カテゴリー「社会科」の16件の記事

歴史学習の苦手意識 ふり返り366日【08/7/02-2】/第80問

 小学生にとっての歴史学習で「苦手意識」が高まるのは,「近現代」を扱うときです。

 小学生にとって,ということは,6年生で歴史を学び始めますから,中学校1年生にとっても同じことで,「人気のある時代」というのは,戦国時代,江戸時代,平安時代となっています。

 その理由は,あることを調べろ,と言われたとき,対象となる人物が限られていることと,何をしたかが理解しやすいこと,そしてその評価がかなり定まっていることにあるようです。

 一方で,幕末から明治維新,そして戦争の20世紀に入っていくと,「できごとが多すぎて分かりにくくなる」という印象から,「苦手意識」が高まっていくのです。

 小学生にとっての人物を中心とした学習というのは,その人の行動から時代の中でのはたらきやその意義を考える活動であって,同時期に複数の人間が登場してくると,「情報量が多くなる」という実感から,拒否反応が表れ出すわけです。

 人物だけでなく,複数の「外国」がかかわり始める近代では,混乱するばかりになってしまう・・・。

 このような実態からは,小中学校の社会科で学ぶ「知識」面の順序性の課題も明らかになってくる。

 あとは,発達段階を考慮して,どのタイミングから「関連性の理解」「共通点や相違点の発見」を重視する学習を導入し始めるべきか,ということが課題になります。

 算数→数学などと違って,社会科の得意・不得意を分けるメカニズムはまだ十分に分かっているとは言えません。

 この解明に力を注ぎながら,次の次の学習指導要領を考える段階に入っています。

08/7/02 歴史学習における名脇役と主役  特定の課題の調査結果から、「主に学習過程でより強い印象をもった歴史的事象に引きつけられたこと」による習得場面での失敗が指摘されています。  ある教科の1時間の授業で学べたことを家に帰って一言で表現させると、社会科などは、教師の雑談や脱線した内容しか覚えておらず、肝心の「習得すべき内容」がおろそかになっているのがわかることがよくあります。  ここで大切なのはノートなのですが、ノート指導ができない小学校教師が担任になってしまっていたらもうおしまいです。  小学校の教師は、子どもに「あきさせない」ために、さまざまな工夫をしてくれることがあるのですが、それが導入にとどまらず、主要な展開部分でも余計な話が入ることがあるため、学習内容に焦点があたらず、子どもも何が大切なのか、何をこの授業で学ぶべきだったのかがわからず、ピンぼけのまま終わってしまうことが多いのです。  もちろん「話術」で子どもを引きつける中学校の社会科教師にも似たようなことが言えるでしょう。  しかし、さすがに中学校ではノートをとらずに授業が終わるということはめったにないので、最低限、どのような用語が理解できていればいいのか、どのような概念がわかっていればいいのかが一目で復習できるようなしくみになっています。  特定の課題の調査結果では、中学校の歴史的分野で、「関係図にまとめる学習を行っている生徒は正答率が高い傾向がある」ことが明らかになりました。これは、教師の指導の有無による影響が多いことは言うまでもないでしょう。  関係図では、丸や四角、矢印の意味を明確にしておかないとかえって誤解を生む場合もありますが、それが書かれて初めて理解できるような内容もあるわけです。  話を元に戻しますが、歴史学習では、非常に印象深い場面、絵画資料、エピソードなどが豊富にあります。  それらを学習の主役ではなく、「特別出演」「友情出演」のような扱いにし、習得すべき学習内容の名脇役として子どもに認識させるような指導が求められているのだと言えます。  もちろん、小学校段階では、「歴史的事象に興味・関心をもてるようになること」だけでも十分な気もしますが、学習指導要領に示された内容を重点的に指導し、簡単に子どもに説明させられるような授業を展開してほしいと思います。

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昭和の家庭史トリビア?【第80問】 
 昭和16年(1941年)の話です。
 東京のある場所の前でのお見合いがはやりました。その場所とは?
 ① 皇居前
 ② 交番前
 ③ 忠犬ハチ公前

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 【第79問の解答
 ③のトウモロコシでした。

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国を愛さないことのメリット ふり返り366日【08/5/10-3】

 「国や郷土を愛する心」を育む教育は,それが「何のためか」がセットとして報道されていないために,学習指導要領を読まない教師たちが参加して「反対合唱」をしてしまいます。

