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2018年11月

皇族への言論弾圧

 日本文化の良さの一つに「曖昧さ」の美がある。

 「白黒つけない」という生き方は,自然の理に叶っているのだが,

 「自然」=「神のわざ」と考える宗教では,はじめから「白」や「黒」が決められているという「思考停止」状態が当たり前である。

 「白黒つけない」「曖昧」な態度というのは,「思考継続」状態を示す。

 では,「はっきりとモノを言う」という態度はダメなのか。

 もちろんそんなことはない。ただ,日本ではこれを嫌うというタイプの「思考停止」状態があり得る。

 結論を早く押しつけられることが苦手な日本人は,「お茶を濁す」技を鍛えているが,

 「誤魔化す」ことに専念する「思考停止」状態の人間もいる。

 「議論を封じる」ことが大好きな「思考停止」状態の人間も多い。

 道徳の教育をやりたいと言っている人間は,そもそも「議論」が好きな方ではないだろう。

 簡単に負けてしまうからである。

 だから議論に負けないためには,そもそも議論にもっていけないようにすることが重要と考える。

 言論を弾圧されるのは,一般市民だけではない。

 国民のためを思っての一言すら,弾圧される世の中になったらしい。

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鬱陶しくない上司の存在価値

 企業が生き残る上で,「社員を辞めさせずにすむ努力」も必要とされる時代になっているらしい。

 こういう時代,「厳しい上司」はとても「危ない存在」となる。

 「育ててあげる気持ち」で強い叱責を行う。

 「フォローをしっかりしてあげるつもり」だったのに,社員に辞められてしまう。

 これでは企業がもたなくなってしまうという。

 離職率の低いある企業の経営者が語っていた,

 社員一人一人の「会社に求めること」をすべて面接等でフォローしている,という姿にも唖然とさせられた。

 ある人はお金優先,ある人は時間優先,ある人は場所優先・・・その要望に添うように企業が頑張る。

 人間関係ばかりは,なかなか希望が叶いにくいような気もするが,

 学校現場の場合,お金や場所,時間を決めるのは上司ではないから,あとは人間関係のみが問題となる。

 私は,そもそも上司というのは「鬱陶しいもの」と決まっていると思っていたが,

 今は「部下に気に入られる上司」である必要があるそうだ。

 なるほど,「子どもに気に入られる教師」がいつからか求められている時代になったことに気づいた。
 
 「いいセンセイ」とは,「子どもにとって都合のいいセンセイ」という意味である。

 あるセンセイたちは,そのことに気づいたからか,いつからか教師が授業をせずにすむシステムを考案した。

 これはだれにとっても(授業をしなくてすむのが助かるセンセイにとって)都合のよいシステムだそうだ。

 鬱陶しくない上司やセンセイに,存在価値はあるのだろうか。

 もう私が教員をやっていられる時代ではなくなったようだ。

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幻のノーベル賞~山極勝三郎の言葉

 湯川秀樹よりも前にノーベル賞候補になるも,落選してしまった山極勝三郎博士の話が,歴史秘話ヒストリアで放送されていた。後に,競っていた受賞者の業績が誤りであったことが分かったらしいので,日本でのノーベル賞受賞第1号になり,紙幣に肖像画が使われていたかもしれない人物である。

 番組では,人工癌発生までの実験の地道な努力が描かれていたが,これがまさに研究者のお手本である。

 コンピュータのシミュレーションでは導くことができない実験結果が,まだまだいくらでもあるだろう。

 短期間での成果を求める風潮が,何を破壊しているのかを知るきっかけにもなる。

癌出来つ 意気昂然と 二歩三歩

 人工癌発生を確認したときに詠まれた句だが,「二歩三歩」に込められた思いを噛みしめたい。

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LIVEの生命感がわからない教員の寝言

 アクティブ・ラーニングの大切さを,大量の字で埋め尽くされたプレゼン画面を出しながら,一方的に説明し続ける人の神経を私は理解できない。何をすれば「任務を果たしたことになる」のかは,よくわかっていると思われるが,そもそも「任務」が発生した意味はわかっていないに違いない。

