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カテゴリー「中学受験」の57件の記事

なぜ東大を選ぶのか?

 3年前に中学校を卒業させた私のクラスの生徒3人にたまたま会って,東大の入試問題の話になった。

 意見が一致したところは,やはり東大の問題は良問が多いということである。

 良問の定義は様々であろうが,「基礎的な知識と技能,それなりの思考力と表現力があれば解くことができる問題」と呼べるだろうか。

 知識問題=「知らなければ解けない」という印象を持っている人が多いと思うが,いくつかの知識を組み合わせれば,出題者の意図が見えてきて,答えにたどり着ける問題も良問である。

 私は高校まで理系だったので,文系科目は教科書と参考書,問題集で勉強するしかなかったが,一番ためになったのは東大の過去問だった。

 「これならできるかもしれない」と思わせてくれるような入試問題を出題できる大学が増えてほしい。

 収入目当てで大量の受験生をさばくような「金儲け用入試」に頼ることを「違法」とする法律でもつくってほしい。

 「ただ覚えるだけ」の作業をひたすら繰り返している中学,高校,大学の受験生たちは本当に気の毒である。
 
 教え子たちと「要領よく生きる力」が生かせる数少ない大学の話をしながら,「やはりアタマのいい先生がいる大学で,もっとアタマをよくしたい」と思わせる大学教育であってほしいと思った。

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小5の受験生の社会科勉強法

 中学受験用のカリキュラムだと,小5の1月で,歴史の学習が終わる。

 公立小学校のカリキュラムでは,小6で学習する範囲である。

 SAPIXの1月のテストの平均点を聞いて驚いた。

 社会科は,100点満点で30点程度。

 上位の子どもにたちに差をつけるためのテストを受けさせる塾である。

 こういう問題を解かされた子どもたちと,

 まだ全く歴史の学習をしていない子どもたちとの間に,どんな「格差」が生まれているのだろう?

 そもそも,中学校で学ぶレベルの歴史学習に,どんな意味があるのだろうか?

 SAPIXに通って授業を受けている子どもでも,大部分の子どもが理解できていない問題を出す意味は,どこにあるのだろうか?

 授業ノートも見せてもらったが,内容は「つまらない」の一言に尽きる。

 女子の平均点は20点代らしいが,それは無理もないだろう。

 まだ中学校の教科書を読んだ方が,「予習」にもなってよいかもしれない。

 さすがに「受験に出やすい内容」がしっかりと出ているプリントであるが,

 もし「教育的配慮」を進学先の中学校が考えるならば,もう少し出題する内容を検討するか,

 学習指導要領に示されていない内容を出題することをやめるとか,

 やるべきことがあるのではないか。

 「歯止め」は学習指導要領ではなく,「入試問題」にかけるべきだと思われる。

 勉強嫌いになってしまった「受験上がり」の子を「勉強好き」にする醍醐味も味わえるのであるが。


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現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか

 小学校の教育内容にいちいち目くじらを立てる人は少ない。きりがないからでもあるし,学力を向上したければ,学校以外に頼れるところがたくさんあるからである。

 高校の教育内容にいちいち目くじらを立てる人も少ない。義務教育ではないし,学力が輪切りになっている高校では,Aという進学校で通じる話がEという生活指導困難校では通用しない(逆もある)からでもあるが,一番大きい理由は小学校と同じ。学力面では,高校の教師よりも頼りになる人が外にいくらでもいるからである。

 それなりの経済力がある家庭の場合は,学力向上を学校以外の教育産業にまかせることが可能である。

 小学校や高校を対象とした教育内容や教育方法の議論は,どれだけなされようが,主たる教材である教科書に寄りかかって学習を進めるような教師がいるうちは,ほとんど意味をもたないことは,大部分の学校が証明してしまっている。

 中学校の場合はどうだろう。中学校は中途半端な宙づり状態にある教育現場である。

 小学校や高校との最大の違いは,学校の成績が,進学にそれなりに大きな影響を及ぼす点にある。

 中学受験や大学受験との非常に大きな違いを高校受験が持っている。

 だから,教師や生徒は授業で手を抜くことはできない。教師が気まぐれにアクティブ・ラーニング風の授業をしたら,それに合わせてあげないといけないし,細かい知識ばかり問うような定期考査問題をつくってきたら,しっかり対応しないとよい成績が残せなくなる。

 都立高校は学力検査と調査書点(いわゆる内申点)の比率を7:3にしてしまったが,これまでは普通科の大部分が5:5の比率だったのである。

 「下級校の学習の成果を踏まえた進学指導」が成立する余地がかつては大きかったし,調査書点と実力の相関関係が怪しくなってきている今でも,中学校の成績がきちんと使われる場になっている。

