カテゴリー「宮城谷昌光」の18件の記事

私の場合、「おおむね満足」という満足はありません

師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。

参考
「孟嘗君 2」(宮城谷昌光著)講談社文庫
161頁

 教師の失敗-18
  子どもの長所をひきだせない

 
 子どものよさを褒めてあげられる機会を
多くもてる教師は、優れた教師です。
 しかし、授業を参観していると、子どもが
よさを発揮できる機会が意外に少ないこと
がわかります。
 中学校なら、教師がしゃべりどおしで子
どもの出番がほとんどない授業。小学校
なら、誰でもできることばかりで、一人一
人の本当のよさが発揮できない授業。

 観点別学習状況の評価では、A(十分
満足できる状態)とB(おおむね満足でき
る状態)の境界がどこにあるのかというこ
とが問題になります。量的には、「(○○
分以内に)○○問以上できればA」という
設定の仕方ができますが、それでよいの
か。むしろ質的に、「この水準の問題が
できればA」という設定の方がよいのでは
ないか。
 題材によっても評価の方法が様々です。
 
 そもそも、「満足」とはだれの「満足」な
のか。「おおむね満足」というのは「満足」
ではないのではないか。
 
 だれもが納得できる評価というのは難
しいかもしれませんが、少なくとも当事者
が納得できる評価の方法を研究するべき
です。

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人を家にたとえると、目は窓にあたる。

人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。

 参考
「孟嘗君 2」(宮城谷昌光著)講談社文庫
99頁


 教師の失敗-17
  口先で褒めていることがばれてしまう

 
 「人は褒めて伸ばせ」と言われます。しかし、
子どもにも褒められてうれしいこととうれしくない
ことがあります。「褒めて伸ばしてあげないとい
けないから褒める」という褒め方は、子どもには
すぐに見やぶられます。ごく一部には、褒められ
て「この程度でいいんだ」と誤解し、成長をストッ
プさせてしまう例もあります。また、「この程度で
褒められるということは、自分はたいして期待さ
れていなかったんだな」と落胆してしまう生徒も
います。

 「褒める」タイミングは難しいですが、やはり,
「心から本当に褒めてあげたい」場面でその
理由を明確に示しながら褒めることが必要です。
 
 目を見ていれば、お芝居か実感のこもった言
葉かは判断できます。

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問題の質による学校選択

人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。

参考
「孟嘗君 3」(宮城谷昌光著)講談社文庫
129頁


  教師の失敗-16
   問いのレベルが伸びる力を奪う

   中学校・高等学校の授業のレベル、指導の
  レベルを知りたければ、その学校の定期考査
  の問題を見ればよくわかります。
   
   学校説明会の説明を聞くより、定期考査の
  問題とその平均点を聞いた方が、教育水準や
  生徒のレベルがわかります。
   
   よく、過去の定期考査問題を蓄積していて、
  「試験対策」として使用している塾があると
  聞きます。こういう塾に通っている生徒、また、
  兄弟がいて、きちんとテストを保管している
  家庭の生徒は、対策が立てられるので有利
  だと言われています。

   もし、そういう立場でない人が不利だと思う
  なら、理由を挙げて、学校に提供を願い出
  ればよいのです。

   学力向上を図るための調査を教育委員会が
  行うようになっていますが、中学校なら、定期
  考査の問題の質の調査をしてもおもしろいか
  もしれませんね。

   定期考査問題の比較で学校選びというのも
  あっていいのではないでしょうか。
  (○○の教科はいいけど△△はだめ・・・など
   ということになりそうですが・・・。また、教員
   の異動があるというのが公立学校選びの
   リスク要因ですね。)

