ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

カテゴリー「学校選択制」の194件の記事

教師の成長力を奪う力

 教育の世界では昔から,「大学における教員養成の限界」が問題になっている。

 「教育学部の学生の資質能力に課題がある」のは企業だけでなく教育現場も同じことで,

 教育実習に挨拶に来るとき,「教育学部でごめんなさい」とお詫びから入ってくるのが通例になっていることが印象的である。

 私は「教育学部」というところで学生の能力が潰されているのではないかと危惧している教員の1人だが,その根の深さは昔からなので,すぐに改善することは難しいだろう。人間を育てるのは人間なのである。

 
 少子化による学校の小規模化に伴って,適正規模に満たない学校が増え,

 「職場における教員の能力開発の限界」も問題になっており,それだけ余計に

 「現場で使えない若い教師が多くなっている」ことが学校の重荷になっている。


 こういう学校の窮状につけ込んで,教師の成長力を奪う実践が広がっていくことへの懸念もある。

 私は組合には入らなかったが,仮に入ったとしても,組合の体質には絶対に染まらなかっただろうし,

 すぐに抜けていたと思われる。

 今,学校を侵食しているのは,新しいタイプの組合体質を浸透させようとする「革命家」たちである。

 間違いなく,教師の成長力は奪われる。

 教員研修はお遊戯会レベルとなり,「仲良しこよし」が増えるだけだが,

 表向きは,「同僚性が高まった」などと宣伝される。

 浸食率は0.1%にも満たないレベルだろうが,1000校に1校でも子どもたちが犠牲になるのは心が痛む。 

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

大規模校と小規模校の違い

 私が赴任した最初の中学校は,生徒数1000人を超えるマンモス校でした。

 2校目は,どちらかというと小規模校に入るでしょう。

 指導主事のときには,極々小規模校も訪問する機会がありました。

 大規模校は生徒がたくさんいますが,先生もたくさんいます。

 この当たり前のことがよくわからない人が,ルールをつくると困ったことになります。

 管理職の先生は2人しかいませんから書類が増えて大変で仕事量が増えても,

 一般教員は,大規模校の場合,人数でナントカなる世界ですよ。

 そこにサポートする人が入っても,動きにくいでしょう。

 学校というところは,忙しいときはみんなすごく忙しい世界です。

 タイミングというものがあるんです。

 大規模校で一気に山のように仕事が襲ってくると,サポートする人が倒れてしまいます。

 だから冷静に教員の勤務実態を分析して,一般の公務員がたくさんもらっている「諸手当」を忙しい時期に増やしてあげればいいんですよ。

 小規模校ほど,一部の人に仕事が集中している実態を知らないのでしょうか。

 人が少ないということは,いくつもの仕事をかけもちしている人がいるということなんですよ。

 大規模校なら,分掌の仕事も細分化されて,自分の役割がごく限られたものになっている先生がいますが,小規模校はほぼ全員が主力になっていて,そこに学年主任や教務主任などがかぶってきて,明らかに学校内のだれから見ても事務仕事が多い人がいるはずなのです。

 もしサポートしてくれるアルバイトを投入するなら,大規模校よりむしろ小規模校の指導困難校でしょう。

 豪雨災害で大変気の毒になったある地域では,災害をきっかけに4校が1校に統合されるそうです。

 教員は余ってしまうわけですが,統合をきっかけにして,教員1人当たりの事務量は,減っていくことでしょう。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

女性社会が男性社会に変わることが中1ギャップの最大の原因か?

 中1ギャップを解消するために,さまざまな取組が行われている。

 小中一貫校の設置も,その一つだろうが,中学校1年生をナントカ学園7年生と呼んだところで,中学校の教育課程の学習についていけない生徒がいなくなるわけでもない。

 ギャップを感じにくくなる一方で,「中学生になった」という実感をもちにくいことは,子どもの成長にとってマイナスになってしまう側面が大きすぎる気もする。

 英語教育を小学校から始めるというのも,中1ギャップ解消への改革として期待される面もあるが,

 「英語教育の研修」を終えた小学校教師たちの多くが,「撃沈」して帰ってくるという話を耳にした。

 「私たちが英語を教えていいのだろうか?」という疑問というか「適性の乏しさ」を痛感してしまうというのだ。

 多くの教師に「道徳も同じでしょ」と言いたくもなるところだが,「英語があるから小学校教師にはなれない」という理由で,教師志願者が減っていくことも危惧しなければならない事態が目前に迫っている。

