がどこにあるだろうか。

 「ウソ」の方が評価される国に生まれた子どもたちは,今の道徳の授業に「ぴったり」なのだろうか。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

より以前の記事一覧

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より