ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 日本の学校と部活動の未来 | トップページ | 流行を追いかける人間ほど「古い人」になりやすいことに注意 »

「アクティブ・ラーニング」になっているかどうかの判断基準はどこにあるのか?

 文科省は「教育の質の悪い私立大学」を潰す方針だそうだが,「学生の質」や「教員の質」をそもそもどうやって測定するのか,また,「教育の質」とは何を基準に判断されるのか,一般人にはわかりにくい。

 そもそも「募集してみないとわからない」などという理屈で大学の認可を下しているわけではないだろう。

 認可はするが,すぐに補助金を打ち切って潰す,という仕組みは,学生にとってもたまったものではない。

 そんな大学に教員も学生も優れた人材が集まるはずがない。

 大学を認可した事前調査・判断能力のない役所の責任の方が重いと言うべきだろう。

  「論文も書いたし学位も取得したので,早く就職したい」という人が,「研究」だけでなく「教育」という仕事も担いうる人間かどうかを,どのように判断しているのだろう。

 くだらない課題を提示して,あとは子どもに任せるなどという適当の極みの「学習」「授業」がアクティブ・ラーニングと認定されるのであれば,そもそも学校なんてところに子どもは来る必要がないとも言えるだろう。

 それと同じことを役所がしていると考えればわかりやすい。

 私が知っている中学校では,保健体育の授業が「真のアクティブ・ラーニング」だった。

 バスケットをしている生徒,サッカーをしている生徒,ドッジボールをしている生徒があちこちにいる。

 休み時間とほぼ同じ光景である。教員はグラウンドを走っている・・・。

 「子どもがちゃんと協力し合って活動している。これがアクティブ・ラーニングだ」という見本みたいな実践があっても,それを成立させる条件がなければできないことはだれでもわかる。

 だれでもどこでもできる「アクティブ・ラーニング」などどこにも存在しない。

 そもそも教師集団にやらせてみればわかりやすいだろう。

 恐ろしく低いレベルの「深い学び」の見本が書籍で紹介されているが,

 「基準」「標準」がはっきりしない学習に,評価のしようがないことはだれでもわかるだろう。

 「アクティブ・ラーニングができていないから」=「アクティブ・ラーニングを行う能力のない学生ばかりだから」私立大学を潰すというのは,あまりにも乱暴な話である。

 進学塾は進学校と言われる中高一貫校の特色をよく把握している(一覧表になっていて,わかりやすい)。

 明らかに「アクティブ・ラーニングなどやっていない」学校が存在する。

 「やっているつもり」の学校を見破れない役所が何を決められるのだろう。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 日本の学校と部活動の未来 | トップページ | 流行を追いかける人間ほど「古い人」になりやすいことに注意 »

教育」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 日本の学校と部活動の未来 | トップページ | 流行を追いかける人間ほど「古い人」になりやすいことに注意 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より