 制度をいじると,必ずと言っていいほど「悪い方向へ」の効果が高まっていく日本の教育界である。

 私は,中1ギャップの原因は,小学校と中学校・高等学校の教育課程,学習指導要領に示された内容にあると考えているが,もう一つ,「文化の違い」が無視できない要素であると確信している。

 小学校と中学校・高等学校の「文化の違い」は,たとえば「学習指導」や「生活指導」に顕著になって表れてくる。

 その点は何度もこのブログで取り上げているが,その他に,小学校=女性社会から,中学校・高等学校=男性社会に変わることが,非常に大きな不適用要素として直撃してしまう子どもがいると感じている。

 下の図は,東京都の中学校の男女別教員数の推移を示している。

 27

 小学校と比べると,男性教員の割合が高い。

 管理職になると,男女比はさらに男性に偏ることになる。

 少し前の記事でも書いたように,「男性」「女性」と区別する時代ではないかもしれないし,経験が10年未満の人が半数以上を占めるような小学校になってくると,今までとはまた異なった文化ができているかもしれない。

 しかし,「戦闘向き」の集団である「男性の群れ」がもつ独特な中学校の生活様式は,小学校には見られにくいのではないか。

 この文化の違いに,敏感に反応する子どもが少なからずいるはずなのである。

 別に,「女性社会」が「戦闘向き」ではない,とは言えないだろうが,子どもにとってどっちが「アットホームな感じがするか」と問われれば,もちろん例外はいくらでもあるだろうが,「男性社会」よりは「女性社会」だろう。女性の育児や家事労働がまだ多い国ならではの感じ方である。

 「中学校に行くと,先生たちはみんな怖いよ」と小学生を脅す教員がいるらしい(私の教え子たちの多くが,みんなこういう脅しを受けていたことを知っている)が,どういう人だろう?

 そもそも,なぜ小学校に女性の教員が多く,中学校では逆になっているのか。

 そこに中1ギャップの原因が潜んでいるかもしれない,という予想から,少し想像してみた。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

若い先生が増えると,子どもや管理職の悩みも増える

 次の図は,東京都の小学校教員数の推移を示している。

27

 男女比はおおよそ1:2であるのが小学校の特徴である。

 学校によっては,男女比が半々くらいのところがあったり,男性教員がごくわずかしかいないところもある。

 小学校の管理職の悩みの一つに,女性教員がご懐妊され,産休に入ることにある。

 日本全体から見れば,とても歓迎すべきことだが,こと人事管理という点や指導の一貫性という観点から言うと,とにかく人を探してこなければならない,しかし,適材がなかなか見つからない,という点で,管理職にとっては非常に頭の痛いところである。学級担任がほとんどすべてを仕切る小学校教育のシステムを変えない限り,この難問の解決は難しい。

 ある地域では,住民(保護者)と学校(行政)との対立の図式を生んだりもする。

 何と,教員がほぼ男性だけで,若い女性がいない,という異常な小学校が存在するのは,教育委員会事務局が住民の要望を受け入れているからである。

 希望しないへき地の学校に赴任すると,異動前は予定はしていなかった妊活に取り組む人がいるというのだ。

 少子化が止まらない日本で,もっと寛容にできないのか,と疑問に思われる方も多いかもしれないが,こと自分の子どもの担任がコロコロ変わり(小学校の6年間で,ほとんど毎年,担任が産休に入っていくという学級もあったらしい),学級が落ち着かなかったり荒れてしまったりいじめが蔓延するようになると,黙っていられなくなり,果ては「産休に入りそうな女性教員を担任にすえた管理職の責任」がクローズアップされてしまう。

 私が知っている管理職にも,この理不尽な責任追及に辟易してしまっている人が少なくない(中学校ですら,そういう責任が問われてくる)。

 いっそのこと,子どもが減って空き教室が増えている小学校内に託児所を設置してしまうという政策もありかと思われるが,「家でゆっくり育児したい」という教員の希望ももちろん重視すべきであろう。

 行政として最も力を入れるべきなのは「自宅研修システム」で,できれば一定の業務も在宅でできるような仕組みをつくるべきではないだろうか。

 育児をしたことがある人はわかるだろうが,自分の子どもの育児は基本的に24時間「営業」である。

 そんなゆとりはない,そもそも育児「休暇」をとっているんだ,という当たり前の声に対して,

 「学校の危機」「子どもの危機」「保護者の危機」を背景に何かしらの手を打たないと,それこそ小学校の学校経営が「成立しない」ほど,苦境に立たされるところが続出するおそれがある。

