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現場感覚のない人が社会感覚のない人にアドバイスを送る教育の世界の不思議

 放射線に関する知識を小学生,中高生が身につければ,風評被害や原発避難者へのいじめをなくすことができるだろうか。

 現場感覚的に言えば,「無理」「難しい」である。教員ではない方に聞いても,感想は同じだった。

 「放射能の性質を学べば,いじめはなくなる」という考え方は,「被差別部落の歴史を学べば,部落差別はなくなる」というものと同じである。LGBTの日常生活を詳しく知ることで,LGBTへの偏見がむしろ強くなってしまうおそれがあることくらいは,想像できると思う。

 「無知がいじめを生む」というのはいじめた人間に対する良心的な態度であり,そういう発想でいる以上,いじめは絶対になくならない。

 学校現場には,風評被害の実態や,原発避難者の生活を知らない人が多い。「SDGs」の意味すら知らない教員がいることには驚きを隠せない。

 社会感覚と現場感覚がない人が,社会感覚のない人間に指示を送り,教育させているのが今の日本の学校である。

 文部科学省から,全国すべての小学校,中学校,高等学校に,放射線副読本が無償配布されている。

 HPによる説明は,以下のとおりである。

平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震と津波によって東京電力株式会社福島第一原子力発電所で事故が起こり,この事故により放出された放射性物質は,日本に大きな被害を与えました。

 文部科学省では,福島第一原子力発電所の事故後の状況を踏まえ,平成23年度に作成した「放射線等に関する副読本」の内容を見直し,児童生徒等が放射線に関する科学的な知識を身に付けるとともに,理解を深める一助となるよう,平成26年3月に,放射線副読本として,小学校用と中学・高等学校用の2種類作成・配布し,その活用を促しています。

 パンフレットを開くと,そこに書かれている言葉は「風評被害」と「いじめ」をなくしたい,とする作成意図である。

 新しい学習指導要領では総則で放射線教育への指針が書かれている。

 しかし,「社会科」で扱われる想定がないこと。なぜか「道徳」で扱う想定になっていることが,現場感覚,社会感覚からすると,大きなハテナである。

 日本の小中学校では,エネルギー教育に対する指針がない。だから,原子力発電に関する知識がない状態で,事故後の放射線に関する知識だけを学ぶことになる。

 こういう社会感覚の欠如が,そもそも事故を生み,被害を拡大した原因の一つだと私は言いたい。

 福島県で処分に困っている除染土が,園芸用の土として利用されることになっていることを,国民の多くは知っているだろうか。小さな子どもを公園によく連れて行く保護者は,知っているだろうか。

 日本が定めている安全な?放射線量の基準がどういうものか,知っているだろうか。

 震災直後から,現在まで,その基準がどのくらい緩められているか,知っているだろうか。

 国民が本当に知りたい情報が,パンフレットに書かれていないことだけは確かである。
 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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