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「不同意することに同意する」余地は,教育現場にはない

 抽象的な道徳的議論の場合・・・もっと広く言えば,学術全般の世界の場合,「不同意することに同意する」余地がある。だから,私が特に公開の場で選んで実践しているような,だれも受けたことがないような授業も,「研究のため」「議論のため」という理由では許される。しかし,一般の教育現場では,そんな余地は一切ない。

 ところが,教師の指導力不足と子どもの「自由さ」が災いして,どうしようもなくなっている現場はたくさん存在する。

 常勤の教員が病休になり,非常勤の教員で落ち着いている学級などはいくらでもある。

 こういう学校や学級には,議論や研究の余地もなく,とにかく「授業」「学習」が成立しているように見えさえすれば,何でもあり,という空気がある。

 私が二校目に勤務した学校では,教員の欠勤が非常に多く,空いた授業のコマは他の教師が肩代わりせず,とにかく空き教室に入れて映画を見させて過ごさせる,という習慣があった。私は今でも,校費で購入したらしい映画のディスクを得意げに紹介してくれた教師の表情が忘れられない。「自習」が成立しないから,映画を見せて時間をつぶしている中学校が,この世に存在したのである。唖然とした。教育目的ではないから,明らかな著作権法違反である。私が異動して,本当に「自習」を課したとき,そこそこ成績のよい,学級委員レベルの生徒から苦情を申し立てられたことにも驚いた。

 こういう中学校だから,授業研究や実験的な授業がまともにできたのだ,と今では本当に感謝している。

 「子どもが授業に飢えている」ことを知った実感が,今でも私の実践の原動力になっている。

 「授業」や「学習」は,課題を与えられた子どもたちが自力で行うもの=ほとんど自習ですませられるものではない。学習指導要領の総則を無視しなければ,どのような授業を教師が実践すべきであるかは,自ずと見えてくる。

 同じ言葉を言い続けて,あるいは聞き続けて,自己暗示に陥り,正しい判断が下せなくなるプロセスを,日本人はいくつかの事例で知っている。

 自己暗示に陥り,本当の教育の姿を知らないまま現場に立っている人が少しでも減ってくれればと願っている。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より