カテゴリー「学習指導要領」の11件の記事

なぜ学習指導要領準拠の入試問題ができないか ふり返り366日【08/6/29-2】/第75問

 入試にも大きな影響がある教科の評価が「目標準拠評価」(いわゆる絶対評価)になった以上,学習指導要領の目標や内容を理解しない限り,適正な評価はできないことになっています。

 しかし,入試における学力検査しか頭にない人たちは,「どういう問題が出るか」「どういう範囲で出るか」という視点ばかりを重視するので,「過去問」をもとに同じような指導を繰り返すことになります。

 入試をつくる側にとっての悩みは,「短時間で,だれが採点しても同じ採点結果がでるような問題が望まれている」ことです。

 全国学力調査の活用問題のようなものばかり出題されると,採点に時間がかかる,そのために,結局は「学力のごく一面を問う」問題になってしまう。

 授業も一面,入試問題も一面では,「目標」の意味がない。

 しかし入学選抜ではそれが実情でしょう。

 「問題が解けるようになればそれでいいだろう」という極論もあるでしょうが,こういう人たちに限って,「学力検査の結果で評価するのはおかしい」などという主張をするのであり,本当にチグハグなことになっています。

 教育政策の動向は,政治の変動とも無関係ではありません。

 教育への関心自体が高まっていくであろうことは,ある意味ではとてもよいことです。

08/6/29 学習指導要領改訂による混乱とは?

 新しい学習指導要領が、かなりの期間及び相当の回数の検討を経てできあがることは、中教審の答申や教育課程部会の審議内容を読まない教師はよく知らないと思います。
 学習指導要領の各教科編には、「改訂の経緯」や「改訂の趣旨」「改善具体的事項」「改訂の要点」等が冒頭に示されています。
そこを読めば、今回の改訂がなぜ行われたのかを知ることができます。
 一部に、学習指導要領の改訂が教育の混乱を招いてきたと考えている人がいますが、改訂されてもあまりその趣旨を理解せずに昔ながらの授業を実践している教師が多いのは、学習指導要領があくまでも基準を示したものだからです。

 一方で、たしかに「混乱」する部分があると言えるのは、たとえば教科書会社が、新しい学習指導要領の趣旨に沿うように新しい教科書を作らなければならないのですが、具体的にこう教えろとは学習指導要領は書いていないものですから、「どうやってつくったらいいか」と悩むわけです。編集者、執筆者の中には「混乱」している人がいるかもしれません。

 また、授業時数がかわるので、新しい時間割づくりなど、現場が苦労することはあります。
 教育政策へのスタンスは、非常に長いスパンが必要である部分と、「豊かな人間性をはぐくむべき時期の教育に様々な課題が生じている」以上、それらの「課題に適切に対応していくことが、これからの教育に求められている」こと、また、国際化、情報化、科学技術の発展、環境問題、高齢化・少子化等の様々な面における大きな変化は、10年先のことも十分に見通せないため、今後の変化を踏まえた新しい時代の教育をしっかり検討し、それを学校教育でも反映していくような短いスパンで実践すべき部分があるのは当然のことです。
 学習指導要領そのものも問い直すべきではないかという意見もありますが、たとえば今回の改訂では、いわゆる「はどめ規定」が見直されるなど、さらに学校の裁量が増え、自由な教育ができるように改善されています。
 (ただ、はどめ規定が示された現行の学習指導要領の趣旨をふまえると、内容を厳選して「これだけは身に付けさせて」ということが結局は実現できなかったため、今後は指導者や学習集団の力量による格差が拡大することは避けられないことが予想されます)
 学習指導要領の具体的な内容については、私も批判したいことはたくさんあります。ただ、もし公務員が法令に準じる学習指導要領を自主的に、そして批判的に読む習慣を失っているとすれば、公教育への信頼は失われていくばかりだと考えれます。
 (現実に、学習指導要領を読まなくても、それに準拠した教科書が作られて、文部科学省の検定で合格させている以上は、それをもとに教えれば、教育は成り立ちます。しかし、学習指導要領の改訂の趣旨を踏まえないことで、マイナスの要素が生まれることは多いと思います。)

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昭和の家庭史トリビア?【第75問】 
 昭和15年(1940年)の話です。
 この年は「皇紀2600年」。「国史劇」「神社めぐり」が盛んになりました。
 奈良・橿原神宮の正月三が日の参拝者は,前年の何倍になったでしょうか。 
 ① 10倍
 ② 20倍
 ③ 200倍

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 【第74問の解答
 ②の金歯でした。「金」が調査の対象になったため,各家庭の金歯からキセルの口金まで強制申告させられることになりました。

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半世紀前と同じ議論 ふり返り366日【08/6/14-1】/昭和初期の結婚年齢

 今,終戦後すぐから昭和30年代はじめころの教育雑誌に目を通しているのですが,そこで議論されていることは,現在とほとんど変わらないか,今よりとことん議論されている,そんな印象をもちます。

 まだこの頃の方が,「どうしたら学力を向上させられるか」について非常に高い意欲をもって議論されていたことも分かります。・・・時代は下り,親の年収の影響が強い・・・なんて結果ばかりが記事になっているようでは,昔の苦労は何だったのか・・・という話になるのでしょう。

 昭和30年頃のもう一つの特徴は,「民主主義」社会に移行したばかりの勢いがあったからでしょうか,教科書や教育界に対する「保護者」の要望,「世論」が非常に大きな力をもっていました

 初期社会科の改訂はまさにその「世論」に完全に背中を押された形で,経験主義から系統主義へ,大きく舵がきられました。

 そこにこめられたメッセージは,「意欲を高めたり自ら学ぼうとする力を伸ばしてくれたりするのはけっこうだが,最低限と思われる知識量や理解力は保障してくれ」というものでした。(今と同じです。)

 ということはつまり,何を理解すればいいのか,こういうテストが出されたら,どのくらいの点数が取れればいいのかが客観的に明らかになるような教育を,そういう願いだったわけです。

 今,それを実現できるのは塾や予備校などの教育産業であり,公教育は本来,数値化が困難な「関心・意欲・態度」の観点までA・B・Cで評価し,それが信頼できないためにますますペーパーテストの「能力判定機能」に期待が寄せられています。

 では,公立学校(現行の学習指導要領)が目指しているのは間違っていることなのかというと,そうとも言い切れず,塾や予備校で高めている能力は,将来の労働市場ではその需要がなくなろうとしている人材のための能力であることも指摘されています。

 経験主義と系統主義の綱引きは,まだまだ続きそうですが,社会の様相が激変しない限り大きな方向へは動かないのが日本の特徴なので,半世紀前の議論は終わることがないのでしょう。

08/6/14 学ぶ意欲の格差が問題なのは子どもだけか?  齋藤孝著「なぜ日本人は学ばなくなったのか」(講談社現代新書)に対する私のamazonへのレビューに、今のところ、17人中13人の方が「参考になった」としています。  レビューの内容は、「強制がないから」という「落ちない落ち」であることを批判したものでした。  以前に「教育力」(岩波新書)の中での多くの部分を日記で引用し、教師のコンピテンシーを考えさせてもらいました。  「なぜ日本人は~」については、こちらが先で「教育力」が後に出たのならわかるのですが、「教育力」が出版されてから「なぜ日本人は~」が書かれたとすると、「教育学者」ならわかるものの「教育者」としてのスタンスは現場から離れてしまったのかなあというのが率直な印象です。  学ばない子どもたち、学べない子どもたちに対して、現場はどのようにしたら教育という機能が有効にはたらくのかについて知恵をしぼっているわけですが、そこへのアドバイスが、子どもたちの「あこがれ」を誘発する「あこがれの矢」となってほしい、では、『日本人の「学びの情熱曲線」が下向きから上向きに転じる転機の一助』に本書がなるのは難しいでしょう。  ぜひ、「なぜ子どもたちに学ぶ喜びをもたせられない教師が多いのか」を究明し、では教師の教育はどうあるべきか、という方向での著作を期待したいと思います。  「学ぶ意欲の格差」は、子どもにあることは確かですが、もしかしたら教師集団の方が大きいかもしれません。  教師には、いくらでも言い訳ができますが、よくよく考えてみたら、それらは子どもの言い訳の質とほとんど変わらないものでしょう。

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昭和の家庭史トリビア?【第58問】 
 昭和11年(1936年)の話です。
 この年の,初婚の平均婚姻年齢は夫で何歳でしょうか。
 ① 25歳
 ② 28歳
 ③ 31歳

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 【第57問の解答
 ①のレストラン「横綱」でした。

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現行の「よさ」が生きて本当の「改善」となる ふり返り366日【08/4/8】

[学習指導要領] ブログ村キーワード

 現行の学習指導要領で学んでいる子どもたちは,総授業時数は歴史的に見ても少ないものの,学校の教師たちの「創意工夫」によって「最適化」が図られるよう構成された教育課程で学ぶことができています。

 しかも,小6と中3の4月には,基礎・基本だけでなく,それらを活用して考える力,表現する力がついているかどうかを評価してもらえる仕組みが整い始めています。

 テストのときだけできればよいような基礎・基本ではなくて,それが生きて使えるものになっていることが実感できるような問題で評価してあげることによって,子どもの学習意欲は向上していくでしょう。

 新学習指導要領では,内容が増えた分,「詰め込み教育」になる恐れを抱いている人も多いですが,現行の学習指導要領に沿った教育が実践できてきた教師に教わることができれば,心配はありません。

 ・・・という捉え方ができないと,1年前に記したような批判に対してもちませんね。

 現行の教育の「よさ」が生きることで,本当の「改善」となります

 「よさ」が継承されないと,「逆戻り」「振り出しに戻る」「改悪」になります。

 「よさ」が実践で示されなかったための「改善」と捉える向きが一般的ではあるのですが・・・。

08/4/8 今の子どもには損を甘受しろと?

