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愛校心によって大切なものを失った経験から

 愛国心の何がどのように「危ないもの」かを,日本人やドイツ人ほどわかっている国民はいないはずである。

 しかし,日本政府は法律に基づいて,「愛国心を育てる」ことを学校に求めている。

 あるニュースで,「昭和の体育会」と呼ばれる大学病院をもつ大学の不適切入試の事情が紹介されていた。
 
 「卒業生の子どもなら,長時間労働に文句は言わないだろう,経営に文句は言わないだろう」という,「愛校心の利用」の具体的な例である。

 自己犠牲の精神は,現在の道徳教育でも非常に重要視される徳目の一つである。ブラック企業が栄える理由の一つである。

 愛校心や愛国心のような,組織に対して従属的になっている心情を利用しやすい立場にいる管理者たちは,従業員たちの仕事へのモチベーションを高める技能を問われることがないので,本当にお気楽ですませられる。

 「私は進んで仕事をしているんです」「もっと仕事をさせてください」とまで言われて,「もう仕事はしないでいい。早く家に帰りなさい」と言える上司はどのくらいいるだろう。

 私自身は,愛校心があるために,大切な「職」を失った人間の一人である。また,その愛校心のために命を落とすかもしれない「過労死候補者」のうちの一人である。

 こういう私が歴史を教えていると聞くと不気味に思われるかもしれないが,「御恩」と「奉公」を時間差で実施している人間である。今,ちゃんとお給料ももらっているから,現在でも「御恩」が保障されている,とも言えるが,精神的な問題で言えば,「奉公」をしている対象は「今の子どもたち」と同時に,「恩師たち」ということになる。

 愛校心とは,犠牲を伴う心であることは明らかである。

 「愛校心をもつものを優先的に合格させたい」という意図をもつ管理者側と,実際に愛校心をもっている側は,時間的にすれ違いの関係にある。

 国を愛する心を持っている者が,国を愛しているかどうかわからない人たちに利用されることで,国はいい方向に導かれていくとは限らないという簡単な話が,よく理解していただける事例だと思う。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より