カテゴリー「ニュースより」の24件の記事

涙の抗議は本当に効果的だったのか?

 模擬授業の研修命令を出されるなどした私立学校の教師が裁判で戦っている様子がTV番組で特集され,おおむね「学校の塾化」「企業論理による教師の切り捨て」を批判するような内容に仕上がっていることがわかりました。

 予想が当たらないことを願ってTVを見続けていると,残念なことに「涙の抗議」がクライマックスに持ってこられていました。

 教師にとって最も情けないのが「同情を買う」行為ではないかと思っていたのですが・・・。

 その追い打ちになっていたのが,大学教授の「学校の果たす教育的機能というのは,学力向上だけではない・・・」というコメントでした。

 さらに,「教え子」の方が「金八先生のようだった」というコメントを出したあたりは,ほとんど「やらせ」のような印象がありました。
 ちなみに,「金八先生」に教科の指導力があったかどうかは,番組を視聴している限りでは全く判断がつきません。

 シナリオがほとんど予想と合ってしまうと,どうしても「真実なのかどうか」という疑いの目になってしまいます。

 「授業は下手でも生徒の気持ちが分かる先生」が求められるのは,「授業は上手くても生徒の気持ちを理解しようとしない先生」ばかりがいる環境であり,「授業が上手で生徒の気持ちがよく分かる先生」の中では,仕事がやりにくいことは確かでしょう。

 裁判の争点は,「本当に授業力・指導力に課題があったのか」というところに必ずかかってくるでしょう。

 そこではどのような判断が下されるのかに興味があります。

 裁判所の判断次第では,立場が危うくなる人が増える恐れがあるからです。

 「授業を担当させず,研修=指導力向上のために模擬授業を継続させた学校側の判断は不適切だとはいえない,ただし,その間,メンタルケアを含めて,資質・能力の向上について適切な指導が十分に行われていなかったことは確かであり,学校側に責任が全くないとはいえない」なんていういかにも日本風な判断が目に浮かぶようですが・・・。

 番組の中で最も感動したのは,現職の教師が「進学校への移行」について反対論があったことを告白したり,「教師切り捨ての姿勢がある」と経営側を面と向かって批判されたことです。こういうことがはっきり堂々と言えるくらい指導力がある教師が求められているのでしょう。

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栄光ゼミナール流?教師教育法

 昨日の日経朝刊に,埼玉にある私立昌平高校の教諭が,研修=模擬授業の中止などを求めて裁判所に仮処分を申し立てたことが取り上げられていました。

 私立学校の場合,管理職がある教師を「指導力不足」と認定したときには,このような方法で教師に心理的な圧力を加え,退職に追い込むことができるのだ・・・というニュアンスが伝わってくる内容になっています。

 そして,この2年間で75人の教職員が退職したこと,その背景として,栄光ゼミナールの社長が昨年6月に理事長になったことが関係していると匂わせる取り上げ方もしていました。

 これだけの情報量では何も言えないのですが,公立学校でも同様の研修があるので,学校側はどのようなプログラムに基づいて,どのような評価を教師に返しながら研修をしていたのか,そのような情報を公開してくれると参考になるのかもしれません。

 子どもに「教え方がよくない」「授業がわかりにくい」「何を言いたいのかがわかならい」と判断されて,「もっといい先生に習うことはできないものか」と要望されたときに,学校ができることは何か。
  
 私立ではそのような要求が通るのに対し,公立ではなかなか難しい。

 もちろん私立学校でも,採用してから教師としての力量に問題があることがわかった場合,どのようにしたら「辞めさせることができるのか」は経営側にとっては大きな課題なのかもしれません。

 もし今回のような「延々と2ヶ月も模擬授業をさせる」ことが,学校にいることに嫌気を催させ,自分から辞めていくことをねらっているとしたら問題だと思いますが・・・。

 このような教師でも「研修」で改善がきく,というのなら,それはそれで学校のウリになるのかもしれません。

 そもそも,子どもの授業アンケートで「水準以下の教師」という結果が出たからといって,それをもとに入れ替えをはかるのはいかがなものか,という教師擁護の意見もあるでしょう。

 しかし,その教師を解雇することで,より優れた教師を採用することができるのであれば,子どもにとっても学校にとってもプラスであることは確かだという見方もできます。

 プロ野球のような,全くの実力の世界と同じ「競争」でよりよい結果が得られるという図式です。

 ただ,それが果たして教育の場で行われることがよいことなのかどうか。

 意見や考えは分かれるところでしょう。

 このような仕組みがあるから,「私立学校は教師にハズレがない」という意識が,保護者の中にはあるかもしれません。

 公立離れが進むとしたら,その原因は私立学校の場合と逆になる,ということです。

 今回のこの件で,他の私立学校でも同じような退職勧告が繰り返されているという告発が続発してくるかもしれませんが,教師にとってやりにくいのは,「子どもにいい先生と認めてもらえない」という引け目があるところでしょうか。

 「子ども第一主義」「子どものためを思うこと」をモットーにする教師にとってはたまらない「究極の選択」ですね。

 自分よりも授業力が高い教師がいる。

 自分がやめて,その教師に授業をしてもらった方が,明らかに子どもの学力も伸びるし子どもは勉強も好きになりそう。

 自分はやめるべきか,続けるべきか。

 「必死に研修して,一日も早くその教師の指導レベルに近づけるよう努力する」で,片付けられるのかどうか。


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プロレスラー・三沢選手の死は過労死?

