地雷を踏む教員 地雷をばらまく教員
危険がわかりきった状況なのに誤りを犯して失敗してしまうことを,「地雷を踏む」と表現する。
カンボジアで実際に被害にあい,義足をつけている人には大変失礼な表現なのだが,他民族の不幸には無頓着の日本人の癖として,許していただきたい。いつもどこかで世界の笑いものになっている日本人だが,国内には本物の地雷を見たことがある人がいないので,同情の余地はあると願いたい。
教育の世界には,自ら地雷をばらまき,周囲を不幸にする人間もいれば,目の前の地雷に気づかずに,平気で踏んでしまう人もいる。
対人関係の調整能力がない子どもたちと長年生活していると,使わない能力は退化していくもので,自分も子どもと似たような状況になっていく。
対人関係調査能力不足の子どもと教師が一緒になると,本当に困ったことになる。
逆に,忖度が完璧で,教師の地雷をちゃんとよけていってくれる子どももたくさんいる。事故は起こらないのだが,地雷のばらまき方が尋常でなくなっていく。
「本を読めば全部書いてある」・・・・宗教の正典でもあるまいし,そんな都合のよい書物があると豪語するのも正典を持たない日本人の情けない虚勢だと思っていただきたい。
今の日本で,たとえで使っている「地雷」を踏むと,もうそこでは生きていけなくなる仕組みになっている。
心の傷を負った山のような子どもと教師たちはどうやったら救われるのだろうか。
要は簡単な話である。
自分たちが騙されていたことに気づけばよい。
そろそろまともな「実証的な反論」が失敗者から出てきてもよいのではないか。
「教え方」「学び方」ではなく,「考え方」を誤ったのは,実践した奴が悪い,という「逃げ」を封じる方法も考えておいていただきたい。
« なぜ学会への信頼が低いのか | トップページ | 自信をなくす教師たち »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント