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「先生」という呼称

 大学出たての教員にも使われる「先生」という呼称が,教員の「社会感覚を失わせる」という批判は,いつの時代にもあったと思います。以下のようなコメントをいただきました。

私は先生という言葉が嫌いだ。先生という言葉の存在が人間を増長させ勘違いさせていると強く感じている。
若いころから先生、先生と持ち上げられれば、自分は偉くて特別な立場にあると勘違いして増長し、高慢天狗、高飛車天狗になってしまうのも無理はない。私自身もそれで保護者や生徒からの信頼を失った苦い経験がある。
 ではそのような高慢天狗、高飛車天狗になってしまわないためにはどうすればよいのだろうか?
 答えは単純明快。先生という呼び方を一切禁止すれば良いのだ。さん付けにすれば良いではないか。

 別に私の意見を求めていらっしゃるわけではないかもしれませんが,簡単に今の考えを述べておきたいと思います。

 まず,生徒が教員を「~さん」と呼ぶのは無理があります。一部の小学校では認められているような,教員をあだ名で呼ぶ,というのも,賛成しかねます。

 ですから,教員間で「~さん」と呼ぶことを徹底しても,子どもや保護者から「~先生」と呼ばれていれば,「増長」してしまう人も出てきてしまうでしょう。

 ただ,呼び方がどうであれ,勘違い人間はどこにでもいるもので,それは教員も例外ではありません。

 高慢天狗はどの世界にもどの集団にもいるでしょう。呼び方を変えても,無駄,という人も大勢いるような気がします。

 質問された方がそうだとは言いませんし,「信頼を失った」理由が,必ずしも高慢天狗だったからとは言えない面もあると考えられます(コメント入れていただいたもとの記事の趣旨はそういうものでした)。

 私は,ある先輩の先生からは「くん」付けで呼ばれます。「先生」と呼ばれるより,はるかに親近感があって自然な呼ばれ方だと思います。

 「禁止する」とかいう強制ではなく,自然に「~さん」「~くん」と呼び合える関係を築くことが,教員には求められているのだと思います。

 いかがでしょうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より