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カテゴリー「社会科」の411件の記事

政治の世界で目立つ「ダメリーダー」の教育効果

 朝のニュース番組から,世界の政治の動きに関する報道が途切れることがないのは,

 主にTさんとKさんとAさんのおかげである。

 発言が二転三転し,「ああ,これがホンネなんだな」とだれでにもわかってしまう指導者もいれば,

 一貫して「自分のせいではない」と言い張る指導者もいれば,

 「弱い犬ほどよく・・・」という諺がピッタリの指導者もいる。

 3人の指導者には,他のだれかが代わりにやっていけるわけではない,という無類の強さを持っているのが共通点である。
 
 その強さの源泉は,失敗したことにあるのではなく,実績そのものにある,というリーダーもいる。

 報道では耳にできないが,Aさんがどんな仕事をしているかは,HPでしっかり報告されているから,どこかのニュース番組ではぜひ取り上げてほしい。何も,これを取り上げたから,「体制べったり」というわけではない。報道は,やはり偏りが大きすぎて,「何かもっと大事なニュースが報じられていないのでは」という危惧を国民は抱いていると思われる。

 さて,3人のうちの2人は,「支持率」と「不支持率」が示されながら批判されているので,

 ほとんど「メッタ撃ち」の状態にある。

 「支持率100%」の指導者の行き先は,歴史を学んでいるほとんどの人が知っているのだが,

 多くの人は「とばっちりが来ないか」という心配をしているわけである。

 テレビのニュース報道の特色は,「情報を送り出す側と,情報を受け取る側の双方が正義の側」という「印象操作」をしっかりと行っていることにある。

 「悪」の部分をクローズアップすることで,「そういう人たちが身近にいないでほしい」という欲求を高めてくれる。

 超優秀な反面教師をつとめているのは,もちろんリーダーだけではないが。

 だれかのおかげで,部下を恫喝したり,生徒を怒鳴ったりできる上司や教師は激減するだろう。

 その場面を録音されていて,ネットに流されでもしたら・・・。

 これはダメなことですよね,という確認があっという間に何千,何万という人たちを対象にしてできてしまう時代である。テレビではさらにケタが違う(だからいまだに日本ではテレビ広告が消えない)。

 では,「どうすればよいのか」という答えは,どこかに示されているのだろうか。

 リーダーのその言葉ではダメなら,他の言葉があるのか。

 Tさんの場合は,どうやらその「他の言葉」を言わされた後に,ホンネが出てしまったようなのだが・・・。

 Aさんの場合は,「自分が指示したことはない」というのは正しい言葉かもしれないのだが,「指示した」「指示しない」という事実が大事な国ではないことは,自分自身が一番よくわかっているはずである。

 「自分が考えていることがすべて正しいと認識する」反知性主義の動きを止める力はどこにあるのだろう。

 このまま「正義の味方」のつもりでいると,「正義の見方」がわからなくなってしまうのではないか。

 ある政党からは,どんどん人が抜けていっている。

 こういう政党ほど,「再起不能」という言葉がぴったりくる党はないように思われる。

 大小,様々な組織の「危機」を気楽に眺めているうちに,自分の首を自分でしめていた,なんてことにならないよう,足もとの危機に注意を払うべきことを胸に刻んでおきたい。

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正直で無責任な政治家は,好感度を保てる?

 内閣を構成する大臣たちの資質が疑われるとき,首相の任命責任も同時に問われるのだが,今の時代,子どもでも大臣の中には,「官僚の作文を読む人」「官僚のアドバイスがないと話せない人」がいることを,国会中継などを通して見抜いてしまっている。

 「自分にはその力がない」「担当する業務の内容に詳しくない」と自分から表明している人に,だれが期待をかけるのだろう。そもそも,すでに「大臣」に期待をかけるという感覚は日本では失われているのだろうか。

 野党から総攻撃を受けても,さすがに就任後すぐの失言で罷免したとあっては,任命者である首相の立場がない。

 「大臣は飾りに過ぎない」という子どもたちの印象を,どうやったら払拭できるのだろうか。

 今や,「あの大臣は,無知で無責任だけど,正直で好感が持てる」という人もいそうである。

 「嘘をつかない政治家」という姿が,とても新鮮な印象を与えている。

 公的な場では,「言い間違い」ではすまされないことが多々ある。

 だから,「書かれたものをシッカリ読む」ことも大事である。

 ただ,国民の多くは,政治家の「建前」は聞き飽きている。

 もっと「本音の言葉」を聞かせてくれる政治家の出現を待ちわびているのではないか。

 「医療費を削減するために,もっと皆さん,運動して健康な体を作りましょう!」なんていって,

 「運動しすぎて病気になったから,責任取ってくれ」と批判されたらたいへんだ・・・なんて思う人ばかりでは,だれも何も言えなくなってしまう。

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琵琶湖に流れる河川の様子(8月7日22時10分現在)

