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カテゴリー「書評」の95件の記事

「7つの大罪」によってモノが溜り「4つの基本道徳」によって整理ができる

 7つの大罪とは,

 1 傲慢
 2 嫉妬
 3 憤怒
 4 貪欲
 5 暴食
 6 邪淫
 7 怠惰

 溜るモノは,「物」だけとは限りません。

 営利活動ではない教育の現場でも,これらのうちで「溜るモノ」がたくさんあり,実際に教師による犯罪行為が発生し,ニュースとして公開されています。

 4つの基本道徳とは,

 1 知恵
 2 勇気
 3 節制
 4 正義

 「生きる知恵」は,ときに「人を騙す方法」を指していたりもします。教師がセミナ-などを開いたり本を書いたりして金儲けをしようとするとき,利用されているのは子どもたちです。

 『5S入門』(古谷誠著,日刊工業新聞社)には,教師の立場で読んでも大切な情報がたくさんあります。

「注意」では不良やケガは減らない

 というコラムでは,著者のお父さんの経験を例に,優れた教訓が示されています。

 ケガを防ぐのに,「注意しよう」という意識だけでは役に立たないことは,私自身も大ケガをしたのでわかります。

作業者は不良を出そう,ケガをしようと思って作業していません。たまたま,何か別の現象が発生した時,危ないという意識を飛び越え,通常の決められた作業をやらず,良かれと思って間違った動きをしてしまうのです。

 「意識を飛び越えた」先にあるのが,教育の世界では「体罰」だったり,政治の世界では「忖度」だったりする(そう考えれば,「記憶にない」というのもあながちウソとは言えない)。 

 安全を大切にしようとしている工場や学校で,「注意書き」がたくさん掲示されていても,事故が減らないのは,「注意力」が足りないことだけが原因ではないことに気づかなければなりません。

 「知恵」「勇気」「節制」「正義」という「徳性」をどう仕事や生活の中に落とし込むかが,経営者側の課題ということでしょう。

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「一呼吸おく」ことの大切さ

 まだ仏教関係の本以外で,「アンガ-マネジメント」に関するものを読んだことはないが,教育書を読んだり読み返したりすると,特に生活指導に関する話題があれば,「アンガ-マネジメント」の手法に自然とふれられていることに気づく。

 読書編で紹介した『問い続ける教師』(学事出版)では,苫野一徳さんがモンテッソーリのエピソードを紹介した後で,次のように述べている。

>さまざまなトラブルが起こった時,私たちは条件反射的に叱り飛ばしたり矯正したりするのではなく,まずは一呼吸おいて,これをチャンスととらえる練習をしてみたいものだと思います。

 中学校の生活指導では,「瞬発力」が求められるため,「間髪おかず」が大事な場面も多いのだが,状況判断を誤ると,無関係の生徒を叱ってしまう可能性がある(・・・私もかつて,中学校時代に人違いで殴られた経験をもつ一人である)。こういう注意とは別に,子どもたちの成長を願う教育,自立を促す教育,主体性を育てる教育,という視点で考えると,「今この場のこの行動には,この生徒にとってどのような意味があるのか」を考える「瞬間」が必要なのである。

 「一呼吸」という「長い時間」があれば,いろいろなことが頭の中で回転する余裕がある。
 
 「我を忘れる」ような事態になったときに,「一呼吸」の間で何ができるようになるかを考えていくことには,とても意味がありそうだ。

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教師の成長力を奪う力

 教育の世界では昔から,「大学における教員養成の限界」が問題になっている。

 「教育学部の学生の資質能力に課題がある」のは企業だけでなく教育現場も同じことで,

 教育実習に挨拶に来るとき,「教育学部でごめんなさい」とお詫びから入ってくるのが通例になっていることが印象的である。

 私は「教育学部」というところで学生の能力が潰されているのではないかと危惧している教員の1人だが,その根の深さは昔からなので,すぐに改善することは難しいだろう。人間を育てるのは人間なのである。

