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カテゴリー「社会科」の387件の記事

アメリカ・中国・韓国と日本

 現大統領を支持しているアメリカの人々の子どもたちは,大統領の発言をどのように受け止めているのだろうか。

 Aさんは,BさんがCさんたちのことをこう言っていた,と語った。

 こういう話法が原因で,学校現場でも多くのトラブルが発生している。

 Cさんたちは,Bさんに確かめることをせず,あるいは確かめることができず,

 Bさんへの嫌悪を強めていく。

 Bさんは,Aさんへの嫌悪を高める。

 Aさんは,もともとCさんのことを何とも思っていない。

 振り回される周囲の人たち。

 人間は,人を振り回したり,人に振り回されたりするのが好きな生き物かとも思ってしまう。

 さて,舞台は学校ではなく,国際社会である。

 発言の影響は,すぐに出るものと,少しだけ後に出るものと,しばらくたってから出るものがある。

 私が心配しているのは,発言を耳にした子どもが大人になる時期の話である。

 日清・日露戦争に勝ったとき,まだ幼かった子どもたちが起こしたのは何だったか。

 日本も決して「部外者」ではあり得ない。


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静岡市の人口減少に見る地方都市の未来像

 読売新聞が昨日配信したニュースによれば,

>静岡市の今月1日時点の推計人口が69万9421人となり、政令市の指定の目安「人口70万人」を割り込んだことがわかった

 とのこと。

 静岡県の県庁所在地・静岡市の印象は,

 「静岡駅周辺の道路が混み過ぎて不便である」くらいのものだったが,

 東京や名古屋に人をとられている状況を知ると,この地盤沈下の流れは止められないだろうという感じがしている。

 全国の「城下町」には,同じような「衰退」の運命が待ち受けていることだろう。

 静岡市には,大企業が少ない,という特徴があるらしい。

 不便なところにある静岡大学の存在意義とか,もろもろの課題が追い打ちをかけるように襲ってくるだろう。

 「東京」や「名古屋」の生産性を向上させることに貢献することで,

 「おこぼれ」をもらう運命を選択するのか,どうか。

 肝腎の「東京」や「名古屋」の現状すら,満足できる状況にはない,というアナリストもいる。

 静岡市がとってくるであろう対策に注目しておきたい。


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日本が守るべきものは何だろうか

 日本は何を,誰のために,守っていくべきなのだろう。

 テロの標的として自ら進んで名乗り出なければならないほど,関係を守りたい国があるのだろうか。

 世界では,さまざまな理由で命の危険に晒されている人たちがいる。

 日本丸ごとその「仲間入り」を果たしていくことが,政府の役割ではないはずである。

 新聞も報じなくなったとき,その次に起こる出来事を,歴史は例示してくれている。

 オブラートに包んだ中に入った情報まで,ちょっかいを出される時代になったのだろうか。


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北陸地方では常識的な?「防災教育」

 ある高校生が,「雷の多い年は豊作になる」と言い伝えを実証するための実験を行ったことがニュースになっています(産経新聞)。

 私の勤務している中学校では,1年生の一部が必ず田植え体験をしている関係で,よく次のような話をします。 

 以下の文章は,JAみな穂のHPからの引用です。

****************

 雷は稲妻とも呼びます。雷は稲が結実し始める夏の時期に多く発生することから、古来より稲は雷によって結実すると信じられていました。雷が稲を孕(はら)ませると考えられ、雷を稲の夫(つま)稲夫(いなずま)と呼ぶようになりました。昔は「夫」も「妻」も夫婦や恋人が相手を呼ぶ言葉で、「つま」に妻が当てられたことから稲夫→稲妻と呼ぶようになりました。

 そのため雷が多い年は豊作になると信じられてきたのです。
 
 また雷を「神鳴り」とも書くように昔から雷は神の仕業と考えられてきました。雷を「いかづち」とも読むのは荒々しい様子を表す「厳(いか)し」に大蛇(おろち)や蛟(みずち)などで神や霊を表す「ち」を「づ」現代かなづかいの「の」で繋げたものです。

