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« データから見える「いじめ」発見の難しさ | トップページ | 道徳教育が成立するための条件とは »

いじめがない(認知されていない)学校で,いじめがある学校よりもたくさん実施されていることとは?

 「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」で注目したデータがもう1つある。

>いじめの日常的な実態把握のために,学校が直接児童生徒に対し行った具体的な方法

 として特筆すべきは,

>「個人ノート」や「生活ノート」といったような教職員と児童生徒との間で日常的に行われている日記等

 で,いじめを認知した学校と,いじめを認知していない学校の違いは以下の通りである。

 いじめを認知した公立小学校で行っていたのは47.3%,公立中学校では82.8%,

 いじめを認知していない公立小学校では,57.9%,公立中学校では86.0%で実施されていた。

 これを統計的に有意なデータと言えるかどうか,わからないが,毎日子どもが担任教師に向けてのメッセージを送る仕組みがある学校では,「いじめを見過ごしやすい」と考えるより,「しっかり子どもとのコミュニケーションがとれているので,いじめが起こりにくい」と考える方が自然である。

 こういう仕組みは,単純に労働時間を短縮すれば良いと考えるだけの「働き方改革」推進者から見ると,やっかいなものである。家にまで持ち帰ってコメントを書かなければならないようなものは,できればなくしたい(もちろん,適当に判子だけ押して返している教員も多いだろうが)。しかし,教育への熱意に介入すると,「働きがい強奪改革」になってしまう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より