 「改善された学習指導要領」が告示されたのに、「改善される前の“問題がある”学習指導要領」に沿って教育を受ける今の世代は、将来何とよばれることになるのでしょう?

 中学校で新学習指導要領が平成24年に完全実施になっても、小学校の5年間は旧課程で学んだ子どもたちです。平成23年に小学校に入学して新教育課程を受けるようになった1年生が、中学校3年になる平成31年には、すでに次の学習指導要領が告示されているわけです。
 どこから「新学習指導要領の成果」が測れるのでしょうか?

 いずれにせよ、公立学校の入試問題に影響があるわけではないのですが、「何だか損をしている感じ」が子どもにも保護者にもあるのではないでしょうか。

 そのことについて、学校はどのように回答することができるのでしょう。
 「移行期間」の計画と指導のねらいはすでに練られているでしょうか。

 まだ新学習指導要領の解説も教科書もできてないわけだから、それができた後でよい、ということでしょうか。

 中学受験を指導する塾のテキストを見ると、そんなことはおかまいなしの高度な内容をずーっと変わらず教え込んでいるようです。塾の教育?を受けている子どもたちやその保護者にはほとんど関係がない話なのかもしれませんが、「塾にいかなくてもすむ学校教育」などという難問をつきつけられている公立学校にできることとは何でしょうか。

 新学習指導要領の内容、改訂の趣旨、移行期間の課題については、講習の機会が多いかと思いますが、文科省はいちいち学校や研究会に出て行って話をするのではなく、HPに動画による解説を載せ、教員だけでなく保護者もすべて勉強できるようにするといいですね。「親は知っているのに先生は知らなかった」という恥を避けるために教員も熱心に見てくれるかもしれません。

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新学習指導要領の先行実施に向けた準備チェックリスト ふり返り366日【08/2/24-3】

 教師たちは「管理」を嫌っているのか,望んでいるのかよく分からないところがあります。

 両極端なタイプとしては,事細かで具体的な指導・助言を望んでいる人と,何があろうが一切おかまいなしという人がいます。

 行政としては,前者に合わせてできることをやるしかない,といったところでしょうか。

 文科省も,現場と協力しながら,新学習指導要領の周知・徹底に熱心になっています。

 問題は,全教師に配布した指導要領が読まれているかどうか・・・。
 恐ろしくて調査なんてできないでしょう・・・。

 文部科学省と全国連合小学校長会及び全日本中学校長会が、新学習指導要領の先行実施に向けた準備チェックリストを作成しました。

 校長会を通じて周知,ということですが,HPに載っているので,こういう伝達ルートのタイムラグがどのくらいあるのかを現場の教師は知ることができるようになります。

 すでにチェックしている学校はどのくらいあるのでしょうか

 中学校のチェック項目をご紹介すると・・・

【共通事項】

□ 新学習指導要領を読んだ。
□ 新学習指導要領の解説を読んだ。
□ 平成21年度からの移行期間中の各教科等における授業時数の増減を理解している。
□ 平成21年度から全面実施される総則、道徳、総合的な学習の時間、特別活動の変更点を理解している。

【各教科別事項】
□ 平成21年度から数学、理科で追加される指導内容を理解し、教育課程の編成で具体化している。
□ 平成21年度に数学、理科で追加される指導内容について、現在使用している教科書に準拠した「補助教材」(冊子)が本年3月中に全中学校に配付されることを知っている。
□ 平成21年度に理科で新たに必要になる実験器具等、教材の準備を進めている。
□ 移行期間中の音楽(平成21年度から)、社会(平成22年度から)、国語(平成23年度から)のそれぞれの移行措置の内容を理解している。

2008/02/24 管理を嫌う教師たちができない管理

 教育の世界では、「自由」「実践の自主性」「自主的な創造の道」をはばむものとして学習指導要領などを批判している人がいます。評論家も大学の先生も学校現場をやめて言論活動をしている人は、ニーズはそういう教員くらいしかないのですが同じような主張をします。
 せっかく時数を減らして「自由」「実践の自主性」「自主的な創造の道」を開いたのに、総合的な学習を充実させられず、「学力低下」批判に何の抵抗も子どもや保護者へのアピールもできなかった現場は、その責任をまた行政に向けるのです。
 こういう人たちに共通するのは、「管理」を「悪」と決めつける態度で、その語句を使う場合には必ず負のニュアンスの語句とセットにします。
 「国家の統制や管理
 「行動を縛る管理システム」など。

 しかし、管理が行き届いていないために、世の中にどれほどの問題、不祥事が噴出していることか

 個人情報の紛失や守秘義務違反など、教員には個人としての「管理能力」がないことも大問題ですが、教育管理職は教員が処分され職を失うのを防ぐためにその本来の職務をどれだけ全うできているか。
 自分たちに都合のよい管理や統制を要求する教師たち。
 自分たちに都合の悪い管理や統制を嫌う教師たち。

 行政の期待に応えられず、子どもや保護者の期待に応えられない現場は、もちろん過度な期待、困難な状況の中で仕事をしているわけですが、それへの対応としては、逆ギレして行政や子ども、保護者を攻撃するのではなく、現場で結果を出していくしかないことは言うまでもありません。

 もちろん不満を表現するなとは言いませんし、「世論」を形成できないような弱い政党はなくていいとは言いません。しかし、言えば言うほど信頼をなくしていくことに気付く必要はあります。

 本多勝一と佐高信の違いは、毒舌でやっつける相手に隠された愛情・期待をもっているかどうかです。
 同じ批判なら、佐高のようなスタンスで語ってもらえると、理想の改革が見えてくるかもしれません。
 以前にもふれましたが、完全に制御不能に陥るまで「この学校(学年)は大丈夫です」と保護者に訴えていたのが、授業が成立しなくなってはじめて保護者会を開き、「家庭でも何とか言ってくれ」というのは間違いです
 子どもは早い時期から不満を漏らし、親は「いつかは何とかしてくれるだろう」という期待で見守ってくれていたはずなのです。取り返しのつかない状況になるまで情報開示をしない体質のある学校は、一連の偽装企業を笑うことはできません。

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知の筋肉を強化する新学習指導要領

 よくスポーツ選手は,「脳みそまで筋肉でできている」と自称(自傷?)したり他者からからかわれたりしますが,能力開発,知の技能UPをするという意味で,「知の筋力強化」「知の筋肉をつける」という表現はわりあいしっくりくるような気がします。

 今までの教育は,心の筋肉をつけることには比較的力を入れてきたように思いますが,「知の筋肉」については,それを育てているという実感自体がなかったように感じています。
 
 心の筋肉は,自分自身や友達などとの葛藤を通じて,ときに乳酸がたまって疲労を感じたり,激しい運動で痛みを覚えることはあっても,決して切れることはなく,だんだんと太くなっていく,そのように「育つ」イメージはありました。

 ただ,葛藤を避けたり,みんながみんな他人の顔色ばかりうかがっていると,摩擦はなく痛みも感じない代わりに,筋力はつかないか衰えていくように思えてきます。

 トレーニング→休息→トレーニングというサイクルを,自分でコントロールできるような子どもは,どんどんたくましくなっていき,そのコントロールができない子どもが,疲れすぎて動けなくなったり,筋力がつかないで重さへの抵抗力が不足してしまったりするのでしょう。

 このようなたとえを,「知の筋肉」にあてはめてみるとどんなことが言えるのでしょうか。

 そもそも,「筋肉」自体には「感情」はないのでしょう。「心の筋肉」でも,「筋肉」が「」を強くすることはあっても,あらかじめ強い「心」はない。
 
 「」が安定して強そうに見えるのは,周りの手厚い保護があっての賜物で,一歩その保護圏から足を踏み出すと,とたんに不安定になってしまう
 栄養が行き届いている体でも,自ら動かないと,筋肉は成長しません。

 「知の筋肉」と言ったときにも,イメージとしては,遺伝でもとから優秀な「知」はない

 「筋肉」を効果的に動かすことによって,「知的」になっていく。

 ここで今までの「学習」の問題点を挙げるとすると,この知の筋肉の強化がおろそかだった。

 「筋肉」への栄養分ばかり補給しようとしていて,肝心の運動が欠けていた

 中には必要のない脂肪ばかりが筋肉を圧迫し,動くこともままならない,そんな子どもまで登場しました。
 
 昔から言う「頭でっかち」というのは,知的筋肉質ではなく,ただの脂肪太り知的肥満体であることを指しているのです。
 
 「活用と探究」という新学習指導要領のテーマを,「知の筋力強化」というイメージでとらえてみたらいかがでしょう。

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学習指導要領が求めている「言語活動」 ふり返り366日【08/2/22-2】

[学習指導要領] ブログ村キーワード

 新しい学習指導要領が実施されると,確実に課されることになる「宿題」があります。
 それは「レポート」のように「自分の言葉」で表現するタイプのものです。

 以前にも解説の総則編からひきましたが,教育課程実施上の配慮事項の第一が,中教審答申等の流れを受けて,「生徒の言語環境の整備と言語活動の充実」というものになっています。教科では・・・

