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カテゴリー「社会科」の430件の記事

12月3日 今年のみかんの出来

 昨年,今年と,みかんの出来が今ひとつである。

 夏の天候不順が響いているのではないか。

 私は毎年みかんを30kgくらい買っているが,3分の2は人に差し上げている。

 今年は差し上げにくさを特に感じているところである。

 2年連続で夏らしい夏ではなかったせいか,体の方もどこか不調になっている人が多いのではないかと想像してしまう。

 実は教育の世界でも,「不調感」を抱いている教師は少なくないのではないだろうか。

 「いじめ」や「体罰」,「暴力」などを隠さないようになってから,学校のダメっぷりはもう当たり前すぎて逆に報道されないようになってきているが,それが何の劣化に基づいているものなのか,そろそろ子どもでも気づき始めているような気がする。

 これはもちろんたった2年の天候不順のせいではない。

 教師を教える立場の人が,大幅に入れ替わり始めていることが原因ではないだろうか。

 日照不足である。

 教育界では温暖化とは真逆で氷河期に入ろうとしているのかもしれない。

 だからこそ,今までにはあり得なかった教育が入り込むすきがある。

 学習指導要領に示された目標を無視した教育の蔓延は,理想に近づく一方で,逆の効果=法令遵守徹底指導を招く危険性がある。

 「台風の目」として大躍進を見せていた政党が,「温帯低気圧」と揶揄される事態に陥っているが,猫の目のように変わる政治の姿にも,日本の危機が写し出されている。

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マリオが総理大臣ならピカチュウを防衛大臣,ハローキティを外務大臣に

 河野外相の英語版ツイッターが日本語版のそれよりも注目されていることが話題になっている。

 日本では「政治の幼稚化」の象徴のように見えてしまうかもしれないが,

 政治よりも文化が社会をつくってきた国の人々にとっては,何の抵抗も感じられない出来事なのかもしれない。

 日下公人さんは,何年も前から「ピカチュウが世界を変える」ことを予言されていた。

 「こんな素晴しい国に生まれて良かった」と締めくくられているアメリカ人の子どもの作文を紹介して,そこに登場する電気製品やアニメなどがすべてメイドインジャパンであることを教えてくれている。

 幼児たちがもつ純粋さと残酷さを,そのまま大人に表現されてしまうのも考えものだが,日本が世界を動かすとしたら,それは文化の力によるものに違いないだろう。

 アニメの世界への熱狂的なファンがすでに大きく成長し,何か普遍的な価値を認めてくれてしまったようなタイミングである。チャンスを逃さない機動力を政治に行かせる人が登場したのだろうか。

 オリンピックの会場に総理大臣がマリオの姿で登場した国である。

 閣議も着ぐるみで実施してみたらどうか。

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12月1日 冬の省エネ総点検の日

 1980年に資源エネルギー庁が中心となって,「省エネ」への取り組みを国民全体に広げる活動が始まった。

 背景は言うまでもなく,1970年代にあった2度のオイルショックにある。

 毎月1日は「省エネの日」,

 毎年2月が「省エネ月間」となっている。

 夏の31度をエアコンで25度くらいに冷やすのと,

 冬の0度を18度くらいに温めるのと,どちらがエネルギーを多く消費するかは言うまでもない。

 計画停電が実施されたとき,「寒さをしのぐには服を重ね着すればよい」とまさに「鏡」としての言葉を残された方がいらっしゃった。

 夏に節約を意識しすぎて熱射病になるのもダメだし,

 冬でもやせ我慢はいけないと思うが,体を温めるための工夫はいくらでもある。

 資源エネルギー庁のHPに,「一般向け省エネ関連情報」というコーナーがあり,

 省エネのコツ,具体的な行動とその効果が

 エアコン,照明,キッチン,自動車など,使用機器ごとに示されている。

 こういう電気・電子機器に将来,省エネAIが組み込まれると,人間がいかに無駄な欲をたくさん抱えているかが実感できる生活を送れるようになるかもしれない。

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11月20日 少子化が進む日本だが,日本には1600万人もの子どもがいる!

