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なぜ学会に参加するのか

 授業の質,教育のレベルは全国一律ではない。それが教育という仕事の面白いところでもある。

 同じ教科書,同じ指導案を使って授業をすれば,みんな同じ程度の学力がつくかと言えば,そうはならない。

 子どもが先生のことをどう思っているか,だけで,結果ががらっと変わるような教育の場所が,学校というところである。

 どうやったら学力が向上するか。その近道が書いてあるのが,「学習指導要領の解説」のはずである。

 しっかりと書いてあることがたくさんある。それを実行していないから,学力が向上しないのか,書いてあることがいい加減なのか,研究者たちにはしっかりと分析してほしい。

 教育系の研究者たちが書いた論文が,相当に集積しているはずである。 

 優れた論文というものも,この世にはたくさんあるのだろう。ただ,そういう論文に対する評価も,教師によってまちまちであるが,全国のほぼすべての教師に,大学のセンセイが書く最新の論文を読む機会はないというのが実際のところだろう。現場の人間に読まれない論文がなぜ大量にあるか。それは書いた人が職を得るためでしかないからである。

 学会は玉石混淆ならではの面白さもあるが,さすがに小中高が入り乱れると,「意見や質問が出ない」発表ばかりになって,授業に置き換えてみれば最低のパフォーマンスで終わる結果になるものが多くなっている。今まで学会で聞いた中で最も最低だったのは,大学教授の発表で,しかもそれが全体会のような場だったから,「だから教育学部はダメなんだな」ということが非常によくわかってとても参考になった。後日,別の学会で,同じ大学の教育学部の学生の発表を聞いてびっくりした。直前に紹介されていた高校生の発表以下だったからである。わざわざ使えない人に場を任せる「余裕」があるのが国立大学法人である。教育学部出身者は教育現場では使えない理由もよくわかる。

 なぜ学会に参加するのか。ここ何年かは,私の後任を探すための「旅」である。今は「一本釣り」の時代ではないが,そもそも公募に参加してくれなければ何も始まらない。後任人事に先任は口出しできない仕組みになっているが,実績がある人なら採用される可能性はもちろん高くなる。問題は,私のように退職金の額が減ってしまったり,場合によっては給料が下がってしまうことだ。それでも公募に応じてくれる人がいてほしい。教育現場は,「人」がすべてである。 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より