 子どもなら,授業中におかしを食べて叱られたとき,「先生も職員室で食べているじゃない」というかわいらしい言い訳ができますが,教師にはそういう言い訳はできません。

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08/5/10 社会科教師の教育の成果

 なっつさんから以下のコメントをいただきました。ありがとうございます。
 

日本は競争社会の中で、勝ち上がるために弱者切り捨ての価値観を身につけていき、結果「人のため」という価値観がすごく下がっていますよね。人のために行動する気持ちが育てば、自然に、まわりの人のため、地域のため、国のため、という気持ちも育つと思います。いきなり「愛国心」とかって言い始めるから抵抗があるだけで。
 だって、官僚、政治家を見ても、愛国心があるように思えないもの。自分たちの保身ばかり考えて。そんな人達に「愛国心」と言われるから、反発が起きるだけだと思いました。

 国家=政府と見る立場からの「愛国心」の押しつけに対する反発は当然のことですね。
 しかし、愛国心=滅私奉公という連想をしてしまうのは、日本独特のかなり狭い歴史観に基づくもので、だからこそ社会科の目標では、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情」のように、「多面的・多角的な考察による理解」に基づく「愛情」を育てたり深めさせたりすることを目標にしているわけです。

 ただご存じのように、社会科の場合はほとんど一面的な歴史認識を子どもに植え付けようとする教師がいますから、そういう教師の思い通りに育った子どもたちは「国家・社会・政府」という文言自体によい印象を持てずに成長していきます。選挙権を行使しようとしない多くの若者に、「どのように成長してほしいのか」を問うことのない大人たちは、政治家が悪い、官僚が悪いという言葉で政治的無関心を片づけてしまいます

 有識者の立場としては、今のままでは「民主的、平和的な国家・社会の形成者」たる人間を育てることが難しいという認識があるので、「日本人としての自覚」を促す文言として訴えかけているわけです。

 なお、教育現場で教師が「愛国心」という生々しい表現を使うことはまずないでしょう。だいたい両極端の立場の人が相手を批判するためかそれに対して攻撃するために使っています

 学習指導要領に「愛情」という文言がある以上、「日本を忌避することになる国土と歴史に対する理解」をゼロにする必要はありませんが、そういう理解を促したら、せめて外国に誇れる日本のよさも理解させる必要があるわけです。それは、自由主義競争に勝っているという経済の面に限ったことでないのは当然のことです。
 安全な水を飲むことができない国の子どもたちは、日本の自然環境をどう思うでしょうか。
 銃によって家族の命が奪われた子どもたちは、日本のように武器携帯を禁止し、治安がよい国のことをどう思うでしょうか。

 一生かかっても遊びきれないほどの趣味や娯楽があふれている日本を、学校すら満足に通えない国の子どもたいはどう思うのでしょうか。
 人間と同じで、別に全面的に愛する必要はなく、「嫌いなところ」があってもかまわないわけです。
 歴史は解釈が修正されることはあるかもしれませんが、歴史的事実は修正されません。
 「国際貢献」や「国際協調」で日本が果たしてきた歴史的事実は何か。
 政府の果たした役割、個人が果たしてきた役割は何か。
 国際社会に生きる人としての自覚をもたせる教育をするのが、社会科教師の醍醐味です。

 日本の国土も、四季があって自然と親しむこともできますが、地震や火山、津波などによって安全が脅かされることもある。四季の楽しみ方、山や海、川での遊び、地震や火山への対策に尽力してきた人々の苦労や工夫などをよく理解して継承することで、自然と愛情に結びつくことをねらいとするのが社会科です。
 これもあくまで社会科教育の一面ではありますが。
 「競争社会」「弱者救済」「公共の精神」など、社会科教育で扱うべき多くの課題がありますが、道徳教育と重なり合う部分が多い題材というのは、よく問題とされますね。

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社会科教師の逆コンピテンシー その12 新しい教科書モデル

