生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる
授業の話がまともにできる人が少なくなっているかと思いきや,先日参観に来ていただいた教職大学院の方々から,ご丁寧な礼状をいただいて,その内容を読んで嬉しくなった。
授業づくりのヒントを様々な教科から学ぼうとされている,数学の方からのコメントが特に新鮮だった。
目をつけていただいたのが,「生徒との自然な(わざとらしくない)やりとりの中から,目標達成への道筋をつくり,引っ張り上げる」という「技」だった。
授業を長年して,参観者からのコメントをうかがっていると,こちらが意図して行っていること,意図せず行っていることが,あまり当たり前ではないという事実を思い知らされることがある。
社会科の授業では,授業の主題をいきなり板書するパターンと,後出しにするパターンがある。
どんなときに先に提示して,提示しないときと,どんな条件が異なるのか。
こういう話ができる人とのかかわりは楽しい。
何の脈絡もなく,「やることに決まっているから」という理由でいきなり課題を提示され,教師による少しの説明の後,できる生徒を頼りに学習を丸投げされるような授業を続けて受けたりすると,実験室の犬のような子どもができあがるに違いない。どうにかしてそんな授業に若い人たちが引き込まれないよう,尽力していきたい。
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