[プロレス] ブログ村キーワード

 私はプロレスファンではないのですが,新聞で読んだ三沢選手の急死には,大きなショックを覚えました。

 何かのTV番組で知った三沢選手の苦労仕事への意気込み・執念は,すべての職業人が学ぶべきものであると感じ,プロレスラーとしてというよりは,一人の人間として尊敬する選手でした。三沢選手がいるからプロレスファンになったという方が多いのもうなずけます。

 満身創痍の中,無理を押して仕事を続けた三沢選手の死は,ファンのみなさんにとっても本当に悲しいものであると思います。

 プロレスラーが,よくある一つの技だけで即死に近いような致命傷を負うことはまずないと考えれば,試合開始前から状態はよくなかったのだろうことが想像できます。

 普通の企業人で言えば,過労死にあたるものだったのではないでしょうか。

 三沢選手の死は,試合中に偶然起こった事故では決してないのでしょう。

 子どもたちには,プロレスラーも技をかけられて亡くなることもある,という教訓になるかもしれませんが,実際には違うのだと思います。

 子どもがプロレスごっこをして,受身の仕方も知らない相手を倒したり,振り回したりする行為は,殺人行為です。

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激しい批判への激しい批判

 日本には,バランス感覚に優れた人が多いような気がします。

 ただ,単にバランスだけを守ろうとすると,こんなことが起こります。

 たとえば,激しい批判への激しい批判

 最近では,逮捕された草なぎ氏に対して激しい批判をした鳩山総務相が激しい批判を受けたような件。

 京都教育大への批判に対する,「悪いのは○○だ」という逆ギレ的な反応。

 教育ブログでも,自分の気に入ったブログへの批判に対して,内容が伴わない「批判返し」を繰り返していた人がいました。

 批判合戦は興味本位で眺めれば見て遊べるものですが,ある問題についての批判を,こっちは悪くない,悪いのはそっちだなどと言い合っていても,解決に結びつくことはまずあり得ないわけです。

 最も関心をもってもらいたいのは現場の「当事者」であって,「内部からの浄化」「内部主導の改善」が求められているのに,いつまでたっても「外部圧力」に変革のきっかけを頼りきっているようではいけません。

リンク: 鳩山邦夫は調子乗りすぎ? - ココログニュース

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京都教育大への抗議はどのようにしたら実るのか?

 ココログニュース「集団強姦 京教大に抗議殺到」(6月12日)を読んでの感想です。

 京都教育大の学生や卒業生の中には,今回のようなことが起きてしまったことへの憤りを強く感じている人たちが大勢いることを願いたいです。

 なぜそのような表現をするかというと,一つは,今回のことについて,被害者を中傷するような態度をとる人が少なからずいること。もう一つは,今の学生や若い卒業生たちに,「母校愛」というものが存在するのかどうか,疑問に思えることが多くあるからです。

 自分の母校である人や,あと少しで母校になる人たちが,その在学生が起こした事件を「全くの他人事に過ぎない」という目で見ている限り,必ず同じような不幸が繰り返されるような気がしてならないからです。

 今までも公にされていない事件が,数多く存在するのではないかという疑念も強く生じています。

 今回のような事件の被害者は,ことが公になることを本当は極端に嫌うはずです。

 そこが加害者の「強み」「利用しがいのあること」であり,いつも必ず今回のように「予想に反したこと」が起こることは限らないのです。

 「予想に反した」と感じているのは,加害者だけでなく,大学側も同じなのでしょう。

 大学側の対応への批判が集中しているようですが,このような抗議はどのようにしたら実るのでしょうか?
 最も有効な手立ては何でしょうか?

 文部科学省の監督権限を強化することでしょうか?

 マスコミを駆使して,徹底的に大学のイメージを低下させることでしょうか?

 私は,学生たちの自治機能の充実こそが真の問題解決にとって必要な条件だと思っています。

 だれに叱られるとか,だれの印象が悪くなるからとか,そういうことでは事件の再発が完全に防げるわけがありません。

 小中学生,高校生にも求めている,人としての「自覚」です。

 マスコミには,どんどん京都教育大の学生に取材を進めてほしいと思います。声を拾ってほしいと思います。

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リンク: 集団強姦 京教大に抗議殺到 - ココログニュース

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キムタク叩きも公然化か?