 
 少子化による学校の小規模化に伴って,適正規模に満たない学校が増え,

 「職場における教員の能力開発の限界」も問題になっており,それだけ余計に

 「現場で使えない若い教師が多くなっている」ことが学校の重荷になっている。


 こういう学校の窮状につけ込んで,教師の成長力を奪う実践が広がっていくことへの懸念もある。

 私は組合には入らなかったが,仮に入ったとしても,組合の体質には絶対に染まらなかっただろうし,

 すぐに抜けていたと思われる。

 今,学校を侵食しているのは,新しいタイプの組合体質を浸透させようとする「革命家」たちである。

 間違いなく,教師の成長力は奪われる。

 教員研修はお遊戯会レベルとなり,「仲良しこよし」が増えるだけだが,

 表向きは,「同僚性が高まった」などと宣伝される。

 浸食率は0.1%にも満たないレベルだろうが,1000校に1校でも子どもたちが犠牲になるのは心が痛む。 

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かえってくるブーメランが見えない人たち

 面白い本を読んでいる。

 翻訳の本なのだが,訳者のコラムがたくさん入っている。

 この訳者は,ブーメランを投げるのが好きな人である。

 もしかしたらこの訳者の場合には,自分がブーメランを投げている自覚を持っているかもしれない。

 ただ,かえってきたブーメランはたたき落とす習性をもっているようだ。

 自分が投げたものとは別のものになっていると判断している。

 主張を読んでいると,それは自分が批判していることと同じような内容であり,

 鏡に向かって文章を書いているようなのだが,

 その鏡に映った相手を熱心に攻撃している。

 自分の脳にダメージを与え続けている状況である。

 報復に対する情熱の強さが,自滅に向かうエンジンになっているようだ。

 若いのに気の毒なことである。

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リーダーシップの意味がわからない人たちに翻弄されるだけの校長たち

 自らリーダーになろうとする人が真のリーダーになれるわけではない,

 などと言われると,管理職試験を受けないと管理職にはなれない教員たちの中からは,

 いつまでたってもリーダーは現れない。

 学校のリーダーなどと言われても,予算をもらえるわけでも自分がいいと思う人材を選べるわけでもないから,そもそもリーダーシップなど必要ない,と考えることもできる。

 教育委員会の立場から学校を観察していると,各学校にはゴリラ型のリーダーやチンパンジー型のリーダーがいることがよくわかった。

 制度上,日本にはチンパンジー型の管理職しかいないことになる。

 ゴリラ研究の世界的権威である山極寿一先生によれば,ゴリラ社会のリーダーには,他者を惹きつける魅力と,他者を許容する魅力が必要で,自分からなる,というよりも,仲間から引き上げられてなるものだそうだ。

 だから,「立候補」ではなく「推薦」という形で選ばれるのがゴリラ型リーダーということになる。

 もちろん,「立候補」するからには,よきリーダーになろうとする主体性や積極性,意欲をもっており,しかも目指すリーダー像がゴリラ型であるという場合もあるだろう。

 ただ,「それまでどのような行動をとってきたか」「どのような実績を積み重ねてきたか」の方が,その場限りかもしれない,あるいは,なってしまった時点で失われる「やる気」よりも重要であることは,だれでもわかることだろう。

 リーダーは,人の評価が適切にできる人でないといけない。

 だれにどのような適性があり,どのような能力が優れていて,どういうタイプのメンバーと一緒にいると力が発揮できるのか。

 たとえば,学年という「運命共同体」を編成するときなどは,「人」がわかっていなければ,足し算の何倍にもなるはずのパワーがマイナスに転じてしまうかもしれないのだ。

 話しやすい人とばかり話すような人,人の好き嫌いが激しい人は,リーダーには不向きである。

 対話を通じて多様性を受け入れ,どんな事態にも適切に対応できる能力は,どこで育まれるのだろう。教員になってからの話で言えば,学年経営を経験するのがとてもよい機会だろう。

 事務仕事しかない役所の人間には,教務主任とか生活指導主任といった「分掌」の長が偉い人(=主幹教諭)で,学年主任は「係長」程度にしか感じられていないのだろうと思われる。

 組織を考える場合に,そこが最大のボタンのかけ違いなのだろう。

 わずか十数名しか教員がいない小規模校でも,数十名近く教員がいる学校でも,同じような組織で運営させていることに,だれも疑問を感じないとしたら,企業ならとっくの昔に潰れて終わっているはずである。

 校長に自分たちが想像もできない「リーダーシップ」を押しつけ,責任を押しつけているだけでヒト・モノ・カネを与えず,ろくでもない情報=命令だけを垂れ流している。

 教員仲間の声は聞くが,生徒の声は一切きかないという,企業でたとえれば,

 上司の声や「お友達」の声は聞くが,顧客の声は聞かないというタイプの社会人失格者がときどき教育現場にやってくる。

 こういう人を採用する教育委員会という組織が癌なんだと反発したい管理職も非常に多いのだが,ゴリラ型リーダーが存在しない役所に,人を見る目を期待することは無駄な話である。