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嫌われまいとする心理はわかるが・・・

嫌を避くる者は皆内足らざるなり

人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。

参考
「中国古典の言行録」(宮城谷昌光著)文春文庫
174頁 「嫌を避くる者は皆内足らざるなり」 
朱子『近思録』より

 教師の失敗-15
  嫌われない努力で不信を招く

  公立中学校の校長が、飲酒運転で5歳の子ども
 に怪我を負わせました。
  
  学校では、「校長が重大事件を起こした場合」の
 教頭等の緊急対応マニュアルが必要になっていま
 す。
  おそらく適切に(?)対応されたのでしょうが、
 入学式はどうするのでしょうか。
  
  教育の場に多く見られる失敗に、相手に嫌われ
 まいと起こした行動がたいへんな逆効果を招くとい
 うものがあります。

  困難校に赴任した教師が、「にこにこしていれば
 危害は加えられない」と先輩からアドバイスされた
 という話を聞いたことがあります。喫煙を見かけて
 も注意できない大人が学校にいるのは悲しいこと
 です。
  真剣に叱ってくれる大人を子どもは待っているの
 です。

  指導が困難な地域では、地元の方との協力が欠
 かせないので、勤務時間中にでも勧められたお酒
 を断ることができない場合もあるでしょう。どうしても
 断れなければ、その後にとるべき手段は当然あった
 はずです。

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体験させる側とする側の目標のずれ

人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。

参考
「太公望 中」(宮城谷昌光著)文春文庫
75頁


 教師の失敗-14
  具体的な目標が描けていない


  目標を描くという行為は、活動の根本でありながら、
 実は易しいようで、たいへん難しいことです。きちんと
した目標を描ければ、指導を行う前から半分以上は成
功していると言っても過言でない場合があります。
 この目標管理で現場が困っているのは、教師が描
く目標と、子どもの側の活動の目標にずれを生ずる場
合が多いことです。
 いやらしい例ですが、昔よく言われたのは、「内申書」
の点が上がるから、子どもはやる。(全員やれば選抜
では差がつかないから、「やらないと損する」という脅迫
かも?) 商店での販売の体験活動は、お駄賃(=バイ
ト料?)をもらえる(ふつう、あげてはいけない)からやる。
 
 教師がすべきことは、活動の目標をメッセージとして
明確に伝え、その目標が、どの程度達成できたのか、
またはできなかったのか、その理由は何か、などをきち
んと文章で書かせて評価することです。それを必ず協力
者にはフィードバックします。

 こういう場面でこのような助言をいただけると、より教
育効果が高まったとか、この一言がこの子どもの職業
観を一変させたようです、とか。

 さらに協力者から「よくわかりました。次回、機会があ
れば、そのことに注意してご協力します。」と言ってもら
えれば、「失敗は成功のもと」になります。

 

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「むさぼる」教育

与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない」

参考
「孟夏の太陽」(「月下の彦士」より)(宮城谷昌光著)文春文庫
119頁


 教師の失敗-13
  協力者を得られない理由がわかっていない

  このブログに初めてコメントをいただきました。身に
 つまされる思いのするお話ですが、「教育失敗学」
 の構築には欠かせない「現場のコトバ」です。
  本当にありがとうございました。
  トラックバックの方も、感謝申し上げます。
  今回より、文体を改め、より謙虚な姿勢で問題に
 取り組んでいくつもりです。
 
  さて、東京都では、すべての都立高校での「奉仕
 活動」の必修化、公立中学校での職場等体験学習
 の1週間程度の実施を進めようとしています。
  公立中の方は、この指針が区市町村教育委員会
 に下り、それぞれの自治体が知恵をしぼらなくては
 なりません。

  ニートやフリーターの増加によって、よりより職業
 観や労働観を育成する必要が増していることが背
 景にあります。
  
  コメントでは、体験活動でお世話になる職場への
 依頼攻勢と事後の対応のお話をいただきました。

  私自身もゲストティーチャーを招いての授業をした
 ことがありましたが、依頼するとき、きっぱり言われ
 ました。

  「子どもだけが学んでおいしい思いをするの
 なら、ゲストは派遣しません。ゲストにとってもいい
 ものを学び、得られる時間にしてください」

  傲慢な自分の目が覚めました。そして、地域の
 中で学校がどうあるべきかも知りました。
  本当に社会性を身に付けるべきなのがだれなの
 かも。

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料理の上手な人とは

・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。


参考
「太公望 中」」(宮城谷昌光著)文春文庫
362頁

 教師の失敗-12
  素材のよさを活かせない

  「試験にでるから覚えなさい」式の指導は、
 飲食店で言えばファーストフード店のような、
 マニュアルどおりに調理すれば高校生でも
 できるようなものを出す店のようなものだ。

