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自分との対話ができない人たち

 人の話に聞く耳を持たない面倒扱いされる人というのは,人から相手にされないから,ただ孤立して終わりになるか,他人からの「思いやり」でどうにかなる。

 本当に面倒なのは,人の話を聞くことはできるが,自分との対話ができない人である。

 人にウソはつかないが,自分にはウソをつく。

 フォローが難しい。「思いやり」ではどうにもならないから,「本当のこと」を大勢で本人に伝えなければならない。ただ,「孤立」に荷担することになるかもしれない行動を人はなかなかとりたがらない。「崩壊」につながったときに,責任感を覚えることになるから,そういう事態を避けたい。だから,放置されることになる。

 勇気をもって真実を告げる人が現れると,「こいつだけ,ひどいことを言ってくる」と反発され,それが上司なら,「パワハラ」呼ばわりされる可能性もある。

 深いところでは,自分が自分にウソをついていることで,自分が成立していることを知っているのだろう。

 自分にウソをつけなくなった瞬間が「崩壊」なのか,真の「成長」なのか,判断は難しい。

 子どもを相手にする教育現場の場合は,悪意で生きていける世界とは違って,ほぼ全員が「善人」だから,「自分にウソがつける」人が目につくのかもしれない。こういうタイプを子どもに近づけたくないという気持ちが強くなる。

 道徳の授業では,自分にウソをつく習慣を身に付けさせるか,自分にウソをつかない勇気を持たせることができるかが,担任教師の力量で決まる。自分で自分にウソをついている教員は子どもに簡単に見抜かれており,反面教師として機能することも可能だろうが,ウソつきに囲まれた教室に入るのは,ちょっと苦痛である。

 しかし,子どもを「覚醒」させるのは,そう難しいことではない。子どものうちに,救える子どもは少しでも多く救っておきたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より