****************

 このHPには,北陸地方が雷多発地帯であることも示されていました。

 北陸各県では,「雷が発生したときの安全対策」の教育もしっかりと行われているのかもしれません。

 
 実際に田んぼに雷が落ちると,どんな現象が起こっているのでしょうか。

 高校生が行った実験によれば,放電した水は,通常の水よりも窒素を多く含んでいたとのこと。

 そうすると,人為的に放電を起こしていき,水分中の窒素量を増やすことで,収穫量の増加が見込めるようになるのでしょうか。

 ただ,長く放電しすぎるのもいけないようです。

 
 各地に残されている様々な伝承は,経験則を示しているものも多いのでしょうが,現在では,それらの科学的根拠を解明している人たちも多いはずです(そういう本を昔読んだ記憶があります)。

 今回の高校生のような実験・検証を行う研究が,「総合的な学習の時間」の基本スタイルになっていくことを期待したいものです。

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国立大学法人のある先生からのご質問ですが・・・

 これでもかと繰り返される現役の教師たちによる犯罪行為の報道。

 報道されるものが全部ではないところが哀しいところです。

 あるニュースで,バレーボールの強豪校の教師が・・・・と報じられていました。

 バレー部は何の関係もないのに,「~で有名な学校」というところにニュースバリュー(?)があるので,私も危うくバレー部の顧問がか?と誤解しそうになりました。

 江戸川区立の小学校教師は,強制わいせつ容疑で逮捕されました。

 ネットでは,SNSなどから判明したのでしょうか,本人の出身高校と出身大学が示されています。

 芸人さんに迷惑をかけている,なんていう指摘もあるようですが,子どもをこういう人間の魔の手から救う方法はないのでしょうか。今後,「男性の担任だけはやめてほしい」なんていう要望が女児の保護者から寄せられることが増えるかもしれません。

 これだけ多くの逮捕者が出ると,人事部の人間でなくても,どこの大学の出身者が危ない,という情報まで流れ出すかもしれません。

 さて,実名でこのブログにご質問をいただいた大学の先生がいらっしゃるのですが,後でご迷惑がかかるといけないと思い,非表示にさせていただきました。
 
 まずは,真っ当な大学の先生ならば,こんな低俗な匿名ブログの世界に足を踏み入れないようにすべきだと思います。実名で公開されている方は基本的に信頼できると思いますが,私のようなアウトローには近づかない方がよいかと・・・。

 ただ,私の記事が,翻訳された書名による検索で上位に来てしまうので,やはり気にはなってしまいますね。

 申し訳なく思います。

 その記事の中で,先生が書かれたある雑誌の原稿の内容が間違っていた,という指摘をしていました。

 その雑誌も原稿段階のプリントもすでに手元にはないので,どんな内容だったかわからないのですが,それほど歴史に詳しくなくてもわかるようなレベルの間違いだったと思います。

 同じ大学にいらっしゃる,歴史を専攻された先生にお聞きいただければ,すぐにご指摘していただけると思います。


 それにしても,文科省の植民地みたいになっている国立大学では,さぞやお仕事がやりにくいことでしょう。

 では私立大学ならばどうかと言えば,こっちも補助金獲得のために天下りを受け入れるのに躍起になっているようで,「再就職自粛」が長引けば,「先に取ったもの勝ち」になりかねない状況ですね。

 「主権者教育」なんていう,国民をバカにしたことをやろうとしている人たちの言いなりになるうちに,主権者の感覚とか大学の自治意識などを失っていき,どこかの国と同じような末路をたどりそうで悲しくなります。

 天下り先斡旋業務が最重要任務だった官僚も,どこか憎めないところがあるのは,この国はまだ「法治国家」のレベルに達していない,ということと,「世襲」や「コネ」が威力をもつ「文化」があるからでしょうか。

