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都合の悪いことに目を向けさせなくする教育

 我々一般の教師,保護者の立場からすると,自分の研究で改竄,捏造,盗用しているセンセイの教育は受けさせたくない,と思う。「不正が犯せる人間になってしまう」などの悪影響が子どもに及ぶ,と予想するから。

 ただ,広く教育の世界を見ていると,そういう「都合の悪いことには目を向けさせない」という空気は広く存在している。

 こういう方法をとれば,いい教育,少しはましな教育ができると「よいことだけ」書いている本は,たいてい,時間的な効率が悪く,実現性が低い(書いた人は,ものすごく長い時間を費やして,そればかりやっていただけで,本で紹介した内容だけについては効果が示せる)という欠陥を抱えている。本を買って読んだ人も,たいていは,「よい教育ができる方法を知っている」という満足感だけで終わり,実行には移さないでくれているおかげで,子どもたちは救われる。

 今回の学習指導要領では,「何のためにこの教科を学習するの?」という究極の質問への答えを用意した。

 しかし,この答えには,2つの大きな落とし穴があった。

 まずは教科の本質にせまるという「見方・考え方」である。それは,「教科」としての学習をしなければ身に付かないものではないからである。

 また,「教科」としての「見方・考え方」が重視されることが,「教科」の枠を超えた問題を扱うときに,「役に立たなくなる」恐れがあるからだ。

 「教科」の存続というか,存在意義を守りたい人がいる,という「都合の悪い話」が背景にある。

 子どもたちには,「環境に配慮する」とか,「経済性を重視する」とか,「人間の尊厳を守る」とか,社会を生きていく上で身に付けておきたい「見方・考え方」がたくさんあるはずである。どの教科でも使える「見方・考え方」という視点を,もっとはっきり強調すべきだった。

 もう1つは,内容が示されているため,逆に,示されていない内容について,「なぜこのことは学習しないの?」という疑問を生む。道徳で有名になった話だが,教科書検定の段階で,「~はダメ」という検定意見がつくことで,「押しつけたい価値観」が見え見えになってしまった。

 目標が示されていて,それを達成するために教科の学習があるのだから,学習指導要領に示されていない内容でも,いや,むしろ,学習指導要領には示されていない内容の方が,目標が達成しやすいということがあり得ることがわかってしまう。

 実は,今回の学習指導要領は,「ご都合主義」を絵に描いたようなものだった。

 「都合の悪いことは忖度して,目を向けないでくれる」ことが前提になっていた。

 協力者が「だれの何のための協力者なのか」がよくわかるものだったのだ。

 「都合の悪いことには目を向けない」という教育政策は,非常に危険なものである。

 マスコミにも,自身の「都合の悪いこと」がある。たとえばあるスポーツの大会の放映権を獲得としたテレビ局が,そのスポーツの協会が批判されたときに,擁護する側にならなければならないという事情など。

 しかし,マスコミも,体罰(最近,やっとただの「暴力」扱いされることが一般的になった)問題など,暴力行為撲滅や,企業の組織的な不正の撲滅への影響力を発揮し出しているという点では評価できる。

 マスコミには,学習指導要領をつくる上で,「どういう人が排除されたか」を暴き出してほしい。そうすれば,教育政策の本質も見えてくる。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より