 

国語科は、従来から言語に関する能力を育成する中核的な教科として重要な役割を担ってきましたが、話すこと・聞くこと、書くこと、読むことのそれぞれに記録、要約、説明、論述といった言語活動が例示されています。

 国語以外の教科についても、それぞれの特質に応じた言語活動の充実について記述されています。
 (以下、中学校の教科)

 社会→持続可能な社会を形成するという観点から、私たちがよりよい社会を築いていくために解決すべき課題を探究させ、自分の考えをまとめさせる活動

 数学→数学的な表現を用いて、根拠を明らかにし筋道立てて説明し伝え合うといった数学的活動の充実

 理科→問題を見いだし観察、実験を計画する学習活動、観察、実験の結果を分析し解釈する学習活動、科学的な概念を使用して考えたり説明したりするなどの学習活動の充実

 音楽→音楽を形づくっている要素や構造と曲想とのかかわりを理解して聴き、根拠をもって批評するなどして、音楽のよさや美しさを味わうことの重視

 美術→造形的なよさや美しさ、作者の心情や意図と創造的な表現の工夫、目的や機能との調和のとれた洗練された美しさなどを感じ取り見方を深め、作品などに対する自分の価値意識をもって批評し合うなどして、美意識を高め幅広く味わうことの重視

 技術・家庭→衣食住やものづくりなどに関する実習等の結果を整理し考察する学習活動や、生活における課題を解決するために言葉や図表、概念などを用いて考えたり、説明したりするなどの学習活動の充実

 保健体育→作戦などについて話合いに貢献しようとする活動の重視

 授業の場ですんでしまうものもありますが,表現する子どもの数が限られるのと,それをその場で評価できる教師の能力という問題もありますから,授業外での「書く活動」が今後は一段と増えるようになるのでしょう。

 この他,外国語科,道徳,総合的な学習の時間,特別に活動において配慮すべきことや,「学校生活全体における言語環境の整備」をする上で,留意すべきとして例示されているのが以下の6点です。

1 教師は正しい言語で話し,黒板などに正確で丁寧な文字を書くこと
2 校内の掲示板やポスター,生徒に配布する印刷物において用語や文字を適正に使用すること
3 校内放送において,適切な言葉を使って簡潔に分かりやすく話すこと
4 適切な話し言葉や文字が用いられている教材を使用すること
5 教師と生徒,生徒相互の話し言葉が適切に行われるような状況をつくること
6 生徒が集団の中で安心して話ができるような教師と生徒,生徒相互の好ましい人間関係を築くこと

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08/2/22 学力観の誤解が諸悪の根元か

 Psycheさんからいただいた、~宿題を「やらない」権利は子どもにあるか~の記事に対するコメントをご紹介します。

<仰るとおりだと思います。
<どうも公教員のブログなどを見ていると違和感を感じることは多いのですが
<kurazohさんの意見は共感できるものが多いです。
<内発的動機付けが大切なのはいうまでもありませんが
<弱いからこそ流されがちな子どもに対して向き合える
<指導者としての毅然とした姿勢は必要でしょう。
<子ども達が自分で学ぶことが大切ということに終始する指導者には
<だったら指導者の存在意義は何かといつも問いたい気持ちになります。

 ブログをつくったり読んだりしない、普通の忙しい公務員や教師は私と同じような意見の人が多いと思いますので、あまり悲観的になられることはないと思いますが、ご自分やご子息が困った教師の影響を受ける当事者になったら、「教師はみんなこんなものか!」と憤りになることは間違いないでしょう。
 ブログを読むと、学習指導要領の「最低基準化」の意味を誤解している人がいるようです。
 「最低基準化」とは、「これだけはみんなに身に付けさせて!」というもので、それが定着できたら、どんなに発展的な学習をやってもよいわけです。
 これに対して、「最高限度化」は、「これ以上は学習してはダメ」と制限をかけるもので、入試の出題範囲の原則に役立つようなものです。
 ゆとり教育は、ゆとりのなかで「基礎・基本」だけでなく「課題解決能力」を育成することが使命だったのに、基礎・基本が不十分な上に、総合とのリンクがうまくいかなった学校は、思考力・判断力・表現力も育っていない
 そういう判断力が身に付いた保護者が、子どもを受験に向かわせたわけです。
 さて、前回の記事の補足ですが、「宿題をやらない権利は子どもにあるのか」という問いに対して、二つのケースについて、「ある」と回答する用意があります。
 ひとつは、学校で完全に習得させてもらっている場合。
 もうひとつは、宿題よりも優先して学びたいものを子どもがもっている場合。
 後者の場合は、小学生では難しいかもしれませんが、中学生は読書、塾、本人の趣味や研究のために、カリキュラムで定められた以上の時間を強制的に特定の教科のために振り分けられるのは、免除してあげてもいいかなと思います。
 かつてもふれたことですが、「関心・意欲・態度」の評価はさまざまな矛盾を生むものです。
 他の内容の関心が高まってしまうと、学校の学習単元の意欲が低下してしまう
 教師の授業中の話に触発されて、私はよく学校の帰りに岩波新書やブルーバックスを買って読んでいました。単元の学習とは関係のない高度な内容の本ですが、読みたい衝動にかられ、時間がたつのを忘れてしまいました。ここで障害になるのが、英語の宿題です。
 英語という教科は、机やラジオの前に強制的に向かせるもので、「学習習慣」「言語的な諸能力」をつけるという意味では最適な教科です(それ以上は言わないことにします)。しかし、最低30分か1時間か家で勉強しなければいけないのは、他にやりたいことがある自分にとってはマイナスでした。
 小学校の場合は、塾に通っていない場合、「宿題がなければ家でまったく机に向かわないので困る」という親が強いプレッシャーをかける以上、担任は出さざるを得ません。
 内容がやさしくなった分、学校での理解で十分だと思う子どもが多くなり、家で勉強しなくなりました。これは調査の結果、明らかになっています。
 宿題の目的を学校、保護者、子どもが共有化できているかが課題だと言いたかったわけです。

