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子どもから有能感を奪い取る方法

 子どもたちの可能性は計り知れません。教師たちの想像を超えたパフォーマンスをしてくれることがあります。

 「想像を超えた」というのは,たいてい,教師が「この子の能力は低い」とレッテルを貼った子どもたちが実力を発揮している状況を示します。

 こういう子どもたちから,有能感を奪い取る方法は簡単です。

 学び合いだ,という号令をかけて,答えを教え合う環境をつくることです。
 
 中にはクイズ番組の影響か,できるだけヒントを与えて,正解に気づく快感を与えてあげることを優先できる子どももいますが,大部分は「教えてあげる」ことで手間を省きます。

 できる子どもたちが,できない子どもたちを支配下に治める環境になっていきます。

 先生なんかいらない代わりに,塾や予備校で先取り学習をして「知ってしまっている子ども」が幅をきかせることができる環境です。

 もし教師にできることがあるとすれば,教室をそういう環境にしないことです。

 「できる子に答えを教えてもらえば,自分もできたことにしてくれる」環境にしないことです。

 教師の仕事は,子どもの有能感を引き出すことです。教師にとっての授業のモチベーションは,自分の中の有能性に気づいた子どもの表情を読み取ることにあるのです。この状況まで持っていってからの「学び合い」なら効果的なのです。

 授業が始まって「自習課題」を示しただけで,後は子どもから平気な顔をして有能感を奪っている人間たちに言いたいこと。

 「言っていることとやっていることが違うセンセイほど,信用されない人間はいない。」

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より