 キムタクもいよいよ公然と叩かれる対象になったのでしょうか。週刊誌の広告が気になりました。

 ネット上のニュースでも,視聴率が20%をわったとか・・・これは野球でいうと,イチローが4割をわったくらいの数字なのではないでしょうか?

 人気や期待を集めてきた人の「落ち目」には非常に敏感になり,坂を下り始めるといっせいに叩き出す,巨人に移籍した清原が結果を残せずに去っていったときも同じようでした。

 企業では,叩かれるともう浮上することができなくなってしまうような人間が増えてきたということをよく聞きますが,「一流」の人たちは,「叩かれるのも仕事のうち」という感覚をもっているのでしょう。

 叩かれるのは期待されていることの裏返しであり,このブログのように教師の「失敗」に対する指摘について,直接的に批判されることはなくても,「ああ,自分にも当てはまりそうだ」という自覚をもって平常心を保てる人は,期待に応えている自覚がある人でもあるのでしょう。

 このような期待を受ける側ではなく,期待をかける側のたとえば子どもの保護者の立場では,「がんばっている先生になんていうことを・・・」という感情がわいてしまうのも理解できないわけではありません。

 しかし,そういう「先生」が期待に反する行動をとったときに,平常心を維持していくためには,「起こりうること」「現実に起こっているかもしれないこと」に対する想像力を働かせておく必要があります。

 行政の側の人は教育について「成功して当たり前」という感覚がある一方,現場では「目標達成なんてありえない」という感覚があり,その乖離についても話題に取り上げていますが,やはり現場が「成功させる必要がない」というレベルに堕ちてしまうと教育も終わりであり,常に発破をかけ,批判をすることで期待している気持ちを伝え続けることも大事だと思われます。

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問題点の発見は手抜きの理由の誕生に ふり返り366日【08/5/12】

 子どもが生まれた家庭の経済格差を学力格差の原因だとしている教育学者がいるとして,その先の話。
 
 だれが,何をするべきか。

 まず,自分ができることをする。仕事中は,そのことに集中する。それしかないでしょう。

 他の人がやるべきことをさして,「それが実現しなければ私にできることはない」といって手を抜こうとする人。

 問題点の発見は,手抜きが安心してできる材料の誕生でもあるということが,注意すべきことです。

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08/5/12 週刊東洋経済の「子ども格差」

 「格差もの」のはやりが続いています。
 週刊東洋経済では、経済格差に重点をおいた教育・福祉(貧困)問題を特集しています。
 この雑誌を定期購読している公立学校の教師は少ないと思いますが、今回の特集を読めば、公立学校における教育が果たすべき役割の重さを改めて実感することができるでしょう。
 しかし多くの教師は、行政の無策に対する批判的姿勢を強めるだけかもしれません。
 さまざまな雑誌で組まれる特集を吊り広告で眺めながら、雑誌というメディアが果たすべき社会的役割は何かなとときどき考えますが、この「子ども格差」についてはどうでしょう。
 このような特集を雑誌が組んで、定期購読ではなく駅やコンビニで雑誌を買おうと思う読者層というのは、やはり「専門・管理職」や「一般ホワイトカラー」(通勤途中で目に触れる条件でもある)が大部分で、一種の優越感を与えたり、「ここまでやっている家もあるのか(家庭教師に月60万円)」とおもしろがらせるのが趣旨ではないかと勘ぐってしまいます。
 「セレブのぜいたく受験術」などほとんどの家庭には縁がない話だと思われてしまいますが、該当する読者もいるのでしょう。
 「年間350万円使った親もいるという小学校お受験の舞台裏」などは、経験した読者もいるのかもしれません。
 「ひとり親の生活保護家庭などの中学生を対象にした勉強会」など、「格差を縮める草の根の取り組み」も一部には紹介され、「格差を生み出すのが教育だとすれば、格差を埋めるのも教育だ。そして、教育や社会保障を誰もが利用できることこそが、子どもたちの未来を希望に導くのである。」と結んでいるものの、片隅の記事で見逃される可能性のある扱いになっています。
 パンク状態の児童相談所や特別支援学校、急増する虐待相談、過酷さを増す生活保護家庭への就労指導、蚊帳の外の日系人教育、授業料滞納問題、学童保育などについては、一定量の取材が行われており、各自治体の議員や国会議員が法案づくりに参考にしてほしい内容になっています。
 読めば読むほど、教育や福祉に十分なお金はかけられていないものだと実感しますが、同時に、お金をかけ出すときりがないなとも思ってしまいます。
 以前に、文部科学省の機能の大部分と厚生労働省の機能の一部、その他を含めて教育省をつくり、「子ども」の明るい未来を保障する機能を!と主張したことがありますが、もっと大胆な方策というのはないのでしょうか。
 「子どもをめぐる悲惨な状況」は、あまり子どもの目に触れさせたくない記事ですが、今後、新聞も取り上げないくらい日常茶飯事の事件・事故が頻発するような時代にはなってほくしないものです。

