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中学校化している?小学校の授業

 私の子どもが通っている公立小学校は,すぐ近くに中学校があるわけでもなく,小中連携の大がかりな取り組みをしているわけでもない。

 区は学力向上を大きな目標に掲げており,その指標となるのが全国学力調査等の「ペーパーテスト」の結果である。

 公開授業を参観してみたが,いくつか発見があった。

 まず,話し合い活動をしている教室が一つもない。

 コの字型の座席配置にしている教室も一つもない。

 授業はすべて,「一斉授業」である。

 中学校と比べると,聞いているだけで理解できていそうな子どもはあまりいないから,無駄な時間がたくさん過ぎている印象がある。

 黒板をそのままノートに写す,「書写」だけはしっかりやっている。

 子どもたちは一年生から六年生まで,おとなしく黒板に向かって座り,先生の話を聞いていた。

 この小学校では,授業が行われている45分×6回の間,どのくらい「言葉」を発する機会があるのだろう。

 ほとんどなさそうだ。そのストレスを,昼休みなどに一生懸命発散している感じである。

 ほぼ黙っていることが可能,というよりは,「黙っていなさい」「おしゃべりをやめなさい」と言われ続け,黙っていることが義務のような印象が強い小学校である。

 学力向上=ペーパーテストの得点力向上には,これが一番良いのだ,という意見が一致した,「同僚性」の賜物なのだろう。

 「お行儀良くする訓練」を強いられた子どもたちが,どうして中学校で荒れ始めるのか,想像はできるのだろうか。

 「お行儀良く黒板をノートに写したところで,勉強がわかるようにはならない」ことに気づくタイミングの問題である。小学校で気づいた「賢い」子どもも,できる子も多いため,なかなか行動に移せない。

 本当に教育を研究している人たちは無力なんだなと実感した。

 学力調査などの施策のせいにして,自分たちの無力さ加減をスルーしているうちに,こんな小学校ばかりになっていくのだろうか。

 細かいことはあまり書きたくないが,ある授業で教師が説明していたことがらのうち,5分くらいの中でも誤りがたくさんあった。何を読んで準備したらそういう説明になるのか,本当に小学校用の教師用の指導書の「検定」が必要になってくるかもしれない。教科書は「検定」で誤りがチェックできるが,資料集や指導書には「検定」がない。

 説明一辺倒の授業を続けるのなら,少なくとも正しい内容を教えてほしい(ほとんど定着しないから,害は少ないのだが)。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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