学力テスト結果による教員評価の方法
昨日の朝のニュースで一番印象に残っているのは,全国学力テスト結果を教員評価に反映する案を大阪市が検討しているというものだった。
「惨憺たる結果」を突きつけられた大阪市が,「罰」を利用して教員にテコ入れを図ろうというものである。
実際にそのような評価が実施されることはないと思われる一方で,すでに人事考課では使われている可能性があることもわかる。
全国学力テストを実施する学年は限られているから,点数が低い責任を負わされるのが,「実施した子どもの担任」だけでよいのか,という疑問は当然出てくるだろうから,学校ごとに,すべての教員の評価を下げる,なんてことも言い出すかもしれない。
かつて,小学校の校長の評価は,どういう良い学校に異動させてくれたかということで決まる,と校長先生から直接聞いたことがある。もし人事部や教育委員会に情報等の強いパイプをもつことが校長の資質能力の一部なら,異動はすべて「公募制」にしたらどうかと思ったりもした。
「大阪市の教員にはなりたくない」とか, 「大阪市は倍率が下がるから,ここなら合格できるかもしれない」と思わせるには十分な情報である。教員の質が下がって,結果が出せず,罰を与えて,やる気をなくさせて,さらに教育効果が失われるという悪循環に陥る恐れがあることは,見識のあるまともな教育長ならわかることだろう。
算数はダメだが,これはできる,などという思考の働かせ方をしてほしい。
自分の市の子どもたちの自信を失わせる政策より,希望をもたせる政策を市長は考えるべきだろう。
学力が高くないと政治家になれないわけではない。
そもそも,今は「学力」という言葉が何をさすのかを実感させるためにも,
「学力テスト」は「算数技能テスト」と名称を変えるべきかもしれない。
「頭の良さ」を,お笑い芸人たちの「切り返しの巧さ」で判断できるような感覚を大事にしてほしい。
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