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「成果」を出すための「時間」

 学校現場では,180度異なる理由で同じような苦情を受けることがある。

 「A先生は,部活動の指導が熱心すぎて,困る」

 「B先生は,部活動の指導に熱が入っていないから,困る」

 他の先生は,「ちょうどいい」のか?というと,そうでもない。

 A先生に対して,「もっと指導してほしい」という要望が寄せられることもある。

 宿題についても同じようなことが言えるだろう。

 「C先生は宿題が多すぎる」と訴える保護者がいる一方で,「もっと宿題を増やしてください」という保護者もいる。

 学校として,しっかりとしたガイドラインを作ってくれていれば,苦情対応の時間は減らせるかもしれない。

 ただ,「ライン」が引かれることで,問題が解決することはないだろう。

 「働き方改革」とは「働く時間の短縮」が大命題だから,

 毎日遅くまで学校に残って仕事をしているD先生には,いずれ,

 もっと効率的に仕事を進めてください。

 自分で仕事を抱えずに,学年や分掌の組織をうまく使ってください。

 部活動の日数を減らして,その時間に仕事を進めてください。

 勤務時間終了後の学校の電気代はご自分で負担してください。

 という管理職や行政からの指導が行われるようになるだろう。

 こうした教育への意欲や熱意を殺ぐような動きを防ぐ上で,ガイドラインは効果的な役割を果たせるだろうか。

 教育の世界では,すべての人たちが共通して追究しているものがあるはずである。

 それは,「成果」である。

 見えにくい教育の「成果」を,「全国学力調査」は「見える化」した。

 しかし,この程度の「成果」だけを学校が追究しているわけではないことは,学習指導要領を出している文科省ならよくわかっているはずだろう。

 新聞記者の仕事を想像してみてほしい。

 「特ダネ」をとるために,どれだけの取材を積み重ねていることか。

 「情報をとる」ためには,人間関係が成立していなければならない。

 「信頼関係」を築くまでに,どれだけの努力が必要とされるか。

 「悪」を暴く新聞と,「善」へと導く教育には,似たような敵もいる。

 敵と対峙しながら,「成果」を出すためには,一定の「時間」が必要であることは,わざわざ説明するまでもないことだろう。

 一番しっくりと来る関係が,もっと教育にかかわりたいと思う教員と,かかわってほしいと思う保護者と子どもたち。その関係が壊されようとしている。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より