 地理の学習をしていると,「多い」とか「少ない」,「大きい」「小さい」などと統計データをもとに表現することがありますが,それが何を指しているのか,はっきりと示されていない場合が実際にはとても多いことに気づきます。

 たとえば日本は「大きい国か,小さい国か」と問われたら,どのように答えることが可能でしょう。

 ロシアやアメリカ合衆国よりは面積がかなり小さい国ですが,ヨーロッパ諸国と比べると,大きい国に入ります。

 日本は少子化が進んでいますが,子どもの数は本当に少ないのかというと・・・・

 統計局のHPで紹介されている記事(データの出典は平成27年国勢調査)によれば,

 アメリカ合衆国,フランス,イギリス,カナダ,イタリア,ドイツと日本を比べると,

 15歳未満の子どもの割合(%)は,順に,

 19.0,18.5,17.8,16.0,13.7,12.9,12.5ですから,

 これらの7か国中,日本は最低です。

 しかし,15歳未満の子どもの人数(単位:千人)を順に並べると,

 60,977  11,901  11,502  5,741  8,198  10,397  15,887

 となり,日本はアメリカに次いで2番目に多い国になります。

 人口がそこそこ多い日本という国は,

 将来的には急速な人口減少が見込まれているわけですが,

 まだまだ実際には,とても多くの子どもがいる国と言ってよいのです。

 約1600万人いる15歳未満の子どもたちが,ただ「少子化」という言葉だけで

 「日本は子どもの割合が少ない国だ」ではなく,

 「日本は子どもが少ない国だ」と解釈されてしまっているのではないでしょうか。

 このことが,教育への投資を鈍らせている原因ではないかと思ってしまいます。

 世界の半分以上の国が,人口1000万人以下です。

 カンボジアやキューバ,ベルギー,ギリシャ,ポルトガルなどは,

 1000万人以上の人口がいますが,

 総人口が日本の子どもの人口よりも少ないのです。

 子どもたちの将来を考えてあげるためにも,ぜひとも知っておいてほしい数字です。

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歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの

 高校の日本史や世界史を「用語を覚える科目」としてきた高校や大学の教員たちが,教科書の用語を減らすための案を作成したという。2つの点でナンセンスである。

 1つは,結局用語を減らしたところで,「少なくなった用語を覚える科目」に変わることはなく,試験も「暗記問題」を出すことが前提になっている。なぜ義務教育の「ゆとり教育」という名の「ゆるみ教育」を繰り返そうとしているのか。

 もう1つは,そもそも教科書の内容をすべて教えなければ,受験のときに生徒が困るという強迫観念が捨て去れない限り,授業や試験の改善などあり得ない,ということである。

 歴史の人物名や事件名などは,それらを覚えたり,それらの事実を知るためだけにあるのではない。

 歴史学習は,さまざまな事象の関係,関連を考えるためにある。

 取り上げられる事柄が限定されることによって,さまざまな「気づき」のチャンスが失われていく。

 「多ければ多いほどよい」とは言わないが,実際に資料集を活用している高校なら,教科書ではなく資料集を実質上「主たる教材」として授業をする教員も出てくる可能性があるだろう。20年前と同じワークシートで授業をしている教員にとっては,関係のない話かもしれないが。

 そもそも「用語削減策」は,「受験生がテストでいい点をとるために不利な科目を敬遠することを避けるため」に出されたようなものだろう。

 客を増やすために当たりの確率を高める娯楽産業のような対応である。

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成長をとめないために

 先日,大学の学生さんたちに私の授業を参観していただいた。

 私が免許講習講習などでお世話になった先生のご依頼を受けて,今年度2度目の参観だった。

 「よい授業とは何か」を考えるのがテーマだったそうで,そんな依頼をよく受けたなと呆れられるかもしれないが,文科省とくだらない本を出している出版社以外からのお願いには全力で応えたいと思っている。今年は経済産業省と厚生労働省の方とのつながりもできて,「違法天下り大量発生官庁」が存在しなくても,教育が成立することが証明できるように頑張りたい。

