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感情と理性を別物と考える感性

 理性的に怒ることと,感情的に怒ることは別物である・・・目に見えて分かる,文字を読んで分かる表面的な現象だけで判断してしまうと,そういうことになります。

 しかし,人間の思考が純粋に感情的なだけであること,理性的なだけであるということはないでしょう。

 相手が感情を押し殺して理性で勝負しようとしている,と見えるかどうかは,人間への感性があれば分かるはずです。

 感情を押し殺さずに,それを前面に出して・・・感情的に怒りを表している人に,理性はないのでしょうか。

 違いますね。理性があるからこそ感情を表に出して怒ることもあるのです。

 感情と理性が全く反対で別々のものであり,冷静でないように見える人に理性がない,感情の力しかない,と判断すると,大きな過ちを犯すこともあります。

 理性ではどうにもならないから,感情的になってしまい,失敗してしまうことももちろんあります。

 「そんな感情的な伝え方では,相手には伝わらない」と批判されようが,相手が恐らく「伝わらない人」であることの怒りも含めてでしょうが,少なくとも,「お前は許せない」という感情を抱いていることを相手に伝えたいときがあります。

 「アスペルガー」と呼ばれる人の一部は,「相手が怒っていること」「相手が怒っている理由」がわからないように見えるので,ますます怒りの感情が高まるという悪循環が起こります。たまに憤りを表現すると,「お前が言うか!」と周囲から呆れられ,やがて全く相手にされなくなり,無視されるようになるか,対立が深まるという悲劇が待っています。

 子どもの有能性を信じてそれに頼る傾向のある教師の一部が見ているのは,本来,子どもが一人でもやっていける能力だけです。だから,「やがて何とかなるだろう」と言っているうちに,不登校になったり,精神的に不安定になって家庭でも問題を起こすようになったり,そのために家庭からの信頼・信用を失ったりと,ろくでもない事態ばかりが起こって,結局,他の教師たちがフォローすることになります。

 「できてほしいこと」,「やがてできるようになること」,「できるはずのこと」と「できること」の区別ができない教師が,子どもの有能性を過大評価し,能力向上の可能性を閉ざしている現実があることを忘れてはなりません。

 先人の教育の成果を無視し,「それとは別物」の「教師らしい信念」が独善的になることで,いかに子どもが犠牲になっているか。教師の独善性,机上の空論が手に取るようにわかる実践が目の前にあります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より