 要は,中学校で通用する教育内容や教育方法の議論がなければ意味がないということと,中学校で通用しない教育内容や方法では意味がないということである。

 小学校や高校の実践ばかり集めても,「ああ,そういうことができていいね」と他人事で終わってしまう。

 どんな脚色をしても,バレずにすむのが小学校や高校である。

 捏造すればたちどころにバレるのが中学校であり,だから実践例が少ないのだろう。

 「地理総合」や「歴史総合」がどんな代物になるか,中学校側の目から見ていると,

 「大学の先生が中心になって考えると,ろくなことにならない」ことを証明するための実験をしているように見える。

 中学校教師の目から見れば,

 「これは何とかなる」

 「これでは中学校の繰り返しだ」

 「それでは小学校よりもレベルが低くなる」

 「これは無理だろう」

 などと生徒の実態を踏まえた感想がいくらでも出せる。

 義務教育でもないし未履修問題のような誤魔化し方ができる教育機関に期待することは実はほとんどないのだが,小中高のつながりを意識させる学習指導要領に変わっていくので,黙ってはいられない。

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「わかっている子」の説明で,「わかっていない子」が理解できるようになるか?

 教師が教えるより,子どもが教えた方が,教えられる子どもは理解しやすい,と主張している人がいますが,それはときと場合によるでしょう。

 もしそういう主張が正しいのであれば,「小学3年生の勉強のよくできる人が教師をしている小学3年生のための塾」などが商業的に成立しているはずでしょう。「教えるプロ」なんていらない,という主張なんでしょうから。

 教師をしていれば・・・というより,教育心理学とか認知心理学を学べばわかることですが,

 「理解の仕方」「認識の仕方」は子どもによってまちまちです。

 「言葉で理解してしまう子ども」が,言葉のまま説明しても,

 「言葉だけでは理解できない子ども」にはわかりません。

 一斉授業をしながら,教師たちは,「いかに子どもの発言・説明を他の子どもにも理解できるようにさせてあげるか」に苦心します。手っ取り早いのは,教師が「言い換え」をしてしまうことです。

 それで理解できるきっかけになる場合もありますが,「言い換え」は説明する側の子どもができるようにしなければなりません。

 ICTなどいろいろな道具を使ったり,黒板に図を書いたり,たとえ話をもってきたりして,「変換作業を行う場」が一斉指導の中で必要なのです。

 教育実習をしているときに,大学生の実習生の発問を,生徒がわかりやすく変換して,課題を焦点化したり,具体化してから,考えや答えを述べる,という場面が出てくるように指導しておくのが,教師の役割です。

 「自分がわかっていても,相手が同じような方法でわかるとは限らない」。

 一斉授業を行って,教師である自分自身の説明や,教科書の記述を例にして,これをきちんと把握させておくことが教師には求められます。

 教師はだめだが子どもが説明すれば大丈夫なんて,簡単に言ってはいけないのです。

 「何がどうわからないかがわかるというのは,相当高いレベルのこと」ということを理解した上で,学習は進めていくものです。

 ボタンのかけ違いはあとで取り返しのつかないことになりますから,ぜひぜひ注意して下さい。

 特に,「同じレベルの仲間が多いほどいい」なんて言っている連中には警戒して下さい。

 だめな人が束になって自分たちの首を絞めるのはやめましょう。

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小学校に通わないのが当たり前の時代が来る?~英語で一流を育てる

>長い人生で,その単語をいま読み間違えたことは大きな問題ではありません。笑い飛ばせる余裕を持ちます。

 これは,読書編でご紹介した『英語で一流を育てる』(ダイヤモンド社)に掲載されている,「子育て完全保存版マニュアル! これだけ11のルール」のうちの一つです。  

 義務教育での本当の意味での学力向上が十分に果たせないでいる大きな原因の一つが,「知識の正確性重視」の教育です。

 「知識偏重」という表現は正しくありません。なぜなら,小学校や中学校で教える「知識」の量など,たいしたものではないからです。

 ただでさえ少ない「知識」のわずかな部分の「正解」を,大人数で確認し合うなど,愚の骨頂です。

 日本の学校教育が陥っているのは,少ない知識の「正確性」ばかりを重視する姿勢です。 

 たとえば,小学校では,送り仮名を間違えたり,漢字を書き間違えたりすると,「笑いもの」になります。

 正確な知識でないと,得点がとれず,評価されないのが日本の教育の特徴の一つです。

 表現されている内容の質よりも,表現された記述の正確性を重視するので,質が低くても,間違いがないだけで得点できてしまったりする。

 これを覆そうとすれば,「正しい教育改革」になり得ます。

 もし,改革が起こらず,「正確さ」だけを今まで通り追い求めて,漢字練習や英語のつづりの練習ばかり繰り返していることで,「頭が悪くなってしまう」ことに気づいた鋭い子どもや保護者が増えてくれば,小学校の教科の教育を受ける必要性を感じなくなっていくでしょう。