 授業50分,質疑応答40分だけのかかわりであったが,自分にとって,子どもにとって,学生さんたちにとっての課題を改めて考えることができるので,とても充実した時間になった。以下は,先生からいただいたお言葉への私の返信の内容である。都合により,一部改変してある。

******************

いつも過分なお褒めの言葉をいただきまして,恐縮至極に存じます。

○○大学のプロジェクトでも「○○の教員の卓越した指導力を生かした・・・」
などという研究がありましたが,自分たちのことを「卓越した」などと
思い上がるのもいい加減にしろと感じますし,
「よい授業」を自分の実践を通して語ろうとすることも,
教育者の態度としていかがなものかと思ったりもしています。

私が長年問題に思っていることは,授業をしていて,いつも自分の感覚で
「あっという間に50分が過ぎてしまう」ということです。
生徒とのやりとりに集中しているからそうなるのかもしれませんが,
生徒自身が自分の時間を授業内でしっかり使うことができていない証拠に
なっているのが現状です。
 
「よい授業」として必要な要素を自分なりに整理し,その優先順位を考えて,
その順位に沿った発問,作業時間の確保も含めた時間配分,まとめなどが
できているかを検証していく必要が私自身にもかなりあるかと思います。

40人それぞれが伸ばすべき能力にも違いがあり,1人に対する声かけや
突発的な対話に時間が割かれる傾向が強いのも私の授業の課題に
なっています。

学生の皆さんからの質問に対しては,その学生さん独自の関心や課題意識に
沿った形でお答えする努力をしたつもりですが,お一人お一人の特性や能力に
ついての理解もほとんどない状態ですから,質問から類推するしかなく,
見当違いの方向の答えになってしまったかもしれません。もしそういう方が
いらっしゃいましたら,再度返答の機会を頂戴できればありがたいです。
生徒理解が授業の基本になっていることと同じですね。
 
エネルギーミックスと同じで,「最適解」は必ず何かの犠牲を伴っています。
最も優れた発電方法があれば,100%それにすればいいだけの話です。
 
授業もそれと同じで,何かを重視すれば,必ず何かが犠牲になる。
犠牲を少なくすれば,何も重視していないように見えることもあるし,
重点を絞れば犠牲が大きくなっていく。
「見方・考え方」を働かせる授業に重点をおけば,おそらく学力下位の
子どもたちは犠牲者になります。そうさせないための方法がたとえば
今回お渡ししたワークシートなのですが,まだまだ開発途上です。
 
「時間」という尺度において教育の骨格をなしている授業については,
そういう悩ましい問題があり,「よい授業」にも,「正解」は存在しない。
それでも少しでも「よりよい授業」に取り組もうとする態度を教員が
もっていれば,必ずそういう態度は子どもたちによい影響を与えていく,
と信じて研鑽を積んでいく必要がある,とまとめようとしても・・・・
今の時代,こういう言葉も「逃げ」と受け止められる可能性もあり,
教員養成は難しい時代だとつくづく感じます。

「よい授業とは何か」という種類の問いに真剣に向き合い,
考え抜こうとすればするほど,どんどん「何が正解かがわからなくなっていく」
おそれがありますが,それでもあきらめずに問い続けていける力を授業では
育てたいと考えています。

今回,しっかり自分自身の課題に向き合う機会を与えて下さった
○○先生と学生の皆さんには心から感謝しています。

******************

 わいわい子どもたちが楽しそうに学んでいるように見える「授業」がいかに子どもたちの可能性をつぶしてしまっているかについては,中学校の教育実践がないとわからないかもしれません。

 「エビデンス」を求められて,だれでもできるようなテストの点数を挙げているような人間に,教育を語る資格はないのです。

 大学の先生もおっしゃっていましたが,今回の学生さんたちは,皆さん教育実習を終えた方々だったので,私が言いたいことがとてもよく伝わっていたようでした。 

 自著の営業マンに騙されないよう,注意しましょう。

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11月17日 「流れの速さ」を何で感じるか

 ある政党の人気の凋落ぶりが,話題になっている。

 時代の流れの速さを物語るよい事例になるだろう。

 敵がいなくなってしまった生物の末路はどんなものか。

 肺がん撲滅デーを迎える1日前に知ったニュースは,タバコが嫌いな大多数の人にとってはがっかりするような内容である。献金がものを言う政治を,何と名付けたらよいのだろう。