 第12回は、「戦略創造力(④戦略のC創造力)」がテーマです。
 地理や歴史を学ぶとき、あなたは「考えること」「覚えること」「調べること」「自分の考えを述べること」のうちでは、どれを最も重視しますか。
 最も時間を費やしているのはどれですか。
 ・・・という質問を生徒にしたとき、どんな答えが返ってくるでしょう。教師ならどうでしょう。
 生徒のそれぞれの解答に対して、「先生は、そのことについてどのような材料をどのような方法で提供してくれますか」と聞いた場合はどうでしょう。
 知識や理解を中心に、私立大学の入試問題のような穴埋めプリントで教えている教師と生徒との間には、一定の信頼関係が生まれて安定しています。
 穴埋めのところを覚えれば、テストでいい点がとれる。
 現行の学習指導要領は、このような社会科教育では目標に掲げる資質は身に付かないので、内容に大きな工夫を加えましたが、結果は失敗に終わろうとしています。
 教師の逆コンピテンシーが、学習指導要領ではなく、生徒・保護者側のニーズに沿っているという理由でコンピテンシーになってしまっている。
 基本的に、教師の教え方を改善させる教育が難しいことは、研修や研究会を飽きるほど見ている自分は強く実感していますが、役所にいるだけの人には理解できないのです。
 では、養成や選抜の段階で・・・という話になりますが、こちらは大学生が受けてきた教育が近すぎて、何が求められているのかを実感するところまでが遠い道のりになっています。
 子どもや保護者の社会科(に限らないかもしれませんが)学習に求める目標=テストでいい点を取ることに、教師が合わせた形というのが、多くの社会科の授業の主流になっていることでしょう。
 教師は子どもに知識が身に付かないことに、大きな危機感、恐怖心を持っていて(それがないと自分の存在意義が否定されると自覚する)、「学び方」「調べ方」「考え方」を身に付けさせることは二の次になっています。
 しかし、そのような背景で教師が子どもに身に付けさせようとやっきになっているのは実は「知識」ではなくて、一種の「条件反射」のようなものでしょう。
 本当にその内容(知識)を身に付けさせたいと強く思っているのかどうか、毎時間の内容に照らして考えてみてはどうでしょう。まさか教師が、これは受験に出そうだからという理由だけで、教えている(こういうのは「教える」ことではなくて「与えている」とでも表現すべきなのでしょうか)情報はないでしょうか。
 「本物の知識を伝えたいのだが、子どもや保護者のニーズがネックになっている」というのなら、ニーズの方向性を変えることで、教師の「教えがい」も変えることができるはずです。
 まずは、定期考査問題を見直したいものです。
 文部科学省に求められる次なる取り組みとして考えられることは何でしょうか。
 学力調査的な問題を一般から多く募集して吟味し、「いい問題」を公開して中学生に解かせてみること。公開しないものを学校に提供して、定期考査に活用させること。
 学習指導要領に基づく指導の「評価」に切り込む施策が必要で、少しでも「目標準拠評価」の信頼性の担保になるものを提供すべきでしょう。
 教科書は無償でも、おそらくほとんどの学校では問題集や資料集などの教材を買わせているはずです。
 「義務教育は無償」という原則を、教材にまで広げるべきかもしれません。ということは、「問題集一体型の教科書」という新しいスタンダードが見えてきます。
試験問題】 定期考査の問題で、生徒の保護者から「習っていない問題が出された」という苦情が寄せられたとき、あなたならどのような話をして保護者と生徒を納得させることができますか。
(余談ですが、ある小学校で、学校では学習していない問題を担任が出題し、「塾で習って知っている人が多いからいいだろう」と言ったという話を聞きました。公立小学校の恐ろしさの一面をまた見ることになりました。)
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社会科教師の教育の成果

 なっつさんから以下のコメントをいただきました。ありがとうございます。
 

日本は競争社会の中で、勝ち上がるために弱者切り捨ての価値観を身につけていき、結果「人のため」という価値観がすごく下がっていますよね。人のために行動する気持ちが育てば、自然に、まわりの人のため、地域のため、国のため、という気持ちも育つと思います。いきなり「愛国心」とかって言い始めるから抵抗があるだけで。
 だって、官僚、政治家を見ても、愛国心があるように思えないもの。自分たちの保身ばかり考えて。そんな人達に「愛国心」と言われるから、反発が起きるだけだと思いました。

