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「深い学び」を語る滑稽さ

 「深い学び」について語るのは恐ろしい。

 語れば語るほど,「深くない」ことがバレてしまうからである。

 今日,聴かなければならなかった講演では,わざわざ聴くまでもないことが繰り返し語られていただけで,90分のうち,価値があったのは事例が紹介された10分くらいだった。

 この90分がまるっきり「深くない学び」になってしまった最大の理由は,今までの教育に「深み」がないことにある。

 主張には,事実と論拠が必要である。同じ事実をもとに反駁してくる他者の存在も大事だ。

 こんな当たり前のことすらできず,「練習」させられる大学生がいる。

 講演の前に行われていた教科の協議会で,私は参会者に「重い現実」を突きつけた。

 「他人事」ではないことがわかる「事実」を突きつけることが,人間を覚醒させるためには最も効果的である。

 しがらみやプライド,法令遵守の精神,善意,同調性で固まった教員よりも,子どもたちの方が優れた現実を見るを持っているかもしれない。このことの自覚を抜きにして,社会科の授業などできない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より