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センカクの14億円とカナノウの2億円

 金足農業高校旋風が吹き荒れた甲子園だった。

 横浜高校戦と近江高校戦での大逆転劇が,多額の寄付金が集まるきっかけだったのだろう。
 
 他の高校は,どのくらいの寄付で今回の甲子園出場が可能になっているのだろうか。

 また,もし地味な勝ち方が続いて,決勝まで宿泊するお金がなくなってしまったら,どうするのだろう。

 千葉県の先生にそのあたりの事情をお聞きしたことがあるが,確かに全国大会優勝を目指している部活動は野球部だけとは限らないのだが,いかに「高校野球」が別次元の世界であるかがよくわかった。

 私は,「ブラック」という言い方をして企業や学校を批判する人が,もし本気で高校野球を応援しているとしたら,ちょっと待てよ,と言いたい。

 企業や学校における長時間労働が問題だという人は,高校野球などすぐに廃止せよと高野連や朝日新聞社に直訴すべきだろう。

 「部活動がブラックだ」と嘆く教師が最も困るのが,目標が高い高校生や個人には,「ブラック」などという概念はないことである。

 「お前には用はない」で終わってしまう。

 あれだけ熱狂的に球児を応援してしまう人がたくさんいる社会を問題視する勇気は大変なことだろうが,高いハードルを課せられるのが負担な人は,「負担感のない世界を」という要望をとにかく訴え続けるしかない。何百球も短期間で投げさせるようなとんでもない酷使をやめさせろ,という意思表明し続けてもらうのは自由である。

 「選ばれる人」「たった1校しかもらえない優勝旗を手にする人」になりたいと強く願う気持ちに水を差すことには勇気がいるだろうが,指をくわえて見ているだけでは社会は変わらない。

 カナノウに集まった2億円という金額が,県立高校にとってどのくらいの規模のものかはわかりにくい。

 甲子園出場を目指す学校の中には,それくらいのコストをかけて,いい選手を集めているところがありそうな気もする。実際に,部員全員とその家族がかけている資金の合計がとんでもなく額になっているという学校もあるだろう。高校野球の強豪校が「遠征」にかけている費用を聞いたら,素人の人は腰を抜かすだろう。何しろ,プロのように「1軍」「2軍」「3軍」が別の場所に「遠征」している高校もあるのだ。

 尖閣諸島の国有化にかけた税金は20億円。

 もう数年前だが,これによる経済損失がどれくらいあったかは知らない。

 それより,東京都が買い取る目的で集めた寄付金が,今も宙に浮いていることがわかった。

 その額は14億円。ずっと塩漬け状態にあるという。

 もう少し血のめぐりをよくした方がいいのでは。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より