 一方で,自分の話は面白い,内容が濃い,意味がある,とうぬぼれている人間もいる。調子に乗って映像を垂れ流していたりもするが,なぜ自分の顔を出すのかが理解できない。情報は一方通行なので,聞いている方が画面を隠して音声だけを聞く心境になることは伝わらない。そもそも全身から「聞く耳を持たない」オーラを発している「裸の王様」にはかけるべき言葉が見当たらない。

 話の楽しさ,面白さ,分かりやすさの根源は,LIVEであることに尽きる。

 授業も同じである。

 どんなに授業力のない人の実践でも,LIVEだからこその「良さ」がある。

 たったこれだけのことが理解できない人がいることが不思議である。

 私は大学時代に藤岡信勝先生の授業を受けていたが,「ストップモーション」といって研究授業の映像をときどき止めたり巻き戻して繰り返し聞いたりして,教師の発問や板書,子どもの発言や教師とのやりとりを分析する手法を紹介していた。とても立派な研究の手法であることは認めるが,時間を相当にもてあましている人にしかできないと思った。そして,録画では残されていない「空気感」がそこにはないことが,最大の問題点だと思っていた。

 そもそも子どもの発言が乏しい授業を分析するのは時間の無駄だし,いちいち子どもの発言に面白いツッコミを考えて授業を盛り上げていこうとしたら,50分では終わらなくなってしまう。

 最近は,子どもが常にタブレットを持ち歩き,他の子どもたちとのやりとりを全部録音し,移動や時間も含めて全員のデータを集積して,AIによる適切な「動き方」「学び方」を子どもに指示する仕組みをつくりたい,という人まで現れているようだ。子どもがAIに支配される時代を望んでいるらしい。そのうち,試験もカンニングを奨励する時代が来るのだろう。競争相手の企業かどこかに反例を用意しておいてもらって,一瞬で潰してもらいたい仕事である。

 「達人」「名人」の技を盗むことを目的として,研究授業に参加する人も多いのだろう。

 本で読んだり,DVDで授業の様子を見たりしても,「よいところ」があまり見つからないからに違いない。

 そして,本物を見ても気づけない人も多いはずである。

 原因は簡単な話で,「達人」「名人」の目線で授業を見ていないからだ。

 「達人」をいくら眺めていても,その技には気づけない。

 「達人と同じ視線」を子どもに投げかけられるようにならなければ,何も前には進まない。

 だから授業は後ろからではなく,前から観察するものである。

 子どもを正面から撮影し続けるVTRなど売ることはできないから,LIVEの公開授業に出るしかない。

 教師の意識は,面白い授業,分かりやすい授業をする,というよりも,

 子どもたちが面白がっていたり,よく理解して納得できた知識をその場で活用して何かと結びつけてかえしてきてくれることを楽しむのが授業である。もちろん,この姿は子ども同士でも生まれることがあるが,冒頭のプレゼンと似たようなことをする子どもが多いのも事実である。だから授業は教師が責任をもってコントロールする必要がある。

 映像の話し手には,子どもたちの「ツッコミ」は届かない。

 子どもからの「ツッコミ」をただの授業妨害としてしか受け止められなかったセンセイには,LIVEでないとダメな理由は逆立ちしてもわからないのだろう。

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子どもから有能感を奪い取る方法

 子どもたちの可能性は計り知れません。教師たちの想像を超えたパフォーマンスをしてくれることがあります。

 「想像を超えた」というのは,たいてい,教師が「この子の能力は低い」とレッテルを貼った子どもたちが実力を発揮している状況を示します。

 こういう子どもたちから,有能感を奪い取る方法は簡単です。

 学び合いだ,という号令をかけて,答えを教え合う環境をつくることです。
 
 中にはクイズ番組の影響か,できるだけヒントを与えて,正解に気づく快感を与えてあげることを優先できる子どももいますが,大部分は「教えてあげる」ことで手間を省きます。