 「観点別評価」という,学力向上の妨げになる評価が,日本の教育のガンであり続けるかどうかも重要です。

 『英語で一流を育てる』で紹介されている「英語4技能」が身につく教材のように,

 4観点の学力が同時に身に付くような学習を進めていかない限り,真の学力向上はあり得ません。

 言葉は通じても,何かを間違えると笑いものにされるような環境より,

 言葉が通じなくても,何かをお互いに理解し合おうとする環境で学ぶ方が,学力が伸びる気がするのは当然のことでしょう。

 英語教育が,日本の小学校教育全体にどのような刺激を与えることができるか,今から注目です。

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東京大学に入れなかった人間が書いている妄言

 ときどき,東京大学やそこで学ぶ学生のことを何も知らないでものを書いている人が見かけられます。

 その多くはただの妄言であり,自分の憶測を,自分がいつも言っていることの正当性を補強するために言っているだけであって,「真実」なり「実情」を知っている人間が読めば,「ああ,こいつの言っていることは嘘ばっかりだな」というのがバレてしまうのです。

 甲子園優勝監督が個人指導すれば,イチローのような選手は生まれるのか?だって・・・。

 おバカなたとえです。1年ごとに,プロ野球選手になれる人の人数と,東大に合格できる人の人数を比較してもらってもかまいません。

 イチローだって,プロになった1年目は,どんな選手だったかご存じですか?

 「育てる人はいらない」なんていう妄言は,いろいろな人に対して失礼なのです。 

 だれとは名指ししませんが,ぶろぐ村によく訪れる方,この「教育論・教育問題」に立ち寄られる方なら,妄言のぬしがだれのことか,おわかりになることでしょう。

 インターネットの掲示板のように,「同じ程度」の人が憶測だけを交換する仕組みならそれでいいと思いますが,一応,自分の名を名乗り,教育の仕事をしている,国立大学法人の関係者が,

>要領のいいやつだから東大に入れた。

>東大に入れるような子どもは,教師は何もしなくていい。ほおっておけ。

>東大に入れないレベルの人間(成績が中の上程度)には,東大に合格させられるような勉強を教えることはできない。

 なんていうことを平気で書く神経が信じられません。

 周囲にいる人間が,要領の悪いのばかりで嫌気がさしている。

 そういう人間がいくら「教える努力」をしても,無駄である,という個人的な「信念」を曲げたくない。

 そういう気持ちは理解できます。

 だからといって,いい加減なことを書いていいわけではありません。

 「お前らは頭が悪いんだから,頭がいい教師がやっているタイプの授業はするな」

 と言っているようなもの(というより,それを強要しようとしているもの)です。

 国立大学に入れるような学生は,文系でも一応,ある程度,数学ができるわけです。

 そういう学生に対しても,「お前は東大生と違って,要領が悪い。要領が悪いお前達が教えても,ろくな結果にはならない」と言うわけです。
 
 このセンセイに近づけるのは,「オレはバカだ」ということを誇りにしている殊勝な人だけということになる。

 私も,それなりに情報を集めました。

 その結果,「お前は東大生には遠く及ばない」といわれているレベルの教師が,勘違いさせられて行っている授業の多くは,子どもたちに教師の「勘違い」を伝染させています。その悪影響がいつから拡大し,常態化するかわかりませんが,それを食い止める力になっているのが,

>私にも東大に限らず,志望する大学に入れる学生を育てられる指導力を身につけることができる

 という普通の教師たちの「信念」です。

 「教える」ことへの情熱と,「学ぶ」ことへの情熱がリンクしたところに,何があるかを知りたい人が,

 「そこには何もないぞ。膨大なデータがそれを証明しているぞ」と幻滅させてくる人間に近づきたがるでしょうか。

 離れていた方が,よいでしょう。

 もちろん,「時間をかければ何となる」なんていうレベルでは,逆立ちしても東大には入れないかもしれません。

 ただ,学習指導要領に示されている目標を達成できるような授業をすれば,東大に合格するための手がかりをつかむチャンスを与えることは不可能ではないのです。

 「深い学び」を授業で展開できるような教材研究は,無駄にはならないのです。

 中学校の学習指導要領が示している歴史学習が,実は東大合格の近道であることに気づいている,東大出身ではない教師の人たちは,それなりに存在しているはずです。

 こういう教師を近づける空気を持たない大学が,いつまで存続できるかの方に私の興味はあります。

 何でも,ある制度に応募した人は,ゼロだったとか。だれの責任か,言うまでもないでしょう。

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SAPIXの先生が教えてくれた,「通っても意味がないレベルのクラス」

