国後島で考えたこと~日本の教育
北方四島交流訪問事業というものがあるのをご存じでしょうか。ビザなし交流の一つです。
台風24号が迫る先月末に,大切な公務を犠牲にして,参加してきました。
根室で結団式を行って,訪問場所は国後島の古釜布(ふるかまっぷ)。
行政府や地元の学校,教会,商店街などを訪問し,住民との交流,日本人墓地の墓参もありました。
今回は教育関係者,青少年の参加ということで,私は教員の立場での訪問団員でした。
異なる言語や文化の人々が住む場所に「訪問」する機会というのは,とても大切なものです。
相手のことだけでなく,自分たちのことについても多くの気づきが得られます。
対応してくれた現地の人々はもう手慣れたもので,終始フレンドリーで,笑顔での「おもてなし」を受けました。ロシアの方々との間で,嫌な思いをする場面は一つもありませんでした。あちら側はどう思っていたかはわかりませんが。
日本人が逆の立場になったときに,みんな本当に「おもてなし」が上手なのかどうか,受け入れ側になったことがないので,やや不安です。不安の原因はどこにあるのか。
現地の小中高校生とのふれあい(合同授業や意見交換会)を見ていて一番感じたことは,日本の学校教育というのは,「インプット一辺倒」であり,「アウトプット」=発信力,表現力の育成が不十分だということです。
今回の訪問のプログラム自体が,「交流」とは言っても,団員は「インプット」することばかりで,「アウトプット」を積極的に行う場面は少なかったように思います。
今回の訪問団には,コンサドーレ札幌のチアダンスチーム「コンサドールズ」のユースに所属する中学生3人も参加していたのですが,この少女は別格で,一般の日本の中高生は,かなりシャイに見えるロシア人に輪をかけておとなしく表情の変化が控え目だったことから,「日本の教育に足りないもの」を痛感しました。
「考える道徳」なんていう胡散臭いものに手を染めるよりは,「ホーム」「ビジター」両方の立場での礼儀やコミュニケーションの技能を磨いた方が,はるかに社会に出てから(というよりは,社会に出るために)必要なものだと思います。
その一方で,話し合いの状況をメモにとり,整理して発表するという技能については,日本の子どもたちは優れたものがありました。
日本の教育が重視しているのは,ただの「インプット」ではなく,自分なりの消化を伴う「インプット」であり,内容のない話に終始するだけの「アウトプット」をはるかに上回る価値を持っているように見えました。
今後の教育改革で実質的に変えることができそうなのは,「教師の個性・タイプ」の分類に基づく効果的な指導行為の全体像のプラニング=カリキュラムマネジメントです。
同じようなタイプの教え方・学び方に終始するのではなくて,それぞれの教師が得意とする指導が最も生きるような指導全体調整計画です。
ただ話し合わせたり,子どもに任せて教え合わせたりするのではなく,自分なりに消化できる「インプット」の時間もしっかり確保することが重要です。そうでないと,学習指導要領に示された内容を習得することはできません。
話しは続きます。
▼「ロウソク岩」にかかった虹
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