 できる子どもたちが,できない子どもたちを支配下に治める環境になっていきます。

 先生なんかいらない代わりに,塾や予備校で先取り学習をして「知ってしまっている子ども」が幅をきかせることができる環境です。

 もし教師にできることがあるとすれば,教室をそういう環境にしないことです。

 「できる子に答えを教えてもらえば,自分もできたことにしてくれる」環境にしないことです。

 教師の仕事は,子どもの有能感を引き出すことです。教師にとっての授業のモチベーションは,自分の中の有能性に気づいた子どもの表情を読み取ることにあるのです。この状況まで持っていってからの「学び合い」なら効果的なのです。

 授業が始まって「自習課題」を示しただけで,後は子どもから平気な顔をして有能感を奪っている人間たちに言いたいこと。

 「言っていることとやっていることが違うセンセイほど,信用されない人間はいない。」

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今,手を抜いていると,公教育の民営化が本格化したとき,・・・

 現在の公立小学校教育の質は,世界的なレベルを誇っていると思われる。

 しかしいろんな人間が「問題」の種をまき散らかしている。

 子どもが30人以上いる学級で,教師主導型の一斉授業を繰り返していても,子どもたちがじっと席についている環境が維持できる国は,そうはないだろう。

 小学校の教科書は非常に薄っぺらなものだが,内容は意外と濃い。

 「授業のめあてを黒板に書く」という誤った指導法が通用してしまうのも,内容が多すぎて,ねらいを絞らざるを得ないという特殊な事情があるからだ。

 道徳の授業ですら,「めあて」を書く人がいるのには驚いた。ネタをバラされた映画を見るつまらなさを想像してみてほしい。

 日本の子どもは,幼稚園時代から,「正面に向かってじっと座っていること」を強いられて,成長していく。

 この原則を破る指導法を取り入れる教師が一部にいるが,自分のクビを必死に絞めていることに気づけない姿は哀れである。「展開」の存在しない時間は,塾と同じである。子どもが「塾に行けば,学校に行くより学力がつく」ことに気づけない,小学校ならではの指導法だが,さすがに子どももバカではない。いずれ,子ども自ら自分の席で学習を進めることに落ち着き,「学校は自習をするところ,塾がまともな学習をするところ」という認識に至るだろう。

 ところで,今,学力面についての小学校の教師たちの関心事は,算数と国語の学力調査の点数に絞られている。

 全国学力調査の結果を「エビデンス」として使う文科省の態度のおかげで,何が起こっているか。

 早い話が,学校の「手抜き」が横行しているのは,学力調査のせいである。

 私の知るところでも,総合的な学習の時間を算数の補習にあてている小学校がある。

 目標と指導のねらいが全く合っていない実践が見過ごされているのは,教育委員会も「学力調査の得点UP」にしか関心がないことが背景にあるのだろう。

 「読み書き計算の基礎ができていなければ,追究活動はできない」という論理を教育委員会と学校が共有しているようである。

 調査の前には,必死に学力調査の過去の問題を練習する(実物を使って練習?をしている学校はないことを祈る)。

 こうした小学校の学習の「無意味性」に気づく(塾で受験勉強をしている)子どもたちが,全体の2割を超えてくると,何が起こってくるだろう。

 だれかが,教師になる人材に,それほどの学力や学歴を必要としないことに気づいてしまったら,どうなっていくだろう。無駄に学歴や学力の高い人材を必要としないとなったら,公教育にかかる人件費はかなりカットできる。

 アメリカでは,公教育の民営化が進み,点数が低いクラスの教師たちはどんどんクビを切ることで,最低限の質を保証している。

 教師に常勤の人材は必要ない,とする学校経営は,「無駄を省く」という経済効率性,「成果に応じた報酬と地位」という「公正さ」の両面から,消費者の満足と会社の利益の最大化を目標する営利企業にとっては常識となっていく。

 日本の小学校教育が民営化される日は近い。民営化した方が,成果が上がった,という「エビデンス」が得られれば,堂々と売りに出せてしまうのだ。

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ありえない課題設定・・・EUが1つの国?