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失敗はどのように繰り返されるか ふり返り366日【08/2/19-1】

 さすがに総合の時間に百ます計算をしているような小学校はないと思いますが,各学校によって,総合の時間の取り組みは千差万別でしょう。

 「効果がすぐ見えない教育よりも,すぐ力がつくことが実感できる教育を」という要請は,子どもや保護者の側からだけのものなのか。
 教師自身もそんな浅い教育を求めていたのではないか。

 新教育課程への移行の前に,しっかりふり返っておかなければならないことであり,そうでなければまた同じような「失敗」が繰り返されることになるでしょう。
 教師の指導力がおいつかない,だから子どもは乗ってこない,余計に教師の徒労感ばかりがつのる・・・そんな悪循環は絶っておくべきであり,教師は常に自分の指導力の向上に努めていなければなりません。

08/2/19 日経新聞 「総合の敗因」?

 総合的な学習の時間が削減されることを、多くの教師はのぞんでいる。これは理解できます。
 特に中学校では、教科の専門性で食べてきた人々が、「課題解決力の育成」という新たな課題をせまられ、自分自身が特に高い関心をもっているわけではない人権、環境、国際理解、福祉などに指導者やコーディネーターとしてかかわらなければならないのは、負担感だけが重くのしかかってくるだからその負担を少しでも減らしてほしいというのが、多くの教師の本音でしょう。
 ですが残念なのは、専門教科のない小学校教師の多くもそれを望んでいるということです。
 「創造的な仕事」ができる機会を奪われても、負担が減るのだから反対しない、という感覚。
 たとえ仕事に負担感があっても、それを打ち消してくれるのが「創造」「自発」「創意工夫」の取り組みではないかと思うのですが、能力も体力もないのが、現場の実状だということです。
 これを総合が「敗れた」、文科省と現場との間で学力観の共有が不十分だったと表現する記者の言わんとするところが、結局は現行の指導要領が悪かったとしか読み取れないことが問題なわけです。
 文科省と現場もそうですが、文科省と新聞社の学力観の共有がほしいところです。
 そうしないと、いつまでたっても新聞から正しい情報が入手できません。
 昨日の記事で紹介されている総合の先進校、研究推進校の取り組みを見て、「うちの学校の子どもにはできない」と感想をもつ教師はいないのです。ただ、うちの学校の教師には指導できない、ということです。
 公立学校で、学校間格差をなくそうとしたら、先進校の取り組みをやめさせなければならない
 総合で成果を上げた学校と、上げていない学校の学力の格差はどれだけ開いたのか、それとも開いていないのか。総合の時間に、計算や漢字の練習をしていた学校がどのくらいあるのか。
 そういうことの検証が必要なのでは。

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授業中の教師の「注意」 ふり返り366日【08/2/17-2】

 「子どもの集中力が持続しない

という悩みをもつ教師は多いようです。
 
 意地悪く,「会議のときの教師のようにですか?」と聞き返すことはしませんが,確かに授業の進行に支障をきたすような,子どもの「手持ち無沙汰」加減がエスカレートすると,「どうにかして授業に向かわせる手はないものか」と必死になるのもうなずけます。

 必死に「授業技術」に関する本を読んだり,教材研究に没頭したりする・・・。

 しかし子どもの目から見ると,「授業の質を高めて授業妨害を防止しようとする心がまえ」は理解できるが,「とにかくうるさい人をその場でだまらせてほしい」という願いの方も切実なようです。