 国家=政府と見る立場からの「愛国心」の押しつけに対する反発は当然のことですね。
 しかし、愛国心=滅私奉公という連想をしてしまうのは、日本独特のかなり狭い歴史観に基づくもので、だからこそ社会科の目標では、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情」のように、「多面的・多角的な考察による理解」に基づく「愛情」を育てたり深めさせたりすることを目標にしているわけです。
 ただご存じのように、社会科の場合はほとんど一面的な歴史認識を子どもに植え付けようとする教師がいますから、そういう教師の思い通りに育った子どもたちは「国家・社会・政府」という文言自体によい印象を持てずに成長していきます。選挙権を行使しようとしない多くの若者に、「どのように成長してほしいのか」を問うことのない大人たちは、政治家が悪い、官僚が悪いという言葉で政治的無関心を片づけてしまいます。
 有識者の立場としては、今のままでは「民主的、平和的な国家・社会の形成者」たる人間を育てることが難しいという認識があるので、「日本人としての自覚」を促す文言として訴えかけているわけです。
 なお、教育現場で教師が「愛国心」という生々しい表現を使うことはまずないでしょう。だいたい両極端の立場の人が相手を批判するためかそれに対して攻撃するために使っています。
 学習指導要領に「愛情」という文言がある以上、「日本を忌避することになる国土と歴史に対する理解」をゼロにする必要はありませんが、そういう理解を促したら、せめて外国に誇れる日本のよさも理解させる必要があるわけです。それは、自由主義競争に勝っているという経済の面に限ったことでないのは当然のことです。
 安全な水を飲むことができない国の子どもたちは、日本の自然環境をどう思うでしょうか。
 銃によって家族の命が奪われた子どもたちは、日本のように武器携帯を禁止し、治安がよい国のことをどう思うでしょうか。
 一生かかっても遊びきれないほどの趣味や娯楽があふれている日本を、学校すら満足に通えない国の子どもたいはどう思うのでしょうか。
 人間と同じで、別に全面的に愛する必要はなく、「嫌いなところ」があってもかまわないわけです。
 歴史は解釈が修正されることはあるかもしれませんが、歴史的事実は修正されません。
 「国際貢献」や「国際協調」で日本が果たしてきた歴史的事実は何か。
 政府の果たした役割、個人が果たしてきた役割は何か。
 国際社会に生きる人としての自覚をもたせる教育をするのが、社会科教師の醍醐味です。
 日本の国土も、四季があって自然と親しむこともできますが、地震や火山、津波などによって安全が脅かされることもある。四季の楽しみ方、山や海、川での遊び、地震や火山への対策に尽力してきた人々の苦労や工夫などをよく理解して継承することで、自然と愛情に結びつくことをねらいとするのが社会科です。
 これもあくまで社会科教育の一面ではありますが。
 「競争社会」「弱者救済」「公共の精神」など、社会科教育で扱うべき多くの課題がありますが、道徳教育と重なり合う部分が多い題材というのは、よく問題とされますね。
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社会科教師の逆コンピテンシー その11 歴史と愛情が結びつかない教師