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京都教育大事件と茨木市教育委員会がつながるとは・・・

 マスコミによる徹底した「教育」関連叩きでは,思いもよらない情報が提供されるものです。

 まさか,事件関係者(容疑者)の父親の職業(だけでなく立場も)が明らかにされるとは・・・。

 そして,不正ではないのかもしれませんが,大分をイメージさせることを教育委員会の事務方が自分の子どもに対してやっていたこととは・・・。

 停学の理由も知っていながら,採用してあたらせていた仕事がよりにもよって学童保育の臨時指導員とは・・・。

 「京都教育大 茨木市教育委員会」による検索で記事を読むことができます。

 昔,議員の口聞きで区域外の学校にどんどん指定校変更を出していた教育委員会に不信感をもっていました(現在は選択自由化でその心配もなくなりました)が,「コネがすべて」といういやらしさ丸出しの組織はどうしたら変革できるのでしょうか。

 「変革嫌い」の人たちでも,この変革にはいい方法が見つかれば賛成していただけるのでしょうが・・・。

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「教育」の価値暴落を呼ぶ京都教育大の「教育的配慮」

[教育現場] ブログ村キーワード

 京都教育大の一件のおかげで,「教育的配慮」という言葉に対する怪しいイメージが定着してしまいました。

 子どもの中にも,「経営への配慮だろう」という見方が生まれているようです。
 そう読みかえてくれると教育現場の人間としては助かるのですが・・・。

 いずれにせよ,教員養成大学としてのイメージの悪化は計り知れないものがあるでしょう。
 今回のケースでは,はじめから警察に届け出て,公にしていても,マイナスイメージの大きさには変わりはないでしょうが・・・。

 荒れた学校では,問題行動を起こす生徒に対する「教育的配慮」のために,まじめに学びたい生徒たちにとって大切な教育環境が失われることがありました。

 「問題そのものを存在しなかったことにしたい」教師たちは,「教育的配慮」という名のもとで,問題を隠蔽するだけでなく,害を被る子どもたちを放置したがる傾向をもっています。

 いっそのこと「教育」という用語を「廃棄処分」にして,「教室」は「学習室」,「教員」も「学習指導員・生活指導員・進路指導員・部活指導員」などと呼び,「教育基本法」は「学習基本法」へ,「教育立国」から「学習立国」へ,・・・変えてみても,やはり要は携わる人間次第なのかもしれません。

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「ゆとり世代」たたき関連報道の本格化

 日経ビジネス5月4日号の「時流超流」の中に,「ゆとり世代の配属が本格化~“新5月病”発生で現場は四苦八苦?」という記事がありました。

 「ゆとり世代」たたき,あるいは「教育失政」たたきの一貫としてのニュースづくりが徐々に見られてくることでしょう。

 「なぜだめなのか」という理由を探す上で,国民的な認知度のあり,関連が深そうな「キーワード」があると,それが徐々に「固定観念」「前提となる共通認識」になっていきます。

 記事を読んでいると,「ゆとり世代」と言われる若い人たちは,新学習指導要領によって,「自ら学び,自ら考え,主体的に行動する『生きる力』」を育まれてきたはずだ・・・というイメージではなく,「ゆとりの中で甘やかされて,困難にさしかかると簡単にあきらめる世代」「変化に対応できない世代」として描かれていました。

 そもそも誤解からスタートした若者像が,現実の姿から「正解」へと変異してしまう典型的な例が今後も見られそうです。

 「変化の激しい世界に生きる力」をどう育成するかが教育の課題でしたが,ほとんど変化しなかった学校現場で生活してきたことが原因ともいえるし,そもそも学校などで「変化に対応できる人間は育成できない」として批判することも可能です。授業時数が減って,「教えられている内容が少なくなっている」というのは塾に通っていなかった人にとってはとりあえず真実であるともいえます。

 今年の新入社員は,就職活動中は景気がよくモテモテだったのが,入社時は状況が一変していました。
 急速な景気悪化によって想定外の状況になっても,どのように対処していけるかを学べれば,よい体験になるとも考えられますが,「あくまでも自分の都合中心」で生きてきた人にとってはつらい日々が待っていることでしょう。

 例年,5月から伸びる「悩み相談」の増加のペースが加速しそうだという予想がありますが,どうなるでしょうか。

 学校や役所ならばそんな心配はいらなかったのに・・・という状況も変わりつつあるわけですが・・・。

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