  授業では素材を「教材」という。教材を何
 の味付けもなくストレートに出してしまって
 は、せっかく潜在的な興味(食欲)がある
 のにそれを損なってしまうようなものであ
 る。

  素材の組み合わせや調理法をよく研究
 したい。
  
  しかし、多くの教師は「時間がないから」
 と逃げてしまう。

  総合的な学習の時間が始まって4年目
 になるが、「教科の学習内容3割カット」=
 学力低下の主犯格とされてきた。

  試行の段階から、私はこう言っていた。
 「1万円のフルコースを注文してさあ食え、
 というのをやめて、7000円のハーフコー
 スにしたと考えよう。あまった3000円で、
 素材を自分で選んだり、自分で料理する
 ことを楽しみながら食事できるようにしよ
 う。焼肉屋に行って、人に焼いてもらって
 皿にのせてもらったのを食べるだけでは
 つまらないでしょう。」

  自ら学ぶ力を身に付けなければいけな
 いのは、子どもよりも教師である。

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他人を変革するためには

他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。

参考
「太公望 中」」(宮城谷昌光著)文春文庫
361頁

 教師の失敗-11
  自分の経験にとらわれ、変化を恐れる

  実際に教壇に立つと、事前に準備して
 きたこと以上に実践に影響を与えてしまう
 ものがある。それが過去の経験、たとえば
 自分がうけてきた授業である。

  教師の禁句に、「これ、試験にでるよ」
 がある。
  試験のために、授業している教師である
 ことを暴露してしまう。
  「何としても覚えさせなければ・・・」と
 やっきになる教師は、試験が終わって
 すっかり忘れてしまうことなどおかまい
 なし。それ以後の責任は自分にないなど
 と考えてしまう。

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人まねの先にあるもの

人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。

参考
「奇貨居くべし 春風篇」」(宮城谷昌光著)中公文庫
131頁

  教師の失敗ー10
   他人の実践のまねをする段階から、実践から
  学ぶ段階まで到達しにくい

  小学校レベルのように誰でも教えられるような内容
 だと、ついつい流行をおいかけたり、本のタイトルの
 マインドコントロールにかかってしまったかのような
 教師を見かける。

  教育は、消費するサービスではなく、学ぶ豊かさを
 享受するサービスである。「新製品」のよさを判断する
 のは子どもであり、親である。

  どのような教授法でも、メリットがある一方、デメリッ
 トがある。取り入れたメリットは最大限に活かしつつ、
 デメリットも明らかにし、それをメリットに転換させるよ
 うな工夫を重ねることで、指導力は向上していく。
  
  総合的な学習の時間は、与えられる一方だったも
 のを、自ら「取る」ことで力にしていくためにある。

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教師の禁句 その2

頭をつかわぬだけ、他人より若いということだ。

参考
「重耳(上)」(宮城谷昌光著)講談社文庫
159頁


 教師の失敗-9
  「頭を使え」と指図してしまう

  「頭を使え」「よく考えろ」という指示は、
 何も指導していないのと一緒である。
  教師の禁句のひとつである。
  「頭を使うとはどういうことか」「考える
 とは何をどうする、何がどうなることか」
 ということを子どもと徹底的に「考えた」
 ことがあったが、子どもは教師が想像
 している以上に考える力がある。

  授業中に、「頭を使っている」教師に
 出会ったことがあるだろうか。
  優れた教師は、子どもとよく対話する
 以上に、教材とよく対話する。それも
 子ども以上に真剣に問いかける。