  

 世界は日本の長寿企業の歴史や人物たちに注目するようになっているらしいが,

 その背景には企業の寿命がどんどん短くなっていることがある。

 「新しい」という言葉がとても使いにくい時代になった。

 こういう時代でも,数十年先の未来の予測ができると信じている人がいる。

 寿命の短い理念を大切にしている人ほど,語る話は大袈裟だ。

 田舎の小中連携の背後にあるドロドロとした人間模様は,「お客さん」には絶対に見せないようにするものである。

 数十年前にも普通にあった光景に大学のセンセイが感動する時代になったようだ。

 管理職とした話を完全に伏せておいて,自分の手柄だけを披露するような姿を自分の子どもに見せられるのだろうか?

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11月4日 中韓との歴史戦争の敗北と勝利 

 11月4日はユネスコ憲章記念日である。

 トランプ大統領はTPPやパリ協定に続き,ユネスコからの脱退も宣言している。議会ではどのような結論が下されるだろうか。

 アメリカは,パレスチナのユネスコ加盟後,分担金の支払いを停止しており,脱退は時間の問題だったとも言われる。

 日本とユネスコとの関係と言えば,2015年に中国によって「南京大虐殺」が「世界の記憶」に登録されてしまった。「30万人大虐殺」という主張を証明する資料がないにもかかわらずである。ユネスコ事務局長のイリナ・ボコバ氏は,ブルガリア出身の共産党員で,名うての親中派だということだ(週刊ダイヤモンド,櫻井よしこ氏のコラムより)。
 
 「歴史戦」という言葉はあまり一般化していないだろうが,とてもわかりやすい日本の敗北の一例である。

 櫻井よしこ氏のコラムでは,日本の「勝利」も取り上げられている。

 それは,慰安婦資料登録の阻止,ユネスコ制度改革の実現,次期ユネスコ事務局長の座を中国に与えずフランスに勝たせたこと。「日本外交の三連勝」と持ち上げている。

 2014年のユネスコ加盟国の分担金の分担率は,アメリカ22%,日本11%,ドイツ7%,フランス6%,イギリスと中国が5%となっている。金だけでなく,意見も出せる国になったということか。

 昨日のニュースでは,北朝鮮の核問題をきっかけとした日本の軍事大国化を韓国が心配していることが流されている。

 共通の敵がいるから仲間になるという発想ではなく,アジア全体の発展という考え方に転換できるきっかけを提供してくれるのは,案外アメリカだったりするような気もしてくる。

 日本の将来の悪夢は,かつてドイツとの同盟に活路を求めた失敗が,アメリカとの同盟で繰り返されることではないだろうか。

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高校「地理総合」「歴史総合」制度設計の瑕疵

 小中連携ほど難しいものはない一方で,

 中高連携は中等教育学校が従来からあるくらいだし,免許も同じなので,大した問題があるとは思っていなかった。

 が,目鼻がついてきた高校の「地理総合」や「歴史総合」の構想に致命的な欠陥があることがわかった。

 このままいけば,「瑕疵」と呼べるものになるだろう。

 それは,「地理総合」を単純に中学校の「地理的分野」との接続,

 「歴史総合」を「歴史的分野」との接続として捉える制度設計になっていることに気づいたからである。

 ここまで読んで,「当たり前だろう」「そのどこが問題なのか」と思ってしなう人には,中高連携を語る資格はない。

 地理は地理,歴史は歴史,政治経済は政治経済,と考えるのは大学のセンセイの発想である。

 「専門を外れた世界には口を出さない(出せない)」という常識があるからだろう。

 だから,地理も歴史も,教科書が「いろんな専門家が分担して書く文章」の寄せ集めにすぎないもの=「面白くない本」の代名詞になってしまうのである。

 小中学校には「社会科」がまだ生き残っている。

 その存在意義を否定するような学会(学会名を見ればわかる)もあるが,

 学会名には「社会科」が入っていても,分科会が完全に専門別になってしまっており,学会名が示すような機能を果たせなくなっているところもある。

 中学校の「社会科」にも,小学校の「社会科」にも,地理・歴史・公民(政治・経済,国際関係)という「串」がさされ,大事な中身が引き裂かれてしまうようだ。

 鰻の蒲焼きが焼き鳥のように串ごとにバラされてしまったようなイメージである。

 本当なら,中学校社会科を学び修めた子どもが高校生になり,「地歴科」で「地理総合」と「歴史総合」を学ぶのであるから,「地理総合」や「歴史総合」は中学校社会科全体と連携していないとダメなのである。

