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今,手を抜いていると,公教育の民営化が本格化したとき,・・・

 現在の公立小学校教育の質は,世界的なレベルを誇っていると思われる。

 しかしいろんな人間が「問題」の種をまき散らかしている。

 子どもが30人以上いる学級で,教師主導型の一斉授業を繰り返していても,子どもたちがじっと席についている環境が維持できる国は,そうはないだろう。

 小学校の教科書は非常に薄っぺらなものだが,内容は意外と濃い。

 「授業のめあてを黒板に書く」という誤った指導法が通用してしまうのも,内容が多すぎて,ねらいを絞らざるを得ないという特殊な事情があるからだ。

 道徳の授業ですら,「めあて」を書く人がいるのには驚いた。ネタをバラされた映画を見るつまらなさを想像してみてほしい。

 日本の子どもは,幼稚園時代から,「正面に向かってじっと座っていること」を強いられて,成長していく。

 この原則を破る指導法を取り入れる教師が一部にいるが,自分のクビを必死に絞めていることに気づけない姿は哀れである。「展開」の存在しない時間は,塾と同じである。子どもが「塾に行けば,学校に行くより学力がつく」ことに気づけない,小学校ならではの指導法だが,さすがに子どももバカではない。いずれ,子ども自ら自分の席で学習を進めることに落ち着き,「学校は自習をするところ,塾がまともな学習をするところ」という認識に至るだろう。

 ところで,今,学力面についての小学校の教師たちの関心事は,算数と国語の学力調査の点数に絞られている。

 全国学力調査の結果を「エビデンス」として使う文科省の態度のおかげで,何が起こっているか。

 早い話が,学校の「手抜き」が横行しているのは,学力調査のせいである。

 私の知るところでも,総合的な学習の時間を算数の補習にあてている小学校がある。

 目標と指導のねらいが全く合っていない実践が見過ごされているのは,教育委員会も「学力調査の得点UP」にしか関心がないことが背景にあるのだろう。

 「読み書き計算の基礎ができていなければ,追究活動はできない」という論理を教育委員会と学校が共有しているようである。

 調査の前には,必死に学力調査の過去の問題を練習する(実物を使って練習?をしている学校はないことを祈る)。

 こうした小学校の学習の「無意味性」に気づく(塾で受験勉強をしている)子どもたちが,全体の2割を超えてくると,何が起こってくるだろう。

 だれかが,教師になる人材に,それほどの学力や学歴を必要としないことに気づいてしまったら,どうなっていくだろう。無駄に学歴や学力の高い人材を必要としないとなったら,公教育にかかる人件費はかなりカットできる。

 アメリカでは,公教育の民営化が進み,点数が低いクラスの教師たちはどんどんクビを切ることで,最低限の質を保証している。

 教師に常勤の人材は必要ない,とする学校経営は,「無駄を省く」という経済効率性,「成果に応じた報酬と地位」という「公正さ」の両面から,消費者の満足と会社の利益の最大化を目標する営利企業にとっては常識となっていく。

 日本の小学校教育が民営化される日は近い。民営化した方が,成果が上がった,という「エビデンス」が得られれば,堂々と売りに出せてしまうのだ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より