 数値目標を達成することしか頭にない人たちばかりなら,たとえば投票率を上げたければ,芸能人を総動員して,投票所に投票券をもってきたら必ず握手できる仕組みにすればよいわけです。

 ただ,裁判員裁判のDVDに出演していた女優が覚醒剤でつかまったように,芸能関係特有のリスクも高いわけですが・・・。
 
 何のお答えにもなっておらず,申し訳ございません。

 本拠地(?)の方でご活躍になれる日が来ることをお祈り申し上げております。


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論文作成と授業づくりの違い

 論文には,基本的な構成がある。

 結論がわからない状態で論文を書き始めることはまずないだろう。

 授業案も同様に,この時間ではこのようなことを理解させたい,という「結論」がもとになって,導入や展開を考えるのが普通である。

 導入・展開・まとめという授業の構成の中で,「まとめ」のイメージがあるから,導入の教材を工夫することができる。

 ただ,学習で大切なことは何を考えると,論文を書くことよりも,研究の過程でどのような良質の試行錯誤ができたかが重要であることは言うまでもない。

 研究のきっかけが何であったのか,実は論文を読むよりも,その話を聞いた方が,他人にとっては参考になることが多い。

 ゴールをあらかじめ提示してしまう授業が,その教科が扱う事象の興味・関心を高めるかと言えば,決してそんなことはないのではないか。

 さすがに公開授業では難しいかもしれないが,授業というのは多くの場合,「脱線」があるものだ。

 この「脱線」こそが,たとえば研究活動ならば意外な大発見に結びつき,よい業績をもたらすものになることが多いのではないか。

 教師が設定したゴールに向かってひたすら邁進させるタイプの一般的な授業が,多くの生徒にとって「つまらない」と感じられてしまうのも,生徒なりに「学習の本質」がわかっているからではないだろうか。

 結論よりも,まずは「導入」を工夫してみる。そうすると,子どもたちは,(教師の)思いも寄らない方向へと思考を働かせてくれて,「主体的な学び」が成立する。そんな授業を心がけていたい。


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安かろう疑わしかろう

 「安かろう悪かろう」「安物買いの銭失い」

 こういう言葉を浴びせられては,気の毒な方々がいる。

 航空機を使った旅行は,正規の?運賃ではとても財布がもたないので,

 割引を得るために出発日のかなり前に予約する人や,
 
 ホテルの宿泊費とセットになっているものを利用する人が多いだろう。

 必ずしも,「安い」ことがサービスの質を低下することとは結びつかない商品は数多くある。

 「安さ」に釣られて「引っかかってしまった」消費者を責めるのは酷であろう。

 売れば売るほど赤字が膨らむのに,運転資金を得るために次々に格安商品を売るような会社を放置しないでおける方法はないものだろうか。

 学校における消費者教育では,「安かろう疑わしかろう」などと安易に教えることはできない。

 最近,金融にしろ,防災にしろ,何でも「教育」という名をつけて,学校現場に丸投げしようとしてくる「政治家」が増えているが,その前に,自分たちでどうにかしようとする姿勢を見せてもらいたいものである。

 「監督官庁」の責任は,どこまで問えるのだろうか。


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SDGs(持続可能な開発目標)の時代の2年目に当たり

 ESD(持続可能な開発のための教育)=イーエスディーはまだ言いやすかったのですが,
 
 SDGsはちょっと日本語でイメージが持ちにくい略語になってしまいました。

 昨日の予算委員会の中でもふれられていたので,あれっ?何のことだろう?思った人が多かったかもしれません。

 SDGsは,2000年に採択された国連のMDGs(ミレニアム開発目標)が2015年に終了するのに伴い,昨年=2016年からの開発目標を定めたもので,以下の17の目標が示されています。