 私の子どもが通っている塾(SAPIX)から,ときどき電話がかかってきます。

 今までは,「よくやっている」という内容の連絡でしたが,今日は「正答率が50%以上なのに間違えた問題を,自宅で勉強させろ」という指示の電話でした。

 「今のままだと,どこかに合格しても,進学した学校で,他の子はこんなにできるんだとショックを受けることになる」という脅し文句つきでした。

 もともとできる子が集まっている進学塾というところは,教えている人の競争も激しいのかもしれません。

 こいつが教えたクラスはテストの結果が悪くなる,というデータもはっきりと存在するのでしょう。

 進学塾には,塾の子どもたちの「正答率」という,問題の難易度や子どもの理解度を測るための絶対的な数値データが蓄積しています。

 「正答率が高い問題を間違えるのはおかしい」という論理はわからないでもありませんが,そうやって子どもにプレッシャーをかける教師に疑問を抱いたので,

 「どのくらいのクラスから下の子が塾をやめていくのですか?」

 と聞いたところ,答えたのは私の子どもの所属しているところよりは下のクラスでした。

 「そのクラスまで下がると,塾に通う意味はないのですね」と聞くと,

 「いい学校に合格することが難しくなることに気づくからでしょう」という趣旨のことを言っていました。

 進学塾には,子どもの側からすると,「いても意味がない」子どもがたくさん通わせられているわけですね。

 進学塾の方から辞めさせるという選択肢をとらない理由は,言うまでもないでしょう。

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進学塾と進学塾についていけない子どもが通う進学塾

 たかが小学校の教育内容と侮っていると,扱われている教材の奥の深さに気づけない教師が行っている学校の手抜き授業を見逃してしまう。

 学習指導要領に示された内容を十分に身につけるためには,学習の「量」と「質」の両方が必要になる。

 この「量」と「質」の両面において,学校教育のはるか上をいくのが進学塾のカリキュラムである。

 「はるか上」のカリキュラムであることから,当然,「落ちこぼれ」が発生する。

 以下に紹介するのは,進学塾に通う子どもための進学塾の広告に使われている,勧誘のための「子どもの現状」である。

・授業が理解できない
・授業についていけない
・体力的に進学塾のカリキュラムがきつい
・授業内容を忘れてしまっている
・質問ができていない
・分かったつもりで終わっている
・宿題が多すぎて,こなしきれない
・親が教えられない
・親が教えるとケンカになってしまう
・宿題に追われて,復習に手が回らない
・苦手分野がそのままになっている
・家庭学習のやり方が分からない。
・机には長時間向かっているが,成果が出ない
・何を優先すればいいのか分からない。
・どこが分からないのかも,分からなくなっている
・ケアレスミスがなくならない
・時間配分がうまくできない