201708072210

 気象庁のHPで「洪水警報の危険度分布」の地図を見ると,現在のところ,琵琶湖周辺の河川が危険な状態になっているようだ。

 下の図は,犬上川の上流当たりだろうか。「極めて危険」な状態にある。

20170807221102

 彦根市のハザードマップには,上流地域の危険度は示されていない。

 地理院地図を見ると,犬上川が「極めて危険」な状態にある地域には,集落があるようだ。

 地域の方々は,避難されているのだろうか。

 台風の進路に当たるなど,雨が強まっている地域にインターネットが使える小中学生,高校生がいたら,気象庁のHPで,「洪水警報の危険度分布」をチェックしてほしい。

20170807221002

 合わせて,地理院地図ではベースマップの上手に,色別標高図を重ねてみてほしい。

 危険な箇所がある程度,想像できる。

20170807221103

 氾濫危険情報が出されている鈴鹿川の流域で,多くの河川が合流しているのが次の地域である。

 低地と台地の土地利用の様子がよくわかる。住宅の多くは台地上にあるが,一部,低地にある住宅が気になる。

201708072318


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美味しくなってきたペットボトルのお茶

 10年以上にわたって,ある地域の茶農家さんから,生徒とともにお茶づくりのことを学ばせていただいているが,かつては「ペットボトルのお茶はお茶ではない」とどの方も口を揃えておっしゃっていたのが,最近は,「ペットボトルのお茶も侮れなくなってきている」という表現に変わってきている。

 私自身も,毎年ペットボトルのお茶の新製品が出るとチェックしてきたが,ここに来て「見た目」より「味」にこだわる製品が出てきて,味もなかなかなものになってきていることを実感している。

 日々,研究が重ねられているのだろう。

 粉末茶の品質も向上してきて,夏などはペットボトルに水を入れ,粉末を混ぜていただくような習慣が定着している地域もあるようだ。

 水道水を使えば,ペットボトル1本分で10円程度で飲めてしまう。

 砂糖が大量に入った飲み物を子どもたちはどんどん飲んでいるが,それほど肥満体型が増えないのが日本の不思議なところである。

 健康な食生活を子ども時代から教えていけば,将来の医療費の削減が期待できるかもしれない。

 20年や30年,50年先のことを考えて,そのころにしっかりとした効果が出せるような教育をこつこつと積み上げていきたいものである。


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線状降水帯出現予測は可能か~地上500mまでの空気中の水蒸気量が鍵か

 命を守るために必要な最低限の知識を伝えるのは,教育の大きな役割である。

 地理院地図などを活用して,自分が住んでいる地域,自分が学んでいる学校周辺の地域の特色を理解させる教育は,現在の小学校や中学校でもできることである。

 命を守るための教育に,教科の違いも何もない。

 地理や保健,理科の専門家しかわからない話では困るし,すべての子どもに理解させることができない指導でも困る。

 知識とは,「だれに聞けば正しい情報がわかるか」ということも含まれる。

 豪雨をもたらす線状降水帯ができるメカニズムが,少しずつわかってきているようだ。

 雨は上空から降ってくるものだが,それほど高くない,低層の大気の状態が豪雨の原因である可能性が指摘されている。

 避難行動に時間がかかる人が多い地域ほど,危険が迫っている情報が早く伝わる仕組みができるとよい。

 高い山地でなくても,冷たい空気の上に,湿った暖かい空気が乗っかっていくことで,積乱雲が続けて発生した地域もあるという。

 複雑な地形で海に囲まれている国に暮らす人間に欠かせない知識を深め,思考力を高めることができる教育を充実させる意思を,国はさらに強く示してほしい。

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無責任体質の伝染力のバロメーターとなる国税庁長官人事

 国税庁長官人事が発表されて,「喜んでいる人たちがいる」との指摘をしている人がいる。

 「絶対にないとおかしい書類はなかったことにできる」

 「税金はいくらでもごまかせる」というムードになるから,だという。

 官僚は,官邸の意向に沿うように仕事をする。

 企業の財務担当者は,社長の意向に沿うように仕事をする。

 国民や株主は重視されない,そういう雰囲気がさらに高まるだろう・・・という趣旨の指摘である。

 日本には,信用されない人がトップに立っても,機能できてしまう組織とそうでない組織がある。

 政府のトップから信用されている人と,国民から信用されている人のうち,

 国税庁という組織のトップには,どちらがふさわしいだろうか。

 日本は,自分が信用しない人がトップに立った場合,

 信用されるべき行動を自ら放棄する国民性をもっているのか,

 それとも国民こそが,国のために尽くし,信用されるような人間であるべきだと考える国民性をもっているのか。

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記録的な豪雨による被害が起こっている地域を地理院地図で調べてみる

 福岡県朝倉市と大分県日田市で猛烈な雨が続く・・・積乱雲が帯状に連なる「線状降水帯」が現われ,被害が広がっています。

 地理院地図を用いた次のような地図から,どういう地域が危険であるか,予想できるでしょうか。

290706
             (地理院地図を用いて作成)

 異常(=長時間+局地的)な豪雨が続いているメカニズムは,専門家によると,海水温が高く,海上の水蒸気量が増大しており,それが九州北部に流れ込んでいることが原因のようです。

 今まで,九州の地理学習で「筑紫山地」を確認させたことはありましたが,福岡県と佐賀県の県境になっている「脊振山地」を教えたことはありませんでした。それほど高い山ではありませんが,今回の局地的豪雨の原因として考えられているようです。

Photo
             (地理院地図より)

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働きアリの法則を教育にあてはめると何が起きるか?