 同僚間の人間関係がよくない小学校では,さらに関係が悪化し,産休→異動→産休→異動というパターンになりかねない。

  「自分の子どもと,担任をしていた子どもたちと,どっちが大事なの?」なんて質問はもちろん論外だが,教員でなくても,「育児から解放されたい」という欲求がわき起こるときがかならずあることも念頭においておきたい。

 男性教員で産休をとっている人がどれいくらいいるかは,よくわからない。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

美味しくなってきたペットボトルのお茶

 10年以上にわたって,ある地域の茶農家さんから,生徒とともにお茶づくりのことを学ばせていただいているが,かつては「ペットボトルのお茶はお茶ではない」とどの方も口を揃えておっしゃっていたのが,最近は,「ペットボトルのお茶も侮れなくなってきている」という表現に変わってきている。

 私自身も,毎年ペットボトルのお茶の新製品が出るとチェックしてきたが,ここに来て「見た目」より「味」にこだわる製品が出てきて,味もなかなかなものになってきていることを実感している。

 日々,研究が重ねられているのだろう。

 粉末茶の品質も向上してきて,夏などはペットボトルに水を入れ,粉末を混ぜていただくような習慣が定着している地域もあるようだ。

 水道水を使えば,ペットボトル1本分で10円程度で飲めてしまう。

 砂糖が大量に入った飲み物を子どもたちはどんどん飲んでいるが,それほど肥満体型が増えないのが日本の不思議なところである。

 健康な食生活を子ども時代から教えていけば,将来の医療費の削減が期待できるかもしれない。

 20年や30年,50年先のことを考えて,そのころにしっかりとした効果が出せるような教育をこつこつと積み上げていきたいものである。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

「結果を出すためには何でもする」哀しき学校現場

 全国学力調査の「成績」を上げるために,過去問をたくさん解かせたり,各自治体で似たようなテストを実施することが当たり前になってきたようだ。

 このテストのために,本来行われるべき教育ができなくなっていることはみんなスルーして,とにかく「結果を出す」ためにみんなで邁進している。

 学力面だけではない。

 体力テストの結果が芳しくないから,テストの本実施の時期を少しでも遅らせようとする自治体もあるようだ。

 「体力テスト」の種目の練習をする,という学校まであるらしい。

 結果至上主義は,こういう弊害を学校現場にもたらしている。

 このことの何が問題かがわかっていない人間は教育委員会の事務局にもいないはずだが,

 「数字がすべて」という「宗教」は,行政の世界にもずいぶんと浸透しているようだ。

 すべてが劣化に向かっていく社会で,まともな神経を何とか保って,子どもを成長させてあげることができるのは,やはり現場しかないのだが・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

成功したことにしなければならない仕事に求められる「自分に嘘をつかない」力

 教育にも政治にも,「目に見える成果」が求められる時代になった。

 「すぐに成果が出ない政策」に価値がおかれないようになると,

 「すぐに成果が出たことにできる政策」ばかりを宣伝することになる。

 また,「成果が出たことにする」という習慣がついていく。

 「成果が出ていないもの」「成果が疑わしいもの」「成果が不十分なもの」への真摯な態度が失われていく。

 「改善」「改善」「改善」・・・しかないのだが,

 「計画のずさんさ」を指摘されたくない人たちは,問題に目を向けず,とにかく「成功している」と強弁するための材料を探してしまう。

 広範囲で大規模な「地盤沈下」が起こったときには遅い。

 本当のチェック機能を果たせる人が,組織から閉め出されることは,組織にとって損失だったということに気づいたときには遅い。

 いずれ,前を向いても後ろを向いても,右や左を見ても嘘つきだらけ,というある時代の日本に後戻りしていたことに気づいたときには遅い。

 失敗に気づけることに価値をおく教育を捨てないことで,同じような価値を大事にする政治を守っていける国になることにつながってほしい。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