 第11回は、「戦略立案力(④戦略のB調整・統合力)」がテーマです。
 現行の学習指導要領に改訂されたとき、社会科の目標の文言に「愛情」が入ったことに対して、一部の教師たちが強硬に反発しました(改訂は、教育課程審議会の答申における社会科の改善の基本方針に沿って行った仕事であり、突然湧いて出た言葉ではないのですが)。
 小学校では、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て」ること、中学校では、「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め」ることが目標の一部となっています。
 このように部分だけ取り上げ、視野を狭くすると問題に感じる人も多くなるのでしょうが、国への愛情を育てたり深めたりすることは、それが究極目標ではなく、「公民的資質の基礎を養う」ために指導することの一つのであるわけです。
 「公民」とは、「国際社会に生きる民主的、平和的な国家・社会の形成者」となる人間のことです。
 「別に日本国民であることを意識させなくても、国際社会に生きる人間としての基礎は養えるのではないか」という批判も想定できますが、子どもの場合は、「日本の国家公務員はみんな外国人でもかまわないか」という議論をさせると、ようやく「国民」や「国益」、「主権」などという言葉の意味がわかってくるようです。
 「国家」には国民を統治し義務を課す機関であるという捉え方と、国民の生命・安全と財産を守る機関という捉え方があるように、「国民」にも、国家への献身を義務づけられる人々という意味と、国家の主権を担う人々という意味があります。
 社会科教師は、さまざまな教材を通してこの両面をバランスよく子どもに認識させ、単なる「社会」ではなく、「国家・社会」の形成者になる資質の基礎を養ってあげる必要があります。
 しかし問題は、マスコミから流される情報が、商業的な理由もあって「義務(負担)を課せられている国民」「義務を課している国家」「責任をとるべき国家」という面を中心に情報を構成し、「義務を果たす(責任をもつ)べき国民」像を提供しようとしないことにあります。
 社会科教師の中には、そのマスコミの仕事を増幅・強化させるような指導に終始する人もいるので、教育政策ではバランスを保つ意味でも、「義務を果たす(責任をもつ)べき国民」像に重点を置かせようとすることは理解できます。
 ところが、結果としてはそれが逆効果になっており、ますます「反国家」指向の教育を導きやすくなっている。
 たとえばそういう教師が最も力を入れる授業が、戦争の歴史でしょう。
 国家と聞くとなぜかすぐに軍国主義を思い浮かべる教師がいます。
 そういう世代の教師が間もなく現場からいなくなることに一部の人たちは危機感を抱いているようですが、そういうタイプの教師の授業を参観すると、子どもの反応は「またか」「またあの酷いビデオを見せられるのか」などと冷ややかなものです。
 どういう感想を書けば教師が喜ぶかよくわかっているので、教師の「個性」に生徒全体が染まっていく不思議な空間ができあがります。
 「ねらいが理解されていない」点など、危機感はもう少し別のところに持つべきなのですが。
 戦略立案力の欠如は、行政レベルでもそうなのですが、教師としてもよく考えていきたいところです。
 「戦争を忌避する」ことと「平和を愛する」ことはイコールのようで、子どもの感じ方のニュアンスは異なってきますし、それを達成するためのレベルが違いすぎます。
 しかし、「我が国の歴史」に「愛情」という言葉がつながってこない世代の教師にはなかなか指導の改善を促すことが難しい。
 こういう例を挙げるとすぐに「あの教科書を支持しているのか」と言われそうですが、あくまでも「多面的・多角的に考察」するという目標をふまえての考えです。
 中国における日本軍の虐殺行為を取り上げる一方で、ソ連軍による中国東北部などでの「火事場泥棒的」侵略・虐殺行為を取り上げることは、戦争というものの実態をより鮮やかに示す指導なのでしょうが、「戦勝国」の「戦争犯罪」にふれない教師も多い。
 免許更新の試験でこんな時代の歴史観を問う問題などは出題されないでしょうが、もし口頭試問でそんな問題が出されたら、試験官と教員の間でどんなバトルが始まるか目に浮かぶようです。
試験問題】 現行の学習指導要領では、第二次世界大戦を扱うときに、何を理解させることを目標としているか、述べなさい。
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社会科教師の逆コンピテンシー その10 登頂ルートが見つけられない教師

 第10~12回は、「④戦略」の分野になります。
 教育の分野では、「戦略」は「教育方法」に近い概念でしょうか(「教育原理」などもう少し広い面がカバーできる概念のような気もします)。
 この分野では、「生徒に指導のねらいや意図を理解させることができず、目標を自覚して学習させることができない」という教師の逆コンピテンシーが課題です。
 今回のテーマは、「戦略遂行力(④戦略のA実行力)」です。
 たとえば中学生の問題行動に対して指導を行うのに、導くべきゴールへのルートを想定せずに、叱責だけに終始してしまう指導がかつては多く見られたと思います。
 なぜ「かつては」かというと、今の子どもはすぐに逆ギレして、そういう指導は成立しなくなったからです。逆ギレするのは子どもだけではありません。
 「叱り方が気に入らない」という苦情も学校には多く寄せられます(相手が名乗らない場合は、管理職が対応して終わり。対象の教師に話をもっていかないケースも多い)。
 「その子によくなってほしい」という強い意思、熱い思いが「強い指導」で教師から生徒に伝わるという時代は終わりました。
 生活指導では「自己肯定感」「自己効力感」「成功体験による満足感」を味わわせることが重要であると言われますが、問題行動への指導でも、日常の授業における学習指導でも、その実現に向けての戦略的指導が欠かせません。
 改めて、1時間1時間の授業に、「導入」「展開」「まとめ」の次元を設定して、上記の3点セットを実感させてあげる50分にしてあげたいものです。
 生活指導にも、「導入」「展開」「まとめ」があり、それは1時間のお説教でも、1学期間の活動でも、3年間の活動でも、きちんと設定してあげるべきでしょう。
試験問題】 あなたの授業で、子どもに味わわせることができた最高の成功体験とそのときの教材について述べなさい。その体験によって、社会科という教科指導におけるどのような目標が達成されたか、説明しなさい。
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社会科教師の逆コンピテンシー その9 目標を超えられる教師と目標が理解できない教師

