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失敗原因を意図的に伝えないという選択肢

 今月参加した研究大会や学会で,珍しい場面に出会った。

 的を射た厳しい指摘を発表者にした講師や助言者がいたことである。

 場が凍るような指摘ができる人が,まだ存在できる場所があったことが嬉しい。

 人の成長のために,ダメなところをはっきりとダメと伝えることは,

 最近の教育界ではタブーとされてきているような気がする。

 せっかく発表したのに欠点を指摘されるなんて・・・

 と尻込みするような人が増えているからだろう。

 もはや,「せっかく大勢に聞いてもらえる機会なのだから,しっかり批判を受けて成長しよう」

 というアドバイスが「パワハラ扱い」されかねないご時世である。

 もう研究とは名ばかり,学会とは偏った世界の仲間内の同窓会にすぎない時代になったと思ったが,捨てたものではないと感じた。

 しかし,いずれ,失敗を失敗と指摘できる人はいなくなるだろう。

 それは,力のない人にとっては「楽ちん」だから。

 しかし,指導したい欲求に駆られる人にとっては,「苦行」である。

 失敗原因を意図的に伝えず,本人にしっかり気づかせる力こそ,本物の指導力という。

 「気づかせる力」とは単純な技術ではできないから,そういう指導力は伝えにくい。

 教育の世界が前に進まない理由がよくわかる。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より