 四国のある県で行われた中学校社会科の全国大会の授業内容を報告してくれる研究会に参加した。

 自分の目を疑う「発問(追究課題)」がプリントにあった。

 「イギリスのEU離脱後も,EUは1つの国としての統合を目指すべきか。EU大統領の立場で考えよう!」

 1つの国としての統合?

 第三帝国をつくらせたいの?

 「中学校1年生には,どうせ『国家』の概念など存在しないのだから,誤魔化せるだろう」と思っているのだろうか。

 少し古いが外務省のHPの『わかる!国際情勢』に,2009年に発効したEUのリスボン条約の要点がまとめられている。そこでは,民族や言語が多様なEU諸国の統合が,いかに難しいものであるかがにじみ出ている。

 社会的認識力をおろそかにした・・・というより事実誤認に基づく授業は,社会的判断力を誤らせる結果になる,そういう主張を失敗を通してしたいのだと解釈するのが妥当だろう。

 ついでにもう一つ。

 「四国新幹線の開通によって,中国・四国地方の産業は発展するだろうか」

 すでに新幹線が通っている中国地方がなぜ考察の対象に入ってしまっているのか?

 EUの方の学習課題もそうだが,未来予測ができるほどの社会認識力を育ててあるのか?

 疑問しか出てこない。

 EUにしろ,日本の諸地域の学習にしろ,中1にしては視点が高すぎる。

 視点を高く設定できるのは,幅広い視野を持てるようになった後の話である。

 幅広い視野とは,少なくとも足もとが見えている状態を言う。

 実際の授業では,足もとが見えている生徒の発言はあったらしい。

 教師が地に足がついていない。

 両者とも,地理的分野の学習ではなく,公民的分野の学習になってしまっている。

 あと2年間,子どもたちにはじっくりと社会科を学んでもらった上で,判断してもらいたい課題だろう。

 さらに付け加えると,歴史的分野の授業は,小学校の人物学習になってしまっていたらしい。

 中学校で人物を扱う場合は,少なくとも2人の働きを対比させながら学習するのが効果的である。

 学習指導要領実施状況調査の結果が黙殺されている結果,起こっている事態だと考えればよい。

 「多面的・多角的に考える」ことがなぜ重要かがわかっていない。

 維新期を扱うなら,なおさらであるし,田沼政治を扱うなら,松平定信という恰好の比較対象がある。

 事前にアドバイスできる人がいなかったのだろうか。

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目くらまし要員の大活躍

 ある業界・分野で起こっていることが,同時並行的に他の所でも起きている,という現象があることを知っておきたい。

 今,政治の世界では,「目くらまし要員」が大活躍である。

 「目くらまし要員」とは,大事な問題への野党の追及の時間を短くするために,どうでもよい問題の方に目を向けさせ,時間稼ぎをするための「駒」のことである。

 アメリカでは,大統領自身が「目くらまし」を炸裂させているが,さすがに同じ度胸を持っている人は,他の国には存在しない。だから「目くらまし要員」が必要になる。

 同じようなことが起きていると想定して,世の中の「ニュース」を眺めてみるのは「知的」な活動と言える。

 新聞に出ていないことを想像し,時間とお金に余裕のある人だったら,自分で取材することができる。

 こういう「主体的な学び」を学校で展開するには,どのような「目くらまし要員」が必要だろうか。

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最強のセキュリティー

 教育現場では,働き方改革の流れで紙ベースのものをコンピュータで管理できるようにデータ化する動きがある。

 だから大切な情報を紛失したり,盗まれたりする危険性も格段に高まっている。

 通知表の原本を持ち出すのはそれなりに心理的な抵抗感が働くが,USBメモリにはいった情報はポケットに入れて持ち帰りやすい。コピーも簡単にとれるから,学校に保管してあるもののコピーを持って帰ることがやりやすい。