 教師というのは,「静かにしなさい」などという「自由の規制」に当たるような行為を避けたがる人が多いようで,話を聞かない生徒がいようが騒いでいようがお構いなしに自分の話を進めるタイプがいます。

 それが一部の子どもには我慢ができないようで,怒りの矛先はうるさくしている生徒だけでなく,教師にも向けられてしまっています。

 ある教師は,授業時間の中で,「3回だけ,注意を与えることにしている」そうです。

 2回では少なく,4回では多い・・・その微妙なところは何となくですがわかります。

 ゆとりが出てくると,教材で振り向かせる自信があるそのポイントまでは注意せずに引っ張っていき,振り向く瞬間の子どもの変化を楽しみにする・・・なんて技も使えるのかもしれませんが・・・。

 いずれにせよ,授業時数が増えたという情報で,子どもが「嫌だなあ」と不満を覚えるような授業はしたくないものです。

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08/2/17 日経新聞 授業時間増「どう生かす」

 日経の社会面では、今日から「学校は変わるか 新学習指導要領」の特集が組まれています。
 記事の取材は現行のもとでの学校の工夫を紹介していますが、1回目のコンセプトは「授業の時間が増えればそれだけ子どもの集中力の持続が難しくなる」というもので、朝の運動や昼の瞑想の時間、45分授業の実施が紹介されていました。
 相変わらず新聞では問題の本質を直視せずに表面的な「だれでもわかる」ことしか記事にしないようなので、学校の方からは「これからどう変えるか」を発信しなければなりません。これを「どう変えるのか、文科省、教育委員会は教えてくれ」という姿勢ではなく、どれだけ「自分たちのアタマで考えられるか」が課題になりそうです。
 「どう生かすか」は「改訂の基本的考え方」に示されています。
 記事では「学習指導要領」を「教えの手引書」と表現しているので、比較的高齢の記者が担当していることが予想されます。この「手引書」という用語ですが、多くの小学校教師が「手引書」として使えているのは教科書会社が作成している「教師用指導書」くらいで、年度末に出される指導要領の「解説」ですら読まない教師がいるくらいですから、ねらいから見ても実態から見ても適切な表現方法ではないことがわかります。 
 現在ですら「集中力が持続しない」子どもの実態、教師の指導の実態をふまえないと、不登校やいじめ等が増加したとき、この新学習指導要領の「詰め込み」がよくなかったという結論ですまされてしまいそうです。
 増えた時間にドリルをたくさんやらせる教師が増えそうなことを予測して、「新しい評価観」を提言することが「変わる学校」の役割です。

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平成30年には法教育が教科化か? ふり返り366日【08/2/16-2】

 今回の改訂を受けた教育活動で成果が認められないと判断された結果、起こりうる最も現実的な平成30年頃の改訂の柱は、「道徳」(「徳育」)の教科化ということになるのでしょうか。

 あるいは、道徳教育は全教育活動を通して行うものであることに変わりはありませんから、「法化」社会への対応も考え、「法教育」の教科化も考えられます。

 現在、実践事例もたくさん発表されている法教育は、知識習得型ではなく、思考・活用型の教育ですから、理念としては平成20年改訂と同じ趣旨になります。
 
 若い世代の割合がかなり増えている平成30年、教育現場からは、どのような反応があるでしょうか。

 引退した教師たちは、どのような目で日本の教育を見つめていくことになるのでしょうか。

08/2/16 改訂のポイントと教育内容の改善事項

 新しい指導要領の改訂案等のポイントで、「今回の改訂の基本的考え方」とは以下の3点です。

○教育基本法改正等で明確となった教育の理念を踏まえ「生きる力」を育成
 キーワードは、「知識基盤社会」、「生きる力」を支える「確かな学力」、「豊かな心」、「健やかな体」の調和、「公共の精神」、「伝統や文化の尊重」。

知識・技能習得思考力・判断力・表現力等の育成のバランスを重視
 キーワードは、「観察・実験」、「レポートの作成」、「論述」=「知識・技能の活用」。「言語の能力」の育成(あらゆる教科で)。(いわゆる5教科=「主要科目」の)授業時数の増加。「キャリア教育」。「学習習慣」の確立。

○道徳教育や体育などの充実により、豊かな心や健やかな体を育成
 キーワードは、「体験活動」、「安全指導」、「食育」。

 「教育内容の主な改善事項」は以下の6点。

○言語活動の充実 
 キーワードは、「記録、説明、論述、討論」といった学習活動の充実。
○理数教育の充実
 キーワードは、「国際的な通用性」、「内容の系統性」、小・中学校での学習の「円滑な接続」
○伝統や文化に関する教育の充実
 具体的には、古典(国語科)、歴史学習(社会科)、唱歌・和楽器(音楽科)、我が国の美術文化(美術科)、武道(保健体育科)の指導の充実。
○道徳教育の充実
 キーワードは、「道徳教育推進教師」を中心とした道徳教育の展開。「感動を覚える教材」。
○体験活動の充実
 具体的には、小学校での集団宿泊活動、自然体験活動、中学校での職場体験活動。
○外国語教育の充実
 具体的には、小学校高学年に「外国語活動」を導入。

