「アクティブ・ラーニング」になっているかどうかの判断基準はどこにあるのか?
文科省は「教育の質の悪い私立大学」を潰す方針だそうだが,「学生の質」や「教員の質」をそもそもどうやって測定するのか,また,「教育の質」とは何を基準に判断されるのか,一般人にはわかりにくい。
そもそも「募集してみないとわからない」などという理屈で大学の認可を下しているわけではないだろう。
認可はするが,すぐに補助金を打ち切って潰す,という仕組みは,学生にとってもたまったものではない。
そんな大学に教員も学生も優れた人材が集まるはずがない。
大学を認可した事前調査・判断能力のない役所の責任の方が重いと言うべきだろう。
「論文も書いたし学位も取得したので,早く就職したい」という人が,「研究」だけでなく「教育」という仕事も担いうる人間かどうかを,どのように判断しているのだろう。
くだらない課題を提示して,あとは子どもに任せるなどという適当の極みの「学習」「授業」がアクティブ・ラーニングと認定されるのであれば,そもそも学校なんてところに子どもは来る必要がないとも言えるだろう。
それと同じことを役所がしていると考えればわかりやすい。
私が知っている中学校では,保健体育の授業が「真のアクティブ・ラーニング」だった。
バスケットをしている生徒,サッカーをしている生徒,ドッジボールをしている生徒があちこちにいる。
休み時間とほぼ同じ光景である。教員はグラウンドを走っている・・・。
「子どもがちゃんと協力し合って活動している。これがアクティブ・ラーニングだ」という見本みたいな実践があっても,それを成立させる条件がなければできないことはだれでもわかる。
だれでもどこでもできる「アクティブ・ラーニング」などどこにも存在しない。
そもそも教師集団にやらせてみればわかりやすいだろう。
恐ろしく低いレベルの「深い学び」の見本が書籍で紹介されているが,
「基準」「標準」がはっきりしない学習に,評価のしようがないことはだれでもわかるだろう。
「アクティブ・ラーニングができていないから」=「アクティブ・ラーニングを行う能力のない学生ばかりだから」私立大学を潰すというのは,あまりにも乱暴な話である。
進学塾は進学校と言われる中高一貫校の特色をよく把握している(一覧表になっていて,わかりやすい)。
明らかに「アクティブ・ラーニングなどやっていない」学校が存在する。
「やっているつもり」の学校を見破れない役所が何を決められるのだろう。
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