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縄文女子と飯盛山のさざえ堂

 飯盛山と言えば白虎隊・・・だったのが,今では「さざえ堂」の方だけを知っている,という人が多いかもしれない。

 六角形でらせん状の廊下がある通称「さざえ堂」は,18世紀末に建設されたものだが,新聞やTV等で最近紹介されたことで,これを目当てに飯盛山に向かう人が増えているようだ。

 「歴女」という言葉が登場してから,最近では「刀女子」などのバリエーションが増え,「土偶」に魅せられる「縄文女子」という呼び方も出来たようだ。

 東京国立博物館で開催中の特別展『縄文―1万年の美の鼓動』も女性に人気らしい。

 ある専門家は,「そもそも土偶は女性をかたどったものが多い」と解説をしてくれているが,「土偶に刻まれている妊娠線」というリアルな注目点を指摘されると,そういう教え方をしてこなかったことに少々後悔の念が生まれる。

 ブームというものは,何をきっかけに広がっていくか,なかなか予測できない。

 今までも「縄文展」はあちこちで開催されてきたはずであるが,「土偶に魅せられる人」がクローズアップされたことはなかったように思われる。
 
 次のブームを探し出す,または,次のブームを創り出すことに躍起になっている人もいるのだろうが,さざえ堂も土偶も,ただのブームでもてはやされただけではもったいない。

 「なぜ」「どうして」という疑問がしっかり引き出せるネタは歴史の場合,とても多く全国各地に転がっているはずであるから,「ブラタモリ」の「歴史版」が生まれてくることを期待している。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より