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どんだけ最低の説得方法なのか

 以前から書いていることが,講演などの後に「学校に持ち帰ってすぐに実践できる情報がたくさん得られた」という講評を受けることを,私は望んでいない。

 「だれかの得になるから」という理由で仕事を引き受けているわけではない。

 基本的には,「宿題がたくさん出された感じのする研修」を目指している。

 「主体的,対話的で深い学びの実現」を目指した研修だったら,その内容はどんなものか,ゴールは何なのか,想像がつくレベルの教師であってほしい。

 だから「これこれこうすれば,結局は自分の得になるから,やった方がいいよ」みたいな話法は絶対にとらない。

 教師に対しても,子どもに対してもである。

 思い出してみれば,今年だけでも内閣府,財務省,厚労省,文科省,資源エネルギー庁の人たちに対しては,そういう言葉を発した記憶があるが,子どもに対しては,せいぜい,「~さんはこうやって学習のコツをつかんだそうだ」という子どもの言葉を紹介するくらである。

 「こういう態度をとると,それは結局は自分のためになってかえってくるから,そうする」子どもを育てようとする人間がいるが,私はこんな教師に育てられた子どもはとても気の毒だと思う。

 実社会は,どんなに人のための行動をとっても,結局は自分にとってあまりプラスにならない結果になることが非常にたくさんある。大学を見てみればよいだろう。大学を出て,たとえば一端は仕事で挫折して辞めてしまっても,また立ち直り,新しい職場で順調に昇進できた人間と,その人間が居座っているためにポストを得られずに損ばかりしている人がいる。「みんなが得をできる」幻想を抱かせる理由は,「自分が得をする」ために必要だからだ。実際にはほとんど役に立つことはない薄っぺらい本が売れる仕組みでもある。

 「こういう態度をとると,それは結局は自分のためになってかえってくるから,そうする」子どもを育てようとする人は,自分もそういう態度でいると考えればよい。結局は「自分本位」の人間なのである。

 「自分本位」の人間たちというのは,言っていることとやっていることが違っていても,全然気にしないでいられるという特徴がある。

 自分にはしっかりとした逃げ場がある。そもそも,「子どもを教育する場」にいない人と,「子どもを教育する場」にいる人の違いを理解しておく必要があるだろう。

 逃げ場があるというか,「逃げ場」にいる人間に利用されて,教育現場で逃げ場をなくしている教師たちに言いたいことは,「大学に逃げる」という方法を探してみるか,「逃げてはいけないという自覚を与えられた」と感謝すべきだということか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より