「見捨ててくれる」ことで安心できる人もいる
日本人は,「完全」「完璧」が好きである。
「漢字の書き取り」では,止め,はねができていないだけで0点となる。
2×4=8という式が正解で,4×2=8は×となる。
「危険性」も限りなくゼロになることを求める。
「一人も見捨てないこと」が大事だという。
東日本大震災では,素早い組織的な避難行動がとれなかったために命を落とすことになった子どもたちもいた。
危険な山に入って,足を怪我したら大変だ,という心配から,「逃げない」という選択肢をとってしまうような国である。
少人数の小さい危険を避けるために,全員でより大きな危険を背負うという癖。
太平洋戦争でのおかしな作戦行動(わざと負けるためだった,という考え方もできるようだが)は,日本人独自の頭の使い方,ものの見方や考え方に原因があるのか,と思ってしまう。
津波が予想されるとき,「家族全員が無傷で助かること」を目的にした行動によって,「家族全員が犠牲になる」ことがありうることを,子どもたちは学んでいる。
道徳の時間にこのことを扱う場合,「死ぬんなら家族全員一緒がいい」「自分だけ生き残るのは嫌だ」と答える子どもはどのくらいいるだろうか。
親はどう思うだろう。
日本で,「いざというときに,家族を見捨ててでも自分の命を守る行動」を教えることが可能だろうか。
他人のために,自分の命を犠牲にする行為は尊いものである。
自分の命も他人の命も奪われるかもしれないが,それがわかっていても自分の命を投げ出して救おうとすることが求められる職業もある。
尊い行為ができる人がどんどん亡くなっていった時代を,どう考えたらよいのか。
日本の教育は,子どものころから自分を犠牲にする精神を植え付けてしまっているものではないか。
「日本沈没」を防いでくれるのは,もしかしたら道徳の評価が低い人かもしれない。
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