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国後島で考えたこと~通訳のお仕事

 ビザなし交流の国後島訪問では,最も頼りになったのは新聞記者の方々,通訳さんたちである。

 すでに複数回の訪問に同行されていて,島の変化を肌で感じている。

 ただ「言葉が通じる」というだけではない。現地の島民とのコミュニケーションが成り立っている。

 人と人が信頼関係で結ばれるのは,ただ「言葉が通じる」だけではない。

 ホームビジットに参加した中学生は,ほとんど言葉を発することがなかったが,その場で存在感を十分に発揮していた。言葉にならない言葉を島民に発していたことが,お別れのときの様子でよくわかった。

 通訳さんの仕事について,一緒に行動させていただいてよくわかったことは,ポイントをかいつまんで翻訳しているだけで,ときには大胆な「言い換え」をしている,ということである。「逐語訳」がよいわけではない。

 だから自動翻訳機ができたときに,まず起こるのは,「逐語訳」だからこその問題だろう。

 通訳さんという仕事は,現場で仕事をしながらかなりのスキルアップができる職業である。

 教師もそういう仕事をしていきたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より