  教師はよく歳より若くみえると言われ
 るが、その理由は・・・・。

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教師の禁句 その1

みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。

参考
「奇貨居くべし 黄河編」(宮城谷昌光著)中公文庫
263頁


 教師の失敗-8
  「わかりましたか」と聞いてしまう

  指導の世界では、「わかりましたか」は
 禁句とされている。というより、指導力の
 乏しさの象徴とされている。
  この問いは、すべての子どもにしている
 ものなのか、最も理解が遅れがちな子ども
 に確かめているのか、はっきりしないこと
 が多い。
  小学校の授業で、大勢が「わかりまし
 た!」と声をそろえて返事している場面に
 出会うが、「本当か!」と叫びたくなること
 が多い。

  後で子どもが理解していないことがわか
 ったときに、言い訳として「あのときわかっ
 たって言ったのに」などという教師はさすが
 に少ないだろうが、そもそも「わかる」と
 いう意味を教師や子どもが「わかっている」
 か?という疑問がある。

  わかっているかいないかが「わかる」問
 いをして、その解答から判断すべきなので
 ある。
 

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わかったふりをしてしまう子ども

人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ

参考
「晏子」第二巻(宮城谷昌光著)新潮文庫
222頁


 教師の失敗ー7
  「わかったふり」が見抜けない

  研究授業でよく遭遇するのは、児童や
 生徒たちの「思いやりの関心・意欲・態度」
 である。道徳的によく育てられていれば、
 当然のことであるが、教師は自分の指導が
 うまくいっていると勘違いしてしまう。
  児童や生徒は多くの大人の目にさらされ
 ていつもより緊張している教師をかばう行動
 にでる場合がある。
 
  そもそも参観者を「お客さん」呼ばわり
 するのはやめてもらいたい。
  児童や生徒まで「お客さんのために」
 わかったふりをしてしまう心理に陥る。

  「今日はいい態度でした」という評価を
 するときに、たとえば社会科の授業なら
 学習内容、学習対象である「社会的事象」
 に対する関心や意欲、態度がどう表れた
 のかを評価しなければならない。

  関心や意欲のように見えにくいものの
 評価をするこつは、「関心が高ければ、
 この方向にもっていけばこういう行動に
 でるはずだ」という計画をしっかり練ること
 である。

  話をよく聞く態度はしつけの領域、
 よく考えて練りなおす意欲を高めるのは
 学習指導の専門的領域である。


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よいこだわりと悪いこだわり

人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。

参考
「奇貨居くべし 飛翔篇」」(宮城谷昌光著)中公文庫
222頁


 教師の失敗ー6
  準備した計画にとらわれ、最適な判断・評価を誤る

   計画に基づく実践を重んじることも教師の大切
  な資質であるが、そもそも計画とは目標を達成
  するために考えたひとつの案であって、そのとおり
  実践すれば必ず目標が達成されるとは限らない。
   
   「子どもの集中力は長く続かない」ことを前提に、
  授業の前半と後半で別々の学習を行う計画を立て
  ていた教師がいた。しかし、教師の予想に反し、
  適切な指導によって子どもはよく集中し、どう考え
  ても続きを学びたがっている場面で「計画どおり」
  学習を中断させてしまった。結果として、子どもの
  集中力は著しく失われた。
   
   教師は、学ぶ過程にもっとこだわりをもつべき
  である。
  
   

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失敗を活かす

失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。

参考
「楽毅」第四巻(宮城谷昌光著)新潮文庫
170頁

*私自信は、「楽毅」が宮城谷小説の最高傑作
 だと思っている。宮城谷小説の主人公は多くの
 困難に出会い、失敗も経験するが、鮮やかに
 人生を生き抜いている。人物の鮮やかさ、
 読後のすがすがしさは、司馬小説を上回る。

  

