「感動ビジネス」「感動の押し売り」への批判
「決まったパターンの感動もの」が好きな人がいる一方で,「やらせ」「プログラム」にすぎない「感動もの」を毛嫌いする人もいる。
優勝チームがほとんど無視される報道は,「感動の対象になるもの」と「そうではないもの」の線引きをあまりにも綺麗に分けていて嫌だ,という人もいる。
別に鑑賞することも感動することも押しつけられているわけではないTV番組を批判する意味はないという考え方もあろうが,教師の立場からすると,学校教育全体が「プログラムされた感動もの」であるため,やや肩身の狭い思いをしなければならない。
卒業式でやたらと歌を歌わせるのが好きな人がいる。
卒業式後に,さっさと親のもとに返せばいいのに,長々と生徒との別れを惜しむのが好きな人もいる。
人生のそれなりの「区切り」となる儀式と最後に別れるまでの過ごし方は,学校によってそれほど大きな差異はないのではないか。
教師を神輿に担いで「仰げば尊し」をやる極端に「道徳的」な別れを見るとちょっと引いてしまうが,学校で長く踏襲されてきたことを潰すのは,よほどの「空気読まない派」でないと難しい。
私の場合は,見苦しい姿を最後に見られて終わるのが嫌なので,主役級の子どもやちょっと目立たなかったけどコツコツ頑張ってきた子どもに花を持たせて終わりにしたい。
子どもに気を遣わせることを仕事にしている人たちは,ちょっと寂しい人たちなのではないか。
「感動ビジネス」の供給側は,視聴率で評価が決まってしまう,実は非常に苦悩に満ちた「感動できない」人たちなのではないか,と想像してもらうことで,少しは私も気が楽になる。
心を「感動用コンテンツ」で操られる人間が増えることを危惧する神経も,もちろん大事である。
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