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図解へのこだわり ふり返り366日【08/2/7-1】

 「学習指導要領はデザインにこだわってほしい」という要望をしていましたが、できあがってみたら、とにかく版の大きさには驚きましたね。
 フニャフニャなのはいただけませんが、コストの問題もあるのでやむを得ないでしょう。

 解説には、図版入りのものも登場しました。

 今、学習指導要領の解説の内容をすべて図解にして表現できないか、考えているところです。

2008/02/07 手ぶら通勤で頭の体操  ハイ・コンセプト 「機能」だけでなく「デザイン」  デザインとは、「単なる装飾」や「ありきたりの場所や物を良く見せるための飾り」ではなく、その本質だけを見れば、「ニーズを満たし、生活に意味を与えるために、先例のない新しいやり方で自分たちをとりまく環境を形作る人間の本性」と定義している例が紹介されています。  このように考えると、デザインは、オートメーション化やアウトソージングが難しいハイ・コンセプトな能力であることがわかります。  「実用的なものが美しいというのは間違っている。美しいものこそ実用的なのだ。」  いろんな教師の板書を比較してみましょう。  教師の机を一つ一つ眺めてみましょう。  ハードのデザインは均一ですが、使い方のデザインはどうでしょう。  書類の整理の仕方並べる位置収納の使い方。  「佐藤可士和の超整理術」(日本経済新聞出版社)に紹介されている「空間の整理」「情報の整理」「思考の整理」は参考になります。「手ぶらで通勤、帰宅するときの開放感(解放感?)」が格別であることは、ときどき体験できます。人間、書類や本をたくさん抱えて歩くときより、手ぶらで手帳も持っていないときの方が、いろんなアイデアが浮かびやすいのではないでしょうか。メモを忘れて思考のお蔵入りということも多いのですが。  アメリカの学校では、教室等のデザインを工夫しただけで、学力が向上したという研究成果があるようです。 日本では教室の壁がないオープンスペースがはやった時期がありましたが、授業に集中できず、生徒は気の毒です。  機能を優先するとどうしても美しくないものができあがりそうです。美しさを優先すると何だかムダなものに見えてしまう。「有意性」をもつデザインというのは訓練しないと身に付きそうもありません。   間もなく次の指導要領が告示されますが、解説がでるときは、もう少しデザインに気をつかってほしいと願っています。100円に満たない出血覚悟の出版物ですが、見た目を変えるだけでも「読まれる」本になります。  いかに教師が学習指導要領を読まないで仕事しているかは、総合や生活科の記事を拝見すると、とてもよくわかります。

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「良問」づくりの実践が授業力を向上させる? ふり返り366日【08/2/2-4】

 学習指導要領の改訂によって、喜んでいる人の中に、「入試問題を作る人」がいます。
 入試問題は、学習指導要領に示された内容によって出題できることが決まってきます。
 「学び方が習得できているかどうか」よりも、「内容を理解しているかどうか」の方が問題が作りやすいですから、内容量がたくさん示された方が、仕事が簡単になるのです。
 相変わらず苦労が続くのは、「入学試験」を実施できない公立の中高一貫校の「適性検査問題」です。
 ただ結局は、算数と社会とか、国語と理科が合わさったような、教科横断型入試問題になってしまっていますが。
 小学校でも中学校でも、今後、免許更新講習の中などで取り組んでみてもおもしろいのは、たとえば「思考力を問う入試問題づくり」の実践研究です。
 入試問題を作成する仕事がない一般の公立の教師にとって、このような「問題づくり」の能力は、実質的に、授業をどう組み立てられるかという実践力によって左右されます。
 授業がうまくできないのに、すばらしい素材を使った「良問」が作れる人というのは、あまりいないでしょう。
 「問題づくり」の苦労の過程で、「優れた授業実践」の資質も伸ばすことができる、というのが私の仮説です。

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08/2/2 次の学習指導要領のねらい  「ゆとり教育」が目指したものは、ただの時間と内容の削減ではなくて、ゆとりの中で「・・・という力をつけること」でした。・・・にあてはまる言葉を無視して現行の指導要領を語る人が多すぎますね。  残念ながら教師にも多かった。  研究推進校の発表を見ても、「これはおかしい」という取り組みが多かったのです。  結局、教師や学校の力量がこれほど露呈する指導時間というのはかつてないものでした。  次の学習指導要領のねらいは、・・・の力の育成を教科に移行させることで、この問題(子どもにとっては被害)を教科内に限定することにあるようです。

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