向かうところ,敵なし

 「1強」と呼ばれる立場になれるのは,どうしてか。

 「他より圧倒的に強い」と言えるのは,原因ではなくて,結果に過ぎない場合もある。

 他が圧倒的に「弱い」ときに,自分が強くなくても,「1強」になれる可能性がある。

 プロ野球で最下位の球団でも,高校野球の大会に出たら,優勝がのぞめるに違いない。

 「強弱」とは相対的なものであり,パイの取り合いでは,

 「他がダメだから結局は自分のものになる」という結果が起こる。

 その典型を政治に見ることができた。

 教育の世界でも,似たようなことが起きている様子を目にすることができる。

 信じられない粗悪な実践事例が書籍化されているのだが,今の時代は粗悪品だから出版できるという事情があるようだ。

 何の準備もいらない授業実践が可能であるならば,飛びつきたいという教師が多いからである。

 最も大きな問題は,「適正な自己評価」の能力が欠けていることにある。

 ある政党もそうだし,他からの批判をまともに受けることができない人たち全てに共通するのがこれである。

 向かうところ,敵なし。

 良い意味ではなく,「学ぶ友なし」という「孤独」の意味を感じさせたい言葉である。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

無責任体質の伝染力のバロメーターとなる国税庁長官人事

 国税庁長官人事が発表されて,「喜んでいる人たちがいる」との指摘をしている人がいる。

 「絶対にないとおかしい書類はなかったことにできる」

 「税金はいくらでもごまかせる」というムードになるから,だという。

 官僚は,官邸の意向に沿うように仕事をする。

 企業の財務担当者は,社長の意向に沿うように仕事をする。

 国民や株主は重視されない,そういう雰囲気がさらに高まるだろう・・・という趣旨の指摘である。

 日本には,信用されない人がトップに立っても,機能できてしまう組織とそうでない組織がある。

 政府のトップから信用されている人と,国民から信用されている人のうち,

 国税庁という組織のトップには,どちらがふさわしいだろうか。

 日本は,自分が信用しない人がトップに立った場合,

 信用されるべき行動を自ら放棄する国民性をもっているのか,

 それとも国民こそが,国のために尽くし,信用されるような人間であるべきだと考える国民性をもっているのか。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

国立大学がとうとう附属学校の管理に乗り出すか

 国立大学の附属学校というと,いかにもエリートの養成というイメージがつきまとうかもしれないが,

 それができていた最大の理由は,「自由な教育」が確保されていたからである。

 偏差値が高い附属学校ほど,「自由度が高い」ことは世間の常識だろう。

 読売新聞のニュースによれば,文部科学省の国立大学法人評価委員会が公表した評価結果で,群馬大と東京学芸大が「業務運営の改善と効率化」という項目で最低評価を受け,これが来年度以降に配分される運営交付金にも反映される見通しだという。東京学芸大の場合は,いじめで重傷を負った附属高校の生徒の訴えに対し,事実確認が不十分で重大事態として認識するのが遅れたことが問題視されたようである。

 東京学芸大にとってみれば,「とんだ迷惑」といったところだろう。

 これをきっかけに,いよいよ河野太郎議員が指摘した「文部科学省による国立大学の植民地化」が,附属学校にまで及んでくる可能性が考えられる。

 なぜなら,都道府県や市区町村の「教育委員会」のような組織も人材もいない国立大学に,附属学校の管理を行う能力などないからである。

 ザ・リバティWebというサイトで,小林真由美さんという方が,次のような「図式」を書かれている。

*********************

 そもそも国立大学が法人化されたのは,自立した環境の下,個性豊かで特色ある研究,教育に取り組むことが目的。各大学が国の統制下から外れて,独自性を強めて特色のある研究を促すことを目指していた。

 しかし,実態はまるで逆。

 大学は,文科省のOBの天下りを受け入れることで,補助金を得たり,新学部設置の際などに文科省の嫌がらせを受けずに交渉を進められたりするというメリットにあずかる。

 文科省の官僚としては,天下り先の大学に補助金をバラまき,天下り後は自らの給料や退職金として懐に回収できる。

 これが文科省の一部の官僚と大学との間の「持ちつ持たれつ」の癒着関係。

 文科省の現役の官僚が国立大学法人に出向するのは「現役出向」と呼ばれる。

 政府はこれを大学などに再就職する「天下り」とは区別している。

 しかし,現役出向も天下りと同様に,癒着の温床になる懸念がある。

 受け入れ側の大学の運営に省庁の意向が過剰に反映されたりするという懸念もある。

 そうであれば,憲法で定められている「学問の自由」を文科省自らが破るということになりかねない。

********************

 ある教科書を採択した国立大学の附属学校に,文科省から「採択理由の聞き取り」に来たことは,もちろん違法ではないが,自分のところで検定を通しておきながら,その教科書が気に入らなかったことは明々白々である。

 河野太郎議員は,与党議員である。議員の頑張りに期待したい。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

より以前の記事一覧

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より