 そもそもこうした致命的な環境化の学校におけるリーダーシップが育ちにくくなっている最大かつ改善困難な原因は,「小規模化」である。

 公立小中学校の「小規模化」が,リーダーの成長を阻害する最大かつ最悪の条件になっている。

 リーダーシップを身につける機会がなかった教員たちが,管理職になろうとしないのは自然のことである。

 「組織」や「リーダーシップ」を育てる能力は,学校や学年の行事運営でも培うことができる。

 しかし,特別活動の時間は週1時間しかないし,授業カットがしにくくなっているし,そもそも行事自体がカットされているから,子どもからも教師からもリーダーの資質を高める機会が奪われているのも痛い。

 自らリーダーシップの育成を放棄している学校に期待されるのは,常に上司の言いなりになって不満をもらさず働き続ける人間たちの大量生産である。

 それがわかっていながら校長職についている人たちで,元気そうな人がいないのは,気の毒だが当然のことだろう。

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9月13日 世界法の日に考える「法の支配」

 「深い学びなど必要ない」と主張している大学のセンセイに習った人たちは,教員採用試験ではちゃんと「建前」を述べて,得点を稼ぐのだろうか。それとも,大学の「学び」を生かして,試験官に喧嘩を売るのだろうか。

 教育現場で「法の支配」という言葉を使うと,すぐに「よくないこと」というイメージを連想する教師が少なくないだろう。

 社会科の公民的分野や政治経済で学んだはずの「法の支配」という概念は,

 学校現場で惰性にまかせて教師を続けていると,いつの間にか生徒たちにとっての「校則による支配」などと同じようなレベルのものに変換されてしまうに違いない。

 採用試験のときはきちんと勉強したはずだった「教育法規」だが,管理職試験を受けようとして「学び直し」をしてみると,「こんな法律もあったのか!」などと驚くこともある。

 国際社会では,「法の支配」ではなく,「国益の支配」が主流になっているような印象があるのだが,

 学校現場でも,やはり「法の支配」ではなくて,「子どもや親の利益の実現」という目的に偏ってきている気がする。

 「未履修問題」に代表される「ルールを無視した受験重視・効率重視の学習・進路指導」を是正しようとしているのが,現在の教育改革のねらいの一つである。

 しかし,「子どもや親の利益のため」という部分を票のために議員までもが実現しようとしているので,

 学校現場の感覚ではどう考えても「それはない」というタイプの政策が浮上してきている。

 借金をして将来世代に負担を押しつけながら,「今の景気が良くなりすればそれでよい」という短期的利益誘導型の政策が,ありとあらゆる分野に一律に仕掛けられてきている。

 「法の支配」が実現しているのかどうか,チェックする機能を果たすべきなのは,どこのだれだろう。

 残念ながら,それを実行する主体が自分たちの利益ばかり考えてしまうというところが,悲しいところである。

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「失敗から立ち直ったつもり」の誤解が最大の失敗

 「失敗から学ぶ」系の本を読んでいて,たまに見つかるのが,

 「失敗に気づいて改善した後に出てきた失敗に気づけていない」ことがわかってしまう話である。

 結局,「点数至上主義」になってしまっている実践ほど痛いものはない。

 もともと「点数至上主義」だったのだから,何も進歩していない,という証拠にもなってしまっている。

 「結果が出てれば,理解されるはずだ」というご都合主義というか,批判回避主義も失敗の原因であるが,

 こういうタイプの失敗原因は,直しようがない。

 「点数がとれれば,成果が出たことになると言える」と思うのは,

 教育の実態がわかっていない,教育行政にいる教育の素人たちだけである。

 すでに教育の世界では,「そういうテストで点数がとれたところで意味がない」ことが常識になっている。

 社会の要請に応えられない教育なのに,意味のない要請をしてきて満足してしまう人間が一部にいることが失敗を生む背景となっている。

 子どもたちが全員そろってお互いのレベルを下げまくっている実践がどういうものか,もう少しだけ実践が有名になってくれば,一般の人たちにもわかってもらえるようになるだろう。

 塾で勉強している子どもたちのおかげで,みんなができる気になったという教育実践は,いずれ,塾の宣伝にしか役に立たなくなっていくだろう。

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子ども不在の教師教育論の無意味さ

 元小学校教師と中学校教師の対談本を読んでいるのだが,冒頭3分の1は若い教師たちへの愚痴のオンパレードであり,よくこんな本が出版できたものだと驚いている。

 お互いに同じような「商売」をしている関係からか,最も大事なことには踏み込んでおらず,だれでも感じていることを確認し合っているに過ぎないやりとりは,読者の「時間泥棒」である。