 第9回は、「成果創造力(③成果のC創造力)」がテーマです。
 教師も子どもも「創造」のレベルに達するには相当の土台が必要になります。
 このコンピテンシーは、学習指導要領で示された目標を達成しつつ、その枠にとらわれない新たな課題意識を子どもが持ち、主体的な学習を促す指導力のことです。
 現行の学習指導要領でいうと、地理的分野の学習については、目標を理解できないでいるためか、目標はわかっても指導の方法がわからないために、その内容について批判が出され、新学習指導要領ではまた大きく内容が変わることになりました。
 教師の指導力が目標の実現に追いつけないための改訂です。
 元小学校教師がTVで披露していた批判は専門家たちには笑いモノになっていましたが、多くの人たちは簡単にだまされたでしょう。
 「これでは子どもは外国のことを覚えられない」
 「何を覚えさせたらいいのかわからない。」というレベルの指導力では、現行の改訂にいたった背景すら理解できないでしょう。
 「教科の専門性」という言葉がありますが、小学校は別として、中学校社会科もかなり危ういものがあるのが実態です。
 テストで何かを出題したとき、その出題のねらいを具体的に説明できるかどうかが専門性のレベルを判断する基準になります。「その7」の試験問題が参考になります。
試験問題】 小学校社会科と中学校社会科の目標に共通してみられる文言を挙げ、その目標を実現するために小中で共通して使える教材を一つ紹介しなさい。また、その教材を小学校で扱うときの留意点と、小学校で学んだことを踏まえて指導すべき中学校での重点について述べなさい。
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社会科教師の逆コンピテンシー その8 傍観者とマスコミ化した教師

 第8回は、「成果統合力(チーム成果志向性)(③成果のB調整・統合力)」がテーマです。
 教員の業績評価に反対する人の中に、「教員の仕事はチームによるもので、個人の能力に左右される部分もあるが、個別に評価することはできない」というものがあります。
 しかし、この批判は明らかに教科指導の評価にはあてはまらないのと、チームの中でも教員以外のゲストが中心になるならまだしも、チーム内の役割は個別にあるわけで、それも評価できないというのはおかしいわけです。
 チームとしての仕事が評価できないなら、子どもの特別活動の評価もできないことになってしまいます。
 このタイプの業績評価に反対する人への説明は簡単なことで、「あなたの個人目標の中に、チームによる成果を極大化するためにあなたがすべきことを入れてください」とお願いすればよいのです。
 生活指導の場面を見れば子どもでもわかるように、明らかな「傍観者」が教師の中にはいます。「嵐が過ぎるのを待て」と後輩にアドバイスする教師もいました。
 授業中に爆竹が鳴って職員室を飛び出したら、現場に立っているのは自分だけで、抜け出していた生徒たちに囲まれるという孤立無援の事態を経験して初めて、傍観者の教師には「チームで動くルールを決めておかないと何もしない」ことに気付かされるのかもしれません。
 前回の「遅刻に甘い教師」のように(あれは学校全体の問題でしたが)、「優しい先生」がチームに混じっていると、正負の数のかけ算のようなもので、他が全部正の数でも1つ負の数が混じれば成果はマイナスになってしまいます。
 「チームによる活動だから個別に評価してはいけない」とは、「自分がチームの足を引っ張っているのが明らかなので、自分だけマイナス評価になるのがいやだ」という意味なのでしょうか。
 「厳しい指導」の原則は、単に「怖い」「どなる」ことなどではなく、指導に一貫性継続性があることで、「譲れないところは絶対に譲らない」という粘り強さがあることです。
 その意味がわからない教師たちは、一部の「怖い」教師に生徒指導を任せきって、自分は常に安全圏にいて、教育に達観した指導者面をしている。そんな現場はないでしょうか。
 さて、教科指導の面では、たとえば社会科の場合、共産党支持者自民党支持者が社会科教師にいる場合(それに限ったことはではありませんが)、極端なことで言えば、指導学年が異なればいっさい会話をしないなどということが公立中学校ではあり得ます。
 教科指導の面で、成果統合力がない逆コンピテンシーの好例です。
 教科会を定期的に設け、指導案検討研究授業を実施しているか。
 年間指導計画を教科会で検討しているか。
 定期考査の問題を互いに検討し、その内容を吟味しているか。
 研究推進校にでもならない限り、それぞれの教師がそれぞれ勝手に「社会科」授業を展開しているのではないでしょうか。
 ひどい話では、「○○先生の言うことは国家よりで、間違っている。市民社会の原則はこうだ」と指導の否定から入る教師もいる。
 昔は、子どもの話を封殺・攻撃し、不登校にさせ、保護者からの苦情に対して逆ギレのプリントを全部の生徒に配付した教師までいました。
 理想や理念を強い情熱で生徒に伝えたい熱意はよく理解できますが、手段を選ばない強引さは「教育」ではなく「闘争」そのものです。
 「教壇では何をどう指導してもよいという権利をもっている」と強く信じている教師がいるのは社会科に限ったことではありませんが、生徒から見て「この社会の先生は社会に出てやっていけるのだろうか」と思われてしまうのが最大の逆コンピテンシーでしょう。
 自治体ごとに、教科の研究会が(発足は組合系だったとしても)あり、情報交換や勉強の機会は保障されていると思いますが、そこでも学ぼうとしない教師。
 社会科教師なら、自分が持つさまざまなネットワークが指導の各所で生かされていくはずです。それが特定の政党や組合活動にしかつながっておらず、「マスコミ化」してしまっている教師は多くないのでしょうか。
 「フィールドワーク」が社会科教師の原点の一つにありますが、同じ学校の他の社会科教師が何をどう考え、どう教えているかを調査することが最も身近なフィールドワークです。
 「授業を見られるだけで、批判されている気になる」という逆コンピテンシーがあれば、早く治療しなければなりません。
試験問題】 学習指導や生徒指導で、あなたが過去に犯した失敗から学べたことで、その後の指導の改善に最も役立っていることは何か、述べなさい。
試験問題】 あなたが実施した研究授業の中で、授業後の研究協議で得た批判から学べたことは何ですか。その批判を今、授業の中で、どのように生かしているか、述べなさい。
試験問題】 同僚の教師の授業を参観して、あなたが学んだことは何ですか。また、そのことを自分の授業でどのように生かしているか、述べなさい。
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社会科教師の逆コンピテンシー その7 指導の「赤字」