 コンピュータを操作できない大臣が「世界」で話題になっているが,実は最強のセキュリティーは,情報通信技術を使わず,「実物」で保管することかもしれない。

 電源を失えば何もできなくなるかすべてを失う恐れのあるものに,世界は多くを託している。

 かつてのスパイ映画では実物を盗むために金庫を開けなければならなかったが,今ではUSBメモリを差せば,いくらでも盗めてしまうからつまらない。離れたところにあるコンピュータでも盗めてしまう。暗号をつくる技術が高まれば,暗号を解読する技術も高まっていく。

 セキュリティーを高くできる人間がいるなら,それを破ることができる人間もいる,ということである。

 頭の中にある情報も,自白剤で引き出されてしまうかもしれない。

 ペーパーレス化によって,責任感の欠如や仕事に向かう姿勢の真剣さが失われてはいまいか。

 もちろん,紙の情報すらろくに管理できない人たちには,その機会がふんだんにあった学校生活をやり直してほしい。

 西尾幹二著『あなたは自由か』(ちくま新書)の冒頭の話を読むと,本当に「危機管理意識」の高い人なら,機密情報の扱い方を変えるはずだと思ってしまう。

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「深い学び」を語る滑稽さ

 「深い学び」について語るのは恐ろしい。

 語れば語るほど,「深くない」ことがバレてしまうからである。

 今日,聴かなければならなかった講演では,わざわざ聴くまでもないことが繰り返し語られていただけで,90分のうち,価値があったのは事例が紹介された10分くらいだった。

 この90分がまるっきり「深くない学び」になってしまった最大の理由は,今までの教育に「深み」がないことにある。

 主張には,事実と論拠が必要である。同じ事実をもとに反駁してくる他者の存在も大事だ。

 こんな当たり前のことすらできず,「練習」させられる大学生がいる。

 講演の前に行われていた教科の協議会で,私は参会者に「重い現実」を突きつけた。

 「他人事」ではないことがわかる「事実」を突きつけることが,人間を覚醒させるためには最も効果的である。

 しがらみやプライド,法令遵守の精神,善意,同調性で固まった教員よりも,子どもたちの方が優れた現実を見るを持っているかもしれない。このことの自覚を抜きにして,社会科の授業などできない。

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「先生」という呼称

 大学出たての教員にも使われる「先生」という呼称が,教員の「社会感覚を失わせる」という批判は,いつの時代にもあったと思います。以下のようなコメントをいただきました。

私は先生という言葉が嫌いだ。先生という言葉の存在が人間を増長させ勘違いさせていると強く感じている。
若いころから先生、先生と持ち上げられれば、自分は偉くて特別な立場にあると勘違いして増長し、高慢天狗、高飛車天狗になってしまうのも無理はない。私自身もそれで保護者や生徒からの信頼を失った苦い経験がある。
 ではそのような高慢天狗、高飛車天狗になってしまわないためにはどうすればよいのだろうか?
 答えは単純明快。先生という呼び方を一切禁止すれば良いのだ。さん付けにすれば良いではないか。

