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カテゴリー「歴史学習」の309件の記事

朝鮮半島の統一

 「朝鮮半島情勢」という言葉から連想されるイメージは,北朝鮮の核開発や南北の対立といった負のニュアンスのものが一般的であった。

 とうとう,「時刻の統一」が実現する。

 今まで主にマスコミ等によってつくられてきた「イメージ」が,「事実の報道」によって塗り替えられようとしている。

 日本にとっては,「拉致被害者の救出」が長年の責務であり,外交の手腕が問われるタイミングである。

 アメリカがどう出るかによって態度を選ばなければならないような従属国だとしたら,すべてが後手後手にまわることを覚悟しなければならないが,先手を打つチャンスをもっている政党もあるはずである。

 ロシアや中国の動きを眺めているうちに,日本だけが「仲間はずれ」になる構図が予想される。

 こういう最悪のシナリオを想定しないことにする国が,いつまで「もつ」だろうか。

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「暗記型か思考型か」などという幼稚な比較をしているうちは,まともな教育はできない

 暗記だけ,思考だけという教育はあり得ません。

 暗記はなし,思考はする,という教育も不可能です。

 暗記ばかりで思考の場面がない,という批判があっての教育改革なのでしょうが,「させられる思考」「型にはまった思考」では意味がないので,「思考」の質も大いに問われる必要があります。

 歴史教育では,過去の出来事を主な題材としているために,だれでも「流れ」をつかむことができます。

 「流れ」のつかみ型は多種多様で,人物の決断に焦点をあてた場合,対外関係に焦点を絞った場合,経済活動との関連を重視した場合など,切り取り型によって多くのストーリーが語れるわけです。

 単純に「暗記」していたことが生かされる場合もあるし,死んだまま眠る場合もありますが,「暗記」したことがストーリーだった場合,後で別のストーリーとの類似性や相違点が見つかると,そこで「生きた知識」として活用されることになる。

 知識も何もない場所では,「思考」に生かせるものは何もないわけです。

 新しい学習指導要領風に言えば,「見方・考え方」を働かせるための「場」が必要で,それは「教科書の内容」でもいいし,教師が提示する資料でも,あるいは子どもが主体的に探してくるものでもかまわない。

 暗記型だけの学習をしたとしても,どこかでそれを活用する方法を知ることで,「思考」のための材料に変えることができますから,新しい入試では,「暗記したことを,自分なりの指標で整理し直す力」を測定する,という制度設計をすることが考えられます。

 学校でもし「自分なりの指標で整理する」時間をとってしまうと,インプットできる情報が減りますから,できあがりの質も落ちるでしょう。

 ですから学校教育には「多くを求めない」ことが,最終的には成功に結びつくのかもしれません。

 塾産業は,「量で勝つ」という「成功方程式」で合格を約束することで経営が成り立っています。

 総合的な学習の時間が趣旨通りに実施されていない学校で,「見方・考え方」を働かせる学習を保障するのは不可能でしょう。

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小5の受験生の社会科勉強法

 中学受験用のカリキュラムだと,小5の1月で,歴史の学習が終わる。

 公立小学校のカリキュラムでは,小6で学習する範囲である。

 SAPIXの1月のテストの平均点を聞いて驚いた。

 社会科は,100点満点で30点程度。

 上位の子どもにたちに差をつけるためのテストを受けさせる塾である。

 こういう問題を解かされた子どもたちと,

 まだ全く歴史の学習をしていない子どもたちとの間に,どんな「格差」が生まれているのだろう?

 そもそも,中学校で学ぶレベルの歴史学習に,どんな意味があるのだろうか?

 SAPIXに通って授業を受けている子どもでも,大部分の子どもが理解できていない問題を出す意味は,どこにあるのだろうか?

