道徳教育が成立するための条件とは
ある中学生が正論を述べている。
「道徳の授業という枠の中で,綺麗事を考えるのは,忖度できる人間をつくるだけで,害の方が大きい」とのこと。
確かに,決まった時間にテーマが決められて,そのときだけ「考えたことにする」という時間は,まともな子どもにとっては,どちらかというと罪を犯している感覚の方が強くなる。時間が終わればそんなことに構っていられない現実が子どもにも待っているからである。
道徳教育で育まれるべき諸能力は,どんな場でも,どんなかたちでも,だれに対しても,いつでも発揮されなければならない。
道徳の授業という限られた場だけで頭を使わせられるのは,開店前に挨拶の練習をさせられる店員のようなものである。
だから,道徳の授業は最も道徳教育の成果を発揮しにくい場になっていることの自覚がほしい。
自分の頭で考える時間が必要だと真剣に考えるのなら,時間も場もテーマも強制してはならない。
小学校低学年くらいで道徳の授業は「卒業」させることを真剣に考えてみてはどうか。
いずれにせよ,ろくな授業が行われいないことは,調査をするまでもなく明白なことである。
それはまともな授業をやろうとすればするほど,ろくでもなくなるという道徳に特有な事情である。
最も道徳教育が機能している学校とは,道徳の授業の話などせずとも,いくらでも道徳が語れる教師で満たされている学校のことである。
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