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南青山に似た環境の公立学校は,頑張った。

 児童相談所を南青山につくってほしくない。南青山のイメージが崩れる。

 こういう「住民」(本当の住民かどうかは,確かめようがない)の声を「説明会」の映像で直接耳にすることができた。

 南青山のイメージを崩そうとしているのは,だれなのか,という話でもある。

 火葬場とか葬儀場,ゴミ処理施設といったものに限らず,保育園や公園ですら,反対の対象となる。

 児童相談所の場合は,その間くらいに位置する「嫌われる施設」なのだろう。

 慌てて政府や文科省は,「道徳教育に力を入れなければ」「高校の必修・公共でしっかり教えなければ」と思い始める。

 いくら学校で本音を封じ込めたところで,当事者の「住民」となった瞬間に,今まで学んだことがチャラになる,といったことにだれも責任をとらずにすむのだから,やれることはやるという行動パターンになるだろう。

 南青山とは全く別の環境だが,同じように住民から総スカンをくらっていた学校があった。

 そこは,人口が増えすぎたので,都営住宅をつぶしてまで,学校をつくらなければならない,というところだった。

 新設された学校に集まってきたのは,異なる制服を身にまとった「追放者」たちだった。

 ここでの「追放者」とは,自分の意思で転校したわけではなく,もといた学校から「追い出された」生徒たちのことを言っている。

 当然のように学校は開校当初から荒れ続け,生活指導の事件のときに,学校の全景が空撮で新聞に載ったこともあるという。役所や教育委員会からも「絶対に荒れはおさまらない」とされたところだった。

 そんな学校でも,時間はかかったが,「ここを卒業できてよかった」と思う子どもが増えていった。

 「開かれた学校づくり」は,新しい学習指導要領で始まったものではない。大昔から学校には協力者がたくさんいた。地元の自治会からなにから,すべての人々が応援したくなる学校をつくったのは,子どもたちである。

 児童相談所の場合は,学校とは逆で,むしろ「閉ざされた施設」という性格をもつ。

 南青山の場合は,とても「適した立地」だと思うのは私だけだろうか。

 地域住民に協力を求められることはまずないだろう。

 児童相談所を抜け出した子どもに,盗みに入られたりするのが嫌だ,とでも思って反対しているのだろうか。

 街頭インタビューでは,これも住民かどうかわからないが,数が足りずに困っており,社会には必要な施設であるから,むしろ南青山に建設されることを誇りに思わなければならない,という声もあった。行政のヤラセでないことを切に願う。

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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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