 授業ノートも見せてもらったが,内容は「つまらない」の一言に尽きる。

 女子の平均点は20点代らしいが,それは無理もないだろう。

 まだ中学校の教科書を読んだ方が,「予習」にもなってよいかもしれない。

 さすがに「受験に出やすい内容」がしっかりと出ているプリントであるが,

 もし「教育的配慮」を進学先の中学校が考えるならば,もう少し出題する内容を検討するか,

 学習指導要領に示されていない内容を出題することをやめるとか,

 やるべきことがあるのではないか。

 「歯止め」は学習指導要領ではなく,「入試問題」にかけるべきだと思われる。

 勉強嫌いになってしまった「受験上がり」の子を「勉強好き」にする醍醐味も味わえるのであるが。


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12月28日 メッシーナ地震

 1908年12月28日午前5時20分頃,イタリアのシチリア島周辺で発生した地震によって,津波も発生し,数万人以上が犠牲になった。

 地中海では,イギリス海軍やロシア海軍が活動しており,両国ともに救助に駆けつけてきれたそうだ。

 当時は,千何百万人という犠牲者を出す第一次世界大戦が数年後に始まるとは,だれも予想できなかっただろう。
 
 この記事を書いている間にも,関東地方で地震が発生した。

 首都直下型地震への警戒を怠らずにいたい。

 大地震が発生し,流通がストップすると,信じられない早さでスーパーやコンビニの飲み物,食べ物が底をつく。

 首都圏では炊き出しで食べ物を被災者に行き渡らせるなど,不可能だ。

 助けるとしたら,自助が不可能な人たちのみである。

 人口がそれほど多くない地域での被災者の様子は,テレビでよく見てわかっているが,大都市で同じような光景になるわけではないことを,できればシミュレーションしておくべきだろう。

 もし本当に指定された学校に全員が避難したら,そこにいる方が危険になる。

 後手に回らないよう,行政はシミュレーションを急ぐべきだろう。

 御用納め後,正月前後に大地震が発生したときのシミュレーションもできていることを望みたい。

 こういうとき,威力を発揮するのは,歩いて役場に着ける距離にいる職員たちである。

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12月25日 イエスの誕生日はだれが決めたか?それはなぜか?

 キリスト教以外の宗教の祝祭日が集まるこの時期に,イエスの誕生日は設定された。
 
 「歴史とは権力者によってつくられるもの」の代表例の1つである。

 権力者の言うことが正しいとは限らないということも,古くから認識されてきたはずであるが,

 「口封じ」を恐れて表現することができない時代が長く続いた。

 今はどうだろう。実は今も変わらない。

 平和主義のもとでは,変えることが難しい。

 しかしいずれ戦争のない「平和」な国ではなく,「正義」のために戦争に巻き込まれる国になるだろう。

 そういう国になって初めて,国民は声を上げることができるようになるのだろうか。

 歴史は「手遅れ」の教訓をたくさん残してくれている。
 
 知るべきことは多い。どんな教材を開発できるかが勝負である。

 宗教にタブー感がある日本だが,イエスの取り上げ方にも工夫が必要だろう。

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12月24日 クリスマス休戦

 第一次世界大戦に参加した国の人々は,指導者から兵士まで,「戦争はあっという間に終わる」という認識でいたらしい。「クリスマスにまでには帰れる」と思っていた。しかし,戦争は1918年まで続くこととなる。現実としての戦争を理解できていなかったということだろう。