 第7~9回は、「③成果」の分野になります。
 この分野では、「生徒が学力の向上を実感できず、学ぶことに充実感がもてない、力がつかない」状況を生んでしまう教師の逆コンピテンシーが課題です。
 今回のテーマは、「成果追求力(③成果のA実行力)」です。逆コンピテンシーは、「成果を問われることに反発する」こと、「子どもの学習成果は問うが、自分の指導の成果は問わない」ことなどです。
 企業の世界では言うまでもなく「成果」がすべてですので、業績にしろ、社会貢献にしろ、「どういう結果が残せたか」が多方面から問われることになります。
 しかし、教育の世界では、「成果」が問われることに対する教師からの反発が非常に大きい。定期考査や入学試験、夏の大会や新人戦などによって必ず「成果」が問われている生徒とは対照的に、量的に測定することが困難な教師の「指導の成果」には、長い間、社会の目も甘かったと言えるでしょう。
 学校内でも、「学校評価」は必ず実施され、どの教育活動がどれだけの成果を収められたのか、残された課題は何かなどを考える仕組みは昔からありましたが、同じ失敗をいつも繰り返していたり、何年経っても成果が出なかったりしたことが放置されていました。
 結局それは、「組織力」の評価であって、個別の教師の問題を浮き彫りにするものではなかったのが最大の原因でしょう。
 それが、学力調査や外部評価、自己申告(業績評価)などによって、否が応でも自分の能力と職務行動に直面せざるを得なくなって、ようやく「子どものできが悪い、勉強をしない」という無責任な見方から、「子どもに身に付けさせたい力を身に付けさせていない、目的に応じた学習をさせていない」自分自身に目が向くようになりました。
 「どうして○組の清掃は毎週毎週こんなにいい加減なのでしょう」「どうしてこのクラスだけ、教室移動が遅いのでしょう」「どうしてこのクラスだけ、忘れ物が多いのでしょう」などという声に、「しっかりやれと指導しているのですが・・・」と答える教師はいませんか?
 それが答えになっていないことに気付かない教師はいませんか?
 学習指導も全く同じです。
 自分の授業が成立しないことを、学級担任のせいにしている教師はいませんか?
 「なかなか実力が上がらなくて・・・」「どうしてこうも今の子どもは勉強が嫌いなのでしょう・・・」
 「成果」に目が向かないと、教師が何のためにいるのかすら自覚できない人をつくってしまうわけです。
 企業での研修でそのことにようやく気づき、「自分がすべきこと」に目が向くようになる教師もいます。
 そういう自覚をもってすら、教育というのは(目標にもよりますが)成果を残しにくいものですので、「成果を給与に反映させるのは反対」という声は、教育の力を過信しすぎている証拠です。本当に成果を出せた教師(チーム、学校)には、成果というより企業で言うところの「赤字」を出してしまった人たちより報われる部分があってもよいでしょう。
 逆に、今まで教師たちは、成果があまりにも出ないことで、自己の防衛機制のために、成果に対する関心から離れていたのかもしれません。
試験問題】 別刷りの冊子は、ある学校の教師が定期考査で出題した問題の一部です。この問題から、教師が生徒に身に付けさせようとした(と考えられる)能力を箇条書きでいくつか挙げなさい。また、この問題の「問題点」について、気が付いたことをいくつか挙げなさい。
試験問題】 あなたのこれまでの教育実践の中で、数字で示せる具体的な成果をいくつか挙げてください。また、数字では表すことのできない成果もいくつか挙げなさい。
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社会科教師の逆コンピテンシー その6 学習への意欲を高める「しかけ」