 別に私の意見を求めていらっしゃるわけではないかもしれませんが,簡単に今の考えを述べておきたいと思います。

 まず,生徒が教員を「~さん」と呼ぶのは無理があります。一部の小学校では認められているような,教員をあだ名で呼ぶ,というのも,賛成しかねます。

 ですから,教員間で「~さん」と呼ぶことを徹底しても,子どもや保護者から「~先生」と呼ばれていれば,「増長」してしまう人も出てきてしまうでしょう。

 ただ,呼び方がどうであれ,勘違い人間はどこにでもいるもので,それは教員も例外ではありません。

 高慢天狗はどの世界にもどの集団にもいるでしょう。呼び方を変えても,無駄,という人も大勢いるような気がします。

 質問された方がそうだとは言いませんし,「信頼を失った」理由が,必ずしも高慢天狗だったからとは言えない面もあると考えられます(コメント入れていただいたもとの記事の趣旨はそういうものでした)。

 私は,ある先輩の先生からは「くん」付けで呼ばれます。「先生」と呼ばれるより,はるかに親近感があって自然な呼ばれ方だと思います。

 「禁止する」とかいう強制ではなく,自然に「~さん」「~くん」と呼び合える関係を築くことが,教員には求められているのだと思います。

 いかがでしょうか。

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独身の日のセール

 楽天市場で1日限りの珍しいセールが行われていることに気づいたら,11月11日は「1」が4つも並ぶことから,それは「お一人様の日」という意味で,中国では「独身の日」としてアリババが毎年セールを行っていることもわかった。

 アリババでは1日で3兆円の売上が見込まれるという。

 こういうセールに惹きつけられるのは,実は「お一人様」ではなくて,「賢い消費者であるという自覚」を持とうとする人か,「お一人様」であった過去に戻って買い物をしたい人ではないかと思ってしまう。

 日本の若者達は,現在よりも将来を見ているので,無駄なお金は使わないという。

 大規模災害や財政破綻に備えるという意味では,よいことでもある。

 日本で景気をよくするための刺激策は,どんなものだろう。

 1年ずつ,消費税を1%ずつ上げていくというのはどうだろう。

 3年先より今買う方がお得である。

 「そんなことしたら,やがて私の会社はつぶれてしまう」と言っている人たちには,「つぶれない努力をするのが会社の経営者の仕事である」と諭してあげればよいか。

 そもそも,「なくてもよい商品」はこの世にどのくらいあるだろう。

 プラスチックごみをなくすためにできることとして,今後,「不買運動」が起こってくるかもしれない。


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チコちゃんに叱られる~おやじギャグが言える年齢になると,ホンネも漏れやすい

 人のホンネが漏れる場所はどこか?

 いまどきは,「無礼講」の席でも「無礼」は許されない時代だから,ネット上の匿名の書き込みくらいでしか,ホンネは語られない時代になったのかもしれない。

 先日,ある講演があった。私はホンネが漏れるタイミングを知っている。

 控え室に戻った直後である。

 ベテランの講演者にとっても,一仕事終わって衆人環視の状態から抜けた時点はやはり気が緩むらしい。

 「●●の××化」が,その人にとっての激しいストレスになっていることは,講演からも痛々しいほど伝わってきたが,控え室で私が投げかけた言葉に,本当に素直に反応されてしまった。