 17という数字も覚えるにしてはちょっと多すぎる感じですね。

 日本の立場で言えば,途上国への支援と同時に,国内でも解決・対応すべき問題に取り組むことが求められます。グローバルな視点から,どのような行動・社会貢献ができるのか,教育現場でも教えていく(考えさせていく)ことを安倍総理が名言しました。

 ちょっと重荷になりかねない雰囲気もありますが,実はすでに教育内容に含まれているものもありますし,時流に乗っているものもあり,「心に訴える」ことも容易にできるものばかりなので,通年目標・月間目標などを定めて,「行動の記録」をつくらせていくことも不可能ではありません。

目標1 貧困をなくそう
あらゆる場所のあらゆるかたちの貧困を終わらせる

目標2 飢餓をゼロに
飢餓を終わらせ、栄養を改善し、持続可能な農業をすすめる

目標3 すべての人に健康と福祉を
あらゆる年齢の全ての人の健康な生活を確保し、福祉を推進する

目標4 質の高い教育をみんなに
全ての人への衡平な質の高い教育と生涯学習の機会を提供する

目標5 ジェンダー平等を実現しよう
世界中で女性と少女が力をつけ、ジェンダー平等を実現する

目標6 安全な水とトイレを世界中に
全ての人に持続可能な水の使用と衛生設備(トイレ、下水道など)を保障する

目標7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに
全ての人が、安くて安定的に発電してくれる、持続可能なエネルギー(太陽光、風力などの再生可能エネルギー)が使えるようにする

目標8 働きがいも 経済成長も
みんなが参加できる持続可能な経済成長を促進し、全ての人が職をもち、働きがいのある人間らしい仕事ができるようにする
           
目標9 産業と技術革新の基盤をつくろう
災害に強いインフラをつくり、みんなが参加できる持続可能な産業化を進め、新しい技術を生み出しやすくする

目標10 人や国の不平等をなくそう
国内及び国家間の格差と不平等を減少させる

目標11 住み続けられるまちづくりを
まちや人びとが住んでいるところを、だれもが受け入れられ、安全で、災害に強く、持続可能な場所にする

目標12 つくる責任 使う責任
生産と消費のパターンを持続可能なものにすることを促進する

目標13 気候変動に具体的な対策を
気候変動とその影響を軽減するための緊急対策を講じる

目標14 海の豊かさを守ろう
海と海洋資源を守り、持続可能な利用を促進する

目標15 陸の豊かさも守ろう
陸の生態系を保護し、持続可能な利用を促進し、森林の持続可能な管理、砂漠化への対処、土地の劣化、生物多様性の喪失を止める

目標16 平和と公正をすべての人に
平和的で、誰一人のけ者にされない社会と、すべての人が法律に基づいた手続きをとれるようにする。あらゆるレベルで効率的で説明責任ある能力の高い行政を実現する

目標17 パートナーシップで目標を達成しよう
目標達成のために必要な行動を強化し、持続可能な開発に向けて世界の国々が協力する


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「聖徳太子」を「厩戸王」と呼ばせない圧力の正体

 社会科教育というジャンルがあるが,ここでご活躍のセンセイ方の中には,政治学や経済学,地理学や歴史学といった「学問」へのアンテナが高くはない方もいらっしゃるが,さすがに「聖徳太子」という呼称を続けていくのはまずいだろうと思っているはずである。

 「指導の継続性」という観点から言えば,大学や高校で「聖徳太子」と表現すればバカにされてしまうので,中学生だけではなく小学生にも「本来の呼称」を教えていくのが妥当だと考えられる。

 だから,次期指導要領の改訂案でもそうなっていた。

 しかし,「指導の継続性」という言葉を,「低いレベルをそのまま維持する」という発想でとらえる人たちの考えがパブリックコメントに寄せられ,文科省はそうした「わがまま」に従う意向であることが報じられている。