 「多面的・多角的に考える」という目標があるのに,面が減らされているので見る角度も限定される,というお粗末な結果になろうとしている。

 中学校の社会科は,地理的分野と歴史的分野を並行して学び,やや歴史が出っ張るが,最後には公民的分野を学んで高校に進学していくのである。中学校では公民的分野で一応の「仕上げ」をかけているのだ。

 だから,地理総合を単に地理的分野の延長線上としてとらえさせるようでは,「多面的に学ぶな」と宣言しているようなものである。

 歴史も同様である。

 「歴史総合」は,従来の「日本史」「世界史」という枠組みではなく,「日本と世界の歴史」として現代につながる過去を探っていくものであり,実質60時間弱の枠におさめないといけないのだが,思いの他「中学校の歴史の詳細版」に近いものになっており,生徒によっては「繰り返し感」が半端ないものになるだろう。

 「アジアの近代化がどう進んだか」というテーマを設定したとき,高校なら「日本の特殊性とアジアの他国との共通性」に目を向け,なぜそうなったのかを考えさせる単元構成が思いつく。

 もちろん,ロシアやヨーロッパ諸国,アメリカとの関係をふまえて考えないと,近代化の意味はわからなくなってしまう。

 ポイントを絞りすぎると,内容は中学校の歴史と同じ程度のものばかりになってしまうのである。

 さらに言えば,地理がわからなければ,「アジアの近代化」とその後の世界の動きとの関係,現代とのつながりの意味も見えてこない。

 地歴科という科目があるのだから,「地歴総合」でよいのである。

 本当に「総合的に考えられる題材」に絞っていく。

 ランドパワーやシーパワーという地政学上の概念も知っておく必要がある。

 現状では,「総合」という名がついていながら,全然「総合」っぽくない。

 「総合的な学習の時間」のいい加減さが,「地理総合」「歴史総合」への印象をさらに悪くしているとも言える。

 ともかくも,まずは「分解」したものを「総合化」して社会を見ることができるように,設計をし直すのが先だろう。

 よくよく考えてみれば,そもそも「地歴科」「公民科」が分かれてしまっていること自体がグローバル化に対応できない理由の一つではないだろうか。

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池上彰さんの功績

 現在放映中の『池上彰の総選挙ライブ』では,政治のことがとてもよくわかる「政界 悪魔の辞典」の用語解説があって興味深い。学校の教科書に載せられることはまずない内容だろうが・・・。

 この番組の人気は,何と言っても池上さんの鋭いツッコミと政治家の受け答えを楽しめることにある。

 元神戸製鋼社員の政治家に対して,日本経済全体にも悪影響が及ぶかもしれない神戸製鋼や日産自動車の不正の問題という話題を振っていた。予想外の話題だったからか,インタビューされた側には動揺も見えた。

 池上さんにインタビューを受ける各政党の代表などには,相当の緊張感が漂ってくる。

 もし池上さんが政治の世界に出てきたとしたら,どの党であっても圧倒的な勝利をおさめるであろうことはみんながわかっている。無所属でも。まさに「党ではなく人」である。こういうインタビュアーは,歴史的に見ても希有な存在だろう。

 民主主義にもし「品位」があるとしたら,聞きにくいことをズバリつくことこそが「品位」であり,勝者の太鼓持ちが増えればそれだけ「独裁の蘇り」という悪夢に近づいていくことになる。

 選挙の番組は,野次がないから,長い時間,視聴することができる。

 現在は近畿地方を中心として,洪水などへの警戒が必要になっている。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より