 「××化さえなければ・・・」

 ●●が××化されたことで,講演者は多くの「ウソ」をつかなければならなくなった。

 ●●の指導を徹底させなければならない立場なのに。

 まともな人なら,相当な葛藤があるはずである。

 もし証人喚問されて,真実を隠すか語らないことを強いられたら,精神が持たないだろう。●●の指導者なのだから。

 しかし,行政マンが求められる資質能力は,そういうケースでも揺らがない「精神力」である。

 羊の群れの中では,居心地がよかったためか,ホンネもたくさん漏れていた。
 
 仕事を辞めた後の人の講演がなぜおもしろく,現役の行政マンの話がなぜつまらないか,ホンネを言っているかどうかの違いととらえれば,わかりやすい。

 行政マンが一応,精神状態を保てるのは,「ペーパーを読むのが仕事」と割り切れるからである。

 それなら,ペーパーを配ってもらえれば,話はすむ。

 動画もいらない。原稿を公開すればよい。

 動画をとるなら,俳優・女優を起用してほしい。

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総合評価2点台の宿の快適さ

 週末の奈良の学会は,行けることがわかったのが直前だったために,宿の確保で苦労した。

 ようやく見つけた宿は,後から気づいたことだが,総合評価2点台というすさまじい評価の低さだった。

 入室してから点数を確かめ,納得した,という流れなのだが,私はこの宿に対して何の不満も抱いていない。

 駅から近いという利点だけは4点台だったが,私もそれだけを評価しているということではない。

 すべてが快適だった。

 私には,外泊してぐっすり眠ったという経験がほとんどない。

 高齢の女性が一人で切り盛りしているらしいその宿の正面には,工事中の空き地があった。

 来年にホテルが立つという。

 もともと奈良県は,宿泊施設が少ないことで有名である。

 行政の後押しもあるのだろうか。その場所にホテルが建てば,おそらく奈良市内より2000~3000円安い価格設定になると思うので,交通費数百円で移動できると考えれば,私なら喜んで利用する。

 外国人観光客も増えているため,民泊系の施設が増えているが,

 見ず知らずの人と二段ベットで一夜を過ごすのはちょっとつらい。

 それで私が選び,泊まったホテルは,ひどい人は「廃墟」と呼ぶかもしれないようなところである。

 しかし,私はこういう歴史の長い住宅で20代前半まで生活していた。

 「昭和レトロ」の住宅を好んで泊まりたい,というタイプではないが,どうして1日落ち着いた心で過ごせたのだろう。

 私はまた機会があれば,同じ宿を利用したい。

 行政にいたころ,出張先で泊まった民宿を後になって思い出した。

 お風呂は別の施設を探さなければならないが,車を利用しようと思う。

 私は嵐のような苦情を受けるかもしれない女将さんが気がかりで仕方がない。

 資本を出してホテル再建に名乗りを上げようかと真剣に思うほどである。

 ああいう「快適さ」が味わえる場は,もうこの日本からは消え去る運命にあるのだろう。

 古い教師も,同様だ。

 残されるのは,完全に機械で管理され,一切の塵・埃のない,「完璧」なモノだけになるのか。

 猥褻行為で次々に逮捕されている小学校教師たちへの感情も多少変わってきた。

 処罰を受ける教師の「人間性」が評価の対象になってしまうとは,情けない話である。

 直前に長谷寺を訪れて,観音様の御御足に触れてきた。そのおかげだろうか。

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正倉院展を訪れて

 先週,学会で奈良に行ったついでに正倉院展を訪れ,奈良時代の貴重な宝物を目にすることができた。

 宝物はもちろんだが,私の印象に強く残っているのは宝物をじっと見つめる高齢者たちの熱心な態度だった。

 仕事をリタイアした方々が,むさぼるように宝物を鑑賞する姿は,「年をとったらこうでありたい」と願うきっかけにもなった。

 創作を仕事にしている方は,これほどの目で見つめられる作品をつくってみたいと思うに違いない。

 私が出会ったこの「目」に近いものは,研究発表会に参加された先生方が子どもたちに向けてくれる視線である。

 「偉い人」の話は半分以上の人が寝てしまうが,子どもよりもキラキラしているのではないかと思われるほど輝く視線で生徒の発表を見つめて下さった先生は,強く記憶に残っている。

 これから正倉院展に駆け込む方に一言お伝えするとしたら,玄関入ってすぐ左の講堂でボランティアがしてくれる30分ほどの解説を,ぜひ聴いてから見学に入るべき,という一点である。

 10分ほどかけて,光明皇后が写経させたものを読んでみたが,仏のありがたさを日本中に広めようとした熱意がひしひしと伝わってきた。

 「本物」から得られる影響というのは,とても大きなものである。

 子ども時代に全く感動を得られなかった博物館を,ようやく楽しめる年齢になってきた。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より