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他人を騙そうとしている人と,自己暗示にかかって他人を騙しているつもりはなく,騙している人と,どちらが問題か

 騙すつもりはなかった,と後で弁解しても手遅れだ,という問題がありますから,「騙した」という結果については,同じように悪いことなのですが,恐らく,意図的かそうでないかは,罪の重さを比較する上では参考になってしまうことでしょう。

 一般的に考えて,「わざと騙した」方が悪い印象があります。悪意というか,人の善意につけこむという「悪事」が加わっているので。

 しかし,やはり被害を受けた側からすると,同じような「罪」です。

 「教育」などという営みは,「騙すつもりがないのに,人を騙してしまう,ということが起こらないようにする」「悪意はないのに,人に害を与えてしまうことがないようにすること」が狙いとなっていると考えられます。

 よく,道徳教育を「悪意を持たないようにさせる教育」と勘違いしている人がいますが,一度真面目に教育現場で働いてみたり,親になって子どもを育ててみると,「悪意をもたない生き方」がいかに難しいかがわかるでしょう。特に,罪を犯した人間に対する「悪意」というのは,実際に自分や家族が被害者であるならなおさら,隠しきれないものになるはずです。

 教育の世界には,残念ながらと言うべきか,「研究」=「独創的なもの」(だから税金を出してあげる気になる)という成果をより出にくくさせる固定観念があるために,研究者の側も,自分が嘘つきであることを知りながら(平気で改竄・捏造をする人もいますが)税金で食べていくことには引け目を感じるので,「自分は正しい」ことを自分に信じ込ませるような自己暗示をかけ続け,やがて,「騙すつもりはなかった悪者」になっていくのです。教育は,子どもの将来に大きな影響を与えるので,被害は「想定することのできない規模」になっていきます。

 未来はこうなるだろうと予想するのは自由です。

 ある人の予想を信頼して,その主張を採用するのも自由ですが,「鵜呑み」にならないよう,全く別の主張にも耳を傾ける態度が大事でしょう。そこに「議論」「討論」することの意味も生まれてきます。

 「議論」「討論」は時間の無駄,というタイプの人が理系には多くないですか?

 こういうタイプへの投資が,いかに危険かということがわからないように煙幕がはられている日本の弱点は,「議論」「討論」が苦手なことです。

 道徳の時間なんて,本当にムダ以外の何物でもない。そんな時間を過ごしても,絶対にいじめはなくならない,と主張する人が,どれだけ道徳教育に熱心かを実証するデータはすぐに得られるはずです。しかし,それを実証してくれる研究者はいません。なぜなら,自分が必要なくなる証明になってしまうから。そうやって,国民を騙す側にまわる人もいます。

 道徳教育で大学の職を手に入れた若い研究者の本を読みました。

 ご就職おめでとうございます。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より