 第6回のテーマは、「対人変革力(②対人のC創造力)」です。
 「対人変革力」不足は社会科の授業という観点から言えば、戦略力などの貧困が原因なのでしょうが、学習に対する意欲を高めることができない教師、学力を向上させたいという願いが生徒に伝わらない教師は、かなり高い割合を占めていると思います。
 単純に、「テストで高い点をとらせたい」という気持ちは伝えることができても(脅しという方法も含めて)、具体的にこういう力を今、身に付けてほしい、こういう力を今、発揮してほしいという願いが伝えにくい原因は、社会科という教科の特性にあるのかもしれません。このことについては、多くの側面からの分析が必要です。
 そもそも人の意識を変えさせることは、用意ではありません。
 社団法人公共広告機構が、公共のマナー環境問題などをテーマに視聴者に語りかけるCMを提供していますが、その効果のほどというのはどれだけでしょう。
 広告会社は、人の意識を変えさせ、購買意欲を高める広告をつくるのが仕事なのでしょうが、そこには数多くの「騙し」のテクニックがあることはよく知られています。
 手段を選ばずに、さまざまな「しかけ」を用いて、人の意識改革を目指す。企業でも、たいへんな苦労をしているようです。
 教育行政も、教師の意識改革を目指して、次々に施策を打って出ていますが、もらっているのは「反感」ばかり。方法が方法だからでしょうが。
 横道にそれますが、日本のテレビCMは、「一段落CM」よりも、「ヤマ場CM」の方が多いのだそうです(日本は40%、アメリカは14%、イギリスは6%、フランスはゼロ・・・竹内一正著「グーグルが日本を破壊する」PHP新書より)。
 ドラマやクイズ番組でも、大事な場面でCMが入り、見ている方は非常にイライラします。
 ただ、日本人は「弱気の遺伝子」が強いらしく、そういうCMを流す会社の商品を買わないとか、テレビ局に苦情の電話を入れるとか、リモコンを投げつけるとか、そういう行動はあまりおこさない。だまってCMが終わるのを待っている。そういう側面もあるのですね。
 社会科で身に付けさせようとしている知識・技能は、世の中にあふれている膨大な情報・ルールの中のごく一部です。しかし、それを知りたい、集めたい、解決したいと思わせるきっかけになるしかけは、教科書の中には十分にありません。
 たとえば、「フランスでは見られないヤマ場CMが日本で多い理由は何か?」という問いは、教師が問うわけではなく、聞き手が勝手にそういう疑問をもつように「しかける」のが社会科の授業です。
試験問題】 社会科という教科を好きにさせるために、あなたが指導できる、とっておきの教材とは何ですか。また、その教材が多くの生徒を魅了した理由は何でしょうか。
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