総裁選に見る危機管理
かつての「いじめ」に対する教育現場や教育委員会の危機管理とは,「なかったことにする」「いじめとは認めない」というもので,「危機を増幅するための体制」「爆弾の上でくつろぐ組織」の多くが「自滅」という形で砕け散った。
総裁選で「敵を応援するのなら,閣僚を辞職しろ」という言葉はある議員から発せられたものらしいが,受けた人がこれを「圧力」と感じたということは,それなりに相手の立場が高い人なのだろう。
しかし,「そんな事実はない」と切って捨てるような態度は,明らかに「危機を増幅するための体制」を強化してしまうものであり,「自爆」して終わり,ということになりかねないから,「もしそういう発言があったとしても,私たちは決して敵を冷遇しない。同じ党員として」と否定するのが「危機管理」というものである。
今,最も「生きづらさ」を感じている霞が関の住民は,文部科学省で道徳教育について語らせられている人たちだろう。教育行政の局長が逮捕されるような国で,「道徳」を無理矢理「教科」に格上げすることなど,笑い話にしか聞こえない。贈賄と天下り,違法な再就職斡旋の根は同じである。子どもたちの前に姿をさらせる役人の無神経さには仰天する。
官邸主導の政治の影響で,優秀な人材がどんどん霞が関から去っているという。
これは,本人的には「正しい選択」なのかもしれないが,公務員を辞めるというのは公務員として「正しい選択」なのだろうか。
昨日放映されていたクイズ番組で,「カスハラ」=「霞が関ハラスメント」(正しくはカスタマーハラスメント)という珍回答があった。「新人にコピーをとらせ続ける」行為が例として挙げられていたが,「高収入が得られる仕事」にどんどん人材が流出してしまう霞が関に,「公務員」を育てる場所としての意味が失われているのではないかと暗い気持ちにさせられてしまう。
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