 そもそも小学校の教師と中学校の教師がガチで議論する場など,ほとんどない。

 この本への私の期待は大きかったのだが,非常に残念である。

 本を大量に購入して読んだり,セミナーや研究会に参加したりしなければ,まともな教師にはなれないことを若い教師に納得させるような効果しかもたないのではないか。

 冒頭で「偉そうに俺たちを呼ぶんじゃない」「金を準備しておけ」などと主張しておきながら,実際には自分も同じようなことをしていることを対談で暴露している。

 こういう人に影響を受けている教師たちが気の毒でならない。

 
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小学校に通わないのが当たり前の時代が来る?~英語で一流を育てる

>長い人生で,その単語をいま読み間違えたことは大きな問題ではありません。笑い飛ばせる余裕を持ちます。

 これは,読書編でご紹介した『英語で一流を育てる』(ダイヤモンド社)に掲載されている,「子育て完全保存版マニュアル! これだけ11のルール」のうちの一つです。  

 義務教育での本当の意味での学力向上が十分に果たせないでいる大きな原因の一つが,「知識の正確性重視」の教育です。

 「知識偏重」という表現は正しくありません。なぜなら,小学校や中学校で教える「知識」の量など,たいしたものではないからです。

 ただでさえ少ない「知識」のわずかな部分の「正解」を,大人数で確認し合うなど,愚の骨頂です。

 日本の学校教育が陥っているのは,少ない知識の「正確性」ばかりを重視する姿勢です。 

 たとえば,小学校では,送り仮名を間違えたり,漢字を書き間違えたりすると,「笑いもの」になります。

 正確な知識でないと,得点がとれず,評価されないのが日本の教育の特徴の一つです。

 表現されている内容の質よりも,表現された記述の正確性を重視するので,質が低くても,間違いがないだけで得点できてしまったりする。

 これを覆そうとすれば,「正しい教育改革」になり得ます。

 もし,改革が起こらず,「正確さ」だけを今まで通り追い求めて,漢字練習や英語のつづりの練習ばかり繰り返していることで,「頭が悪くなってしまう」ことに気づいた鋭い子どもや保護者が増えてくれば,小学校の教科の教育を受ける必要性を感じなくなっていくでしょう。

 「観点別評価」という,学力向上の妨げになる評価が,日本の教育のガンであり続けるかどうかも重要です。

 『英語で一流を育てる』で紹介されている「英語4技能」が身につく教材のように,

 4観点の学力が同時に身に付くような学習を進めていかない限り,真の学力向上はあり得ません。

 言葉は通じても,何かを間違えると笑いものにされるような環境より,

 言葉が通じなくても,何かをお互いに理解し合おうとする環境で学ぶ方が,学力が伸びる気がするのは当然のことでしょう。

 英語教育が,日本の小学校教育全体にどのような刺激を与えることができるか,今から注目です。

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成果を上げる教師の10の性質

 読書編で取り上げた『世界最高の学級経営』(原著のタイトルは『学級開き』)では,「成果を上げる教師の10の性質」=教師が果たすべきリーダーシップ(当たり前のものばかりですが)が紹介されています。

>1 達成のビジョンがある。

>2 いいお手本となる。

>3 同僚を導く対人関係のスキルを持つ

>4 共通のゴールに向かって人を動機付け,鼓舞する

>5 ゴールに集中する

>6 締め切りを決め,中間目標を達成する

>7 個人同士,グループ同士の対立を仲裁する

>8 きちんとした知識や技術が重要だと考え,トレーニングを推進する

>9 情報を共有し,若く経験が少ないチーム・メンバーのメンターとなる

>10 準備が万全で,情熱的かつ粘り強い

 学校という「組織」では,学年の会議や,教科の会議がいかに重要かがわかるでしょう。

 リーダーがリーダーシップを発揮するための時間をおろそかにして,連絡だけの職員会議を長々とやっている学校では「成果を上げる教師」が生まれにくくなることもわかるでしょう。

 公立学校では,「教科別の会議?そんなものはないよ」というところがほとんどでしょう。

 残念ながら,教育界に限らず,受験競争が厳しい日本には,「学び合う」文化が根付いていません。

 「自分がよければ」という発想で,わざわざ自腹を切って組織の外に学びにいく。そして,その成果を共有化しようとしない。

 こういう文化の国だから,「お前らにこんなこといっても,わからないだろうな」「お前等は同志じゃないんだよ」なんていう人間が上にしがみついたりしている。偉そうなことを言っても,学校の管理職などには逆立ちしてもなれないような人間が,「既得権」としての教育を金をとって語っている。

 「成果を上げる教師」を増やそうとしているのか,そんなつもりはないのか,わからないような連中が「オレの方を向け」なんていう態度で本を出している。

 恥を知れ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より