 これ以外にも「チェック項目」があり,5個以上当てはまっている子どもは「危険信号」がともっているという。

 「危険」というのは「志望校に不合格になる」という意味なのかどうかはわからないが,

 普通の子どもは5個どころではなく,「みんなあてはまる」状態になってしまうから,

 「予備校の予備校」に通わされるというたいへんな運命が待っている。

 「そこまで手厚いことができる経済力のある親の子どもは幸せだ」と思う人もいるだろうが,

 子どもの身にもなってほしい。

 「体力的に進学塾のカリキュラムがこなせない子ども」は,

 進学塾の内容の復習をさせるための進学塾に通わせられることになりかねないのだ。

 私の場合,小6のころ,週3回,国語と算数のテストとその解説だけを行う塾に通わせられた。
 
 家に帰るのは夜の10時になる。

 塾の近くのマクドナルドでハンバーガーを食べるのは楽しみだったが,

 きついのは塾のあった翌日の朝である。

 子どもたちは,大人でいう「残業」にあたる「残勉強」を週何十時間やらされているのか。

 私の娘は,毎日ノートのマス目を全部埋めるだけの漢字練習をさせられていた。

 「過労死」にあたる「過勉強死」などはだれも認めてくれないだろうが,

 「肉体的・精神的な苦痛」の大きさは計り知れないものがある子どももいるだろう。

 対子どもだけに限定される「いじめ」以外にも,たくさん自死に結びつく要因があることを,社会は見過ごしてはならない。

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ニューヨークの公立中学校事情

 産経新聞のニューヨーク駐在編集委員の方が週刊ダイヤモンドに寄せている

 「小学生はつらいよ」の記事を読んだ。

 日本でも全国学力調査がいまだに行われているが,

 ニューヨークの場合は,小学生の「統一テスト」の結果が進路を大きく左右するらしい。

 日本もいずれ,同じようなことになるのだろうか。

 評判の良い学校に入るのに,学校選択自由制の地域では定員を超えると抽選が行われるが,やがて「能力次第」という仕組みに変わる可能性もある。

 私の娘は,今年も,何の「コピー」か知らないが,全国学力調査の「練習問題」を解かされた上で,本番を迎えていた。

 日本では,小学生の学力調査の結果は,進路には直接影響せず,教員の方の評価に影響を及ぼしている。

 子どもが餌食になる日も遠くないような気がする。

 モノ真似が大好きな日本人が多いおかげで,就職先のない高学歴アルバイターの出番が増えてくるのだろう。

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英語達者な先生に習っても英語の成績が向上しない理由

 「平成28年度 英語教育実施状況調査の結果」が公開されている。

 報道で注目されているのは,「英語達者な先生に習っても,英語の成績が高くなるとは限らない」というごくごく当たり前の結果だが,公開されているデータから読み取れるのは,それだけではない。

 調査では,以下のような数値の推移が公表されているが,これらは「英語力向上」の原動力となりうると考えられているはずの内容である。

>「CAN-DOリスト」形式よる学習到達目標を設定している学校の割合

>授業における生徒の英語による言語活動時間の割合が高い学校の割合

>「話すこと」や「書くこと」における「外国語表現の能力」を評価するためのスピーキングやライティング等のパフォーマンステストを実施している学校の割合

>英語担当教員のうち、英検、TOEFL、TOEICなどの英語能力に関する資格・検定試験により、CEFR B2レベル相当以上のスコア等を取得している者の割合

>海外にある学校や研修施設等へ通った留学経験がある英語担当教員の割合

>授業において、教員が発話の半分以上を英語で行っている」学校の割合

 これらのデータと,生徒の英語能力向上との間に相関関係が見られない,というのが分析結果なのである。

 ▼平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果より

Eigo01

Eigo02

Eigo03

 3つのグラフのうち,視覚でだまそうとしているのが3番目であることはわかるだろうか。

 3番目のデータを,1番目か2番目のグラフ上で表現すれば,ほとんど変化していないことがわかる。

 「もっとALTの時間を増やさなければ」と思わせたいのである。

 様々なデータの中で「痛い」のは,2番目の「CAN-DOリスト」形式による学習到達目標の設定等の状況だろう。

 これだけ大幅な改善・・・というより,「行政指導の結果」だろうが・・・が見えているのに,「英語力の向上」にはほとんど結びついていない。


 まさか,日本の英語教育の質が,英語教師の「英語力の低さ」や「英語の教え方のまずさ」が原因だと本気で信じている人はいないだろう。

 日本人は英語を「話す」「聞く」能力で,国際標準とは言えないから,特に「話す」「聞く」能力の高い英語教師を増やそうとしたい気持ちはわからないでもない。

 しかし,ALTを活用した授業を中心にしてしまえば,「話す」「聞く」能力が本当に高まるのかと言えば,限界があることくらい,教員でなくてもわかることだろう。

 ICT機器の活用状況もおまけのように調査に付け加えられているが,たとえばiPadの無料アプリを使って発音のチェックを行っていくなどの個別学習による効果は出てくると考えられるが,テストという場でしか評価されない,あるいはテストの場でしか使わない,そういう能力を本気で高めようとする生徒がどれくらい確保できるかが疑問であることに気づかなければならない。

 小学校の英語教科化によって,「英語が嫌いな子ども」が増えるとも予想される中,今後も日本の「英語教育」は迷走するばかりだろう。行政が手を打っても,効果がついてこないのが露骨に示されてしまっているから。

 かなりの数の子どもたちにとって,「テスト以外に英語能力を活用できる場がない」ことが能力を高めにくい原因であり,現在のように教員の能力や教え方ではなく,子どもがもともともっている能力・・・こつこつ学習に取り組む真面目さなど・・・との相関が高い教科の切なさが垣間見えるニュースであった。

 「英語は筋トレだ!」と説く人もいる。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より