 第一次世界大戦中の奇跡として知られているのが,「クリスマス休戦」である。

 これは非公式でかつ一部の戦場で発生したもので,戦闘が続けられていた地域もある。
 
 上等兵として従軍していたヒトラーは「クリスマス休戦」には反対の態度であったらしい。

 軍の判断として,二度とこのような非公式の休戦は許可しないことになった。

 「クリスマス休戦」中は,戦場でサッカーの試合まで行われていたらしい。

 当時の人々にとって,「戦争」とは何だったのだろう。

 近代国家になってから100年以上たっているヨーロッパで,なぜ国のために多くの国民の命を削り合う戦争が行われたのだろうか。

 クリスマスだからといって,なぜ昨日まで殺し合っていた人同士が仲よさそうに接することができるのだろうか。

 仲が良いことは特別なことであり,殺し合いをするのが日常の出来事ということになる。

 ヨーロッパ中世と近代の違いを,以上の疑問を踏まえて述べなさい。

 という入試問題はどうだろう。

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12月1日 冬の省エネ総点検の日

 1980年に資源エネルギー庁が中心となって,「省エネ」への取り組みを国民全体に広げる活動が始まった。

 背景は言うまでもなく,1970年代にあった2度のオイルショックにある。

 毎月1日は「省エネの日」,

 毎年2月が「省エネ月間」となっている。

 夏の31度をエアコンで25度くらいに冷やすのと,

 冬の0度を18度くらいに温めるのと,どちらがエネルギーを多く消費するかは言うまでもない。

 計画停電が実施されたとき,「寒さをしのぐには服を重ね着すればよい」とまさに「鏡」としての言葉を残された方がいらっしゃった。

 夏に節約を意識しすぎて熱射病になるのもダメだし,

 冬でもやせ我慢はいけないと思うが,体を温めるための工夫はいくらでもある。

 資源エネルギー庁のHPに,「一般向け省エネ関連情報」というコーナーがあり,

 省エネのコツ,具体的な行動とその効果が

 エアコン,照明,キッチン,自動車など,使用機器ごとに示されている。

 こういう電気・電子機器に将来,省エネAIが組み込まれると,人間がいかに無駄な欲をたくさん抱えているかが実感できる生活を送れるようになるかもしれない。

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11月28日 太平洋に位置する国は,「太平洋記念日」に何を思うだろう

 フィリピンの人々にとって,戦時中の日本人はどう見えていたか。

 韓国の人々とは異なる様相があることを知った。

 韓国は,日本の植民地支配を受けた。韓国の人々が抱いている恨みの感情を,まだ日本では受け止めきれていない。

 フィリピンは,スペインに続いて,アメリカの植民地支配を受けた。

 アメリカ人によって,かつて江戸時代の日本で行われた「絵踏」のような「検査」が行われ,グアムに送られたフィリピン人がいることも知った。

 そういうフィリピン人の目には,「神風特攻隊」が「英雄」として映っている。

 日本人としては,その受け止め方がまた難しい。

 日本人は,母語を失わされるような侵略を免れてきた。

 日本人にとって,「外国語」,たとえば「英語」に対して抱く感情は,なぜか「憧れ」になってしまう。

 あくまで「憧れ」続けるような対象だから,どんなに勉強しても使えようにはならない。

 もし日本がアメリカの占領下に長くあって,不当な支配を強力に受けていたら,日本人でも英語を話すことが当たり前になっていたかもしれない。

 かつての中国語も,読み下し方を開発しながら,ゆったりと解釈することを中心にやってこれたのは,おそらく日本が平和だったからだろう。

 私の関心は,「太平洋記念日」と受け止め方が,国によってどう異なっているかである。

 ちなみに私が11月28日の記念日を知ったのは,今回が初めてであった。

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歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの

 高校の日本史や世界史を「用語を覚える科目」としてきた高校や大学の教員たちが,教科書の用語を減らすための案を作成したという。2つの点でナンセンスである。

 1つは,結局用語を減らしたところで,「少なくなった用語を覚える科目」に変わることはなく,試験も「暗記問題」を出すことが前提になっている。なぜ義務教育の「ゆとり教育」という名の「ゆるみ教育」を繰り返そうとしているのか。

 もう1つは,そもそも教科書の内容をすべて教えなければ,受験のときに生徒が困るという強迫観念が捨て去れない限り,授業や試験の改善などあり得ない,ということである。

 歴史の人物名や事件名などは,それらを覚えたり,それらの事実を知るためだけにあるのではない。

 歴史学習は,さまざまな事象の関係,関連を考えるためにある。

 取り上げられる事柄が限定されることによって,さまざまな「気づき」のチャンスが失われていく。

 「多ければ多いほどよい」とは言わないが,実際に資料集を活用している高校なら,教科書ではなく資料集を実質上「主たる教材」として授業をする教員も出てくる可能性があるだろう。20年前と同じワークシートで授業をしている教員にとっては,関係のない話かもしれないが。

 そもそも「用語削減策」は,「受験生がテストでいい点をとるために不利な科目を敬遠することを避けるため」に出されたようなものだろう。

 客を増やすために当たりの確率を高める娯楽産業のような対応である。

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かえってくるブーメランが見えない人たち

 面白い本を読んでいる。

 翻訳の本なのだが,訳者のコラムがたくさん入っている。

 この訳者は,ブーメランを投げるのが好きな人である。

 もしかしたらこの訳者の場合には,自分がブーメランを投げている自覚を持っているかもしれない。

 ただ,かえってきたブーメランはたたき落とす習性をもっているようだ。

 自分が投げたものとは別のものになっていると判断している。

 主張を読んでいると,それは自分が批判していることと同じような内容であり,

 鏡に向かって文章を書いているようなのだが,

 その鏡に映った相手を熱心に攻撃している。

 自分の脳にダメージを与え続けている状況である。

 報復に対する情熱の強さが,自滅に向かうエンジンになっているようだ。

 若いのに気の毒なことである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より