 教師の失敗ー5
  失敗を失敗として認識できない

  「教育に失敗は許されない。『教育失敗学』
 とは何事だ」とお叱りを受けるかもしれない。
  しかし、失敗を失敗として受け入れ、それを
 活かすことをしようとせず、何となく成功した
 つもりで次の実践に向かいがちなのが教師
 であり、行政である。

  「学力低下」があおられることで、教育予算
 がとりやすくなることはよい。
  しかし、簡単なペーパーテストのできをよく
 しようと努力し、仮に点数が上がってしまうと、
 多くの「失敗」が隠されてしまうことになりかね
 ない。

  「失敗を活かす」とは、とても難しいものである。
 畑村「失敗学」だけでは対応できない「失敗」も
 教育現場では数多くある。
  だれの目から見ても「失敗」と言える教育も
 もちろん取り上げるが、保護者や一般の方には
 気付かれにくい失敗を明らかにしていきたい。

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幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。

人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。

参考
「奇貨居くべし 春風篇」」(宮城谷昌光著)中公文庫
127頁(前日に続く部分を引用した。)

 教師の失敗ー4
  葉にとらわれ根を育てようとすることを忘れる

   表面的な評価をしてしまうこと、変化に対応
  できないことの根は同じである。教師はゆらぎ
  のない目標をもつことを忘れがちである。
   

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大木でなければ豊かな実をつけない

大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。

参考
「奇貨居くべし 春風篇」」(宮城谷昌光著)中公文庫
126頁

 教師の失敗ー3
  表面的な評価をしてしまう

 「観点別学習状況の評価」の評価の観点の
中に、「関心・意欲・態度」というものがある。
 教師の中には、挙手の回数や発言数で
これを評価する者もいるが、わからないのに
手を挙げていたらどうするか、答えられたのに
他の生徒に先に答えられてしまい、発言の
機会が失われた生徒はどうするか、・・・等々、
これは課題の大きい評価である。

 多くの生徒があらそうように挙手できる発問
とは、たいてい単なる知識を問うものである。
 「関心・意欲・態度」の観点は、知識を発表
することに意欲的な態度を評価するためのもの
ではないはず。
 この失敗に気付かない教師は多い。

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難に臨みてにわかに兵を鋳る

あらゆる事態を想定して準備を怠らず、
変化に対応できるようなトップでいな
ければならない。

 教師の失敗ー2
  変化に対応できない

目標に準拠した評価(いわゆる絶対評価)
が導入され、今までのように上から順番に
成績を並べて切っていく機械的な評価が
できなくなった。
高校入試の調査書点(いわゆる内申点)
に活用されるようになり、その信頼性が
問われている。
「今までどおりでいい」
という意見も多い。
なぜ、相対評価から絶対評価に変わったのか。
教育に、指導に、授業に、何が求められて
いるのか。
「観点別学習状況の評価」が導入されて
もう10年以上がたつが、学習観や評価観、
指導観をどうグレードアップさせてきたか、
これからどのようにグレードアップさせて
いくかが問われている。
「過去の経験どおりいきたい」
これは失敗を避けたいという心理からくるものか、
それともただ楽をしたいだけなのか。

参考
「中国古典の言行録」(宮城谷昌光著)文春文庫
182頁

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漱石枕流(そうせきちんりゅう)

言い誤りをたださず、理屈をつけて押し通した故事から
来た語。

 教師の失敗ー1
  面子にこだわり誤りを認めない

  教師には、面子、プライド、自負心も大切。
  石は枕でなく歯をみがくため、流れで口をすすがず
  耳を洗う・・・自分の言ったことをあくまで押し通して
  納得させる力も、ときとして必要である。
  「生きる力」のひとつかもしれない。
  しかし、失われた信頼を取り戻すのは難しい・・・。


「中国古典の言行録」(宮城谷昌光著)文春文庫
40頁 「石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕せん」

★夏目漱石のペンネームになったいきさつとは?★
★この故事に似た体験を、四字熟語にしてみよう★

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