 私ははじめ,次期学習指導要領案に反対したのは,「厩戸王」ではなく,「厩戸皇子」と紹介していた教科書会社の人ではないかと思っていた。

 教科書会社としては,他社でしかも1社しか使われていなかった用語に統一されることは不本意であり,次の教科書採択への影響もあると感じたのではないかと。

 だが,文科省が,教科書会社の意見を聞いて,方針を変えるとは考えられない。

 さすがに教科書会社に天下りしている人はいないのではないかと思う。

 変更の理由が,「指導の継続性に問題」「子どもが混乱する」だけで通るわけがない。

 「指導の継続性」と言えば,今回の改訂の目玉は,高校段階へと発展的に成長していく資質能力像を描き出しているという特徴にある。

 だから,「小学校でこういう名前で呼んでいたから,中学校でもそのままでいく」という発想は次期指導要領にはないのである。

 最初に述べたように,「高校ではこう呼ぶのだから,小中学校でもそうする」というのが「指導の継続性」というより「指導の一貫性」が通っている姿である。

 ということは,「厩戸王という歴史学で一般的な呼称を教科書レベルでは使うことをやめる」という方向転換の理由は,「跳ね返すことができない圧力が加わったから」であると考えざるを得ない。

 ただ,こういういざこざがあったおかげで,「なぜ聖徳太子と呼ばれるようになったか」「なぜ厩戸王と呼ばせたくない人たちがいるのか」を考えさせるきっかけになる。

 これは「歴史との対話」はもちろん,「現代社会において,様々な主張をする団体がいること」を理解させることにもつながっていく。

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道具化される「天皇の権威」

 日本のはじまりとはいつのことか?

 日本独自の紀年法に,神武天皇=初代天皇が即位したとされる年(西暦で言えば紀元前660年)を元年とする「皇紀」というものがある。「皇紀」の正式名称は「神武天皇即位紀元」といい,「神武暦」「皇暦(すめらこよみ)」などともいう。「皇紀」が公的な暦として制定されたのは明治5年(1872)で,太陽暦が採用された年でもあった。

 今年は皇紀2677年に当たるが,社会での一般的な生活では,この数え方を目にすることはない。

 政治権力を持とうとする者にとって,その「権威」をどのように確保するかは切実な課題である。

 中国にならって,日本で「元号」が使われ始めたのは,西暦645年(皇紀1305年)のことであった。

 (まだ「日本」という「国号」もなかったことに注意しなければならないが)

 「大化の改新」とよばれる一連の政治改革で重要だったことの一つは,蘇我氏を滅ぼすことであった。

 「明治維新」では言うまでもなく,江戸幕府の滅亡から始まっている。

 「皇紀」の制定のタイミングを見ても,政治的権威をもつための手段として,「時間」の支配が重要だったことが想像できる。

 日本以外の国で,「独立宣言文」に日本の「皇紀」が使われていた国があった。

 植民地支配を受けていた国が抱える様々な課題を考えるきっかけになる「教材」である。

 「元号」の使用開始と比べると,「皇紀」の制定の理由については,政治権力をもとうする人の立場が異なり,「天皇自身が権威を高める」ことでなく,「天皇の権威を利用する」ことが目的だったと考えられる。

 日本では永く天皇の権威がそのときどきの政治権力によって守られてきたが,それは自分の権力を高める道具として利用した結果であったこともある。

 アジア太平洋戦争での「天皇の権威の道具化」は,日本の国民だけでなく,多くの人々に多大な犠牲を強いる結果となった。

 「天皇の権威」自体に敵意を向ける人もいるが,私としては「道具化」した政治権力に敵意を抱いている。

 戦後,GHQが占領政策の基盤として「天皇の権威」を利用したことで,新たな犠牲を生まずにすんだ,という面もあるので,「権威の道具化」がすべて悪いというわけでもない。

 現代では,「天皇の権威の道具化」が,今までのように「天皇の権威」自体を傷つけずにすむという保障はないという危惧を私は抱いている。

 新たな「元号」の制定をめぐる経緯を注視していたい動機がそこにある。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より