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PRで墓穴を掘る人たち

 一般的な学校では理解されることのない特殊な「考え方」に基づく教育が,「理解されない理由」を「未来がわかっていない人だから」とするのは傲慢以外の何物でもない。

 「今を犠牲にして未来での可能性に懸ける」という選択肢をとれるほど,公教育は甘くはない。

 公教育の現場から去ったはずなのに,仕事がら,その現場に関わり続けなければならない人たちがいる。

 先日,ある集まりで,開催の趣旨とは全く関係のない話をし出した(自分の大学の宣伝をし出した)元小学校の教員がいた。

 小学校のベテラン教師の「技術」に関する大学院生への指導場面で,始業前のベテラン教師の動きを検討させるところ。

 「教師は,教室の前をゆっくり異動している。なぜ言葉を発することもなく,移動しているのか」

 答えは,「子どもの目がこっちを向いているか,確かめている」そうだ。

 こういうくだらない話をするのが大学院というところなのだろうか。

 教師が挙動不審なら,いつも授業に興味を持たない子どもでも,「不審の目」で教師を追いかけたりもするだろう。

 また,せっかく意味のない動きをした後で,授業が始まってすぐに気をそらす子どももいる。

 どうせ自分の立ち位置を変えるのなら,まだ授業の準備ができていない子どもを見つけて,その場で声をかけてあげるべきだろう。

 直前の10分間の休みに何かなかったか,一人一人の表情を確認して,気がかりな子どもがいたら,別の要件で話しかけてみるべきだろう。

 ヘマな泥棒みたいな真似はすぐにでもやめるべきである。

 小学校のように,教育内容ではなく子どもとのかかわり方ばかりに教育の関心が向くのは,それだけ子どもとまともにかかわれない教員が多いからだろう。子どもとかかわれない最大の理由は,子どもが教育内容にどのような関心の向け方をするかに教員の方が興味がないからである。

 子どもの関心の向け方を知っている教員ならば,休み時間のうちから,次の時間の導入にあたる1枚の写真でもテレビかプロジェクターの画面に映しておいたりして,授業が始まる前から学習が始まっている状況をつくったりもするだろう。

 なぜ中学校や高等学校の教員も多く参加する場所で,そんな大学のくだらない授業の話をする意味があるのか。

 これから先,ただ採用試験の1次が免除になるという特権だけを求めて通う人が増えることで,教員の質は向上するのだろうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より