「先生」という呼称
大学出たての教員にも使われる「先生」という呼称が,教員の「社会感覚を失わせる」という批判は,いつの時代にもあったと思います。以下のようなコメントをいただきました。
>私は先生という言葉が嫌いだ。先生という言葉の存在が人間を増長させ勘違いさせていると強く感じている。
若いころから先生、先生と持ち上げられれば、自分は偉くて特別な立場にあると勘違いして増長し、高慢天狗、高飛車天狗になってしまうのも無理はない。私自身もそれで保護者や生徒からの信頼を失った苦い経験がある。
ではそのような高慢天狗、高飛車天狗になってしまわないためにはどうすればよいのだろうか?
答えは単純明快。先生という呼び方を一切禁止すれば良いのだ。さん付けにすれば良いではないか。
別に私の意見を求めていらっしゃるわけではないかもしれませんが,簡単に今の考えを述べておきたいと思います。
まず,生徒が教員を「~さん」と呼ぶのは無理があります。一部の小学校では認められているような,教員をあだ名で呼ぶ,というのも,賛成しかねます。
ですから,教員間で「~さん」と呼ぶことを徹底しても,子どもや保護者から「~先生」と呼ばれていれば,「増長」してしまう人も出てきてしまうでしょう。
ただ,呼び方がどうであれ,勘違い人間はどこにでもいるもので,それは教員も例外ではありません。
高慢天狗はどの世界にもどの集団にもいるでしょう。呼び方を変えても,無駄,という人も大勢いるような気がします。
質問された方がそうだとは言いませんし,「信頼を失った」理由が,必ずしも高慢天狗だったからとは言えない面もあると考えられます(コメント入れていただいたもとの記事の趣旨はそういうものでした)。
私は,ある先輩の先生からは「くん」付けで呼ばれます。「先生」と呼ばれるより,はるかに親近感があって自然な呼ばれ方だと思います。
「禁止する」とかいう強制ではなく,自然に「~さん」「~くん」と呼び合える関係を築くことが,教員には求められているのだと思います。
いかがでしょうか。
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