 有名な「働きアリの法則」と,経済学者の「パレートの法則」は,

 2割と8割(2割と6割と2割)に分類して,それぞれの特徴を説明するものです。

 経験上,多くのことに当てはまるので,「法則」として人間を理解するときにも使われることがあります。

 ただし,「学級は2割の子どもが動かす」などという話が出てきたとたん,

 まともな教師なら憤慨することになるでしょう。

 私もこれを批判する記事を何度か書いたことがあります。

 これほど子どもたちの理解に対して,悪しき先入観を与える話はありません。

 自分自身の気を紛らわせるために20:80という「分類」をすることは勝手です。

 自由に「分類」,「レッテル貼り」して遊んでいればよい。

 でも,子どもたちは「アリ」ではありません。

 理科の教師に限った話ではありませんが,
 
 ときどき昆虫と人間を「同一」に扱う人がいます。

 気をつけた方がいいですね。

 でも,「同志」のうちの2割が,8割の成果を上げている,という捉え方は正しいのかもしれません。

 経験則と法則の区別はしっかりとしておくべきでしょうし,

 「法則に合わせるように教育していく」ことの問題は,だれの目から見ても

 ・・・・少なくとも8割の側からすると,迷惑どころの話ではないでしょう。


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「働き方改革」の前に必要な「学び方改革」

 新聞には中立・公正原則はない。

 表現の自由に基づき,独自の主張を展開できる。

 だから,政権に近かろうが,政権批判を重視しようが,新聞社の自由である。

 私たちは,歴史教育を受けることで,戦時中の政府と新聞社の関係,新聞が嘘の報道を続けていたことを知ることができる。

 政権に近い新聞を読むメリットは何だろうか。

 総理大臣の考えがわかりやすく説明されていることか。

 政権しか知らない特ダネを早く,たくさん知ることができることか。

 どのような「学び方」をすることが,私たちの人生を豊かにしてくれるのだろう。

 
 学校現場で進めなければならないのは,「学び方改革」である。

 今までに,成功したことがある「教育改革」はあるのだろうか。

 東京都の場合は,受験倍率が少しだけ上がったり,東大合格者が増えたりすることを

 「改革の成果」としてカウントしようとしているが,

 「頭の良い子」をたくさん確保して,その子たちの成果がどう出ようが,「私には関係ない」という教師や子ども,学校が多ければ,やはり「教育改革」とは呼べないだろう。

 「大コケ」の「教育改革」と言えば,「生きる力」(今日,たまたま発見したのだが,日中戦争が起こった1937年2月の東京朝日新聞の一面に,「生きる力」というキャッチフレーズが使われた雑誌の宣伝が載っていた)を育もうとした約20年前の改革である。

 次なる「大コケ」の最有力候補は,「主体的・対話的で深い学び」をキャッチコピーとした次の学習指導要領だろうか。

 「自分一人ではなく,何人かで力を合わせて何かをつくりあげる」という「学び方」がいつの間にか紛れ込んできて,「カンニングのすすめ」が教育現場に広がる恐れがある。

 自分の頭ではなく,人が考えたことを写すだけで,わかったりふり,できたふりにする子どもが大量に発生する危険性がある。

 「学び方改革」でこういう子どもが増えると,やがて,どのような「働き方」が目立つようになるか,想像するだけでも寒気がする。

 「働き方改革」とは,だれの何のための改革なのか。

 ある人が嘆いていた。

 「働き方改革」についてのわけのわからない議論の時間がなければ,

 もっといい仕事がたくさんできるのに・・・。

 「話し合い」だけで何も得られない「学び方」を変えなければ,まともな「働き方」などできるわけがない。

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アメリカの反知性主義を輸入した人たち

 教育を自分が理解したいように理解し,反対の意見に聞く耳を持たず,自分だけが正しいと主張したがる人間が,やけに増えてきたと思えるようになったのはなぜだろうか。

 学習指導要領のように,ごった煮にしすぎて,内部が矛盾だらけ,という問題のある国家指針も問題だが,それが誤っていることと,自分の考えが正しいこととは関係がないのに,「オレの言うことが正しい」ことを威張るためにこの話を持ち出す人がいる。

 こういう人の出現の背景にあるのは,アメリカの反知性主義である。

 過去を否定するのが大好きな連中が,過去にあった議論と全く同じような主張をして調子に乗っている。

 何か新しいことを言っているつもりになっているのだが,どこにも新しさが感じられない人が大勢存在することが理解できないのだろう。自分が知っていること,経験していることがとても少ないからである。

 日本にこういう人たちがうようよし出す前に,真面目に教育のことを考えてくれる人が絶滅しないよう,願っていたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より